Trois sage

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§征紘、翻弄する
 乗馬を始めてすでに三日目だが、どうしたものか、
「体中がイタイ」
 運動は得意だし、あちこちのクラブにも顔を出しているお人好しだが、こればかりは、
「筋肉痛でしょうね」
 シーマ候は面白い動物を見ているみたいだと笑う。
「ケツは痛いし、内股がパンパン。腰なんか妙にずんずんと痛むし、でもこれで休むと明日また同じことになって、結局辞めちまう。でも、でも……」
「無理することはないさ。今日は散歩でもしましょう」
 散歩する気は無かったが、シーマ候の言う通りにしてこの三日楽しいし、体が痛くて滑稽な歩き方しか出来なかったが征紘は外に出ることにした。
「くはぁ。足、いてぇ」
 シーマ候がくすくす笑いながら先を歩く。
「乗馬って、奥が深いでしょう?」
 シーマ候はそう言って立ち止まった。振り返って征紘を待っているのかと思えば何処か別を見ている。征紘が振り返ると、そこは図書室で、智紗希が本を片手に唸っている姿が見えた。
「樋口?」
「彼女はずっとあの中に居る」
「いいんじゃない、好きらしいから」
 シーマ候は黙って歩き出した。
「エドは―シーマ候エドヴァンに由来する―樋口の事、気にしてたりする?」
 シーマ候はゆっくり振り返った。だがその顔は普段の温和な顔ではない。険悪な顔でもなく、嫌そうな顔でもない。だが普段と違う顔だ。
「な、なんか変なこと言ったか?」
「それを、彼女に言いましたか?」
「は? いや、言ってない、けど」
「ならいいのです。言わないでください。そう感じても、決して」
「あ、……解かった」
 シーマ候は頷くと普段の温和な顔に戻った。
(何だ? 何であんな複雑と言うか、責める様なと言うか、なんと表現したら言いか。とにかく変な顔しやがった。樋口もシーマ候を気にしてる。お互い気になってたら友達として協力するぞって話なのに)
 その後、シーマ候は普段と変わらなかった。智紗希のことが話題に出ても征紘のほうが気にしているくらいで別段気にもしていないような感じだった。
(気のせいか)
 と思った昼過ぎ、
「トイレ、じゃなくて、何だっけ?」
 トイレ? と言う言葉は存在しないらしい。シーマ候に説明するのに、最初の方は沢山の訳も無い言葉を羅列したのを思い出す。
「だから、こう、何つーの? あれだよ、個室が在って、用を済ますとかいってさぁ」
 結局、「ションベンがしたい」と言う恥を忍ぶ言葉にシーマ候は深々と頭を下げ、
「察せずに済みませんでした」
 と言って、猟場にある川屋に案内してくれた。
 だがここは森の中で川屋はおろか、便所すらない。
「草叢って、ねぇ」
 犬かなんかかよぅ。と不服そうに口を尖らせながら奥の方へと行く。
「あまり奥に行かれますと、蛇が出ますよ」
「解かってるって」
 と言いながら、妙な羞恥心で奥へと進む。
「だめよ、ベラ!」
 征紘はその声に弾かれたように尿意を忘れその声のほうへと進む。
 立ち居並ぶ林の中、二人の女が向かい合って立っていた。一人は侍女のサラ。征紘付きの侍女ケイトの下で小間使いをやっている娘で征紘たちと同じ年だと言った。もう一人は真っ赤な髪に、すすけた色の服を身に纏っていた。
「誰?」
 女の方がカサっと言う不自然な音に敏感に反応し、征紘のほうを睨んだ。
「あ、どう、も」
「猊下!」
 サラが慌ててそう叫び膝をついた。
「あ、いや、そこでそれは痛いよ。立って、あ、の、なんと言うか、その」
「ご慈悲を」
 サラが膝で進んで征紘の足元に額をつけた。
「どうかご慈悲を。私のたった一人の【姉】です。両親が火事で屋敷共々居なくなり、先月此処に来たばかりなのです。私以外頼れる物はありません。これは私の食事の残りです。決してお給金や、他の方のではありません。どうか、どうかご慈悲を」
