ハルよ、こい
松浦 由香
「鉛筆」「夜中」「恋」「お好み焼き」「ウインドウショッピング」「映画」
スプリングステークス出展作品



*始まり*
 花曇の空、ゆるい陽の中退屈な古文の授業を頬杖をついて小川 波留(おがわ はる)は聞いていた。
 この間からさっぱり進まない授業。上一段活用だろうが、ラ変だろうが、どうだっていいのだ。つまらないことばかりを聞くために貴重な時間を費やしたくはない。
 だけど、波留はまじめで、おとなしくて、いい子だから、黙って授業を受ける。黙って受けるだけ―。
「波留、」
 休み時間、それなりにいる友達の一人に声をかけられ顔を上げる。
「何?」
「帰り、お好み焼きでも食べに行かない?」
「いいけど、部活は?」
「テスト週間」
 波留は頷くと、承諾した。
 波留は再び頬杖をつき、窓の外のゆるい空を見上げた。

 放課後。気が進まなくなってきていたが、お好み焼き屋に入る。常連なので、主人も女将さんも顔を見ただけで注文を言い当てる。
「波留と一緒なのって久しぶり」
「部活してるじゃん」
 生の生地が熱々の鉄板に乗せられる。じゅぅっと上がる音。
「波留、部活戻らない?」
 波留は首を振る。
「ねぇ、」
「ありがと、でも、やる気が失せたのよ」
「惜しいなぁ」
 波留は鼻で笑い、
「ありがとうね」
 友達の手に軽く触れた。
 波留が部活、バスケットを辞めたのには大きな理由が二つある。でもどちらもただの逃げ口実。
 ひとつは足を痛めたから。試合中相手選手との接触でくるぶし骨折。歩けるし走れるけれど、あのリハビリは堪えた。だから辞めた。
 ひとつは、選手技能の限界。どんなにがんばってももうレギュラーを取れない。シュートしても、ドリブルしても、攻めて行くことへの恐怖と、守るための踏ん張りが利かない。と言って。
 目の前に座っている彼女のほうが、下手だった彼女の方がはるかに上手になったこと。に自信を失っただけ。ただの負け犬。そんなこと、彼女は知らないだろう。
 彼女は波留の手を引きウインドウショッピングを楽しんでいた。部活はテスト週間でない限り七時にも、八時にもなる。帰りは遅く、朝は早い。遊ぶなんてこんなときでもない限りできない。
「なんかさ、波留、部活辞めてから丸くなったよね、」
「丸い?」
「体」
「太った?」
「じゃなくて、女の子らしい体。あたしなんか、筋肉だよ、ほら」
 由紀は足をすっと伸ばして見せる。それは部活で作り上げたきれいな足だ。瞬発力に優れたいい足だ。部活を辞め、何もしなくなった波留の寸胴な体とは比べ物にもならない。
「いい足だと思うよ、バスケには」
「そう? でも、あんまり筋肉質もね」
「まぁ、年頃だしね」
「てか、彼に見せるにはムキムキ過ぎるし」
「彼?」
 由紀は少し顔を赤め、
「波留にね、紹介しようと思って」

 それって、ただの惚気じゃん

 由紀は驚いている波留に、街の中の時計を見て、
「そろそろ来るんだけどね」
 と辺りを見回した。

 つまんない

 波留はそう思いながらも、
「どんな人? かっこいい? あたしの知ってる人?」
 と質問を繰り返した。そして、ほとほと道化だとあざけてしまった。

 杉野 健也―。

 中学の時好きだった人。バスケ部で、彼見たさにバスケを始めたんだった。高校でもずっとバスケ部で、二年で主将をしてる。
「同じ、中学じゃない?」
 由紀が伺うのを、
「誰だっけ?」
 ととぼけてみる。
 渡しそびれたヴァレンタインチョコが胸に甘くこびり付く。彼は波留を良く覚えていたようだった。ずっと大声を張り上げていた奴―。
 煩いほどの応援だったら、試合中でも見てくれるかと思った作戦は良かったけれど、彼には邪魔だったようだ。
 三人で街を歩く。いや、波留は二人の後を付いているだけ、
「あたし、そろそろ」
 そう声をかけても二人には聞こえない。

