夏が来る_3 美鶴は洗剤の箱を破っていた。陳列ケースに出来るそれを破るのには、少々コツと力が要る。破り終え、不必要になった蓋部分を畳んでいるところに日村が近付いてきた。あと二人新しいバイトの子らしい。 「新人教育」 「どっち?」 「山村さん」 「山村です」 「どうも」 美鶴は笑顔で山村を見た。可愛らしい子で、女子高生だと言った。 「前半二時間そっちがレジで教えて、あと行く」 日村の言葉に美鶴が肯くと、日村ともう一人の新人辻宮は立ち去った。辻宮は大学生だと言った。やせていて、どこか頼りない。 頼りないのは日村も同じだ。 美鶴が箱を持って立ち上がると、山村が何をしていいのか解らずその動作をじっと見ている。 「えっと、片付けてくるから、待ってて、」 バックに下がり箱を置きに行くと、山村はバックの入り口までやってきていた。一人で居て、客に聞かれると困るからだと苦笑いをした。 最初は美鶴もそうだった。どこに何があるかなどまったく解らず、どうしていいのか解らなかった。ただ突っ立っていることもできず、半分嫌になりかけたとき、日村が言った。 ―「こっち、手伝って」 (……) 美鶴はため息をついた。 夏休みの後半に差し掛かり、後の楽しみといえば、二週間後にある花火大会ぐらいになってきていた。 風邪を引いた美鶴を送ってくれた日村。その風邪が移り、熱を出した日村。期待しているような自分の思考と、それを拒絶する自分の不思議な行動。 「辞めたい」 ボソッと言った言葉に過敏に反応したのは山村だった。 「すみません」 「は?」 山村はとりあえず謝ったようだった。どうも、新人教育が嫌だと思ったらしい。 「ああ、違う。まぁ、しんどいんだけどね」 美鶴は笑った。嘘で笑うことが巧くなる。これが接客業に携わっている証拠だ。 美鶴と山村はレジで向かい合い、とりあえずレジの真似事をする。 「巧くお金数えられないんですけど」 「ちょっとしたコツよ。こう持って、こう弾いてみて」 美鶴は山村と笑いながらレジ練習をする。その横で松本が首を傾げてみていた。 「松本、笑顔!」 「美鶴さん、笑顔怖いですよ」 「悪かったわねぇ」 夕方から夜にかけて客の入りが少ない。今は誰も居ない。しんと静まっている。笑い声はそれだけでにぎやかに響く。 美鶴が唇に人差し指を当てる。 「じゃぁ、練習ね、これとこれを買います」 「えっと、ああ、いらっしゃいませ」 「そうそう」 お辞儀をして笑顔を見せる山村に苦笑いを浮かべる。 ―「適当に笑ってればさぁ、客から見てなぁんと無くいい感じを受けるから、無理しなくてもいいから」― 日村の声がした。 最初、そんな適当なことを言っていたことすら解らないほど緊張していた自分がよみがえる。 二時間後、日村が辻宮を連れて来た。 「じゃぁ、お願い」 「え?」 「辻宮君も」 「嘘でしょ、日村さんが見るんじゃ、」 「俺、発注あるから」 発注器を翳し山村と奥へ行く。 松本の乾いた笑いがする。 「酷いですね」 美鶴は肯いて辻宮を見上げた。 「じゃぁ、とりあえず向こうに回って、」 辻宮は山村と違って質問を返してきた。簡単な、覚えたら紙に書かずともいいようなことさえもメモしていった。そして二時間はあっという間に終わった。 美鶴と辻村がバックに下がると、日村が閉店作業へと出て行くところだった。 「どう?」 辻村をカーテンの中に入れ、日村が美鶴の腕を掴んで聞く。 「何が?」 「あの二人、使えそう?」 「初日なんで、なんともいえないです」 美鶴は腕を振り解いて中に入る。 「日村さん、鈴木さんです」 松本の声にカーテンの隙間から店内を見れば、涼しげな白いカーデガンを来た鈴木が笑顔で立っていた。 「誰です?」 「日村さんの彼女?」 辻宮と山村が聞く。 