夏が来る
昨日よりも好きになれる方法

松浦 由香
七夕記念「夏休み」


「バイト行ってくる」
 美鶴は家の奥に声をかけて玄関を出た。眩しい陽射しが容赦なく照り付けてくる。この分では今日も暑くなるだろう。そう思いながら、自転車を引っ張り出す。
「あんたさぁ」
 家の中から母親が声をかける。パートに行く前で、人様に見せられるような格好じゃない母は、話し掛けても止まろうとしない美鶴を注意することなく声をかける。
「ちゃんとした仕事に付いたら? いつまでもバイトなんて、」
「いいじゃない、フリーターよ。フリーター」
 母は呆れたように鼻を鳴らす。
 美鶴だって解っている。このままバイトで生活できるはずが無い。いつまでも親と一緒に居るのも飽きてきている。一人暮らしをしないのは、お金がかかるからだ。
 だが、就職難の今、バイトぐらいしかないのだ。
 美鶴は自転車を漕いで十分ほどのスーパーに向かう。すでに五年もバイトをしている。レジ係では古株になっている。
 社員通路を通り、社員が休憩する小さな部屋に入る。四畳ほどの畳の間には、そこを椅子がわりに腰掛けていた社員の日村が居た。
「おはようございます」
「おはよう」
 美鶴はその横に座り、タバコに火をつけた。
「暑い」
 日村は肯き、煙を吐き出す。
 彼もまたこのスーパーに勤務してすでに五年は経っている。でも、彼はバイトから社員になった。美鶴とは一つしか違わない。でも歳もわりにふけた印象を得る。
「忙しい?」
 先に入っている日村に訪ねると、日村は簡素に答える。
「普通」
 彼の言う普通は本当にごく普通だ。忙しすぎず、暇過ぎず、客はちゃんと入り、仕事が出来る状態。美鶴は納得してタバコの灰を落とす。
 タバコを喫うようになったのもここにバイトに来てからだ。今では日にひと箱を開ける。母親には煙たがられ、父親の嫌悪な顔が邪魔だが、気にしない。
「日村さん?」
 美鶴は聞きなれない声に顔をしかめる。
「新しいバイトの、南さん。こっち、古株の杉浦さん」
「南です。よろしくお願いします」
 南 詩織と書かれた名札が新しく、彼女は可愛い笑みを浮かべてお辞儀をした。ショートボブの髪がさらりと動く。
「杉浦です。よろしく」
 日村はタバコをねじ消し、立ち上がると、詩織と店内に向かった。
 美鶴は天井に煙を吐き出す。(さぁ、何日もつかな)このところバイトの出入りが激しい。四月から六月まで学生が大量に入り、そして辞めて行く。しょせんバイトだから簡単に辞める。夏休みに入ったから、また入ってきただけで、夏が終わればまた辞めるだろう。だから、あまり詳しい仕事内容を教えても無駄だ。
 美鶴はいつも思う。美鶴ほど古株になると、レジをするより品出しや発注などの作業のほうが多い。レジに日村と詩織の姿と、今日のレジ担当の松本を横目に美鶴は品出しをする。
「日村さん、これ」
 美鶴が不明商品の箱を持ってレジに向かう。
「ああ、それ新しい品。棚作らなきゃいけないんだった」
「どこに?」
「Dの7のエンドに」
「作っとく」
 美鶴はそう言って箱を持って棚に行く。
「杉浦さんて、何でも出来るんですね」
「ただ古いだけ」
 日村の言葉に松本は苦笑いを浮かべ、美鶴を見る。美鶴にも聞こえていたが、いつもの悪態だし、本当に古いだけなのだからあえて口も出さない。