 波留はそのまま振り返って人ごみに消えた。あのまま付いていってもしょうがない。何をするわけじゃなく、昔の甘い思い出さえ彼女は奪っていくのを、黙ってみているのは癪だ。
 波留は横断歩道で立ち止まり空を見上げた。
 大きくため息をこぼす。
「あ、メール、メール」
 波留は携帯を取り出し、「お邪魔虫は消える。じゃ、明日」と打って送信すると、鞄に放り込んだ。
 肩を上下させてため息をつく。
「自殺、するなよ」
 低い声に波留が振り返ると、黒い服の男が立っていた。
「ほら、青」
「え?」
 人が歩き出す。波留は彼に押されるようにして歩き出す。
 黒いタートルネック・シャツ、ジャケット、コート、パンツ。サングラス。怪しい男は波留の後を横断歩道を渡り終えるまでついてきた。
「何なんですか?」
 波留が立ち止まって振り返ると、男はすでに居なかった。わけじゃない。渡り終えると別のほうへと颯爽と歩き去っていたのだ。
「何なのよ、」
 波留は膨れて家路へと向かった。
 家に着いて気付いた。あの男のせいで由紀たちのことを忘れている。
 波留はベットに腰掛ため息をついた。
 昔好きだった人が友達の彼氏など、なんて世間て狭いのだろう。だけどその狭い世間でもあんな男は知らない。黒尽くめの男なんてなんかの話の世界じゃないか。