「化粧品のメーカーさんの鈴木さん」 そっけなく言って美鶴は休憩室に入る。 休憩室の畳に上がり、足を投げ出し天井を見上げる。 「お疲れ様でした」 「お疲れさん」 辻村と山村が帰っていく。 「片付け、」 美鶴が入り口に顔を向けると、日村が不機嫌そうに見ている。 「あたし、すでに二時間サービスですよ」 「片付け」 美鶴はため息をこぼす。松本と日村だけで片付くとは思っていない。意地悪をしているつもりも無い。だが体が重い。 「美鶴さん、そっち持って」 松本が悲鳴を上げている。美鶴が走り寄ると、日村は鈴木と話していた。 美鶴は何も言わず松本が持っていた片側を持ち上げる。 「一人じゃ無理でしょ」 「いけると思ったんすよ」 松本が舌を出す。 洗剤を入れている可動式のコンテナは思いのほか重量がある。一人で坂を登ろうとすると、どれほどの力が腰に負担となるか知れない。たぶん、日村も手伝ってはいたのだろうけど、今はおしゃべりに忙しそうだ。 店前のテントに置かれているトイレットペーパーなどの可動式ワゴンを松本と一緒に片付ける。 「日村さんと鈴木さんて、付き合ってるんですかね?」 「さぁね、知らない」 「居そうですよね、かっこいいし」 「そう?」 険がたった。美鶴は松本を見た。 「なんかあったんですか?」 「……、居ないから、彼氏が居ないからさぁ、なんかむかつくぅって感じさ」 美鶴の言葉に松本は笑い出し、同調する。 でも、彼女の居ない悩みと違うことはいえなかった。 日村が好きかどうかよりも、自分が日村を好きかどうかよりも、そんなことを考える自分が嫌だった。 レジ決算を済ませ、簡単に掃除を済ませ、松本は帰っていく。 休憩室に美鶴が座り、そこに鈴木がやってきた。 「お疲れ様」 「おつかれっす」 「美鶴ちゃん、花火大会どうする?」 「どうするって?」 「彼氏と行く?」 鈴木の声は日村にも聞こえているだろう、ただ板で仕切りをつけ、天井から三十センチも隙間がある壁なのだから。 「居ないですよ彼氏は。でも、友達と行く予定です。シフトが変わらなければ」 「そう、寂しい」 首をすくめた鈴木に苦笑いを浮かべる。 「あ、もういい、あと電気だけ」 「じゃぁ、お疲れ」 美鶴は立ち上がりそのまま帰った。 店を出た。後ろから鈴木と日村の談笑が追いかけてくる。 「大っ嫌い」 呪文を繰り返すと、冷静になる。 美鶴は自転車を漕ぎ出した。 「はい?」 また急な。そんな顔をする美鶴に店長はほくそえむ。 「無いでしょ、この店、だからね」 そう言って、親睦会と偽った飲み会を開こうとしている紙を見せた。 「閉店後すぐからでも、九時以降だから帰りは相当遅くなるけど、行かない?」 「て言うか、行けってことですよね?」 美鶴の言葉に店長は笑う。 「言いですよ、土曜ですね」 美鶴は携帯にスケジュールを入れる。 この店で働き始めて初めてのことだ。行きたいという話はあったが、九時以降という遅い時間も手伝ってなかなか実現しなかった。 高校生バイト意外全員参加という親睦会がやってきた。 「じゃぁ、蓮見さんの車に美鶴ちゃんと、南さんと、あともう一人乗れる?」 飲まない人の車三台に乗り分けて店に向かう。 「蓮見さん飲まないんですか?」 パートのおばちゃんである蓮見はバックミラー越しに首をすくめ、 「飲めないのよぅ」 と笑った。 「美鶴ちゃん強そうね」 「そうですか?」 美鶴も同じく首をすくめる。同乗した松本―高校生バイトで唯一の参加者―が大きく肯き、美鶴は松本の腕を軽くつねる。 「痛いっす」 「そんなに酒豪じゃないよあたし」 「そうですか? なんか毎晩煽ってそうだけど」 「どういう意味よ」 美鶴は軽く頬を膨らませる。 和気藹々と話が弾む中会場となる食べ放題の焼肉屋に着いた。 