約束〜遠い日の約束〜
松浦 由香


序章

 俯く癖がついた。
 大して面白くもないのに、笑える自分がいた。
 誰かの目を盗むように、意見を言えない自分がいて、
 でも、それがすべてだった。
 そんなこと、面白くもなんともない。
 と、判っていても、変える方法も、変える手段もない。
 ただ、なんとなく日常が過ぎ、なんとなく終わればいいと思っていた。
 人生なんて、あっという間のことなのだから。

 中学に入ってすぐ、あたしはどうでもよくなっていた。
 何をするにも、誰かを気にしなくてはいけなかった。それが先輩だったり、同級生だったり、先生だったり、親だったりするだけで、嫌なことには変わりなかった。
 いい子を演じている気はないけれど、そういうことをしなさそう。というイメージは守ったほうがよかった。
 そういうことというのは、あまりにも漠然としすぎた「悪い」ことだ。
 多分、勉強をしないとか、遊びに行ったままだとか、そういうことを指差すのだと思う。だから、出かけなかった。できれば学校にさえ行く気もなかった。
 家にいてもつまらなかったが、親が仕事で出かけている日中はたぶんパラダイスだと思った。
 だからテストのときは即効で家に帰ってきた。
 たった一人いる家は、昼間の暖かさもあって、平和で、本当に天国のように感じた。
 冷蔵庫の中身を取り出すことも、勝手にお菓子を食べることも、「そういう悪いこと」になるだろうと、妙な臆病で食べなかった。
 その代わりあたしは楽しみを見つけた。
 多分、それはもう一人のあたしで、でも多重人格症というわけではなく、単なる妄想癖だ。
 妄想の中の自分はいろんなものになれる。誰にでもなれて、誰とでも話ができる。かっこいい人にもなれて、かっこいい人とも知り合える。
 自分を傷付けに来る人はいない。みんなが自分の味方で、誰もが自分の言いなりだった。
 嫌な言葉も口にできたし、相手を傷付けても、自分の心の罪悪感には響かなかった。
 楽で、素敵な世界。
 でも、現実は違う。だから、現実には戻りたくなかった。本当に。
 どうすればこのまま居られるだろうかと真剣に悩んだ。ぱっと扉が開いて、見知らぬ世界にいけたならどれほどいいかとも思った。
 でも、扉は開かないし、見知らぬ世界もまた現れてはくれなかった。
 あるのは、つまらない中学生活だけだった。
 毎日通う同じ道。同じ風景は、あたしの心と同じように殺伐として、面白みにかけていた。
 笑っている子達を横目で見てしまう。何が面白いのか、さっぱり判らない。つまらなすぎる、現実。

 ある日、ぽかぽか陽気の中、テストで早く帰れた日だった。何月の何日かなんかさっぱり判らない。ただ判るのは、暖かな日だってことだけだった。
 周りは陽気に浮かれていたが、私だけは暗く沈んでいたと思う。
 みんなが楽しく歩くのに、私だけは重たく歩いていたと思う。
 だから、急に現れた人に驚いたんだと思う。

