Printemps de colorer
〜彩の四季_春〜


 
 空は霞がかかっていたがとてもいい天気だった。青い空に白い雲がいくつか横たわっていて、空気もすっと清々しかった。
 達端 みかげは胸を少しだけ張ってにこりと笑った。
 春になるといつもする癖のようなものだ。
 春だから何かが新しく変わることは無いが、でも、春は「春」と言う音だけで新しい気になるからみかげは好きだった。
 かなりの間伸ばし続けた髪の毛はすでに腰近くまである。そろそろ本気で切りに行こうかと思っているが、なかなか美容室に行くのが面倒で、気に入った髪型も無いまま伸ばし続けているのが実状だ。
 みかげは本屋の前で立ち止まる。ファッションには興味は無い。だがその表紙を飾っている人には興味があった。
 「新進気鋭の美人デザイナー、オハラ事務所(ステファニー・オハラ社長)所属の日本人森沢 澪」の見出しにそれを手に取る。
 ぱらりと捲っただけでも何頁か彼女の記事は載っていた。
 みかげはすぐにそれを買い、近くのコンビニで、クリーム小倉ケーキを買い家に持ち帰った。
 ケーキを食べながら、雑誌を読む。
 
 19歳で単身フランスへ渡り、ステファニー・オハラに師事する。五年ほどの研修と助手を経験したあと、デビューが同じく日本人も出るトーイが着たセクシーな紳士と言うフォーマルが一躍脚光を浴びる。
 だが才能や美的に恵まれていながらも謙虚でしとやかな彼女は目立った場所には極めて出たがらず、今回ステファニー・オハラの芸術的功労を労うパーティーが無い限りこんな場所でのショットを見ることは出来ない大物である。
 ごく親しい仲間内の話しによれば彼女は極めて恥ずかしがり屋で、写真を取られることが嫌いなのだというが、本誌はそれに成功しここに掲載する。それはモデルに見紛うほどのスタイルと気品と美貌を持った日本人がそこに居たのだ。
 
 べた褒めの記事を見て、さらにケーキをひと口食べる。
 みかげはニコニコ笑い、机の上においてある写真たてを見る。
 高校卒業の時に撮った写真。
「澪は、ずっとずっと前から綺麗だったのよ」
 みかげはそう微笑む。
 
 みかげと澪との出会いは高校入学式に遡る。
 高校は桜が校名にあるくらい桜の木が多く植えていて、あちこちで桜の花びらが散りあたりはピンク色になっていた。
 長い式典やら、必要なものを買ったりしたあとで、くたくたになりながら門まで来た澪の目に止まったのがみかげだ。
 皆が新しい制服と、学校と、今までの仲間と笑顔でたむろって居る中でみかげだけは一人まるでその木と同化している様にそれを見上げていた。
「何、見てるの?」
「木」
 みかげは即答して澪のほうを見た。
「森沢さん?」
「え? ええ」
「あなた綺麗だからすぐ名前覚えちゃった。同じクラスなの。よろしくね」
 そういった彼女はその日以来何も変わっていない。まるでのんきな春風のように、どこかしっかりしないままでふわりふわりと居る。
 
 
「おお、バイトの時間だ」
 みかげは着替えて仕事に出て行く。
 
 
 みかげはパートや正社員にはなれない。お気楽が一番なのだ。バイトは生活の安定も無ければ、優遇処置も無い。だから親は職につけと言うが、気楽が一番、それで生きているのだからあまり気にしていないのだ。
 みかげはコンビニでアルバイトをしている。こじんまりとしたいち支店舗だ。従業員入り口から入ればすぐ支店長の篠崎が居た。
「おはようございます」
「おはよう」
 みかげはロッカーに行き制服を着る。髪は二つに別けて三つ編みにする。
「今日はどうです?」
「まぁまぁ。近くのスーパーが創業際やってるから、そっちへ流れてて学生ばっか」
「エロ本立ち読みし放題か」
 みかげの言葉に店長は笑う。
「じゃぁ、店内掃除から始めます」
 みかげはほうきを持って店内へ行く。確かに客は居ない。時計は四時になるところで、いつもなら学生が多く居るのだが、今日は立ち読みのところにも居ない。
「居ませんね?」
「そうなの。昼間にどっと来てね。忙しかったけど」
「お疲れ様です」
 お昼にはパート主婦の秋本さんがレジに入っている。四十手前で子供がすでに中学生。貫禄がある目力の強い化粧をしている。
「みかげちゃん、明日休み?」
「ええ、」
「じゃぁ、これあげる」
「ハイ?」
「近くの会社のなんかイベントなんだけど、子供が行けなくなったってくれたんだけど、あたしどうもこういうイベント好きじゃないのよね」
 と言って渡してくれたのが「空と木の写真展」と言うチケットだった。
「なかなか渋い趣味ですね、お子さん」
「配ってたんですって、五百円要るけど、行くなら、」
「暇だし、もし外から見てよかったらいきます」
 秋本からチケットをもらい、みかげはポケットにそれを押し込む。
 五時を少し過ぎると、大学生のバイトがレジに入る。みかげは主にそれのサポート役として店内に居る。そして十二時に帰宅。
 暗くて寂しい道を自転車のペダルを踏む分だけのライト音が響く。
 いくら春とは言えなかなか夜は冷え込む。
 みかげの吐く息もまだ白い。
 家に着くと、ポストに手紙が差し込まれていた。
―エアメール―
 二週間はゆうにずれている手紙。澪からだと解るとすぐに中に入り、玄関で靴すら脱ぐ前に開ける。
 
 近々日本に帰れそうなので連絡しとくね。いつもどおりみかげの家に泊めてもらうので、よろしく。お土産はいつものでいいよね?
 