 箱を棚の前に持っていき、棚を見渡す。
「さぁて、どこに置くかな」
「おはようございます」
 美鶴が振り返ると、同じくバイトの原が立っていた。
「ああ、おはよう。日村さんならレジ」
 原は肯いてレジに行く。
 あまり大きくない店では、社員と言うのが店長と日村だけだ。そして全ての指示はその二人のどちらかからもらう。店長が休みである今日は日村にもらう。
 原はバックに戻り、品出しを始めた。これが毎日の仕事だった。
 原も美鶴と同じく結構長くバイトをしている。背が高くいろいろと重宝されている男で、普段から無愛想なのがたまに傷だが、話せば以外にも面白い奴だったりする。
 美鶴は棚にすべて置いて箱を潰す。
「何してんの?」
 日村がレジから歩いてきた。
「あ? あとは松本さんに任せてきた」
「大丈夫なの?」
「忙しくなったら呼ぶように言ってるから、レジ応援に入って」
 美鶴は首をすくめ品出し用のコンテナに向かう。
 午前中は特に開店一時間以内は年寄りが多い。それからは暑くなるので、人気が少なくなり、三時過ぎから再び年寄りと小さな子連れが増え、五時近くなると学生が増える。そして六時からはOL、サラリーマンに、学生が一品買いをする。
 小さな店のレジは二台しかない。一台に通常レジ係が一人入る。忙しくなれば応援を呼び二人で対応する。
 応援の少ない時間にレジ練習してくれてありがとう。美鶴はそんな思いで品出しを続けた。
 レジ前の化粧品コーナーに向かう。
「美鶴さん、」
 レジの松本が声をかけてくる。
「何?」
「洗剤の表示価格が違ってるって、」
「ほんと? あ、すぐに確認してきます」
 美鶴は売り場に走り、バックに声をかける。
 日村がパソコンに向かっている横で、原がダンボールを潰しながら談笑をしている。
「表示価格が違ってるんで、書き直しといて」
 美鶴はそう声をかけてレジに向かう。
「すみません、値札が間違っていまして、こちらの値段になりますが……、」
 小さな支店にはよくあることだ。大手のスーパーなら表示間違いとしてその値段で売ってくれるだろうが、小さな支店では無理だったりする。客の嫌そうな顔に平謝りをして買ってもらうと、首をすくめる。
 クレーム対応もうまくなったものだ。最初などどうしていいのか解らずただただその様子を見て突っ立っていただけだ。まさに今の詩織のように。だが、長年勤めてくればその対応も巧くなる。
 美鶴は小さくため息をついて化粧品の棚の前に立つ。
 
 美鶴は休憩に入っていた。五年もバイトをしていれば、閉店まで居るときもある。
 タバコを燻らしていると詩織が入ってきた。
「お先です」
「あ、お疲れ様」
 美鶴がそう言って顔を上げると、詩織が何か言いたそうな素振りを見せる。
「何?」
 美鶴が声をかけると、詩織が美鶴の横に座り、耳打ちするような声を出した。
「日村さんて、彼女とか居るんですか?」
 美鶴は首を傾げた。詩織の言いたい事はすなわち日村を好きになったと言うことだ。美鶴は顔をしかめ無言で首をひねった。
「だって、いそうじゃないですか、かっこいいし」
「かっこいい、ねぇ」
 美鶴は日村の顔を思い浮かべるように天井を見上げた。確かにかっこいいかもしれない。でも今日入ったばかりじゃなかっただろうか、詩織は?
