Trois sage

Top   1


§賢者降臨

 智紗希は大きな木の枝に引っ掛った。相当なショックがその枝を介し逃れたけれど、それでも背中を打ったし、腕や足は小枝で切った。
 だがそれでも助かったとはいえないだろう。こんな―頭が少々下がり気味で、足腰で引っ掛っているような状態―ではもう一度落下を味合わなければならないか、それとも、智紗希たちの落下を知った村人が集まってきているが、あの中の誰かによって助け出されるのを待つか。
(助けてくれそうも無いな。まぁ、ちょいと体を捻れば落ちるだろう。少々高いが、骨折とは行くまい)
 智紗希は右に体を傾ぐと、案の定枝は体を支えきれずに智紗希の体を無碍に落とした。智紗希は地面に着く瞬間、体―特に背中―に意識を持って打つと同時に全身を伸ばし、痛みの緩和に努めた。突出しそうな肘や手、腰になるだけ痛みが来ないように。
 だがそれでも背中を打ったことには変わりない。見上げればかなり高い枝のようだ。二メートルはあるだろうか。助けが来るのを待っていても良かったかもしれない。
 智紗希は痛みがほぼ治まり、だがまだ痺れている体でもそっと起き上がった。
 村人はかなりの距離を置いて智紗希を見ている。物珍しい姿と、空から来た「異世界の少女」とお近づきになるにはかなりの勇気が要る。
(名乗るか、それともここはどこだと聞くか? それとも、いったいどうなったのか……。当人が解からない者を、彼らが解かるとは思えないな……。いずれ不審者扱いで役人が来るだろう。それまで待つか……)
 智紗希は黙って座るとそのままじっとそこに居た。瞬きと、呼吸だけして。
 村人も何も話しかけないし、動きもしない。
 暫く経った。―と思われる。無理な沈黙は強制に似て長く感じられる―。馬の蹄の音がする。
 村人が別れ、智紗希もそちらを見れば立派な形の男が馬に乗ってやって来た。
 やれやれやっとおでました。とばかりに智紗希は立ち上がり、
「都合上、先に名乗ったほうがいいのか、それとも、屋敷に行ってからの方がいい?」
 男はひらりと馬から飛び降り、智紗希の側に来ると、
「私は、地代の護衛サルタイヤ候と申します。何はさておいてもその恰好をまずどうにかされた上で、お話しを、」
(妙な対応だ―)
 怪しい者が降って来てやって来た役人とは様子が違う。妙に恭しく、智紗希のするごく当たり前の行動全てに遠慮をしているようだ。
 智紗希は馬へ乗れと言うサルタイヤ候に首を振り、
「先ほど地面で腰を打ったので、そういう乗り物は遠慮したいのですが、」
「では、車を寄越させます。暫くお待ちを」
 とまで言い出したが、
「近くなら歩いていったほうが早いと思われます。早々に事を済ましたいのですが、」
 と言う言葉にサルタイヤ候は頭を下げ、先頭を歩いて当代の家へと案内をした。
 屋敷はこの辺りでは立派なレンガで組まれていて大きく、赤レンガに漆喰を施していて絶妙な色合いを出していた。
 屋敷の主が入り口に仰々しく立って待っていた。口ヒゲがやたらと嫌らしく生えた胡散臭い手品師のような顔に、でっぷりと突き出た腹。やたらと笑みを浮かべ手もみする姿に智紗希は悪寒を感じる。
「始めまして、私この地を預かっています、ウイリアム・カニンガム卿と言います」
 智紗希が頭を下げると、カニンガム卿はその姿に大袈裟に驚いて見せて、
「湯浴みの用意と、粗末な物ですが、着替えを用意させております。どうぞ、それからゆっくりと今後のことでお話をいたしましょう」
(今後?)
 智紗希は利口なほうではない。だが決して愛想がいいわけでもない。だから滅多な事で自分の思ったことを口走らない。
 侍女が三人ほどあからさまに仰々しく湯浴みをする部屋に智紗希を案内した。
「お背中を、お流しいたします」
 一人の侍女が恐る恐る告げる。