「澪が帰ってくる」
 みかげは顔をほころばせ、やっと靴を脱ぎ、携帯を取り出す。
 
 寝てたらごめん。手紙届いた。帰れそうなのかな?
 
−−そっちは夜中? じゃぁ、バイト帰りかな? 一応、明後日には帰り着くとから。急で悪いね
 
 ぜんぜん、あたしはうれしい。じゃぁ、明日はお布団を干しとくね
 
 みかげは携帯を切ると、どきどきしながら持ち帰った制服を掴んだ。
「あ、チケット」
 洗濯機に入れようとして違和感を感じ、ポケットからチケットを見つける。
「布団を入れてから、見に行こう。買い物ついでに。でも、これって旅行会社のビルじゃなかったっけ?」
 みかげはその地図を見て首を傾げる。
「まぁ、いいや。……、電話しーとこ」
 みかげはすぐに店長の電話にかける。
「何?」
「忙しいです?」
「ぼちぼち。なんか用?」
「連休欲しいんです。明後日も」
「何で?」
「大事な人が帰ってくるんで」
「はぁ?」
「じゃぁ、そういうことで」
 お前、クビ
 と言われそうな言語道断で電話を切る。
 みかげはコートを脱ぎ、鞄をかけてベットに腰掛ける。机には澪の載った雑誌が置いてある。
 みかげはニコニコと笑顔のまま寝支度を始めた。
 