「居なかったらちょっと声をかけてみようかなぁって」
「まぁ、がんばって」
 美鶴はそう言うと詩織は笑顔で立ち上がり、もう一度「お先に失礼します」と帰っていった。
 美鶴はタバコをねじ消し、詩織が出て行った戸口を眺めた。
「何?」
 美鶴が顔を上げると日村が入って来た。すでに口にタバコをくわえて火をつけている。
「いや、疲れただけ」
 そう言ってタバコケースを叩くが、喫う気になれなかった。始めての事で美鶴はタバコケースを見つめた。
「夏風邪?」
「は?」
「流行ってるらしい。気をつけないと、お客にも咳してた人居たから」
「ああ、そうだね」
 美鶴は肯いて立ち上がり、休憩室から出た。
(かっこいい? と意識すると妙に居辛くなる奴だ)美鶴はロッカーにケースを入れ、店内に戻る。
 閉店作業をし終え、今日も無事仕事が終わったと休憩室に倒れるように座り込む。
 いつものことだが、閉店作業を済ませ、三十分の掃除や片付けが済むとほとんどのバイトは帰る。残るのは社員と美鶴か原のどちらかだ。
 だから日村とはよく二人だけになることもある。今までだって何度もあったことだが、格別どうと言うことはなかった。
 レジ上げを済ませ金庫の鍵をかける音がする。美鶴は買ったばかりのペットボトルの蓋を開ける。
「お疲れ」
「お疲れ」
 日村はここで休憩をして帰る。だが今日は休憩を取るように座ろうとしない。
「あ、もう帰るんですか?」
「ちょっとね」
 美鶴は立ち上がりペットボトルの蓋を閉めて店を出る。休憩室、店の鍵をかけ、セキュリティーキーをオンにして日村は振り返る。
「じゃぁ、お休み」
「お休み」
 今流行りのワンボックスカーに乗り込み、日村はそのまま立ち去った。一人真っ暗な駐車場に取り残され、駐輪場に置かれた自転車の鍵を外す。
「原付でも買おうかな?」
 寂しく呟き、自転車を漕いで帰る。十時近くなると、閉店の早いこの辺りの店はすでに閉まっていて道すら暗い。自転車の車輪の音がする。
「今日は、変に疲れた」
 美鶴はこぼして家に辿り着く。夕食は作り置きされた冷たくなったから揚げ。レンジで温めて食べ終わり、風呂に入って寝るだけだ。
 携帯に電話が入る。相手は松本だった。
「美鶴さん?」
 美鶴は返事のような音を出して長い髪をタオルで拭く。
「お疲れ様です」
「お疲れ、どうした?」
「今日来たバイトの子になんか言われませんでした?」
「なんかとは?」
 日村のことだとすぐに解っていたが、すぐに解ることに釈然としない美鶴はあえてとぼけた。
「日村さんに彼女が居るかどうかって、で、私わかんないし、美鶴さんなら知ってるかもよって、そう言っちゃったんですけど」
 お前か。美鶴は顔をしかめながら、まずかっただろうと気にする松本に、
「別に、あたしだって知らないし、解んないけどと言ったけど」
「そうなんですか?」
 ほっとしたような松本の声。美鶴は首をすくめ目の前の鏡を見る。
「でも、日村さんて、本当に彼女居ないんですかね?」
「…、さぁね、本人に聞いてみれば?」
「なんか居そうにないですよね、日村さんて結構話題に乏しいし」
 美鶴は思わず吹き出す。
「話題に乏しいって、」
「だって、何が好きかよく解んないじゃないですか? そんな気しません? 車の事好きなのかな? とも思うけど、それほど車好きって感じじゃないし、なんか他に好きなものがありそうな感じもしないし」
「無趣味なんじゃないの?」
「だから、話題に乏しいんですって、服とか、装飾とか、なんかあれば話しやすいけど、なぁんにも無いから」
 美鶴は相槌を打って携帯を切った。
 同じ職場に居る社員とバイト。しょせんそれだけじゃないか。相手の事を深く知ることはない。知らなくて結構だと思う。