 翌日。
 教室では甘い話題が占拠している。誰に何をあげるとか、マフラーやら手袋を編む人の姿もここにきて急激に増えた。でも波留は頬杖をついて窓の外を見ているだけだ。そういうことに無頓着になっている。好きだったこと? そんなものすら覚えていない。
 波留は教室を出た。一人で居てもつまらない。だからと言って廊下に出てもつまらない。外は寒くて誰の姿もなかった。
 渡り廊下に立っていると、見知らぬ男子が職員室前に立っていた。その後から担任が出てきた。
「何やってんだ?」
 担任は立っている波留に声をかける。
「風邪引くぞ」
 担任はそういって通り過ぎる。
 波留は彼が近づくのをじっと眼を伏せ眼にして立っていた。こんな時期に転校生など、問題児以外ない。
「自殺、するなよ」
 波留が顔を上げると、細い顔立ちのきれいな男の子は波留の方をちらりと見て、担任の後を追いかけた。
「う、そ?」
 黒尽くめの男との再会? 顔なんかはっきり解らなくても声は彼だ。こんな時期の転校生?
 波留は教室に戻った。
 担任は彼のために席を用意している。彼は黙ってそれを手伝い、黒板のまん前に机を運んだ。
「あれって、成宮 一基じゃない?」
 後ろの席の由紀が波留の背中を突っつく。
「誰?」
 由紀が眉をしかめる。
 浮き足立つ教室の女子。彼を見かけた人の群れはすでに廊下から一目見ようと影を成している。
「かっこいい」
「はぁ?」
 波留が聞き返したときチャイムが鳴った。
 彼は成宮 一基だといった。転校理由は言わなかったが、関係ないだろう。あれほど彼のために編んでいた彼女たちの手を止めるほど彼は綺麗だったのだから。
 だが、波留は窓の外を見ていた。どうでもいいことだから。転校してきても、声をただで聞けたとしても、正直本当にどうでもいいことなのだから。
「小川、」
「は、ハイ?」
 担任がぼうっとしている波留を呼ぶ。
「後で成宮を学校案内してやってくれや」
 何で波留? と言う声が湧き出た。
「小川だけが関心無さそうだったから」
 と言う理由に、全員が納得したのか、ため息なのかをつく。
 休み時間。波留は教科書とノートを机に入れ、最後に筆入れを掴むとその前に誰かの影がある。顔を上げれば成宮が立っていた。
「案内」
「……、今から?」
「いつ行くのさ」
「……、」
 波留は立ち上がり、成宮は先に教室を出た。
 廊下はすでに人だかりができていた。
 波留がため息交じりに扉を閉めると、
「放棄、するなよ」
 と成宮が振り返って波留に言った。
「ほうき?」
「案内しろと言われたろ? 面倒だなぁとか思って、他の人に押し付けようとか、他がするだろうと逃げるなと言っただけ」
「……、解ってるなら、してもらえば?」
「ほら、またそうやってどうでもいいように言う」
「またって、……またって?」
 聞き返す波留の手を成宮は掴み廊下を歩く。
「痛いんですけど」
「とりあえず、人の居ない場所へ行こう」
「ないわよ、そんなの。あんたが居る以上」
 ずんずん歩いていた足が止まった。
「確かにそうだ。こういう時魔法とかってあったらば便利だとか思わない?」
「……能天気。……こっち」
 波留は寒々しい渡り廊下の扉を開ける。ごうっと巻き上がる寒風。
 成宮が扉の隙間を通るが、誰も出てこようとはしない。こんな寒いときに外に出たくないのだ。廊下の窓に人がたかる。
「向こうの校舎へ行けば下の階から(そこは吹きっ晒しじゃないから)人が湧き出てくる。まぁ、誰も邪魔されない場所と言えば、ここぐらいじゃない?」
「かなりさみぃ」
「案内したわよ、他は?」
 成宮は腕組をして地団駄をしばらく踏んだ後空を見上げ、
「いや、特には。どうせ、すぐに覚える」
「まぁね」
 波留は手すりに寄りかかり普段は人通りの少ない通りを見た。
「寒いなぁ」
「……ああ」
「何で転校?」
「教師とできたから」
「……ハードね」
 寒風が容赦なく過ぎる。
 二人は黙ってそのままでいる。周りの声や音はひどく大きく聞こえる。
「もうすぐで(休み時間)終わるよ」
「ああ」
 成宮が立ち上がると歓声が校舎から聞こえる。
「にぎやか」
 波留の言葉に成宮は首をすくめる。
「本当に、あんた俺の事知らないんだ」
「興味ないから」
「変わってるね」
「そうね、でも、黒尽くめで初対面に自殺するなと言うのも変わってるわ」
 成宮はにっと笑い、校舎へと向かう。波留はその後に付いて行ったがまるで成宮だけでいいかのように廊下には誰も居なくなっていた。一群はすべて成宮とともに行進する。変な光景だ。
 体育の授業。バスケットボールのクラス別対抗戦だ。波留はコートの隅でじっと立っている。
「足、痛いからぁ」
 と笑っていった後は、ただ黙ってゲームを見届ける。
 部活に入っていなくても、運動神経のいい子は難なくボールをコントロールしていく。綺麗なパスとシュート。二月前まで自分もああだったのに。とは思ってはいけない。思えば悔しくて涙が出る。
 由紀はやはり現役だ。綺麗なドリブルと、パス。高いシュート。さらに上手になっている。
「キャー」
 歓声が上がりゲームがとまって、隣のコートでも男子がバスケをしている。そちらに全員の目が向く。
 成宮がボールをとってロングシュートを決めたのだ。綺麗にしなった体、長い腕から解かれたボールは放物線を描いてゴールに吸い込まれていった。
 歓声が割れそうになる。
「波留、」
 ドンと波留の胸に由紀がボールを投げてきた。
「今、今」
 由紀がゴールを指差す。
 波留が二度ボールを落とし、ゴールに投げる。飛びもせず屈伸だけ。くるっ来ると回りボールは外れた。
「ブランクありすぎたぁ」
 波留のいい訳など誰も聞かずゲームを勝手に進めたと睨まれる。波留は首をすくめ再びじっと隅に居る。