 まだ春浅くて日差しが弱い。風は三寒四温の影響で今日は冷たくて強い。花粉が飛んでいるらしく、マスクをした人の目が赤く充血している。
 みかげはその中をぽてぽて歩く。午前中、日差しをたくさん浴びせるように客用の布団を干した。シーツも洗ったし、掃除もとりあえずした。―多分、澪には納得がいかないはずだけど。
 みかげは昨日もらったチケットを取り出す。
 この辺りなのだが―。
 大通りに面した旅行企画会社一階のロビーに設けた写真展。みかげは二度チケットとその会社を見比べた。
「ここ、なんだけども……」
 写真展のほうはなにやら暇そうな受付嬢が座り、その隣にスーツを着た男性が立って暇そうに外を見ている。
「入り、にくいなぁ」
「ねぇ」
 そういわれて横を見れば、ショートカットの大人しそうなでも気のしっかりした人が立っていた。
「写真展、見に行くんですか?」
「ええ、もらったものだけど、」
「行き難いですよね」
 二人は苦笑いを浮かべた。
「一緒に行きません?」
 彼女はそういって首をかしげた。その笑顔がみかげは気に入ったので頷いて中に入った。
 中は旅行業の受付の賑やかな声と、営業できているらしい首から札を下げた人と、接客の声で充満していたが、あの一角―写真展の辺りはやけに静かだった。
「あら、みかげちゃん」
 みかげは声の方を見た。
 生まれてこの方「みかげ」と言う同名を聞いたことが無い。なんせ、墓石と同じ名前など、良識ある親はつけないだろう。だから、そう呼ぶとみかげは自分だとすぐに反応する。ある意味得な名前だ。
 そして旅行業の店先には、よく店に来るお客がニコニコと立っていた。
「あなたも旅行?」
「あ、畑山のおばちゃん。おばちゃんは旅行?」
「ええ、そう。娘の居る長崎まで行くのに、ちょっと旅行してから行こうと思って」
「じゃぁ、カステラよろしくです」
「まぁ」声を立てて笑ったあと「それで、みかげちゃんは旅行?」
 と同じ質問をした。みかげは首を振り、
「写真展見に来たんですよ」
「そう、あ、じゃぁ今日は休み?」
「ええ。でもこれからずっとかも」
「これから?」
 みかげは首をすくめ、無碍に店長の電話を切って明日も休むのだと告げた。
「まぁ、そりゃ店長さん困るわね。でも、そんなに無理に休まなきゃいけないほど大事な人って、彼氏?」
 みかげはふふふと笑い、
「そんなものじゃ片付かないほどいい人。大事なんですよ、私にとっては」
 と言うと、おばさんは意味深な目をみかげに向けた。
「あ、あたし人と来てたんだ。じゃぁ、また、店に居たら会いましょうね」
「ちょっと、その大事な人とどこで会うの?」
「何でです?」
「あら、近くだったら見に行こうかと思って、みかげちゃんの「彼氏」を」
 おばさんの笑いにみかげは首をすくめ、
「バスで帰ってくるんです。バス停まで迎えに行くだけ、一週間うちに泊まるから。あたしがどっかへ行けばすぐ迷子になって、探すほうが大変だから、バス停で待ってるようにって」
「まぁ、心配性な彼なのね」
 みかげ首をすくめ微笑み、手を振ってさっき知り合った彼女のほうへと向かう。
「知り合い?」
「ああ、お店に来るお客さんです」
「店?」
「ああ、コンビニのバイトです。よく来るおばちゃんで、お昼に居たらおにぎりくれたりするんですよ。いい人ですよ」
 ものをくれるからいい人とは変わった人だ。と思いながら彼女は微笑み返した。
「入る?」
 彼女に言われ頷き受付へ行く。
 彼女は招待券を差し出すと、名前を書くように言われる。
 みかげは受付に立っていた男性のほうを見た。
「これ、もらったんですけど、いいです?」
「あ? ……ええ。あ、名前と、」
「五百円でいいんですか?」
「ええ、構いません」
 みかげは彼に五百円を手渡すと彼女の次の行に名前を書く。
「こういうのに書くときによく思う。小学校でもうちょっとまじめに字の練習しておけば、ああ、下手な字。としょげることは無いのにって」
 みかげがそういうと彼女はくすくす笑った。
 みかげが書き終わると、二人で中に入った。人は数人しか居なかった。閑散とした空間の中、最初にあるパネルはただの空と海の写真で、どこか外国の風景のようで、ありきたりだった。
 二人は顔を見合わせ次の写真へと行く。よくある教会と空。
「なんだっけ、この教会」
 彼女は首をかしげた時、ふと緊張が走った気がした。
「サン・ジョルジョ・デイ・グレチ教会」
 みかげが振り返ると、モデルのトーイが立っていた。
「と……、内緒?」
「黙ってくれる?」
 みかげは返事の変わりに微笑む。
 三人で写真を見る。
 だが、今ひとつ面白みに欠ける写真だ。
 それが四枚続いた五枚目。
 大きな桜の木を下から取った写真だ。
「綺麗」
 彼女の感嘆がもれる。
「桜、……桜の木の下には死体が埋まってる。その血をすするから桜は綺麗な花を咲かせる。……でもそういう話しがある花は綺麗過ぎるから。その綺麗さに魂を吸い取られるから。まるでいやな僻みだけど、でも、本当に綺麗」
 みかげの言葉にトーイはやんわりと微笑んだ。
「あら、変なこと言った?」
「いや、そういうことを思って花は見ないからね」
「そう? でも、同じことを以前言ったら、友達は笑って、そうね。と言ってくれたのよ。やっぱり桜はいいや。桜を見るといいことがあるから」
「いいこと?」
「だって、泪さんと知り合えたもの」
 と微笑んだ。
「え……、あたし、名前教えた?」
「あれ? るいって呼ばないのかな? 名前、見たから。あたし、美人の名前すぐに覚えるから」
 みかげの言葉に彼女、泪は微笑み、
「あってる」
 と笑った。
「えっと、私は」
「みかげちゃんでしょ、さっきの人が言ってたわ」
 みかげは微笑んだ。
「そのついで、明日会う大事な人って?」
 みかげの手を引っ張り、中ほどに用意されたベンチに泪は座った。
 みかげは満面の笑みで頷いた。
「さっき言ってた人?」
「そう。あたしの大事な人」
「本当にすきなのね」
「向こうは、あたしをペットだと思ってるけどね」
 みかげは笑い写真のほうを見た。
「……あ、……ねぇこっち来て」
 みかげはトーイをベンチに引っ張り写真を指差した。
 それまでたいした写真だと思わなかった写真が、見方を変えることでパノラマにいるような気分になる。
「すごい、空が、綺麗」
 みかげの言葉にトーイと泪は頷く。
「なんか、森林浴してるみたい。平和だねぇ」
 みかげの言葉に泪とトーイが失笑する。
「変?」
「そういう感性好きよ」
 トーイはその声を聴き静かに頷いた。
「ありがとね、泪ちゃん」
 みかげは泪に抱きついたあと笑い立ち上がると、一番奥にあった大きなパネルの前に立った。
 巨木の大きな幹がそこにあるかのように覚える。太くて重厚で、まるで木の神様のようだ。
 みかげは両手を広げる。
「何してるの?」
 トーイが聞くと、
「自然パワーをもらってるの」
 とみかげは目を閉じた。
 トーイは笑い、同じように手を広げた。
「大きいね、」
 みかげはトーイの頭を見上げる。
「そう?」
 みかげは頷き、
「いい人ね、彼女」
 と小さな、本当に小さな声で言って微笑んだ。
 トーイはみかげの目を見入ると、頷いて微笑んだ。
「明日も来ようっと。一緒に。あの桜見せなきゃ」
 と桜の写真前に再び向かった。
 