焼肉屋で食事をするだけなのだが、さすがに九時を回ると、食べる気が失せる。 「もう、おなかいっぱい」 松本がそう言って美鶴を見る。 「美鶴さん食べました?」 「食べたよ、」 「でも、ほとんど中ハイ飲んでたでしょ」 「どっちかだから、飲むなら食べれなくってね」 「やっぱり酒豪だ」 「おいおい」 「ビールは?」 蓮見がジョッキを片手に立っていた。しらふな蓮見がお運びさん役を買って出ているようだった。 「あ、あたし中ハイが好きなんで」 美鶴がグラスを上げる。蓮見は相槌を打ってビールを入れに行った。 美鶴はふと日村のほうを見た。ジョッキをすでに何杯かお変わりしたらしく、顔が真っ赤になっていた。 「真っ赤ねぇ」 パートのおばちゃんの芳川さんが日村の顔を指差して笑う。 「酔ってないんですけどね、寝てないから血の巡りいいみたいで」 日村の陽気な声がする。 (嫌いだ) 美鶴がグラス半分に入っていた中ハイを一気に飲み干した。 「お変わりする?」 「……、じゃぁ、カシスで」 美鶴は陽気に蓮見にグラスを手渡した。 一次会はその後一時間ほどで終わり、そのあと二次会へ行くか行かないかという話になった。 「美鶴、行くぞ」 芳川に手を引かれ美鶴は車に乗り込む。そこにはすでに乗せられていた日村が居た。 「マジで二次会行くんすか? 俺、明日朝一なんですけど」 「そんなことしらん」 芳川はそういい捨てて運転手である店長の膝を叩いた。 「さぁ行くぞ」 二次会はカラオケ屋だった。さすがに土曜日ということもあり、人手が多く込んでいたがうまい具合に部屋が空きそこへ流れ込むように入る。 「大丈夫っすか芳川さん」 日村が靴を脱ぐのに手間取っている芳川に声をかける。 「大丈夫よ、なに?」 「いや、何と言われましても」 日村の赤い顔が美鶴に助けを求めた。美鶴は芳川の手を引き、 「芳川さん、歌うんでしょ、早く」 芳川は「そうよ、そうよ、」と部屋に入り、椅子に座ると手近に居た原に題名を言い渡し、曲がかかると立ち上がって歌い始めた。 「トイレ行ってくる」 美鶴は日村の肩を叩いてそう言って部屋を出た。 気持ち悪さが喉の塞ぎ、こういう場合嘔吐したほうがラクだ。 (トイレはどこだ?) 辺りを見渡しながらトイレを探す。あちこちの部屋から曲が微かに聞こえ、カップルらしき二人が店に入ってくるのも見える。 トイレの鏡に映る自分の、酔っていないような平気そうな顔が腹が立つ。酔って居れば可愛いものを、まだぜんぜんしらふだったりする。吐き気は、日村のことでいらついてるからだ。 部屋に戻ると、芳川と蓮見が大声で熱唱中だった。 「大丈夫?」 店長が声をかけてきた。美鶴は首をすくめ、 「寝る」 と椅子に崩れ落ちた。 いったい何をしていたのだろうか? 歌って、盛り上げて、妙にはしゃいで、そして、帰る頃には喉の奥が痛くて、体がきしむ。 それぞれが車に便乗し分かれる。 「じゃぁ、店に送ったらいいのね?」 蓮見の家は店の前を通るため、店に車を置いている日村と、自転車を置いている美鶴がそれに乗った。 「楽しかったわねぇ、また行こうね」 蓮見はにこやかに助手席の美鶴に微笑みかけた。美鶴も肯いた。 車から下り、蓮見の車を見送ったあと、日村は自分の車にようやく乗り込む。ドアを閉めないままでいる車に近付くと、目を閉じたままでいる。 「なに、飲みすぎよ」 「ジュース」 美鶴はポケットを探り、自販機でオレンジジュースを買う。 「オレンジ?」 「酔ったときには本当はグレープフルーツがいいの。まぁ、柑橘系ということで、」 美鶴の言葉に日村は缶を開け口に含む。 「あま」 そう言いながらもちびりちびりと飲む。 「大丈夫?」 