「あ、いいです。裸に自信が無いから。それに着替えればいいのですね?」
 侍女は深々と頭を下げ、部屋に張ったカーテンの外で待機するようにそこに出て行った。
 広いたらいに湯が張ってあって、その横に二つの樽がある。片方は湯が―かなり熱めに―片方は水が入っている。それで調節するのだろう。
「服はあとで洗いますので、」
「あ……、うん……」
 と返事をしたが、制服を―多分この辺りの人の洗濯は、洗濯板か、踏ん付けて洗うのだろう―となると制服が傷みやしないか。
 智紗希は裸になり、湯を微調節してたらいの中で自分と制服をさっと洗った。
 ざっと制服を絞り上げ、自らも水を拭き取り、用意された服に袖を通す。背中にチャックは無い。がばっと頭から着られる脇と裾と襟だけが縫われているものに、腰紐を巻くといったものだ。
 智紗希は濡れた制服を持ってカーテンをはぐる。
「干し場は、どこでしょうか?」
「そんなこと、私たちがしますのに」
「いや、私のだから」
「そんな、困ります。当代様に叱られますから」
「……、干し場を、教えてください」
(ますます、おかしい)
 怪しい者を捕まえたにしては、あまりにも待遇が変だ。縄を打たれているわけでもなく、だからと言って、完全に自由を許されているわけではない。智紗希は周りの態度に不服を感じながら、侍女に干し場に連れて行ってもらい、自ら制服を干した。
「型崩れと、ひだが無くなるのはいやだから。ごめんなさい」
 智紗希が謝ると、侍女たちはますます恐縮がる。そしてもうすぐにでも出て行ってくれと言わんばかりに、カニンガム卿が居る大広間へと連れて行かれた。
 大きな机に大事に使われている銀食器の器には大盛りの果物やら、食料が乗っていた。
「どうぞ、お腹も空いておいででしょう」
「その前にお聞きしたいことがあります」
「何でしょう」
 カニンガム卿の愛想のいい顔がどうしても好きになれない智紗希は、窓の外を見て気分を切り替えてから、
「私は空から降ってきました」
「存じております」
「怪しい者に対する対応にしてはとても親切だと思うのですが」
「怪しい?」
 カニンガム卿はさも愉快と言わんばかりに太鼓腹を揺らして笑い、
「貴女様をどうして怪しい者だと思いますか」
「では、お聞きしますが、私は何者だと思っておいでですか?」
 カニンガム卿はもったいぶった様に口ヒゲを撫で、
「異世界の賢者様ではありませんか」
 と言い放った。
(異世界の賢者?)
 だから仰々しい態度に恐縮するのだ。と言うのは解かったが、
「賢者、と言うのは?」
「この世界には、異世界より舞い降り立つ賢者が闇を打ち払い救ってくれるという言い伝えがあるのですよ。あなたはまさに天より来られた。異世界の賢者様に決まっております。……、あ、賢者様はとても恥ずかしがり屋なのですね、」
 ぐふふふ。なんともいやらしい笑いを浮かべるカニンガム卿に、智紗希はため息をこぼす。
「あいにくと、私は一人でここに来たわけではないのです。あと二人この世界に来ました。これはどう説明します?」
「何ですと! その二人は?」
「さぁ? あさっての方向。一人は森のほう、一人はお城かしら? そちらへ飛んでいきましたけど」
「なんと……、では、貴女はいったい……」
「(フルネームを告げる必要はないだろう。呼びやすい名前を告げたほうが楽かもしれない)チサ。17歳。ごくごく平凡な女子高生ですよ」
 カニンガム卿が慌てて立ち上がり、だが、智紗希を接待するようにサルタイヤ候に告げてから部屋を出て行った。
「賢者じゃないと知ったら、牢獄かしら?」
 智紗希はにやりと笑い、窓の外の空を見た。