 確かに、日村が何に興味があるのか知らない。そんなこと今まで興味などなかった。
「好きなものか」
 美鶴はベットに寝転ぶ。
 今日は日村にことがよく話題に出る。そう思いながら寝ると夢に出てくる。
 ああ、夢だ。
 美鶴が日村とデートをしている。楽しいらしいがどこか窮屈だ。
「話題に乏しいから」
 松本の声だ。確かにそうだ、話題に乏しいから、日村はさっきから一言しか言わない。「退屈?」
 ああ、すごく退屈だ。そう言い掛けて黙った。夢の中の日村に文句をいっても、本人は解らない。それに本人に直接言う気も無い。
 起きて、もう一度寝なおそう。
 美鶴は目を開けてもう一度まぶたを閉じた。もう夢は見なかった。
 
 翌日、夕方から美鶴は仕事に出かけた。休憩室に腰を降ろし、タバコケースを開けると、日村が入ってきた。
「おはようございます」
 日村は項垂れ座り込む。
「なんか疲れてない?」
「クレームの嵐」
「なんかあった?」
「業者のほうのミスなんだけど、クレームは直接こっちに来る」
 日村の話では紙箱から中身を取り出すと、中の包装が破れてたり、粗雑だったりしたらしい、紙箱の外から包装されているので、悪戯にあったわけではない。業者のミスなのだが、クレームは店にやってくる。
 日村が深くため息を落とす。美鶴はタバコを差し出し一本を勧める。
「俺、タバコ止めようかと思って」
「何でまた?」
「いや、何と無く」
「女にでも言われた?」
 美鶴が火をつけると、日村は否定せずに少し照れたように鼻先を触った。
「南さん?」
 日村はきょとんとしたような顔を見せた。
「いいや、何で?」
「いや、彼女が来たとたんだったから」
「ああ、いや違う」
「どんな子?」
「内緒」
 日村は笑って立ち上がり店内に帰った。
 美鶴は煙を吐き出し、火のついたタバコを見た。勿体無かったが途中でねじ消し仕事を始めた。
 確かに今日はクレームがすごかった。おかげでその対応におわれ日村と美鶴は閉店作業が済むと同時に休憩室に座り込んだ。
「明日が休みじゃなかったら切れてたね」
 美鶴の言葉に日村はため息をこぼす。
「俺は明日も仕事だ」
「まぁ、がんばれ」
「って、出てこなきゃいけないだろ? 発注に」
「そうだった。ああ、もう。……、転職考えようかな」
 美鶴の言葉に日村はジュースを飲み首を傾げる。
「あてでもある?」
「まったく。この不況が悪いのか、取らない企業が悪いのか、どちらにしても縁遠い」
「易々と辞めるわけにも行かない。でも、このまま続けるにはバイトじゃぁなぁ」
「だからって、社員になる気はない。日村さん見てたら大変そうだからね」
 日村は乾いた笑いをし、
「ほんと、社員てだけで大変だよ」
 と呟いた。
「今日は、彼女と会わないの?」
「あ? ああ、疲れたなぁ」
「会いたいって言われるわよ」
「かな?」
「たぶん」
「言う?」
「何を?」
「だから、杉ちゃんが誰かと付き合えば、会いたいとかって言う?」
 美鶴は暫く考えた。高校のとき付き合っていた人が居た。会えなくても寂しくても我慢していたら、他に好きな人ができたと言われた。すごく傷ついて、何で? と聞き返すと、甘えてこなかったと言われた。さばさばしてて男友達と付き合っているようだといわれた。
「言えなかった」
「え?」
「言えば、煩いって言われそうで、黙ってた。そしたら、他に好きな人作られちゃった」
 日村は聞いてはいけないことを聞いて悪かったという顔をした。
「だから、彼女は会いたがってると思うよ」
 美鶴はくすっと笑って肯くと、立ち上がり帰り支度をはじめる。
 日村は慌てて帰り支度をし、そして車は急いで駐車場を出た。
「さぁて、あたしも帰りましょう」
 美鶴はゆっくりと自転車置き場に向かう。ふと言い知れぬ寂しさと言うか、切なさと言うか、とにかくそういうものが胸を締め付けた。