 サラの目には一杯の涙があった。
「えっと、サラ、だったよね? あ、とりあえず立って、あんまりそう見上げられるの好きじゃなくて、えっと、その、解かるように、と言っても、俺にどうにかできるわけ無いんだけども、その、なんていうか、その、ほら」
 自分が情けなくなる。言葉を知らない上に十分な処置方法の妙案が浮かばない。ただ、シーマ候を呼べば彼女は罰せられるだろう。彼女もサラも。二人の運命は自分に在る。
(めんどくせぇ)
 だが、それで済まされる場合じゃないのは解かっている。頭をフルに使うが全く全然妙案が浮かばない。
「猊下、」
 シーマ候の声に今度は征紘の方がびくっと体を跳ねた。
「そのものたちは?」
「え? あ、えっと、そう、ピクニックするとか言ってさぁ。でも此処よりは陽の当たるほうがいいんじゃない? って言ったら、日焼けするのはいやなんだって、女って面倒だよな。でも俺、そのほら、川屋したいんだけどって言ったら、かなり顰蹙かっててさぁ。どこに行こうにも此処は風下になるからって、だから向こうの方へ行ってくれないかって説得してたんだよ。ほんと」
 征紘はそう言ってシーマ候から顔をそらした。
(嘘をつくのが下手な人だ)
「……猊下の仰せのとおりに。お前たち、猊下のお言葉だ、向こうの少し明るい場所が「ピクニック」には向いていると思われる、早々に立ち去るのだ」
 サラはぱっと顔を明るめベラの手を引いて駆けて行った。ベラが何度か振り返ったが一度も喋らなかった。
 真っ赤な、本当に赤い紅葉のような赤い髪が風に揺れていった。
「姉だと言った」
「サラに姉は居ませんよ」
 征紘はシーマ候を見た。
「ところで、用はよろしいのですか?」
 征紘は思い出してすぐ尿意を感じ木陰に走りこんだ。
 
 征紘とシーマ候は屋敷へと帰る道黙っていた。
 口を開いたところで何を話せばいいのか解からなかった。サラたちのことを知っているシーマ候に少々むっとするのも嫌だったし、かと言って自分だけが知らないような現状も嫌だった。
 だがそれが解消されるのはそれほど時間はかからなかった。
 夕食を終え、自室でシーマ候と居たときだった。シーマ候は寝る寸前まで征紘の部屋に居て本を読んだり、雑談相手になってくれる。それがシーマ候の役目だし、邪魔だといえば黙って部屋に帰って行ってくれる。だが、今日は二人とも黙っていたが、征紘の応接間に居た。
 ドアが叩かれサラが入って来た。
「お話しが、あります。お時間、いただけないでしょうか?」
「あ、いいよ。えっと、シーマ候は居ないほうがいい?」
「いいえ、お話し、しておいたほうが、いいと思いまして」
「そう、じゃぁ、どうぞ」
 征紘は自分が座っている前の椅子を指さすと、サラはそこの端にちょこんと座った。
「まず、私には姉は居ません。あれは咄嗟についた嘘です。でもああ言う他無かったことを察してください。彼女はエリザベート。われわれはベラと呼んでいます。ベラは見ての通りこの国のものではありません。真っ赤な髪、激情すると眼さえも赤くなるホロスと言う国のものです。ホロスは随分昔に滅ぼびました。なんでも山火事が原因だったとかで、ベラが生き残れたのは、父親が商人だったからだそうです。そして私の家の隣に住んでいました。母親はこの国の者です。父親は山火事で国が滅んだという聞き急いで国に帰ったのですが、それ以来消息は不明です。ベラと私は三つしか違いません。私はベラを姉の様に慕っていました。幼い頃のベラはあれほど赤毛ではありませんでした。ですが、ある日、あの山火事の起きた日、狩りに参加していたらしい貴族が毒殺された事件がおきました」
「マシュー卿?」
「はい」
 サラは小さく頷いた。
 征紘がシーマ候を見上げるが、シーマ候は何も言わなかった。