 何て底抜けに青い空なのだろうか。車の排ガスの無い世界の空と言うものがこれほど青いとは、人間の文明への渇望が恐ろしい。などと考えながら居たが、扉の側でじっとこちらを見ているサルタイヤ候―先ほどはじっくり観察など出来なかったが、カニンガム卿よりは随分と若く、すらっとした体ながら剣の腕は立つようで隙はない。同じく口ヒゲを生やしているが、それが別に嫌味でも嫌らしくも無い。銀杏色した髪は柔らかく風に揺れている。
「あなたに質問をして、答えてくださる?」
「猊下(げいか=賢者(〔「猊座下」の意。「猊」は獅子の意で、仏をたとえた語〕
(1)高僧のそば。(2)高僧に対する敬称。(3)高僧に送る書簡の脇付(わきづけ)に用いる語。の意)があるが、ここでは賢者を敬してそう呼ぶ)の言うとおりに」
「……、その、賢者様が如何に偉いかは大よその想像はつきます。まぁ賢者様と言うのだから、その知能は優れているのでしょうが、でも、その実力も解からない、空から降ってきた物を怪しみもせず屋敷に迎え入れ、大そうな歓迎をするには度を越しているかと思うのですが、それほど賢者様が偉いというのでしょうか?」
「賢者様を手に入れる―言葉は悪いのですが―それは権力の象徴です。賢者が居る国はとてつもなく栄える。そしてそれは未来永劫保たれるという言い伝えです。ですから、猊下が降ってこられ、この地に下りてきたことは、いわば、ここが猊下にとってのこの世界での古里。然るに、あなた様はいずれお城へと行かれますればこの地は、」
「ああ、もういいです。ようは、あの卿の懐が暖まると。だけどあたしが三人できたといったから急いで探させているか、それとも、落下した地点ですでに祭り上げられていて、城へと向かっているかもしれないという情報を探っているのですね?」
「仰せのとおりでしょう」
「……、暇な人ね」
 智紗希はそう言って唇に指を押し当てた。
 ずんずん。と言う音がしてカニンガム卿が入って来た。
「こうしては居れませんぞ、ノーズウッドのサー・ジェームズの奴が城へ向けて【賢者様】を連れて行ったらしいと言う話しです。われわれもこうしては居れませんぞ」
 カニンガム卿は言うや終わらぬかで智紗希の手を引き、別室に用意したらしい白く厳粛なローブを智紗希に見せた。
「儂は、ずっと思って居った。賢者様が来ると。その日のためにこのローブをあつらえてたんです」
 カニンガム卿はそう言って智紗希にそのローブをかける。
「ずっと、ずっと来るのを待っていた」
「そして血税でこれを作った」
「……、村人も賢者様が身に着けてくださったらそんなこと忘れます」
 智紗希はかけられたローブを脱ぐと腕にかけ、すっと入り口へと歩いた。
「行くのでしょ、こんな物掛けて歩くのはいやだわ。さっさと行きましょう」
 カニンガム卿は唖然としながらも、「照れておられるのだ」と自説に納得し屋敷を出て馬車に乗り込んだ。
 智紗希は目の前に座るこの醜悪な男と二人だけになることにひどく抵抗したが、現状一台しか用意されていないものを仕方なく乗り込む。
 馬車は猛スピードで走る。よほど負けず嫌いなのだろう。
 だが、もしこの現状が他の二人にも降りかかっていたら、まぁ、麻里亜は適当にお嬢様として育てられている分、賢者様と言われたらすっかりその気になり、椅子にでも座って待っているだろう。征紘は、あれを賢者と呼ぶにはかなり無理がある気がする。
 ともかく、想像していても埒が明かないのだ。連れて行かれる城へと行ってみなければ何も始まらないのだ。
 

3 三人の賢者

Copyright (C) 2000-2002 Cafe CHERIE All Rights Reserved.



--------------------------↓広告↓ --------------------------
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送