 過去を思い出したせいなのか、日村が車を出す速度に、「あれほど急がなくても」と思ったからなのか、とにかく俯いてため息をついた。
 高校のときの親友は彼氏が居て休みにはどこかに行っているらしく誰も連絡してこなくなった。自転車にまたがり力強く漕ぐ。
 
 翌日。美鶴は職場からの電話で起こされた。相手は店長だった。
「どうしたんですか?」
「日村君が休んでて、代わりに日村君の担当も発注して欲しいんだけど」
「休み?」
「そう、風邪だって」
 風邪か? と思いながらも美鶴はスーパーに向かった。
「悪かったわね」
 店長の言葉に首を振り、発注を取りに行く。規則正しい「ぴ」という音をさせて日村が担当を任されている棚のところに向かうと、具合の悪そうな日村が立っていた。
「どうしたの? マジで風邪?」
 美鶴が眉をひそめると日村はしんどそうにため息をついて発注器をジャーナルに押し当てる。
 美鶴は他のところを発注し終るとバックに戻る。
 日村はすでに休憩室に寝転び、美鶴を見上げて片手を上げた。
「いったいどうしたわけ?」
「ちょっと」
「昨日の夜は暑かったし、裸で寝てても風邪引かないでしょ」
 美鶴の言葉に日村は起き上がり深くため息をついた。
「日村君、振られたんだって」
 店長の言葉に日村は再び寝転ぶ。
「それでずる休み?」
「いや、熱があるのはマジ」
 日村は横臥して美鶴を見上げる。
「何があったわけ?」
「別に、なるほどなと思っただけ」
「は?」
 美鶴が首を傾げる。
 昼を過ぎると休憩室の窓からは風が入ってきて、まだ涼しい。その休憩室は荷物を置いている事務所と、店長室から孤立していた。
「彼女の家に行ったんでしょ?」
「ああ。来るなと言われたけど」
「来るな?」
 日村は肯いて目を瞬かせてから、
「行って解った。男が居た」
「おやおや」
「まぁ、そうだろうとは思ってたんだよな、一ヶ月ぐらい家に行くことなくなって、会うといっても必ず外で、数時間ぐらい。もともとタバコ嫌いだったのが、さらに酷くなって、もう喫うなって、でもそれは俺の匂いを相手の男に悟られないためだったんだよなぁ」
「で、風邪引いた?」
「具合悪かったところにショックだったんだろうよ。頭カンカンに痛いし、」
「で、一人で帰れるの?」
「帰るしかないだろ」
「運転しようか?」
 日村が眉をひそめた。
「車を持っていないだけで、休みには親の車に乗ってるわよ」
 美鶴の言葉に日村は暫くして、首を振った。
「いや、いい、帰り杉ちゃんのほうが大変だろうからさ」
 確かに、日村の家辺りから自宅まで歩けば一時間はかかるかもしれないらしい。美鶴は肯いてタバコを取り出したがそのまま喫わずに片付けた。
「喫っていいぞ」
「いい、病人の前で喫う気ないから」
「ありがとう」
 
 日村の風邪は二日ほど酷かったが、ちょうど公休に重なって仕事に出てきたときには熱は下がっていた。ただ少し疲れやすいのかため息を多くついていた。
 美鶴は汗をぬぐいながら休憩室に入った。
「どうした?」
 休憩室で夕食を取っていた日村が不思議そうな顔をする。
「自転車がパンクしてて、今日に限ってお父さんの帰り遅くて、歩いてきたのよ。暑い―」
 美鶴はそう言って冷房の効いた店内へと向かった。レジにふと目を向けると詩織が原と談笑している。この時間は客が少なくて、結構暇なので、よく話をしているが、あの話し振りの親しさが妙に引っかかる。
 汗が引っ込むと美鶴は休憩室に向かった。
「またカップめん?」
「経費削減」
「体壊すよ」
「壊れてる」
「…、南さんと原君てさぁ」
「付き合い始めたらしい。松本ちゃんがそう言ってた」
 おいおい、おとといまで日村さんてかっこいいですよねと言ってただろうに?
