10 「とんでもない知らせ」

 チェスター少尉はたびたびビクトリエンス校を訪れるようになった。その度にチェスター少尉はレディー・アンを連れてよく散歩をした。
「レディー・アンは、あの聖堂の窓をすべて開けたんですってね?」
「ネリーに?」
「ええ、凄い歌を歌う伝説の先生だという噂ですね。」
「伝説ですか。」
 レディー・アンはくすっと笑い聖堂を見上げた。
「あそこで父のバイオリンの伴奏で歌ったんです。未だに恋人だったとかって言われますが、父なんですよ。生まれてすぐに生き別れていた父親です。」
「バイオリンを?」
「本当はトランペット吹きなんですが、肺に穴が開いてからはバイオリンを。」
「そのお父さんは?」
「死にました。もう五年になるかしら?」
「失礼。」
「いいえ。知らなくて当然だもの。」
 レディー・アンは微笑み、チェスター少尉を振り返った。
「今度は学校外で会いませんか?」
「いいえ。」
「あなたはいつもそう言って断りますね? なぜ?」
「街には、軍人が沢山いるから。」
「嫌い、ですか?」
「ええ。あなたが軍人でなければとよく思いますわ。」
「私は軍人に誇りを持っていますから。」
「ええ、知っています。でも、嫌いだという気持ちを抑えることは出来ませんわ。」
 チェスター少尉は難しそうな顔をしたが、レディー・アンは微笑んで「大丈夫、あなた自身を嫌いなわけでは無いわ。」と言った。
 ネリーと、ネリーの親友であるマーガレットと、ルーシーは三人で使用している窓からレディー・アンとチェスター少尉を見下ろしていた。
「またあなたのお兄さま来ているわよ。」
「知ってるわ。アン・トレイシーバーに会いに来てるの。」
 ネリーは呆れ口調でそう言う。
「好きなのね?」
「でも、アン・トレイシーバーはそう言う雰囲気を見せないの。」
「あら。でも結構いい雰囲気よ。」
「ねぇ、今度のクリスマスにでもくっつけてあげない?」
「どうやって?」
「二人っきりにするの。」
「それで?」
 三人は額をすりあわせて作戦を練りだした。
 そんなこととは知らないレディー・アンとチェスター少尉。
 チェスター少尉が軍人宿に戻ると、軍司令官に来いとの要請があった。少尉は車を飛ばして司令官へとむかい、中に入る。
「チェスター少尉です。」
 チェスター少尉の直属の上司に当たる、クールンガン中尉が紙を差し出し、「この数日の間にタリアが降伏、その後イツァも降伏するらしい。」
「本当ですか!」
「ああ、やっと終わる。」
「本当に。」
 チェスター少尉はクーリンガン中尉と握手をする。
「ところで、ここ最近どこに行ってる?」
「あ、それは……。」
 クーリンガン中尉はチェスター少尉の叔父に当たり、亡き父親に変わって親代わりでもある人なのだ。
「戦争が終われば、逢わせたい人が居ます。」
「今はなぜだめなんだ?」
「その人が、あまりにも軍人を嫌っているので。」
「反戦を口にする女は要注意だ。」
「決してそう言う人ではありません。尊敬できるし、素晴らしい女性です。ただ、軍人が嫌いなだけです。」
「お前が見初めた人だ。会うのを楽しみにしてる。」
「ええ。では、戦争が終結したら。」
「解った。この事は、まだ伏せておくように。」
 クーリンガン中尉が紙を叩くとチェスター少尉は頷いた。
 チェスター少尉はビクトリエンス校を訪れた。学校は少女達の笑い声で賑やかだった。少年達は道徳上の懸念だと言って、三年ほど前から、ここは女子校に変わっていたのだ。
「アン・トレイシーバーは?」
「アン先生ならお庭ですわ。お手紙が来てたから日向で読むとおっしゃられていたから。」
 チェスター少尉は受付に帽子を上げて礼をすると庭に出た。確かにレディー・アンは椅子に座って手紙を読んでいた。
「レディー・アン?」
「あら、チェスター少尉。ご機嫌いかが?」
「まぁまぁですね。ところで、手紙の拝読中お邪魔ではないですか?」
「ええ、結構ですわ。昔ここで一緒に学んでいたお友達からですの。子供が産まれたんですって。」
「それは結構だ。」