「たぶん、帰れると思う」 「ここで夜を明かせば遅刻しなくていいわよ」 美鶴の言葉に、日村が鼻を鳴らす。 「じゃぁ、帰る。お疲れ」 「お疲れ」 美鶴は自転車に向けて歩き出す。放っておいても、男だ、襲われないだろう。放っておいて帰ったところで、誰が責める? 相手は車で、回復するまで待って、自分はその後自転車で帰るのだ。それなら、今帰ってもいいだろう。 そう思うのだが、美鶴は再び車に近付く。 「帰ったんじゃないの?」 「気になるの、大丈夫かなぁ? って」 「優しい」 「優しいのよ、あたしは」 「この前はすんげー怒ったくせに」 美鶴の酔いが冷めていく。 あのときの台詞が耳鳴りのようによみがえる。 ―「何もしないなら、何で居るのよ」 美鶴の顔から表情が消えたのを察した日村が、タバコに火をつける。 「あ、冗談」 「そう」 「もう帰った方がいい。俺も、これ吸ったら帰る」 「じゃ」 もう美鶴は止まらなかった。あのときのことが恥ずかしかったのと、あのときの腹立たしさがよみがえってきたからだ。 (大っ嫌い) 呪文がペダルを強く踏ませた。夜風が頬を撫ですぎ、髪が揺れていく。風がまとわりついて気持ちよかったが、それを感じる気にさえならなかった。 花火大会を明日に控えた日、全員の顔が美鶴を見ていた。 「何?」 「ああ、おはよう」 夕方から入った美鶴に笑顔だったのは店長だけだった。 「何かあったんですか?」 「美鶴ちゃん以外明日仕事なの」 「それが?」 「明日は花火大会」 「…、ああ、それで」 「変わってくださいよぅ」 松本がじゃれてくるのを、美鶴は意地悪く笑いながら除ける。 「嫌よ」 「ああ、花火ぃ」 松本がそう言って山村といっしょに恨めしそうに美鶴を見る。 「誰と行くんですか?」 辻宮が聞いてきた。 「高校のときの友達」 「男?」 「女。何で?」 「じゃぁ、彼氏と行かないんですか?」 「居ないから」 「あ、じゃぁ、僕どうです?」 全員が沈黙した後、噴出した。 「辻宮君おかしい」 辻宮もおどけて見せる。美鶴は呆れながらロッカーを開ける。 見覚えの無い紙切れ。 「なにこれ?」 「あ、俺の」 日村が慌てて取り上げ、自分のロッカーに入れる。 「わり、間違えた」 日村の声を聞きつけ店長が日村を呼ぶ。 【二場橋に七時】相手は、鈴木だろう。二場橋は花火大会会場に近く、意外な穴場だったりする。ただ、仕掛花火は見えない。でも上がる花火が綺麗に見える。 美鶴が日村を見るが、別に気にしている風なんて無かった。 (で、何でここに居るかな、あたし?) 美鶴は二場橋に来ていた。友達との待ち合わせがここだからしょうがない。といえばしょうがないが、橋の真上で花火会場に向かって立つ。紺地に朝顔の浴衣は母が若い頃着ていたものだ。赤い鼻緒の下駄が少しだけ嬉しい。 二つに分けて垂らしただけの髪、時間はまだあるが、夕飯を食べて花火を見ようと約束したのは、友達のほうだ。 携帯が鳴る。と同時に時計が目に入る。六時五十分。待ち合わせの六時半は過ぎているが、七時は、まだだ。 「もしもし?」 「美鶴?」 「遅い、どこ?」 「ごめん、彼氏と行く」 「は? もしもし? ……、切りやがった」 美鶴は携帯を睨む。 「なんだかなぁ、もう少し早く電話して来いよ」 美鶴がそう呟くと、美鶴の前に三人の男が立っていた。 「一人?」 直感もくそも、ナンパかぁ。嫌だねぇ、一人で相手するのは。 「友達待ってるの」 「じゃぁ、二人?」 何人だと喜ぶのか。そう思ったときだった。 「待たせた」 そう言って美鶴の腰に手が回る。はっと横を見れば日村だった。 「お、遅い」 「悪い、駐車場なかなか無くて、いい場所じゃん」 「ま、まぁ」 「男連れかぁ」 三人の男たちは姿を消した。美鶴はすっと日村を見上げる。 