 美鶴が店内に入ると詩織が手招きをする。
「何?」
「原さんと付き合うことにしたんですよぅ」
「聞いた。でも、日村さんは?」
「なんか、彼女いそうだし、話し掛けても楽しくなくって、そしたら原さんが、彼女居るらしいって。で話してたら楽しくて」
 詩織はそう言って首をすくめた。
 ああそう。美鶴は納得したように品出しに取り掛かる。ここでもまた日村は振られたわけだ。ある意味不幸な奴。
 美鶴はそれがおかしくてくすりと笑う。
 閉店作業は今日も日村と美鶴だけだった。
 セキュリティーキーをかけ美鶴は背伸びをした。
「さぁて、帰るかな」
「歩いて?」
「しょうがないじゃない」
「送ろうか?」
 美鶴が日村を怪しげに見る。
「なんだよ」
「そういう親切は明日雨を降らす」
「じゃぁ、いい」
「あ、嘘、嬉しいです」
「じゃぁ、どうぞ」
 日村はそう言って鍵を開けた。
 背の高いワンボックスカーは中に浮いた感じがする。ふわっと乗り込み、あとから乗り込んできた日村を見る。
「腹、減ってないか?」
「太らす気?」
 日村が首を傾げると、
「おごってくれるなら付き合うよ」
 日村は舌を出し、車を出した。
「どの辺り?」
「小学校の近く。だから、小学校で降ろして」
 日村は相槌を打ちながら、その小学校とは反対の道を進む。
「おごってくれるの?」
「太らしてやる」
「あ、物凄く気にしてるのに」
「俺、太らないんだよなぁ」
「なんかすごくむかつく」
 二人はかすかに笑い、同じように前を向いた。
「久し振りだなぁ、夜のドライブって」
「昔の彼としてた?」
「練習にお父さんの車こっそり出して乗ってたの。海まで行って帰ってくるだけだったけど、すごく自分が大人に感じて楽しかった」
「海かぁ、行ってないなぁ」
「夏なのにね」
「行くか?」
「今から?」
「休みあわないし」
「ああ、そうね。いいよ。どうせ明日また休みだし」
「そうだっけ?」
「仕事でしょ?」
「いや、休みになってた」
 美鶴はふぅんと相槌を打って、窓の外へと目を向ける。
 海に行くまでにあるファミレスに立ち寄り、そこから家に電話を入れる。
「バイトの子と一緒で、遅くなる」
 母親は簡単に納得して電話を切った。もし泊まるとか言っても信じるだろうなぁ。とはいえ、相手は日村であれば、そんなことも起こるはずも無いだろう。
 美鶴は顔をしかめた。日村は十時過ぎの今ごろハンバーグステーキしかも特大を頼んでいた。
「あんたの胃袋おかしすぎ」
「普通、普通」
「普通じゃないわよ」
 美鶴はそう言ってケーキセットのレアチーズを一口口に運ぶ。
「甘いの好きなんだ」
「何よ、意外そうな顔」
「すんげー意外」
「何でよ」
「辛党の酒豪だと思ってた」
 美鶴は口を尖らせ、チーズケーキを口に運ぶ。
「海に行って、どうする?」
 美鶴は首をすくめる。
「どうするも何も、別に」
「日の出見て何ぼだよなぁ」
「はぁ?」
「いや、海に来た以上は……」
「あたしを送ってから一人で見にきなよ」
「一人で見るなら俺だって帰る」
「でも、あたしと見てもつまんないんじゃない?」
 日村は首を傾げる。別に何するわけでもなく日の出までの七時間今日の時間、一緒に居れるかと言われると、無理だと答えそうだが、居られないか? と聞かれるとそうでもない気もする。
「本気で見るなら、付き合おうか?」
「嘘だって、眠いし帰るさ」
 美鶴も肯き時計を見る。
「帰る時間?」
「最近門限と言うものがなくってね、電話入れたら終わり」
 美鶴はコーヒーを口にする。頬杖をつき首をかしげて店内を見る。
 客は数人しか居ない。寂しい店内に、ひそひそと聞こえる会話はどこか甘く感じる。
「ああ、土曜日だったね、今日」
 日村が暫くして頷く。
「曜日感覚ないよなぁ」
「ないね、日にちは何とかあってもさ」
「カップルが居るはずだぁ」
 美鶴がその人たちを指差すと、日村もそちらを向く。
「土曜日にシケタ奴と一緒だと思ってる?」
 美鶴はくすっと笑ってコーヒーを口に含む。
 日村は食べ終わり、食後のコーヒーを飲んでいた。