 みかげは玄関に行くまでに何度も鏡を見た。顔が自然とほころび、嬉しさが体中からにじみ出ている。
 
 帰ってくる
 
 そのことが本当に嬉しくて、多分、三泊ぐらいにしかならないだろうが、その間一緒に居られることが本当に嬉しいのだ。
 みかげは靴を履き最寄のバス停へと向かった。
 
 篠崎は昨日、常連の畑山のおばちゃんから、みかげがどっかから帰ってくる彼氏をバス停で待つと聞かされ、すぐまた居なくなる相手を暫く泊めると聞かされた。バスが着くのは二時五分。店から自転車でそのバス停まで十分と言うところだろう。
 店を首になってもいい覚悟で「大事な人が来るんで休みます」と電話を切ったみかげの言葉が気になっていた。いや、覚悟が気になったのではなく、みかげの相手が気になるのだ。
 バイトを始めて暫くたって居たが、そんな話一度として聞いたことが無い。好きな相手が居るそぶりも無かったし、男の気配さえなかった。
 今から行けば十分バスに間に合う―。ぎりぎりで篠崎は店を出ていた。
 
 松浦旅行企画会社3階の一室。そこは企画部担当責任者この会社の副責任者と言ったところだろうか、いわゆる副社長の部屋で、一階のロビーで開かれている「空と木の写真展」で昨日みかげたちを出迎える姿となったあの受付に居たスーツの彼、松浦 和矩が窓から外にあるバス停を見下ろしていた。
 ふわふわの髪を躍らせてみかげがやってきたのが見えた。ずっと面影を探していた相手だけに、三階からだろうがすぐに見つけれる。
 今から降りて行ってみかげが楽しみに待っている相手とやらをじっくり見てやろうか? ろくでもない男のようなら、すぐに奪おうか? それともまた、黙って手を引こうか。和矩はそわそわとバスが来るのを待っているみかげを見下ろす。
 
 春だと言うのに冷たい風が吹いてきてみかげの髪を揺らしたが、そんなことなどお構いなしだった。澪が乗っているバスはあと少しで到着するのだ。
 ひとつ向こうの信号でバスが止まった「空港連絡バス」の文字が見える。
 みかげが思わず飛び跳ねたいのを我慢してバスが来るのを待った。
 バスが止まり、独特のにおいがあたりに広がる。空気を抜いてドアが開くと、さらさらの髪、淡いクリーム色のパンツスーツを着た澪が降りてきた。
「澪!」
「ただいま」
 みかげは一応邪魔にならないような場所で澪が近づくのを待った。そして近づいてきた澪に満面の笑みを向ける。澪も同じく微笑む。
「相変わらず荷物無いね」
「たくさんの荷物は重たいだけだから」
 みかげは少し沈んで頷く。
「何?」
「いや、澪の拠点がすでに日本で無いんだなぁと思って。帰ってくると言うより、日本に遊びに来たって感じがしてさ」
 みかげの言葉に澪は微笑んだが、そうね。と静かに言った。
 
 女?
 
 和矩と篠崎は同時に思った。
 みかげの大事な人というのが女だとは聞いてない。もしかすると、同性愛者? などと浮かんだが、そういうべたべたした感じは無い。
「彼女……」
 和矩は机の引き出しを開けた。
 去年親友であるモデルのトーイからもらった雑誌に載っていた気がする。
「やっぱり」
 森沢 澪。新進気鋭の美人デザイナー。確かカウントダウンパーティーで見た。そんな有名人が何故みかげと一緒にいるのだろう? 確か同じ年だったはず……。
 和矩は記憶の糸を手繰る。手繰ればヒットする思い出があった。
 高校のときの同級生だ。
 高校2年のとき転校していった先に居たみかげの、親友で、美人で近寄りがたかったが酷くつっけんどうでは無かった人。頭がよく愛想が悪かったがそれは人見知りが激しいと言うだけで、笑えばその美人さに見入ってしまうほと。だが和矩が今まで忘れていたのは、そんな澪よりもみかげのほうが好きだったから。
 あののほほんとした緊張感も緊迫感も無いみかげのほうが好きだったのだ。
 みかげと、澪が帰っていく。
 和矩は椅子に座り、やりかけの書類を手にした。
 ただの偶然に浮かれている年ではない。不景気の煽りを受け会社は少々厳しいのだ。そんな淡いものに浸っていても何にもならないのだ。
 和矩は書類に目を走らせ、ただひたすらにみかげを忘れるかのように仕事に打ち込んだ。
さもなければ、高校を卒業してから二度と会うことは無いだろうと思っていた偶然にもう必然だと思ってしまいそうだったのだ。
 
 篠崎は店に戻ってきていた。
 みかげの大事な人が女であることにほっとしたものの、ただの友達が来るだけであれほどうれしそうな顔をするなど、いったいどういう関係なのかと言う疑問が浮かんできたのだ。そういう間柄なのか、もしそうならば、これは失恋と言うものではないか? 女に負けるなど……。
「あ、店長、どこ行ってたんです?」
 高校生バイトの市川君が声をかける。篠崎は市川君をひと睨みし、
「タバコを買いに行ってたんだよ、」
 篠崎は腹立たしげにそう言って店内に入っていった。
「タバコ、店にあるじゃん」
 市川君はそういって首をかしげた。
 