一章

 彼女の前に現れた人は、にこやかに微笑んで、彼女を見下ろした。
 短めの黒い髪は逆立ち、その頭に黒いサングラスが乗っていて、白い半そでのTシャツに、腕には黒いコートを引っ掛けていた。
 彼は困惑している彼女に対して、こともなげに、簡素に物事を伝えた。そして、彼女は彼と一緒に、近くのファミレスに入った。
 新手のナンパか、援助交際もどきだろうと、だが彼女にそれを拒むことはできなかった。
 この不思議な青年のどこに惹かれているのかさっぱり判らないが、それでも、危害はないだろうし、一緒に居て損はないと思ったのだ。
 ファミレスの中は、昼前の開店直後とあって、人が少なく、店員がすぐに水を運んできた。
「何でもええで、頼みぃな」
 妙な訛りのある言葉で喋る彼は、「ハンバーグオムライスセット」を頼んだ。
 彼女はミックスジュースと言ったのに、彼が店員に伝えたのは、「ストロベリースペシャルパフェ」だった。
 彼女は思った「お金が、足りない」。だが、そんなことなど気にもしないで彼はメニューを閉じた。
「何や? 辛気臭い顔」
 露骨に辛気臭いと言われることはない。そう言われると改めて自分が面白みにかけているんだと実感してしまう。
「お金……」
 彼女の言葉に彼は大袈裟に頷き、笑った。
「なぁんや、そんなこと心配しとったんかぁ。もちろん割り勘や。って嘘ウソ、俺がおごったるって。……、あ、心配してる? 疑りぶかいなぁ、相変わらず。しょうがない、あんまり聞いたことないけど、ああ、姉ちゃん、ねぇちゃんちょっと。すまんけど、お勘定してくれるか? ゆっくり食べたいねん」
 彼の申し出に店員は顔をゆがめたが、まだ客が少ない所為もあって、そういうわがままを通してくれた。
「1999円になります」
「じゃぁ、2000円で、釣りはええで、チップや。というても、1円だけやけどな」
 と白い歯を見せた。
 彼女は小さく微笑み、
「相変わらずだな」
と呟いた。
 呟いて、顔をしかめる。「相変わらず」という言葉は、親しい人に対して感じる感情であって、知り合ったばかりの人に対して抱くものではない。
 戸惑っている彼女に彼は優しく笑い、ポケットからタバコを出して一本吸おうとして箱に戻す。
「吸わないの?」
「未成年の前だから」
 ポケットに押し込み、彼女の顔を見返した。
「とりあえず、答えれる範囲内なら、答えることはできると思う。できないときは、諦めてくれ」
 冗談めかした言葉に、彼女は首をかしげる。
「なんか無いか? 質問」
「……、あなたの、名前」
「ああ、俺は、麻人。この際苗字は関係ないものとして、えっと、君は、カオルちゃん、か、イクコちゃん。イクラちゃんじゃないだろうけど、あと、」
 麻人の言葉に、彼女は顔をしかめ、思わず口に出した。 
「郁美です」
「…、やっぱり、イクかぁ。こういう字の「郁」だろ? で、ミは、美しいかな?」
頷き「美しくないですけど」
笑い「そんな事言うてへんて、おもろいなぁ、君も」
 郁美はむくれて俯いていた顔を上げた。
「変ですよ、私を知ってるみたいな言い方。あたしも、」
「ストーカーちゃうからね」
 店員が料理を運んできた。
 ボリュームのあるパフェに対し、ハンバーグオムライスは妙にこじんまりとしていた。
「なんか、セコイなぁ」
 麻人はそう言いながらもナイフとフォークを取り出した。
「君、前世とかって信じる? ああ、いきなりは引くかぁ。じゃぁ、運命とか、何や、安っぽい告白タイムやなぁ。でも、もし、この世に必ずという約束があって、それがもう一回会うことやとして、それが生まれ変わった今やとしたら、君、信じるか?」
 郁美は麻人を見た。麻人は郁美の視線など気にせずにハンバーグをすべて切り分けていた。
「あ? ああ、よう言われんねん。食べるだけ切れって。こんな微塵きりしてるのって、お子ちゃまだけやって、でも、めんどくさいやろ? いちいち切んの。で、切っとくねん」
 麻人はそう言って切り終わったあとはナイフを片付け、フォームだけを持って郁美を見た。
「どっから話してもウソにしか聞こえへんねんけど、どうしようか、そうやなぁ」
 麻人の口にハンバーグが入る。
「俺の話というか、俺が来た理由を話したほうがええかな? そのほうが、まだ話としては軽いなぁ。えぇっとな、もう、三年も前になるかな、その頃からひどい頭痛に悩まされてん。病院へ行ってもなんともないと言われる。でも確かに頭痛いねん。その頃から夢を見るようになった。暗い暗いところで、ほんま真っ暗やねんけど、自分の体だけは判る不思議な世界や。まぁ、夢やからね。その中で俺は体が動かへんねん。両手両足に枷がかかってあって、まるでキリストさんや」
 どちらの知り合い? と思わせるような言い方に、郁美は少しだけ口の端を緩めた。それを見て麻人も同じように口の端を緩める。