「さ、行くか?」
 肯くと日村は伝票を手に立ち上がる。
「あ、おごり?」
 日村は首を傾げる。
「やっぱりかぁ、」
 美鶴はくすくす笑い、財布を出す。
「いいよ、おごる」
「明日は雨だ」
 日村は口を尖らせながらも料金を払った。
 車に乗り込むと、日村は満腹そうにため息をついた。
「よく食べたわね」
「じゃぁ、海行くか?」
 エンジンがかかり、車は静に海に向かう。
 海に近付くと潮の匂いがしてきた。冷房している窓を前回に開け髪に風を受ける。
「海だぁ!」
 美鶴の少しだけ興奮したような声に日村は鼻を鳴らす。
「何?」
「いや、海だなぁと思って」
「昼間ならもっといいのにね」
「明日でもよかったかな?」
「そうだね」
 美鶴は首をすくめて日村のほうを向く。
 車は砂浜に降りていき、波の音をいっぱいに聞く。カーステレオから流れる音楽も程ほどよくて、美鶴は天井を叩く。
「これ開けていい?」
 日村がサンルーフを開け、美鶴はシートを倒す。
「すっごい気持ちいい。満天の星空とは行かなくても、いい感じじゃない」
 日村もシートを倒す。
 波風は通り抜ける。
「このまま寝そうだなぁ」
 日村の言葉に美鶴は肯く。
「でも……、二人で寝てるとさぁ、心中してるとかって大騒ぎになったりしてね、」
 日村が噴出して起き上がる。
「窓開け放して心中?」
「睡眠薬。とかさ」
 日村はハンドルにもたれかかる。
 別の曲に変わる。日村がハンドルを指で叩いてリズムを刻み、鼻歌を歌う。
 美鶴が欠伸をする。
「退屈?」
 美鶴は一瞬夢と交差した言葉に「デ・ジャ・ヴ」を感じながら
「別に、あたしは平気。日村さんは退屈?」
 と聞き返した。
「いや、欠伸したから、退屈なら帰ろうか?」
「本当に眠くなっただけ、すごく気持ちいいじゃない、静かで、」
 日村が美鶴を見て頷いてまたハンドルにもたれた。
「最近、キスした?」
「は?」
 美鶴は少しだけ体を起こした。あまりにも唐突な言葉に一気に眠気まで覚めてしまった。
「あ……、三年ほど彼氏なんかいないからしてない。何で?」
「別に、別れる数ヶ月キスした記憶ないなぁって、この曲がかかっていたとき、初めてキスしたんだって、話してたんだけどなぁ、あいつ……」
「そん時も海だった?」
「覚えてない。俺の家、かな?」
「学生だったから、あたしはすごく憧れたね、海でキスするの。ははは、よくも照れずに話してるよ、あたし」
 美鶴がシートに体を預け伸びをしたとき日村が振り返って、顔を近づけてきた。
「何?」
 美鶴が聞くことに答えずに日村は唇を押し当てた。そして離れるとハンドルにもたれた。
「何?」
 美鶴が慌てて起き上がる。
「事故」
「は?」
「事故。ぶつかっただけ」
 日村の言葉に美鶴は暫く黙った。
 奇声を発するのはいつでも出来る。とりあえずこの行動の意味を考えてみた。話の流れからしてキスをすると言う暗示が無かった訳ではない。だからと言って、好きでもない子と平気で出来る奴だったのかと言えば、そんなこと知らない。でも現に日村は美鶴とキスをした。そしてそれは事故だと言う。
「お互いに、好きな人早く見つけなきゃね」
「あ?」
「じゃないと、また事故に遭うからね」
 美鶴はシートを起こす。
 どう考えても日村の行動が解らない。好意を抱いているのなら、事故など言うはずがない。どうでもいい女に、ホテルに連れて行こうとするなら、金惜しさにここで押し倒されるだろう。
「そうだな」
 日村はそう言ってエンジンをかけた。
 窓の外が暗い道から徐々に明るくなり街灯が緒を引く。
 美鶴は窓ガラスに映る唇を噛み締めた。
 信号で止まり、ふと目線を変えると日村が向こうから覗いている。
 日村は無言で前を向いた。
 車は美鶴が指定した小学校前で泊まった。
「とにかく、早く好きな人見つけようね」
 美鶴は笑みを浮かべ車から降りる。
「今日はご馳走さん。また連れて行ってね、今度は昼間にでも」
 日村は片手を上げ走り去った。
 美鶴はその場に座り込んでため息を落とした。
 何故したの?