 みかげがこの店に面接に来たときのことをよく覚えている。
 髪の毛をゆるく編み、化粧けが無くそれでも笑顔で一目で気に入った。のんきと言うかのどかで、安心感を得られた。それまで主婦バイトや、学生バイトを雇ってきたが、こういうほんわかとした子は初めてで、採用をすぐに決めた。
 一目ぼれ。だったのだろう。それからみかげが来るとなると毎日が楽しかった。コンビニ経営は家族ぐるみが多いが、ここは他とちょっと変わっていて、土地を借用していて、篠崎は本社からの出向でこの店を任されているのだ。だからいずれ帰ることになるのだが、その間であっても、みかげが居る限り毎日は楽しいはずなのだ。今日のこの「大事な人」の話を聞くまでは。
「あら、店長さん。見た?」
「何をです?」
 畑山のおばさんが用も無いのにやってきた。本当に用も無く毎日コンビニに来る人だ。みかげが居たらひとしきりしゃべって帰るが今日は休みだと知っているので、篠崎をターゲットにしたようだ。
「みかげちゃんの大事な人」
「さぁ」
「あ、そう? さっきそこで会ってね」
 篠崎は黙ってお菓子の補充を続ける。
「女の人だったわ」
「そうですか」
「美人でね、もうみかげちゃんたら本当にうれしそうで、なんでも高校のときからの親友で、二年ぶりなんだって、首になるかもしれないって言ってたから、店長はそれほど薄情じゃないわよって言っといたから。明日には出てくるようなことも言ってたし」
「そうですか、」
「あら、気の無いこと」
「べつに、気にするようなことは無いでしょう?」
 篠崎はそういってダンボールをたたみ、畑山のおばさんを見た。
「二日の休みをくれと聞いてますから」
「そ、ま、いいけど」
 畑山のおばさんは篠崎のそっけない態度に面白みを感じないのか、口の中で口ごもりながら出て行った。
 本当に何も買わずにしゃべって帰った。毎日ああやってウォーキングの途中寄って帰る。あれで痩せようとしているのだから都合のいい主義だ。
 篠崎は店裏に行き、日用品の入った折りコン(折れるコンテナ(箱))を持って店内に入る。
 店内に最新の曲が流れる。学生がぞろぞろと入ってきた。書き入れ時だ―。
 
 澪が来てみかげの生活は一変する。
 澪はみかげの部屋をまず片付け、食事の用意をする。その手際のよさはみかげが一日ですることを二時間程度で済ませてしまう。
 食事もみかげが一品で済ますところをちゃんと三品は用意する。ご飯も上手に炊くし、生活のリズムも整う。
「澪が居ると助かるぅ。休暇にはならないだろうけど」
「好きだから、大丈夫よ」
「だから、澪って好き。そうだ。いい場所見つけたんだよね、行かない?」
「珍しい、出不精のみかげが?」
 みかげはくすくす笑い、昨日の写真展の話しをした。
「出雲 春秋さんの写真展?」
「知ってるの?」
「あたし好きよ、彼の写真」
「そうなんだ、見に行こう?」
 澪は笑顔で頷き、みかげと一緒に四時過ぎに出かけた。
 みかげは澪の腕を掴み、くるくるの髪の房を揺らす。澪はそんなみかげを見て微笑む。
 同僚の栗原 美樹がよくみかげをペットだと言う。だが本当にそういう無条件でみかげと付き合える。打算も、要求も要らない人だ。
 松浦旅行企画の扉を開ける。
 写真展はビルが閉まる七時までのようだった。昨日は人が少なかったのに、今日は列を成していた。
「あれ? 昨日は空いてたんだよ」
 みかげの言葉に、みかげの後ろから男の声がする。
「多分、俺のせいかな?」
 みかげと澪が振り返るとトーイが立っていた。サングラスをはずし、にこやかに立っている。
「今日は営業スマイル?」
 みかげにトーイは微笑み、
「友達の援助を勝手に引き受けたらやたらと大入りになってね」
「友達?」
「昨日、そこに立ってたけど、印象無いでしょ、地味な男だから」
 トーイの言葉に受付嬢は複雑な顔をした。和矩は少なくてもこの会社では人気がある。若くてかっこよくて優しい。とはいえ、モデルのトーイたちに比べたらそりゃ印象も無いだろう。
「ないなぁ。ウン、無い」
 みかげはきっぱり言って澪のほうを見た。
「一緒に仕事してるから知ってる?」
「ああ、昨日言ってた人?」
「そう。あたしの大事な人」
「そう、森沢さんが」
「……、澪を森沢さんなんて言う人を久し振りに見た。いいね、森沢さん」
「何が?」
 どうせくだらない理由だろうと言う顔をしながら澪が聞くと、
「森沢さんてなんだか初々しいじゃない。他人行儀で」
 とみかげは笑った。
 澪は首をすくめ、トーイを見上げた。
「休暇だとは聞いてましたけど、この近所なんですか? ご実家」
「違うよ。さっきも言った友達の家に転がり込んでるの。それより、森沢さん……澪ちゃんでいいよね? 他人行儀らしいから」
 トーイはその言葉に酷く感入った様で暫く笑ったあとで、
「ところで、これからどうするの?」
 と聞いてきた。
「写真展見てお外でお食事するの」
「どこで食事?」
「まだ決まってない。何で?」
「一緒にどう?」
「……、どうする?」
 みかげは澪のほうを見る。
「みかげに任せる」
 と言ったが、澪には解っている。トーイと友達になった―そういう点で気楽な性格だと羨ましく思える。会話をして好印象を受けるとそれはすぐに友達になる。みかげの基準は楽しい人なのだから、トーイはすでにみかげの中では友達なのだ―その相手との食事に何の断りがいるのだろうか。一応澪に確認で聞くが、答えはわかっているのだ。
「いいよ。でも、あんまり高い場所はだめだよ、払えないから」
 みかげがそういうとトーイは微笑んだ。
「じゃぁ、俺のツテで写真展のただ券を差し上げよう」
 トーイはそう言ってみかげに二枚手渡す。
 みかげと澪は写真展に入る。それを見届けてトーイは携帯電話を取り出した。
 
