Trois sage

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§麻里亜、戦う
 征紘と智紗希が何か隠し事を持ったなど露ほど知らない麻里亜は、フランシスが持ってきた手紙に眉をひそめていた。
 フランシスは上目遣いに麻里亜を見ているが、相当怒りと困惑が顔に出ていて声を掛けにくい。
「あ、あのぅ。……、お断りいたしましょう。アデア卿など、ねぇ」
 フランシスの言葉に麻里亜は彼女の方を見た。
「あなた、アデア卿を知っているの?」
「知っている? とんでもないです。ただ噂とか、陛下主催のパーティーでお見かけするぐらいです」
 麻里亜は黙って手紙を机の上に置いた。
 「明日の三時にお茶に招待したい。そしてそのまま夕飯をご一緒したいのでそのつもりで参られよ。アデア卿レオポルト」と書かれた手紙を麻里亜は見下ろしため息をついた。
「不幸だわ」
 麻里亜は呟き、フランシスの方を見た。
「あなたがどう思っているか知らないけど、私はあの人のことが大っキライ。陰湿で、傲慢で、本当に嫌な奴。何もかも見透かしたような命令口調が特に耐えられないわ」
 フランシスは俯いていた顔を上げて驚愕した顔を麻里亜の後方の窓に向けた。
 麻里亜はその顔に振り返れば、レオンが立っていた。
 麻里亜は急いで立ち上がり、窓を開ける。
 やはりレオンはベランダに居て、暢気に夜風に体を吹かされている。
「何なの? 覗きなんて最悪の趣味じゃない」
「覗き? 怒り狂って喚いている女の部屋なんて覗く趣味は無いよ」
「ま、あたしがいつ怒り狂ってるって?」
 麻里亜の言葉にレオンは彼女を指さす。
「落ち着きなさいな。ところで、アデア卿の融資を受けるんだって?」
「何よ、その話」
「もっぱらの噂」
「融資って、」
「それとも、生活費保護。かな? アデア卿に言わすと」
 レオンはくすくす笑った。
「あなた、アデア卿を知っているの?」
「知ってるも何も……、覗き魔だから」
「どんな奴なの? あれほど陰湿で根暗な奴が存在するなんてぞっとするわ」
「……、アデア卿ねぇ」
 レオンは腕組をして空を見上げた。
「教えてあげなくもないけど、その代わりキスをしてくれたら」
「ばっかじゃないの?」
 麻里亜は懇親の力を振り絞るような大声を上げた。そして部屋の中に振り返る。だが、フランシスの姿がない。
「フランシス!」
 部屋に入り、廊下の扉を開けると、お茶を持ってきているところだった。
「どこ行ってたのよ、さっさと人を呼んで、あの無礼な……」
 ベランダにはレオンの姿はなかった。
「あなたも見たでしょ?」
「何を、でしょう?」
「レオンよ。あなたが顔をこわばらせたから」
「そ、それは……。申し訳ございませんマリア様。壁に掃除の時にでも付けたのでしょう、シミがついているのを見つけて、どうにかして取らなきゃと思っていたら、マリア様はベランダに行かれて、」
「見なかったと?」
「何をです?」
 麻里亜は頭を押さえ椅子に座った。
「何者なのよ、あれは」
 怒りに似たムカムカで麻里亜は気分が悪かった。
「私がアデア卿の慈悲を受けると言う話が広がっているって本当?」
「え……その、ような、事、は」
「在るのね」
「ですが、そんなのはただの噂ですし、」
 フランシスが慌てて訂正することが噂の広がり具合が相当なものだと知れる。
「他の方がスポンサーにならないのはその噂のせい?」
「……多分」
「私は、彼の【奴隷】にならなきゃいけないの?」
 麻里亜は呟いて顔を覆った。
「いいわ。明日のお茶会に行く。そしてアデア卿の援助を断る。そうすれば他の方が来るはずよね?」
「それは……」
「来ないと言うの?」
「アデア卿は、……かなりのお力をお持ちの方らしいのです。私も詳しくは存じませんが、皇太子様ですら一目置かれる事があるとか、無いとか、ですから、そのお誘いを断った方に、次があるとは決して思えません」
 麻里亜は眉をひそめてフランシスを見た。
「じゃぁ、黙って受けろと?」
「ですが、方法です。何度かの食事を受けている間に、アデア卿からどなたか紹介されるかもしれませんし」
「……、期待薄ねそれは」
 フランシスは黙って俯いた。
 麻里亜はため息をついて立ち上がると、
「もう、寝るわ。どうせ行かなきゃどうにもならない。手をこまねいて居ればアデア卿の思う壺。なら、戦うために力を温存しておかなきゃ」
 麻里亜は頷いてベットへと向かった。
 