*何故に、居る?*
 放課後、人はいっせいに成宮に集り、その間を縫う様に波留は教室を出た。
 マフラーで口を隠し、コートの襟を押さえる。
「寒すぎ」
  肩をすぼめマフラーに息を吹き入れる。学校は蜂の巣をつついたようなのは、テスト週間でみんなの帰宅が早いからだとして、それ以外に成宮が近づいていることも一因だろう。
「とっとと帰ろう」
 波留は歩き出す。いつもの道、いつもの電車。同じ停留所、変わらない近所を過ぎて波留は自宅に帰った。
 自分の部屋に入り込み、服を着替える。
 スカートを脱ごうとして目に入るバスケ部皆で撮った全夏季大会準優勝の写真。波留はその場に座り込む。あの大会で、波留は足を痛め、由紀と交代させられた。
 巧くなっていく由紀に、足が治らない苛立ちと、治ってから復帰できるかの不安で潰れそうだった。そして負けた。
「負け、犬」
 波留は呟いて制服を壁に放り投げる。
「んーな格好で居ると、かぜ引くぞ」
 がばっと顔を上げれば、隣の家(確か昨日までは無人だったはず)の部屋に成宮が居て、平気な顔でこちらを見ている。
「な、な、」
「とりあえず服を着ろよ、あんまりそのまんまだと起こりえない欲情も起きるかもしれない」
 むっときたが確かにブラジャーに、チャックを下ろしたスカート、そこから下着も見える。
 波留は胸を腕で隠しながら窓のそばに近づき、カーテンを閉める。
「いまさら隠しても、」
「煩い」
 怒鳴って、服を着て部屋を飛び出る。
「お母さん!」
 ばたばたと言う音に母親は眉をしかめ、不躾な娘でと客に挨拶をした。
「あ、すみませ……」
 絶対に親子だ。と解るくらい美人な女性が座って振り返り微笑んでいた。
「お隣に引っ越してきた成宮さん。あんた、一基君と同じクラスなんだって?」
 波留は頷き、気まずく後退りしようとして背中が誰かにぶつかる、振り仰げば無愛想な兄明人が立っていた。
「何やってんだ?」
「お客さん」
 波留の言葉に明人は今の成宮の母親に会釈をする。
「母さん、俺バイト」
「帰りは?」
「遅い。飯はいいや。行ってくる」
 明人はそういって出かけた。
「無愛想でしょ? うちの子たちって変で」
 母親の台詞かと思いながら、波留は部屋に戻った。
 カーテンは引かれているが、向こうでは聞いたことのある洋楽がかかっている。
 波留はため息を落とし、制服をハンガーにかける。
「いるか?」
 返事をしない波留に向こうの、成宮が窓をたたく。
「たたくな」
 カーテンの隙間から顔を出すと、成宮は噴出し、
「カオナシ」
 と笑い続ける。
「何よ」
「引越しそばならぬポテチ」
 と袋を差し出す。
「いらない」
「だろうな」
「何でよ」
「ダイエットしたほうがいい」
 むっときて成宮を睨む。
 成宮は悪びれる風もなく袋から一枚取り出しぱくっと口に入れた。
「そこ、あんたの部屋?」
「ああ、いけないか?」
「教育上良くない」
「誰のだよ」
 波留は口を尖らせてむっとするが、成宮は笑い、
「俺の部屋じゃねぇよ。空き部屋。お前の部屋がある以上、隣にできないって。俺は奥」
「兄貴の部屋の隣?」
「無難だろ。襲いやしないってぇの」
 波留は黙って顔を背ける。
「じゃぁ、何で声掛けたの」
「廊下、ドアが開いていて、通ったらお前が着替えてた」
「だから?」
「ただでヌード見ただけ」
「脱いでないわよ」
「思春期のうぶな男の子には強烈だ」
「どこがうぶよ」
 波留は舌を出した。
「で、今は何で隠してんの? まだ裸ってわけじゃないだろ?」
「部屋を見られたくないからよ」
「たいした部屋じゃなかったぞ」
「何よ、」
「名残惜しそうに飾ってるバスケの写真と、」
 波留は窓を音を立てて閉めた。
 成宮は首をすくめ、ポテチを口に入れ窓を閉めた。

 名残惜しそう? そうよ、戻れるなら戻りたいわよ。でも、もう一度補欠やって、玉拾いして、そんなの嫌よ。あたしのほうが上手だったのよ。あたしのほうが、杉野君を好きだったのに。

波留は写真を壁に投げようとしてそのまま机に伏せた押した。

 解ってる。どんなことを言っても負け犬でしかないことを。何もせずに居るのは私。由紀はがんばって勝ち取っただけ、逃げたのは私、偉いのは由紀。私なんか、

「自殺、するなよ」
 昨日の成宮の声を思い出した。
「するわけないじゃない、そんな痛いこと」
 波留は立ち上がると机に向かい参考書を広げた。面倒で嫌いだが勉強しているほうが楽だった。何にも考えずにただ書いていればいい。手だけは覚えるけど、頭はまるで覚えない。つまらない行為の延長。