日村は花火会場のほうを向いていたが、携帯を取り出しすぐに美鶴を見た。 「腹減らない?」 「まぁ」 「友達に振られたんだろ?」 「聞いてた?」 「まぁね。どう、夜店あるし」 「おごりなら」 「割り勘」 日村が美鶴の手首を引く。それに引っ張られるようにして歩き出したとき、後ろから鈴木らしい女性の声がする。 「日村君、どこ行くの? って、ねぇ」 「呼んでない?」 美鶴が日村の腕を引っ張る。日村が後ろを見てすぐ、 「俺じゃないでしょ」 と歩き出す。振り返ろうとする美鶴の腕を強引に引っ張り、二人は夜店の建ち並ぶ祭りの中に入り込んでいた。 「あ、金魚」 美鶴が立ち止まると、日村も同じように止まる。人のあいだから覗く金魚屋の屋台。 「やるか?」 「いい、明日死んじゃうの可哀相だからね」 美鶴は首をすくめて日村を見返す。自然にしたことだがふと目線をそむける。すると不思議と感じる。過ぎていく人が二人を見ていく気がするのだ。 「なんか、見られてる気がする」 日村も辺りを見る。そして何食わぬ顔で美鶴を見て、 「俺、いい男だから」 美鶴は呆れ顔を日村に向け、そして鼻で笑う。 「はいはい、いい男、いい男」 美鶴はくしゃっと笑い、歩き出した。 (二人で並んで歩いている。これを他人はどう見るのだろう。恋人同士に、見えるかしら?) 美鶴が横目で日村を見上げたとき、日村の手が美鶴の手を掴まえた。 つないだ手から日村の体温を感じる。ふと湧き上がるもやもやとした感情が口をついてため息になる。 「なんか食うか?」 「…、買っても、食べられる場所なさそうだけど」 「まぁ、それはあとで考えるとして、買うか?」 日村に手を引かれるまま屋台を巡る。 「いた」 美鶴の声に日村が立ち止まる。後ろから来た人が流れを止められ舌打ちをして過ぎる。 「どうした?」 「鼻緒に噛まれた」 日村が眉をひそめる。美鶴は足を引きずりながら人の流れから出て近くに座れそうな場所を見つけ腰を降ろす。 右足の小指の付け根辺りの皮がめくれていた。 「うわ、痛そう」 「絆創膏貼って来ればよかった」 「どっか近場に入るか?」 日村が指差した場所は川沿いの怪しげなホテル街だった。 「何で、日村さんとホテルに行かなきゃいけないのよ」 「足、痛いんだろ? それにそろそろ花火上がるし、クーラー効いてて、ゆっくりと買ったもの食べれる。どう?」 どうと言う間に美鶴は立たされ、たこ焼き、やきそば、カキ氷など、夜店の定番を買って人波とは逆に歩き出す。 「どこ行くの?」 「こっち」 日村はあくまでもマイペースに歩く。皮のめくれた足が鼻緒にすれて痛む。唇を噛み締め後を付いていくと、とある有名ホテルに着いた。 観光客が花火を見に出かけようとしているし、そこの庭園では恒例の花火を見ながらのビアガーデンが開催されていて賑やかだった。 「ちょっと、本気でホテル? 第一、今日なんか一杯だって」 そういう美鶴の腕を引き、日村はホテルに入る。フロントは何も言わずこの妙な二人を見つめる。 「あら? 手伝いに帰ってきた?」 そう声をかけてきたのは綺麗な着物を着た人だった。 「いや、あ、母親」 「…、あ、今晩は」 「家にいるから」 「あら、そう。ごゆっくり」 母親だと言った女性はそのままフロントへ向かった。 「ちょっと? 親の職場に来て言い訳? 親のコネで部屋を取ってるとか?」 そういう美鶴に返事もせず日村は従業員出入り口のとを開け、中庭を横切り、松の木の間にある木戸を開けた。 そこにあったのはごく普通の一戸建ての家だった。 「ハイ?」 「俺んち」 「え? ホテル、」 「ああ、俺の親が経営してる」 「何で?」 「なにが?」 「跡継がないの?」 「ああ、面倒だから」 「面倒って、」 美鶴はホテルを見上げる。 