 みかげと澪はトーイについて近くのカフェに入った。
 一階に駐車場、二階に上がる階段はレンガで出来ていてツタが這っている。入り口に「closes」と看板がかかっていたが、トーイはその戸を押し開けた。
「美登里さん?」
 トーイが声をかけると、中から白いシェフつなぎを来た女性が出てきた。
「いらっしゃい」
 微笑んだその人にみかげも思わず微笑む。
「ごめんね、急なことで」
「いいのよ、徹君のわがまま聞くと雅君も喜ぶし、雅君は七時過ぎになるの。納品に入ってるから。和君もそのくらいになりそうだって、ヒロ君はそろそろ来ると思うわよ、寝てたみたいだったけどね」
 美登里さんはそういって席を案内した。
「ここ、カフェですよね?」
「ええ、でもお料理も出すわよ。お任せメニューのオーダーを頂いてるけど、お酒はどうする?」
 みかげも澪も同時に首を振った。
「軽めの奴にしましょうか。徹君はだめだからね」
 美登里さんに言われトーイ、徹は首をすくめた。
「ごめんねあとから数人加わるけど無視してていいから」
「お友達と食べる約束だったの?」
 みかげが聞くと徹は首を振る。
「いや、でも皆ここに来ることになってるからね。日本にいる間はここが俺たちの台所だし、寝床はカズの家、日本に俺の家無いから」
「……、好きなのにね」
 みかげはボソッとこぼし、頬杖をついた。
「本当に、そうだよ」
 徹は微笑んで俯いた。
 澪は黙っていた。徹に好きな人がいるであろうということは噂にはなったが、それが誰なのかまるで解らない。誰も見たことが無いのだ。相手がみかげである可能性は無いのだが、みかげは相手を知っているようだ。
 
 食前酒と言うほどアルコールの無い飲み物が出された。三人は今日の出会いにグラスを鳴らし、口を湿らせた。
「野暮かな? 君たちの関係が聞きたいんだけど、」
「野暮じゃないけど、聞いても何の特にもならないよ」
 みかげは笑い、つまみとして持ってこられたチーズクラッカーをひとつ口に入れる。
「高校のときの同級生。澪って美人でしょ。あたしすっかり気に入ったのね。だから何とかして話しかけようと桜見ながら考えてたの。そしたら、奇妙だったんでしょうね、澪のほうから話しかけてきてくれて。すごくうれしくって、それからずっとあたしが付きまとってるの」
 みかげはそういって微笑んだ。澪も同じく微笑んでいるが、それは保護者のような、親が子供を見守るような笑みに似ていると徹は感じた。
「で、澪ちゃんは今はどこに?」
「あたしも日本には家が無いので。実家に帰ると戻れなくなるので」
 カランと音を立ててヒーロー、宏樹が入ってきた。バイクのヘルメットにグローブを押し込み、すでに中に居た澪たちに一瞬驚きながら、席に近づき、黙って座った。
「何で? 家が居心地がいい?」
「違うの、澪のお父さんはデザイナーなんかしてないで結婚しろって、そうだ、そうそう、またお見合い写真送ってきてた。向こう(海外)の住所が解らないから、あんたから送ってくれって。ますます本気だね」
 みかげはそういって、座ってきた宏樹を見た。
「ヒーローも知ってる?」
 徹が聞くとみかげが頷く。
「森沢さんと、そのお友達のみかげちゃん。ナンパして食事を一緒にすることになったんだ」
 徹はそういって宏樹に微笑んだ。宏樹は黙って美登里さんが持ってきたビールを飲む。
「見合いする気あるの?」
 澪は首を振る。
「澪を好きになる人は苦労するよ」
 みかげは出されたポッキーを口に入れる。
「何で?」
 徹も同じくポッキーを加える。
「だって、澪は自己犠牲が強いのよ。誰かの為に何かをすることに嫌だと言う観念が無いのね、だから、相手が思うのよ。自分も他の人と一緒じゃないかって。特別視が出来ないというかね、特別な人だからこそ特に自己犠牲を発揮して、それこそ相手は思ってなんか無いのよ、思ってないのに、一緒に居ちゃ迷惑なんじゃないかとか思って身を引くの。勝手に。相手は勝手に身を引かれてその理由すら知らないまま消えられるからわけ解んないよね」
「そういうことでもあった?」
「いや、なぁんと無くそうなるだろうなぁと。予想」
「的中率は?」
「百%だと思うよ」
 みかげと徹は笑いあい、澪の方を見た。
「美人ってだけでも近寄りにくいのに、相手を一番に考えるから、好きな人が居ても自分が思っちゃいけないのよなぁんて思うタイプ。周りとしてはやきもきするけど、あたしとしてはそれでいいの。澪はあたしの奥さんだから」
 みかげはそういって笑う。
「あたし、主婦できないの。だからって、外で働くのもいやなのよね。家に居てボーっと日がな一日過ごしたい。だめ?」
 澪のほうに首を傾げると、澪は伏せていた目を上げ、
「がんばってるじゃない、あたしが居なくても」
 と静かに言った。
 徹は黙って口を湿らせる。なるほどみかげが言うように澪も宏樹を意識している。そしてみかげが言っている通りの行動をしている。お互い気になっているのに一歩踏み込めない。徹にはすぐに解った。
「よぅ」
 裏口からダンボールを抱えた体躯のいい男が入ってきた。
「美登里さんの旦那さん。雅さん。俺たちの兄貴って感じの人」
 雅さんは顔を赤くして厨房のほうへと向かう。
「雅さん、これは?」
 そういって和矩があとから入ってきて、みかげを見つけて息を呑んだ。
「ああ、こっちへ」
 和矩は厨房にダンボールを置きに行くと、店内に戻ってきて、円卓に座っているみんなの空席、澪の隣に座った。
「昨日居たんだけど、思い出せたかな?」
 徹の言葉にみかげは和矩を見たが首を振る。
「ごめんなさい。あたしの記憶容量って爪楊枝の先なんだって、まったく」
 みかげは首をすくめて笑う。
 徹も、残念。と和矩の肩を叩いただけでそれ以上話を広げなかった。
 