 翌朝。
 波留が家を出ると、成宮もちょうど出てきた。
「奇遇」
「おはよう」
「おはよう。寒いな」
 波留は黙って歩く。
「自転車じゃないのか?」
「寒いのは嫌いだから」
「そう……、じゃ、俺も」
「何よ」
 成宮は首を傾げるだけだった。
 二人で並んで歩く。会話は無い。風は昨日と変わらず寒すぎて、体が強張る。
 電車に乗り込む。今日も、満員だ。
 波留が嫌そうな顔をしてため息を落とすと、成宮がすっと腕を掴んで抱きしめた。
「ちょ、ちょっと?」
 成宮の鞄が腰に当たっている。
「こうしたら、変な奴は来ない。逆でもいいがそれじゃ俺が痴漢呼ばわりされるだろ?」
 波留が眉をしかめるのを成宮は笑って吊革のバーを掴んだ。
 確かに変な親父の妙な息も、熱も感じないが、嫌な視線は感じる。
 学校よりひと停留所前で波留は降りた。
「どうしたよ、もう一個、」
「行けば? 歩いていく」
「何で、」
「あたし言ったよね、あんたが何もんだか知らない。由紀は知ってたけど、皆知ってるようだけど、あたしは、」
 ふわっと動き出した電車に成宮の顔が見える。
 波留がそれを見れば電車の車体広告に成宮が居る。
「え?」
 春に向けての整髪剤の広告で、「イキにキメる、春」というキャッチコピーがでかでかと過ぎる。
「あれ」
「俺、かな」
「かな、じゃ無くて、何でこんなとこに居るのよ?」
「学校行くから」
 波留は明らかに馬鹿にして首を振って歩き出す。周りが成宮に気付きだし近づこうとしている。多分一人が近づけば連鎖するだろう。

 ああ、嫌だ、嫌だ。

「相変わらずだな、ほんと」
 成宮はそういって波留の腰に腕を絡ませ歩き出した。
「ちょ、ちょっと、」
 ニコニコと笑う成宮に、唖然とするのは波留だけじゃない。
「何してるかわかってるわけ?」
「何が?」
「あんたってば、ゲーノー人でしょ? あたしなんかと」
「別に俺そんなのやってない」
「でも、」
 波留は過ぎた電車を指差す。
「母さんが広告屋なんだよ、で、高校生ターゲットのワックスのモデルでいいのが居ないって話になって、親ばかで推薦したら、ああなっただけ」
「だけって、」
 成宮は前髪をちょいとつまんで歩く。頭ひとつ高くて、すっきりした顔。多分、近所のかっこいいことかって投稿されてたりするんだろうなぁ。という顔。

*イラつくのは風邪だから?*
 波留と成宮はひと停留所歩いて学校に着いた。自転車通学の同級生たちが二人が並ぶ姿に見入る。いや、他の学校の人も見る。特に女子。いや、世間が成宮を見てから波留を見る。
「すごい劣等感にさいなまれる」
「何でよ?」
 成宮の言葉にむっときたが、波留は黙って向こうの歩道を見た。それに成宮もつられてみれば皆が並行するように歩いている。
人気者はつらいね」
 波留の言葉に成宮は真顔で波留を見下ろす。
「何?」
「やきもちやいてる?」
 と普段のちゃらけた柔らかい顔に戻った。
「あほ」
 波留はそういうと胸に空気を取り込み、校門をくぐる。まるで、

 まるで、戦闘体勢―。

 波留は息を吐き出すと、「普段」の無表情な波留になって玄関をくぐる。
「おはよ、波留。あんたすごいね」
「おはよ、すごい、とは?」
「成宮君と一緒に登校してる。おはよ、成宮君」
 由紀の言葉に成宮は由紀を見た後で、波留を見る。
「同じクラスの、清水 由紀」
「あ、そ。じゃぁ、おはよう」