「その毒にはある特徴があるのです。この国では手に入らない。高山植物の根を煎じた物で、少量なら解熱剤として珍重されるのですが多量に摂取すると幻覚症状をもたらすとされている物で、ホロスに伝わっている物です。ホロスの生き残りがベラのほかに居たのです。誰かは知りませんが。そして殺人が続いたある日、ベラがホロスの者だという事を知る人がベラの家に火を放ちました。ベラは助かったのですが体の弱かったベラのお母様はその火事の巻き添えに遭い亡くなりました。ベラはその日私の(寄宿舎)の部屋に居て助かったのです。ですがそれ以来ベラの居る場所は無くなったのです。私の家に居れば迷惑がかかるとベラは何処かへ行くと言い出しますし、でもお城の、あの森の側に雁撃ちをするための掘っ建て小屋があります。あそこならいくらの反ホロスでも火を放ちますまい。あれは国王陛下の物なのですから。これが全てです」
「よく、言う気になったね」
 征紘の言葉にサラは首を振り、
「言いたくなどありません。ベラを守るのは私しか居ないのに、言いたいわけ無いじゃないですが。でも猊下や、シーマ候に知られた以上、隠すより全てを素直に話したほうが利口だと、それで処分されてもそれはしょうがないとベラが言いますから。私、ひどく反対ですの。今でさえも。私の所為でベラは貴族殺しの犯人にされるのじゃないか、そうすればまだいきり立っている貴族を宥める事ができると考えられるのじゃないか。ベラが殺されるのならまだしも、嬲られるのは勘弁なりませんもの。ベラは本当にきれいで聡明な人です。私の誇りなのです。ですから、どうか、」
「見逃せというのか?」
 シーマ候の冷たい言葉に、同情で胸が熱くなっていた征紘は彼を見上げた。
「ご慈悲を、どうか、」
「無実と言うなら出てきても潔白は証明されるだろう?」
「それを証明したところでなんとしましょう? 憲兵から帰ってくる間、その後、ベラに安息の地などありますまい。火を放たれて逃げ場を失い死ぬか、連れて行かれて嬲られるか、死ぬか、生き地獄を味わうか。それの違いですわ」
 サラはしっかりとそう言って俯いて肩を震わせた。
「あ、……俺にもっと力があって、それこそ、樋口とか、谷崎の様な頭があればいい案があるはずだけど、全く浮かばない。逆にシーマ候にならいくつか案が浮かんでるだろうけど、俺には無い。でも、俺は信じるよ。サラも、ベラも。だからってどうにかできることは無いんだよなぁ。……、今日は何を言い争ってたんだ?」
「ベラは旅に出ると言い出したのです。毎回毎回寄宿舎の方に食事の残りを持って帰っては不審がる侍女も居るだろうからと、もう運ばなくていいと、もう、世話を焼くなと、」
 サラは顔を両手で覆う。
 征紘は胸に切ない熱いものを感じた。同情―と言えばそんなものだが、それで片付けていいのだろうか? 
 ふと、智紗希が国王との謁見の際、椅子に座ることを拒んだ場面を思い出した。
―私はそこに座ることは出来ない。座る覚悟が無い―その時は、国王の前に座るほどエチケットとか、そういうのがないと言う意味で賛成したが、どうやらこういうときの事を思って言ったのじゃないかと思いだした。
 つまり、智紗希はすでに、賢者はこの国の中枢の頭脳を担う物で、難しい言葉は判らないが―頭を使うよりまず手が出るタイプだから―とにかく、賢者と言うのはこの国には大事な存在で、たった一人の人間の自由さえもどうかすれば国王と等しくどうにでも出来てしまうだけの力を持っている。そして、あらゆる難しい問題に直面したとき、賢者はそれに対する同等なる言葉を持って伝えなければならない。
 智紗希はこれを行うことにまだ覚悟がないと言ったとするならば、あいつなら何とかするかもしれない。
 征紘はそう思ったらすぐサラの手を引き図書室に居るであろう智紗希の元を訪れた。
 

13 智沙希、案を図する

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