「ええ、何か贈り物をしなきゃ。」
「では、街に行きますか? お供しますよ。」
「……。くす。では、明後日はどうかしら?」
「明後日、イヴですよ?」
「約束がありまして?」
「いいえ。では、お迎えに来ます。」
「お願いしますわ。」
 イヴ。例年にないくらいの積雪の中、チェスター少尉の運転する車に乗ってレディー・アンは買い物を楽しんだ。
「子供に送る物って、何がいいのかしら?」
「さぁ。子供を持ったことがあるわけではないから。」
「あら。私だって。」
 二人は笑い合い、子供服を選んだ。その後、学校の子供達のプレゼントも選ぶことにした。
「昨日は、センクチェリアの方に空爆したんだってな。」
「らしいな。相手もしつこいよな。もういい加減降伏すればいいのに。」
 レディー・アンの顔色が曇る。センクチェリアと言えばタリアの街で、結構大きい都市だ。
「出ましょうか?」
「ええ。」
 チェスター少尉はそう言ってレディー・アンを近くの公園に連れ出した。
「タリアに知り合いでも?」
「タリア人です。私。ええ、二世というやつですわね。」
「それで。軍人が嫌いなんですか。」
「いいえ、それ以前の問題ですわ。父に肺病を与えたのも。お友達が収容所でなくなったのも、あまりいい話ではないでしょ。もう帰りましょ。暗くなってきたし、クリスマス会にも遅れますわ。そう、どうぞ今日はゆっくりしていって下さい。パーティーですから。」
 チェスター少尉は微笑んで二人は車で帰った。
 ネリーたちは今日の段取りを繰り返していた。
「いい、私がアン先生を呼んでくるから、ネリーはお兄さんを。マーガレットはその部屋に誰も入れないようにするのよ。」
 三人は頷いて、顔を合わせて微笑みあった。
 クリスマス会が始まり、プレゼントが交換されたり、食事が運ばれ始めると、一際少女達の声が華やいできた。
「アン・トレイシーバー。」
「何? ルーシー。」
「少しいいですか? ネリーが呼んでるんです。」
「ネリーが?」
 首を傾げているレディー・アンにミス・モニカが花束を持って近付いてきた。
 チェスター少尉はそのはなの行方をただ黙って見ていた。
「どなたから?」
 ミス・モニカや、大勢が見守る中で、レディー・アンはその花束のカードを開く。見た途端レディー・アンの顔色が曇り、花束を落としてしまった。
 花束は白い薔薇。
「アン・トレイシーバー?」
 レディー・アンはミス・モニカにその手紙を見せた。
「『ギーゼルベルト・ディートリッヒ死亡につき、生前の彼の願いであなたに花束を捧げます。ギルの親友より。』アン?」
「ギルが死んだ? 嘘でしょ? 嘘よね? 悪い冗談だわ。」
 ミス・モニカはレディー・アンを抱き締めた。
 レディー・アンがミス・モニカに連れられて部屋に戻ったあと、チェスター少尉はネリーたちにギーゼルベルトのことを聞くが誰も知らないと首を振った。
「ミス・モニカ。」
「チェスター少尉。今日は帰った方がいいわ。アン・トレイシーバーは、」
「ギーゼルベルトとは誰です?」
「ギーゼルベルト……。昔ここに居た生徒らしいわ。それくらいしか私も知らないの、何せ、私が来る前に戦争に行ったという話しだから。当時居た人たちはみんな巣立ち、結局アンと、そう、ミス・シューマンなら知ってると思うわ。」
「ええ、知ってるわ。でも、私の知っていることなんてほんの少し。彼らが仲が良かったことだけ。よく喧嘩していたけど、それは、お互いの才能を認めていたからよ。」
 ミス・シューマンはそう言って、ギーゼルベルトがレディー・アンを庇って崖から落ちた話しをした。
 チェスター少尉は学校の外に出て、レディー・アンが寝ていると思われる部屋の窓を見上げた。
「ギルが死んだ? 嘘だわ。そんなわけ無いわ。帰ってくると言ったもの。ギルは、ギルは……。」
 レディー・アンの部屋からその晩ずっとすすり泣く声が聞こえてきたのは、言うまでもなかった。

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