 じゃぁ。って何だよ、その返事。

 波留の言いたいことが解ったのか、成宮は首をすくめ上履きに履き替えてさっさと過ぎていった。
「ねぇ、」
「別にね、来たくてきたわけじゃないの。隣に引っ越してきやがって、朝出掛けが一緒だったの。電車の中で変な奴にお尻触られないようにしてくれただけ」
 波留はまくし立てて大きく頷く。
「だけって、」
 由紀と並んで歩く。人が興味を持って見ている事は解る。昨日まで誰一人波留に関心のあった者なんか居ないはずだ。なのに、皆が見ている。気まずくて居心地が悪い。
「波留、」
 波留は眉をしかめて顔を上げる。物凄い形相をしていると思うが、いいのだ。階段の上に立って「波留」と呼んだのが成宮なのだから。
「季節でも呼んだの? それともあたし?」
「お前」
「呼び捨てにしないでくれる」
「そんなつれないなぁ。昨日あぁんなことした仲じゃん」
「してないでしょ! いい加減な事言わないでくれる?」
 成宮は鞄を振り回す波留から逃げるように廊下を走っていく。
「ふ、ふざけんなー」
 波留は握りこぶしを作りそう叫んで、はっと真横に立った担任に気づく。
「お前も、一応はそういう元気があるんだな」
「は、は、はははははは、はぁ」
 波留は肩を落として教室の、自分の席に雪崩座る。

 何なんだ、あいつは

 むっとしながら波留は教室に入る。
「おい、小川」
 クラスの男子が波留に声をかける。
「これやっといてくれよ」
「はぁ? 何、委員会の月報じゃない、あんたまだ書いてなかったわけ?」
「忙しくってさぁ。どうせ、お前暇だろ」
「……、しょうが、」
「波留にやらすな」
 男子の肩を成宮が掴んで低く言った。
「波留にさすくらいなら、初めから俺がするなんて言うな」
「な、何でだよ」
「波留の性格上、誰もしなきゃ引き受けるが、誰かがするといったことを横取りする奴じゃない。つまり、それをお前が持っている以上、お前がするといったんだろ? どうせ、その委員会のどっかのクラスの女子にかっこつけようとして言ったんだろうが、その子に飽きたか、その子に男が居たか、とにかくどうでもよくなって、今頃出してきたってのが、」
 成宮が言っている目の前で波留が月報を掴み、席に着いた。
「波留、」
「えぇい、煩い」
 波留は月報を広げ、さらさらと書き出す。しばらく唸ってようやく書き上げると、
「持っていくだけ、持って行ってよね」
 と男子に突き出す。
「すること無いだろう?」
「しないでいいものならしないけど、しなきゃ、あたしだって怒られるのよ。ばっかみたいじゃない」
 波留の言葉に成宮は口を尖らせる。
「それに、あたしが怒るのはわかるけど何であんたが怒るわけ? 必要ないでしょ」
「あるよ、波留だから」
 波留の体を一瞬のうちに熱が駆け巡る。
「な、何言っての?」
 馬鹿みたい。と言いながら椅子に座り、落ち着くために頬杖を付き外を見た。

 落ち着くんだ。

 でも、動悸と熱は治まろうとはしなかった。何で成宮はあんなことを言うのだろうか? まったく理解できなかった。由紀に相談したところでくだらないと一笑されるのもいやだった。第一、由紀には恋で悩む時間はあるが、親友の戯言に付き合う時間は無いだろう。波留はそう考える奴なのだ。

 波留は一人むっとしながら弁当を食べていた。教室では他に何人もがいくつかのグループを作って食べている。由紀が一緒に食べようと声をかけてきたが、気分が乗らないからと断った。

 ああ、煩い

 究極至極にイラつく。気分が優れないのは、体調でも崩しているのか? そう思えば、少々咽喉とか、関節が痛い気もする。
 波留は弁当を残しふたをすると、頷き立ち上がる。
「由紀、あたし帰る。どうも、風邪みたい。しんどい」
 そういってコートを着て、マフラーで顔を隠し、職員室へと向かう。
 担任は「そうか、まぁ、気をつけて帰れよ」と引きとめようともしなかった。
 この時期インフルエンザが流行りかけている事もあって、風邪ぎみの生徒は無条件で帰してくれるらしい。