 食事が運ばれてきた。誰もしゃべらないから、みかげもおとなしく座っている。
 目の前に並べられる皿をただ見つめる。
「あ……」
 みかげの言葉に全員がみかげを見る。澪が眉をひそめてみかげを見た。
「それはブロッコリーだから、ちゃんと食べるの」
「さすが澪ちゃん。でもこれって小さな木じゃん。ゴムゴムしてるし」
「どういう食感表現よ」
「だって、ゴムゴムだもん」
 みかげはサラダのブロッコリーに眉をひそめる。
「このもさっとしたのがさ、なんだかどうも好きじゃなくてね、」
「だめよ、食べなきゃ」
 みかげは口をとがらせて澪を見るが、澪はなん食わぬ顔でブロッコリーを口に入れた。
それを見てみかげの口はますます尖るが、黙ってひとつ口に入れる。
「みかげさんはブロッコリーが嫌いなのね、次は気をつけるわね」
「だめです。何でも食べなきゃ。そうでなくても訳解らない嗜好なんだから」
「訳解んなくないよ、ただ、ジャガイモは好きだけど、ポテトサラダのあのぐにゅってしてるのがいやで、でもカレーとかシチューのあのとろとろは好きで、でもポテトサラダにはころころが入ってないといやなだけ」
「訳わかんないから、それが」
「そうかなぁ?」
 みかげは首を傾げながらアスパラを口に入れる。
「そうそう、春だね」
「ハイ?」
 徹が首を傾げる。
「いや、春だなぁって。昨日すごく暖かくって、今日なんかこうやって野菜たっぷり食べてる。一年で妙に生野菜を食べようと、それを続けたらきっと美肌になるなと決意をするころだなと思って」
 みかげの言葉に澪は徹に首を振る。
「変わった思考だね」
「正常のつもり」
 みかげはそういって微笑む。
 
 馬鹿か―。
 
 和矩は黙ってビールを口に含ませた。みかげは和矩を覚えていない。徹と一緒に座っていて一瞬でも、昨日の事でさえ覚えていてくれたのだろうか? と思ったり、みかげの声やしぐさを見て嬉しがっている自分を冷静にさせようと自嘲する。だが、みかげがする一つ一つのしぐさを目で追ってしまう。
 二回、三回と続くと、これは必然なのだろうか? みかげはまるで覚えていないのに。
 
 みかげが微笑んで租借する。
「おいしい?」
 みかげは徹に頷き、 
「澪が居るし、食事はおいしいし、かっこいい人もいるし、いやぁ、今日はなんて幸せなのかしら。……、明日辺り不幸が訪れるのかしらね」
 ほほほとみかげは笑い、首をすくめた。
 