「最初はそれだけやってんや、それが徐々に、そのあと、もっすごいまっかっかぁになったり、それが火事で、自分はそれの中で生きながらにして焼かれてる! とかって慌てて起きたりしてた。それが一年ぐらい経って、なんかすっきりとして目が覚めたら、違う世界にいてた。時代劇に出てくるような山間の農村地区。見たいな場所や。俺はそこに居て、生きてた。すごく静かで、平和で、多分、今行ったら暇すぎて死によるようなくらい素朴な所やねんけど、そこでの俺はぜんぜん暇すらなくて、よく親の手伝いをしたり、……、ウソ、手伝えって怒鳴られてたなぁ」
 懐かしむような口ぶりの麻人は、思い出したようにオムライスを口に入れる。
「郁美ちゃんも食べ、溶けてきよるで」
 郁美は頷いて、クリームをスプーンに乗せる。
「平和やった。物凄く。多分、これは一生続くもんやと決め込んでたとき、村が全焼した」
「何で?」
「お、食いつきええなぁ」
 郁美が後悔したように目を伏せた。
「……、何でか、邪魔やってんねやろうなぁ。目的の場所に行くのに邪魔やった。それだけやろうなぁ」
「な、何、それ……」
「そういう時代やったんや。まぁ、そんな夢を見て、」
「判んないですよ、」
「まぁ、まぁ。夢のことはあとで話す。とりあえず、夢を見て、自分がすごく大事な約束をして、それを果たせなかったということだけが深く残ったわけさ。それが、親友である郁佐(いくさ)に会うこと。郁佐って言うのは、郁美ちゃんの郁の字に、土佐の佐。俺が昔飛麻(あすま)という名前で、今は麻人というから、郁何とかか、もしくは佐何とかやと思うてん。近い名前を言い寄ったから驚いたやろ」
 郁美は頷いた。
「夢の中でもう一個果たせなかった夢というのがあるけど、もうそれはどうでもよくなってきてた。ただ、郁佐にあわないかん。あいつに会う。そればっかりしか。もう、昔も今もなく思い込みだして。とはいえ、他人に言うても笑われるだけやから、ずっと黙り続けて一年が過ぎた。一年しか我慢でけへんといったほうが無難かもな。そう思ったらすぐに会いとうなって、でもどこの誰なんか判るはずなかった。だから旅に出てみた。最初は、東か、西かで迷うた。おりしも冬や。北海道の蟹はうまいやろうと思ってた俺に、夢はなんか見せおった。ここに居るって。で、この町に来たのが一週間前。そして思った。この町に郁佐が居るって。気色悪いねんけどな。こっちに居て、あそこに居てって、わかんねん。変やろ? 変やねん。もっすごい」
 麻人は急に黙った。
 しばらく黙り、咀嚼さえもせずに居た麻人は顔を上げ、
「そこで見つけた。いや、会ってどうこう言うわけじゃない。君が覚えてへんことのほうが普通やから。ただ、ああ、居てるってだけでよかってん。ほんま。そしたら、君、なんかすごく寂しそうで、辛そうで、見てたらなんか、声掛けとうなってきて、とりあえず一週間我慢した」
「……、我慢が足らなかった」
 郁美の言葉に麻人は笑い、
「そう思う」
 と笑った。
「でも、やっぱり会ってよかった。あのまま帰ったら、今度は別の意味で後悔しそうやから。とはいえ、俺と会ったばっかりに妙なこと聞かされる羽目になった君には悪いけどな」
 ハンバーグとオムライスが一口だけになった。
「会ってみて、どうです、私?」
 郁美の言葉に飛麻は首をかしげ、口を緩めた。
「郁佐って奴はね、まっすぐで、正直者で、ウソのつかれへん奴やってんよ。その代わり俺は嘘つきで、ひねくれてた。郁佐はどこに居てもわろうとって、いつも誰かのことを気にしてた。それは臆病な目じゃなくて、気が利く目や。病気しとんとちゃうか? とか、今日は元気やなぁとか。めっちゃ明るい奴やった。俺はそんな郁佐が好きで、うらやましくて、いつもなれるものならと思ってた」
「今は、そうだと思いますよ」
「おおきに、今の君は、……楽しいか?」
 郁美は首を振った。
「がっこ、楽しくないか?」
「学校だけじゃない。どこに居ても」
 麻人はため息をこぼした。
「最初見たとき、この子、自殺しよんちゃうやろうかって思うた。そんくらい暗かった。もしかして、俺がこんなんなったから、君の明るさまで奪って生まれ変わったんやろうか? なぁんて思った」
「そう、かも」
「そんなんあかん。なに言うてんねん。君は本当の君を知らんだけやん。楽しいことはたくさんある。それにまだおうてへんだけや」
 郁美は麻人を見つめた。麻人はその目に首を傾げる。
「何や?」
「楽天家、ですね」
「とりえやから」
 麻人は笑って店員に皿を下げさせた。
「食べへんの? もう、アイスかなんか判らんようなってんやん」
 麻人はそう言いながらスプーンでパフェをすくって口に入れた。
「あまぁ」
 舌を出す麻人に郁美はふっと鼻で笑い、昔同じようなことをした感触を覚えた。
 その記憶は自分がどこか遠くに居るような記憶で、幼稚園でも、それ以前でも、小学校でもないところの記憶だ。
「あの、夢の話」
「夢? ああ、……、じゃぁ、これは小説か、漫画の話ということで聞いてくれるか? そのほうが、不思議やなぁ。と思うことも何とか気にせんでええと思うから」
 郁美は頷いた。
 麻人の話は、本当に小説か、何かのようだった。