この界隈では有名で、県外客のでは入りもいいホテルだ。有名人もよく利用するということでも知られているホテルの息子は、美鶴を自室に案内した。 殺風景な畳の間だった。ベットは無く、なぜかコタツ机が一個あるだけだった。 日村は買ってきたものをその上に置き、すぐに部屋を出て行った。 戻ってきたときには絆創膏と、消毒液を持っていた。 「クーラーつければいいのに」 「勝手に触るのよくないと思ったの」 美鶴は口を尖らせる。 「まぁ、座って、」 日村に促されるまま座ると、日村は足に消毒液をふりかけ治療を始めた。 「痛いって」 「我慢しろ」 「痛いんだもん」 「そりゃ、これほどめくれりゃ痛いだろ」 口をとばらせたとき、最初の花火が上がった。 美鶴が窓に目を向ける。 「すごい、絶景」 「だろ?」 日村はそう言って電気を消した。 確かに日村のいう通りだった。 冷房の効いた部屋で、やきそばにたこ焼きに、チュウハイを飲む。誰の気兼ねなど要らず、足を伸ばしたり、寝転んだりも出来る。 「最高!」 日村の鼻のなる音がする。馬鹿にしたような音には返事もせず、ちびりとチュウハイを飲んでその缶を見る。 「何でチュウハイ?」 「好きだって言ってただろ?」 窓に並んで座っている。花火会場に向けているから、日村は美鶴の後ろに座っていることが自然だが、いやに気配を感じる。 「よく、覚えてたね、そういうこと」 美鶴は窓に向かって座りなおす。膝がある分窓から遠ざかり、花火の半分が見えない。 「窓にもたれて見れば?」 「いいの、気にしないで。机に近いから」 「寄せてくればいい」 引き寄せようとする日村とは逆に、美鶴はその机を押さえる。日村は首をすくめコーヒー缶を開ける。 「何で、飲まないの?」 「車で帰るから」 「泊まらないの?」 「家に居ると手伝わされるから。それに明日朝一だから」 美鶴は缶を机に置く。 「飲んでいいぞ、別にそのくらいで酔うわけじゃないだろ?」 日村はコーヒーを傾ける。 酔いはしないが、妙に不服だった。一人で飲むという遠慮と、酔わせてどうする気だと思っていたことを、こともなげに否定されたような、邪な事を思っていたのは、自分だけだったんだと思うと、妙な不服感を感じる。 「五十連発です」 そういうアナウンスがあったあと、花火が次々に轟音とともに上がる。 美鶴は思わず窓に近付く。すがるように桟に手を掛け空を見上げる。色とりどりの花火が空に現れ、飛来し、消える。 「いい場所だぁ」 「来年もまたくるか?」 美鶴はゆっくりと日村を見た。 「……、来年なんて解んないよ、明日のことさえ解んないのに、変よ、今日の日村さん」 美鶴は花火へと顔を戻す。花火に照らされているからじゃない、顔が赤いのは、変なことを言う日村の所為だ。 「あたし、帰る」 美鶴が桟から手を離すと、日村はその手を掴んで引き寄せた。 日村の匂いが一杯するシャツ。頬に感じる少し熱い体温。 「これも、事故?」 暫くして美鶴がそう言うと、日村はゆっくりと手を解いた。 「帰るね。ありがと。ああ、これもらっていっていい? じゃぁね、お休み」 美鶴は買ったものを手に部屋を出た。 それから後のことは覚えていない。でも確かに家に帰り着いてた。手土産に両親は喜んでいた。 シャワーを浴び、そのままベットに倒れこむ。 頬に当たるシーツが日村のシャツを思い出させる。 (どうする気だったのだろう?) 目を閉じれば誰の邪魔なく見えた花火が浮かぶ。そして鼻腔に残る日村の残り香。 「気にしなきゃ、いけないの?」 十分気になっているくせに。と一人で突っ込みながら美鶴は目を閉じた。 おわり |
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