 波留は電車の停留所に立つ。車が行過ぎる風が寒い。
「しんど」
 俯いて呟いた波留の頭を誰かが押さえつける。
 顔を上げれば成宮が立っていた。
「あんた、何やってんの?」
「誰だっけ、えっと、清水? 彼女が帰ったって言ってたんでね」
「だから、何で?」
「一緒に居たいから」
 波留が眉をしかめていると電車がやってきた。二人で乗り込むと、中年のおばさんたちが「さぼりね、親の顔が見てみたいわ」などと小声が聞こえたが、二人は無視した。
と言うより、波留はしんどくて俯いていたし、その波留の頭をなるだけ動かさないように成宮は自分の肩に宛がっていたからだ。

 やっばぁ

 朝起きてさえ気づかなかったのに、どうも完全に風邪のようだ。眼が熱の所為か滲んでいるし、吐き出す息が重い。
 降所に着くと、成宮は波留のカバンを持ち、腰に手を回して担ぐように波留を支えた。
 黙って歩く家までの五分。五分てこんなに長かったかと思うほど長い。そして遠い。そしてしんどい。
 波留は肩で息をしながらも成宮に支えてもらって家に着いた。
 家に帰れば、母親は近所へ回覧板を届けに行っている様で声はすれど姿は無く、波留は玄関に座り込んだ。
「上がって、着替えて、早く寝ろ」
「解ってる、わよ」
 そう言うが、体が煩くてどうしようもない。
 成宮は見かねたように波留を今度は抱き上げ、階段を上がり、ベットに横に降ろした。
「着替えさすと、お前の兄貴にぶっ飛ばされかねないけど、その首のボタン、二つだけは気道確保の意味で外すぞ」
 成宮はそういって波留の首に手を持っていった。
 ヒヤッとする冷たい指が波留の咽喉に当たる。

 冷たいけど、気持ちがいい

 とそのとき、部屋の戸が開き、
「何やってんだ!」
 と怒号の後、明人が部屋に入って着て成宮の肩を掴み、成宮の横っ面をぶっ飛ばした。
「ま、まって、兄さん」
 波留は咽喉を押さえ、かすれた咳を二つする。
「なる、なるみゃはは込んでくれて、息苦しいだろうからって、ボタンを外してくれただけ、変なことしようとしてないって」
 波留はそういって仰向けに寝転び、咽喉を抑え息を大きくする。
「と、とりあえず、着替えるから、二人とも、出てって」
 そういって二人を追い出すと、着替え、そのままベットに丸まった。
 体が痛い。苦しくて、体が千切れそうになる。前にもどこかで同じようなことをした記憶がある。子供のころ? そういう前じゃない。また別なもの―。思い出せないのは、重要でないから? とにかく、波留はその苦痛に体を丸まらせて眠った。

*夢の扉*
 ずっとずっと昔。そういうことだけ解る。でも、どこで、何なのか解らない。でもずっと昔。時代劇でさえあまり見られない昔。
 社会の歴史の教科書の最初のほうに出てくる感じなのかもしれない。でもそれも解らない。でもずっとずっと昔の世界。
 波留は明人と成宮と一緒に居た。仲がいい友達。でも年をとり、波留が大人になったとき、波留は明人の元へ行った。でもそれは本心でなかったのかもしれない。その所為で戦いが始まり、波留は目の前で成宮の死を見届けた。
 悲しくて、苦しくて体が千切れそうになった。こんな思いをするなら、二人のどちらも愛さない―。人を好きになるなんて、絶対にしない―。
 波留は眼が覚めた。でもそれは夢の中でのことだ。まだ夢の中に居ることを波留はわかっていた。白い白い世界はドライアイスが漂っているようなふわふわとしたものが棚引いている。そこで波留は立っていた。
 目の前にも波留が立っている。どちらの波留が意識を持っていて、どちらを見ているのか解らない。いや、どちらも波留には意識は無くて、その二人の波留を傍観しているのかもしれない。とにかく、一個は波留の意識と連動はしているようだ。
「ここは、どこ?」
「心底にあるあなたの思い」
「え?」
「あなたが見た物語の所為で私は恋しいと願う心を捨てた。それが寂しくて、侘しくて、どんなに辛いか解るでしょう? でも私には選べない。あの二人は私の大事な人だから」
「ちょっと待った。兄貴は兄弟だし、血のつながってて大事だと思う。でも成宮は、」
 言いかけて言葉が詰まった。うっすらと流れてきた上の世界、つまり現実の世界の成宮の声。
「波留」
 頼りない声。優しく前髪を払う冷たくて細い指。
 波留は黙って眼を伏せる。
「三人出会うのはこれは定め。同じ答えは二度は無いけれど、いつも私は選択を誤ってしまう。本当に好きな人の傍に居たいだけなのに。それさえも叶わないなら、私はまた心底深くに沈む」
 向こうに立っていた波留がそのドライアイスに解けるように沈んでいく。
 波留は眼を開けた。