 その台詞は美鶴には重い。もし、好きだからと言われても自分の気持ちがどうなのか考える。もし、今日だけホテルへ行く? と言われてもそれに従ってしまいそうだった。無言。それが一番いいやり過ごし方だ。
―退屈?―
 それは、美鶴と一緒に居る相手に、美鶴が聞くべき台詞なのかもしれない。
「あたしと居るのって、退屈?」
 美鶴はこぼして地面に目を伏せた。その視界に靴が見えた。顔を上げると日村が立っている。
「何してんの?」
「それはこっちの台詞、バックミラーから見てたら急に消えたんで下りてきた」
「消えたわけじゃないけど、」
「悪かった。それほど気にすると思わなかったわけじゃないけど、ただ、したくなったと言うほうが傷つけそうで、」
「そうね、誰でもいいのね。と言い返すわね」
「だろ?」
 だろじゃない。という顔をする美鶴に日村は軽く唸る。
「よく解ってないんだ。何であの時なのか、杉ちゃんとしたくなったのは、そこに居ただけだからなのかとか、でも、なんか、お互い好きな人見つけようと笑われるとさ、なんか辛くなったのは事実」
「だからって、私がその好きな人だとは言い切れないでしょ?」
 日村は肯く。
 美鶴は俯いたまま立ち上がる。
「いいんじゃない? 今までのままで、それがいやで、前に進めたくなったら、進んだら。あたしも、キスされて解らなくなったから」
 日村は頷いた。
「じゃぁ、月曜日」
 美鶴は肯く。今度はちゃんと角を曲がるまで見送った。
 ふいに過ぎるフレーズ―テールランプ五回点滅「ア・イ・シ・テ・ル」のサイン―踏ん切りがつかないのは、傷つきたくないからで、恋愛の終わりと言うものがないことを不安に思っている証拠なだけだ。
 結婚すれば恋愛は終わり。じゃない。結婚してもずっと相手を引きとめて、自分も相手を見ていなきゃいけない。終わりのないものを追いかけると言う不安。
 若ければそんなことを考えずに済んだのに。
 美鶴は家に向かいながらため息をついた。
 たかだかキス一つで動揺して、バイトを辞める気はないけど、顔を会わせにくいのは確かだ。
「とはいえ、出なきゃお金にならんからなぁ」
 美鶴はため息混じりにこぼした。
 近所の子供部屋から明かりが漏れている。さすが、夏休みだけあってまだ起きているようだった。
「しかし、久し振りのキスが事故とは、不服だなぁ」
 美鶴は首をすくめて家に入った。
「明日は、今日よりは、気にするようになるかな?」
 美鶴は小さく笑い、寝静まった廊下を歩いて部屋に戻った。
 知らず知らずに、唇に指先が触れるのは、あえて気にしないことにして……。
 
おわり
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