 食事が済み、食後のデザートを待つ。机は片付けられみかげは肘をついて澪のほうを見て微笑む。
「気味が悪い」
 澪に言われみかげは口を尖らせ頬杖をつく。
「いつまで日本に?」
「一週間です」
「その間みかげちゃんの家に?」
「ええ、そのつもりです」
「じゃぁ、また一緒にどう?」
 徹はそういってみかげの方を見た。
「明後日からバイトが入ってて、澪も他の友達と会うでしょ? 結局、今日と明日、最終日辺りしか一緒に夕飯食べないんだよね」
 みかげの言葉に澪は頷く。
「じゃぁ、その最終日はどう? それとも、僕たちは邪魔かな?」
 みかげは徹のほうをじっと見て、
「美人に見られると照れるね」
 と笑い、最終日に食事をする約束をした。
 
 みかげと澪は送ると言った徹の言葉を丁重に断り、二人して歩いて帰る。
 みかげが鼻歌を歌いながら歩くのを澪が微笑んであとを追う。
「ヒーローかっこいいね」
 みかげの言葉に澪の歩くリズムがかすかにずれた。
 
 この子は変なところで勘が働く―。
 
 栗原 美樹がそういったことを思い出す。
 澪は黙ってみかげのあとに続く。
「みかげには、好きな人は居ないの?」
 澪の言葉にみかげは首だけ振り返り、
「今はね、いい人で、お客さんが言うには、店長はあたしが好きらしいんだけど、」
「興味ない?」
「いい人だよ、優しいし、堅実で、たぶんまじめ。でも、なんかね」
「違うんだ」
「あたしって、抜けてるから、どうぞ強く行動する人。のほうがいいみたい」
「そうね、引っ張る人がいいかもね」
「店長は常に私のことを気遣ってくれるけど、そういう気遣いはしんどいんだよね。いや、それも、そのお客さんに言われて意識してるから。意識する前はただ優しいいい人だったんだよね」
「付き合ってみたら? 解るんじゃない? 本当は強引な人かもしれないし」
「……そうね、案外、好きでいてくれてそのお陰で手を出さないのかもしれないしね」
 みかげはくるっと振り返り、首を傾げる。
「何?」
「向こうも意識してたよ」
 みかげの言葉に澪は俯き、
「そうね」
 と顔を上げる。
「あたし、彼に助けてくれって言われて助けられないで居るのよ」
「何よ、助けるって、」
「ふさぎ込んでいる時に側に居てあげられないのよ」
「そういう間柄なの?」
「誰でもいいんだと思うけどね」
「そんな安っぽい事言って……それでいいの?」
「あたしじゃつりあわないでしょ?」
 澪は微笑み歩き出す。
「好きなんだ」
「そうね。でもそれはアイドルとかそう言うのに憧れる感じよ」
 そういう感じよ。と澪は念を押すように呟いた。
 
10
 和矩の家の居間。宏樹はソファーに座り黙っている。和矩も黙っていてテレビの音だけが鳴っている。そこへ風呂から上がってきた徹が入ってきた。
「どうしたよ?」
 徹はそういって冷蔵庫のウーロン茶をコップに注ぐ。
「あれは、なんだよ」
 和矩が先に口を開いた。
「あれとは?」
「何で、何であいつが居るんだよ」
「昨日会った事覚えていたから」
「だ、だからって、」
 宏樹が和矩のほうを見る。
 和矩はそれに気付き黙って俯く。
「お前ってば本当に素直」
 徹は和矩の頭をくしゃりと握り、笑いながら座った。
「お前が昨日あの子を見て異常なほど動揺してたからな、なんせ、あの子からもらった五百円をしまって、自分の財布から五百円出してたろ、受付の子は驚いてたし、今時無いって、そういう純情は」
 徹はそういって和矩の方を真顔で見る。
「あの子だろ、お前が好きだって言ってた子」
 和矩は暫くしてから頷いた。
「会えるなんて思わなかった、近所に居たのに今まで会わなかったんだから、これからもずっと会わないだろうと思ってた。会えることも無いだろうし、でも、昨日……ありがとな」
 和矩の言葉に徹はグラスを持ち上げて徹らしい柔らかい笑顔を浮かべ、宏樹のほうを見た。
 宏樹は黙って窓のほうを向いた。
 
 和矩が仕事があると部屋に戻って暫くしてから、宏樹が立ち上がった。トイレか、何か用かは解らないが、徹はそれを合図に口を開いた。
「お前は、礼は無し?」
「……なんの?」
「彼女に会えただろ?」
 宏樹は黙って徹を見下ろす。徹はアメフトの試合を訳も解らずに見ていた。
「なんか難しいな、アメフトって」
 徹はそういって宏樹を見上げる。
「彼女の電話。かけるか?」
 紙を一枚指に挟んで徹が上げる。宏樹はそれを見たがそのまま部屋を出て行った。
「ありゃ時間かかるなぁ。てか、なんかあれば別なんだが、なんかあれば、」
 徹は首をすくめ、たぶん得点が入って盛り上がっているのだろう画面を見た。
「やっぱ、わかねぇ」
 
 

TOP

NEXT 2
Copyright (C) Cafe CHERIE All Rights Reserved.
--------------------------↓広告↓ --------------------------
www.juv-st.comへ


SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送