 咽喉は相変わらず痛いし、頭も割れそうだった。近所の医者が来て、風邪薬を置いていってくれたらしい。インフルエンザじゃなくてよかった。と母親と明人は言った。
「成宮は?」
 おかゆを作りに母が姿を消したのを確認して波留が聞く。
「うつすと悪いからって帰ってもらった」
「そう……」
「付き合ってるのか?」
「はぁ? 何で?」
「……無頓着なお前が気にするから」
 波留は黙って眼を閉じた。
「兄貴は、あいつのこと好き?」
 明人は黙っていたが、波留の額を指で弾いて部屋を出際、
「あいつはいい奴だよ、昔から」
 と出て行った。

 兄貴モ同ジ言イ方ヲスル

 そういえば、成宮も初対面なのに波留のことを知っている口調だった。ずっとずっと昔から知っているような、あの夢はもしかして前世? じゃぁ、今のこの無関心無興味な性格はその所為?
 波留はそう思いながらもまた深い眠りに誘われた。
 今度は何かが光り、それが帯をつけて空へと放たれていく感じを受けた。随分と心が軽くて、清々しい気分が「戻ってきた」。

*心の平和を取り戻せ*
 翌日。波留はまったく夢のことを忘れた。何かを見たような感じはあったがまるで覚えていない。それよりも、あれほどしんどかった熱も無く、さらには妙なすがすがしさで体が軽かった。早く誰かと話したい。そんな気世話さ心が躍っていた。
「おはよう」
 居間に下りれば、おかゆを作って用意していた母親の怪訝そうな顔があった。
「あんた、大丈夫なの?」
「みたい。すっきりぃって感じ。ちゃちゃっとシャワー浴びて、それから学校行く」
 そういうと、空腹におかゆを詰め込み、シャワーを浴びに行く。
「さすがにシャワーは寒い」
 と言いながらも、何があってうれしかったり、楽しかったりするのか知らないが、楽しくてしょうがない自分を抑えながら、制服に着替えて玄関を出た。
 玄関のところで成宮が立っていた。心配したような顔に胸の奥のほうが疼いた。
「どうかした?」
「大丈夫かよ、風邪」
「ああ、風邪ね。ぜんぜんみたい。なんかチョー軽い。それより、あんたのほうが移ったんじゃない? 暗いよ顔」
 波留は笑いながら歩き出した。町並みはいつもと変わらず。寒さも変わらない。今日は昨日よりどんよりと灰色の空で、昼過ぎから雨でも降りそうな重たい空気がある以外は、心が晴れそうなものは無い。
 成宮は後から出てきた明人を見上げた。
「行ったぞ」
 明人の声に後押しされるように成宮は波留の後を追いかけた。
 波留は心が躍っていることに快感を感じていた。何でこんな気持ちを今まで感じなかったのか不思議でならない。でも、事実今まで一度も感じたことはない。
 電車に乗り込む。流れる景色を見ながら、昨日と同じく腰をカバンで押さえている成宮の顔を見上げた。
「ありがとね」
「はぁ?」
「なんか、ずっと言いたかった気がするよ」
「はぁ?」
 成宮が眉をしかめるのを波留は笑って首を振る。
「波留、」
「だから、呼び捨てするなって」
「……お前のことは、俺が守って見せるからな」
「はぁ?」
 首を傾げる波留に成宮は黙って窓の外を見ているだけだった。
 波留は首をすくめたが、
「そうね、成宮ならあたしを守ってくれるかもね」
「ああ、きっと」
 波留の言葉に成宮は波留をしっかりと抱きしめた。
 波留はそう悪くも無い成宮の腕の中で、これから始まるかもしれない思いに期待しているのだった。


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