二章

 たとえば、世界一のダイヤが転がっていても、美人がたくさん居ても、この村の美しさに比べたらそんなもの石ころほどの価値もない。山間にある小さな村だったが、多分、その時代一番の裕福な村だったと思う。
 暮らしは確かに貧しく、天候によっては首を吊らなきゃいけないかもしれない。それでも村人たちは平和に、静かに、穏やかに暮らしていた。
 その日も同じように畑へ行けるものが畑に出向いていた。畑は少し山を下った斜面にあって、年寄りと、子供、女のほとんどは留守番をしていた。
 郁佐と飛麻は畑仕事に出かけた。
 麻人が話すところの前世の二人らしいが、麻人は郁佐という少年と飛麻という少年が居たと、物語のように呟いた。
 郁佐と飛麻は幼馴染で、村一番のやんちゃ坊主だったらしい。村は連帯感が強く、村に居るすべての大人が彼らの親や親戚、時には兄弟や、友達にもなってくれた。
 毎日のように畑へと出向いてしばらくして、昼餉の匂いが漂ってきた頃だった。
「そろそろ村に戻ろうか?」
 そう言い出した一同の目に黒い煙が見えた。
 その黒煙は釜戸の煙なんかじゃない。あれは大きなものが燃えている煙だ。
 一堂は大急ぎで走り戻った。家が近づくにつれて見えてくる赤い炎。
 村は何かが過ぎたようにめちゃくちゃに壊され、昼餉の用意をしていた所為で、それが釜戸の火を起こし、村があっという間に火の海に飲まれていたのだ。
 消火活動をしても、やっと収まった頃には夕闇が迫り、家も、人も炭になって残っているだけだった。
「誰が、こんな……」
 悔しいやら、憎らしいやら、それが村人の不注意でないことはすぐに判っていたのだ。
壊されていた家々の間に馬の蹄の跡が残っていたのだから。
 たった一人その中で生き残ったのは、郁佐の妹で、もともと体の弱かったみよだけだった。
 大人たちはみよに何があったのかを聞いた。みよの話は支離滅裂だったが、それでも、偉い侍が村を通るのには、村の道が狭く、貧しい村一つぐらい壊したところでかまわない。そうして通っていったという。
 唖然として誰も声すら出なかった。そんな理由で、この美しい村を廃墟にし、多くの人を殺していいのか? そんな暴挙が許されるのか?
 みよはそれから暫く熱にうなされ、病弱な体はますます弱っていった。
 残ったものはどうにかしてこの村を廃村に追いやった侍の名を知り、そいつに復習しようと考え始めた。
 侍の名は、織田信長。天下で知らぬものは居ないといわれる名将だが、この村の生き残りだけは、そうは思わない。あんな悪鬼羅刹な奴が国を治めて、国が平定するとは思えない。
 信長が憎ければその家臣も憎い。それはついで戦国武将すべてが憎く感じてしまうほどだった。
 残ったものたちはどういう伝手だか忍者と知り合った。忍者と言っても、テレビなどで見るヒーローではなく、単なる闇討ちや、奇襲の手段に長けた者たちのことを言う。郁佐も飛麻もその仲間に入り、信長を倒すため血反吐を吐く思いで訓練を受けた。
 そうして、信長が京へと上り、あとは征夷大将軍となるだけだという本能寺での夜。
奇襲組みと、守備組みに分かれて本能寺へと向かった。
 奇襲組みは本能寺へと入り、信長を直接襲う。だが、名だたる武将を引き入れている中に居ては信長に到達することは難しい。そこで、奇襲組みを天守閣近くまで誘導する守備組みが居た。そして守備組みの中には、寺から万が一逃げて出てくるようなことがあれば迎え撃つための後組みも居た。
 飛麻は奇襲組み、郁佐は後組にされた。理由は、みよが居るからだった。だが、郁佐はそんなことは知らない。みよのために生かされるなど。
 子供だった二人に、この組み分けの理由は聞かされていない。ただ、郁佐はその人懐っこさでいろんな町の情報を仕入れる係りだったし、飛麻はその神経質さで、奇襲組みに入っただけだ。
 そうして、今まで幼馴染だった二人はこのとき初めてといっていいほど離れた。
「また、遊ぼうや」
 そう言った郁佐に飛麻は手を握り返し、力強く頷いた。
 だが結果は、飛麻は寺に入り、信長の前まで行ったのだがそこに控えていた森 蘭丸によって討たれた。
 信長が寺で自害したと伝えられているが、あれは影武者であり、本物は裏から危険を察して逃げた。
 それを見ていたのは郁佐だけだった。郁佐は信長を追いかけ、それでも、蘭丸の影武者である乱丸によって討たれた。
 倒れた体を動かそうにも、真っ赤に燃える中では動かない。外に居る郁佐に、信長は逃げたと伝えたいのに、喉が焼け付いていく。
 もがいてやっと見えた視界には燃え盛る寺。あの中に飛麻は居る。手を伸ばしてつかめるのははこべらの草だけだった。