 アデア卿の屋敷は三時だというのに薄暗く、湿っぽい気がして麻里亜は好きにはなれなかった。
 数ある窓を開け放せばもう少し明るくなって風通しもよくなるのに。と思うが、小間遣いを始め誰もそれをしたがる様子はない。
 おやつをいただく部屋だと言って案内された部屋にアデア卿はすでにそこに座って庭を眺めていた。
 この部屋だけは唯一と言っていいほど明るかった。だが、麻里亜が入ってくると同時に、執事が薄いカーテンを閉め、アデア卿は部屋の隅の方へと歩いていく。
「お招き、ありがとうございます」
 麻里亜の言葉にアデア卿は顔半分のデスマスクに指先を触れて、
「随分ととげのある言葉だ」
 と低く背中を押すような声を出した。
「この屋敷は、昼間だと言うのに真っ暗なんですね。もっと明るくすればいいのに」
「昼は、キライなんでね」
 アデア卿ははっきりとそう答えた。
 そして沈黙。長い長い沈黙が続く中、召使がお茶の用意をし、麻里亜はそれを口に含む。アデア卿は部屋の隅からずっと麻里亜の方を見ている。のだろうか? デスマスクだけが白く浮かぶだけで、その下の目や顔の表情など全く解からない。
 麻里亜はそれに気にすることなくお茶を含む。
「慣れまして?」
 声をかけてきたのはふっくらとした女性で、執事が丁寧に椅子へと案内してきた、アデア卿の母親だった。
「え?」
「この世界。猊下は違う世界の方でしょ?」
「あ、はい」
 麻里亜の心臓は早かった。確かに、自分が部屋に来てすぐに母親はやって来た。アデア卿の母でテレスと言って握手もした。目の前に座っているのに、その人の存在を一瞬でも、あのデスマスクに意識を取られた瞬間忘れていたのだ。
「随分、口数の少ないお方なのですね?」
「いいえ、そうでもありません」
「ふっくらとした白い手。丸いお顔。私そんなお顔好きですわ」
「は、はぁ」
 アデア卿の母親はそう言って麻里亜の頬に手を宛がった。その手の冷たさに思わず身を引いたが、
「ごめんなさいね、冷え性なの」
「いいえ。少し冷たかったので驚いてしまいました」
 アデア卿母親は黙ってお茶で唇を湿らせた。母親の眼に似た目がマスクの下から覗くので、血を考えればアデア卿のあのマスクの下はいい顔をしていると思える。だが、アデア卿に存在する不気味さは母親には無い。
「レオポルトに夕飯の誘いを受けたのだけど、私は失礼するわ。このところ食が進まなくて」
「いけませんね、それは」
 アデア卿母親は首をすくめその席を帰った。それが五時。
 沈黙と、ほんの少しだけの会話ですでに二時間が過ぎていた。
 外はすでに真っ暗になっていた。
 夕食をとる部屋に移動する。
 蝋燭が細々とともる暗く陰湿な食卓。そのくせ料理は格別に上等だった。肉のやわらかく煮たものなんか歯を立てることも少なく、新鮮な野菜のサラダの上に乗せられた塩辛い魚卵が程よく口に入るし、出されたアルコールのないワイン―というのか?―も程よく口に湿らせれたし、申し分はないのだけど、やはり暗さと、陰湿さに滅入ってしまう。
 食事は寡黙に進み、食後のコーヒーが出てきたとき、麻里亜はよく此処まで我慢したとばかりに顔を上げ、アデア卿を凝視した。
「お話しがあります」
「ほぅ、一日そこらで口の聞き方が多少わかったようだな」
 麻里亜の頬が引きつる。
「スポンサーになっていただくお話、お断りいたします」
「ほぅ、」
「あなたが私を奴隷にしようとしていると言う噂で他の方からのお声がかからないと解かった以上、私はあなたの好意を受ける気にはなりませんから」
 アデア卿は黙って優雅にコーヒーを飲む。
「では、失礼」
 麻里亜はナフキンを机に置き、立ち上がると入り口へと向かった。
「私を断った娘を誰が受け入れると、思っているのかねぇ?」
 アデア卿の言葉に麻里亜は立ち止まり振り替える。
「あなたがフリーになったところであなたに対する付加価値は私の援助を断った時点で消される」
「何故?」
「素直な意見だ。私はそれだけの力を持っているからさ」
 麻里亜は握りこぶしを作りアデア卿を睨む。
「さぁ、どうします?」
 アデア卿の挑発に乗るものかぐらいの気持ちで麻里亜は唇をかみ締める。
「言っておきましょう。あなたがあなたで居られるには私が側で居るほうが有利だと言うことを」
 麻里亜は踵を返して部屋を出て屋敷を出た。
―悔しい―
 涙があふれてくる。何故だかアデア卿に対して反論や、攻撃、わがままが通じない。言葉にしていくことが出来ない。見透かされている気のする胸の内。自分すら気付いていないことを悟って掌でもてあそばれている気がする。
「私の自由はあの男の手の中にしかないの?」
 麻里亜の呟きは夜の漆黒の中に消える。
 

15 麻里亜、困惑する

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