―会いたい―

三章

「まぁ、そう言った昔話があったわけさ」
 麻人はそう言って郁美の様子を伺った。
「もし、……、」
 郁美は言葉に詰まる。なにをどう聞いていいのか分からなかった。
 麻人はパフェグラスの底にへばりついたコーヒーゼリーを掻き出す。
「もし本当なら、どうしたらいいの? って感じ?」
 麻人の言葉に郁美は頷く。
「そりゃ、俺にもわかんねぇ。どうしたらいいんだろうね? どうする? と言っても、今の世に居る信長を討ちに行っても、それは犯罪になるだけだし、昔の怨念を持ち続けるのも、それはそれであほらしい気もする。ただ、郁佐に会いたい。それだけで出てきたからな」
 麻人は頭を掻く。
 店員が皿を下げに来た。
「会って、どう?」
 麻人は郁美を指差す。郁美が頷くと、麻人は微笑んだ。
「正直、女の子でよかった」
 その笑顔に、多分「昔話」を聞かなければ素直に好きになっていくだろうと思う笑顔だった。
 郁美は目をそらした。
「女でよかったって、どういうこと?」
「確かに、郁佐には会いたい。でも、野郎だったら、遠めで見て、「よし! 元気だ」とか言って帰るつもりだった。絶対に男だと思うてたから。でも、郁美ちゃんで、ほんま大丈夫か? ぐらい心配になって。郁佐の生まれ変わりやと思うと気色悪いねんけど、かわいいのに、損してるなぁと思ってね」
 郁美は俯いて顔を赤くした。
「それで、どうしたらいいのかな? どうすればいいのかな?」
「っていうかね、郁美ちゃんは昔の事、思い出せてへんやろ? わざわざ俺に付き合って思い出した振りせんかてかまへんねん。それに、あれは「昔話」や。ああ、そうや、これも新手のナンパや。って事で、深く考えちゃ、あかんで」
 麻人はそう言って首をすくめた。
「確かに思い出せないけど、でも、すごく安心する。初めて会ったのに、変だとは思う。それが、「昔話」の所為かどうか分からない。でも、少なくても、麻人さんに会う前よりは楽しい。確かに、麻人さんに会う前は、すごくつまらなくて、憂鬱で、死ぬことは考えないにしても、どっかへ逃げ出したくて、妄想癖がついて、だからかな、麻人さんの話も、別に完全否定もできない。確かにそういう癖を知ってて、そこに付け入ったナンパか、詐欺だとしても、なんだか安心してるの。不思議だけど」
「素直に喜べへんなぁ」
「変な事言った?」
「いや、いいんや。そやねん、いろんな女の子にも「麻人はいい人ね」で終わりよんねん。いい人は、恋人には向かないけど、とっても「扱いやすい人」って言う意味やねん。ああ、そうやねん、安心するなんて、なんて野生のない奴なんでしょ」
「あ……、う〜」
「ウソ、ウソ」
 麻人は大袈裟に笑った。
 この笑い声もなんだか好きになっていく。

 喫茶店を出て暫く歩く。
「あの、麻人さんていくつ?」
「いくつに見える?」
「二十、三、四?」
 麻人の目が点になり、少々口がとがった。
「だって、タバコすってるでしょ?」
「ああ、いや、そうだっけかなぁ?」
 麻人は空を仰ぐ。
「いくつ?」
「17」
「ウソ!」
 麻人はコートの胸ポケットから学生証を取り出した。
「N高校。って、あの? 市内じゃないですか! しかも、超有名高校。マジで?」
「マジで」
 郁美は学生証の顔と、麻人を見比べる。偽造するほどの代物ではないし、N高校は私服だったから、今私服なのもおかしくはない。
「ウソ……」
「悪かったね、老けてて」
 麻人は口を尖らせ先を歩いた。
 あの癖だ。怒ると口を尖らせて先を歩く。
 郁美はくすっと笑って麻人の背中を凝視した。
 麻人の背中に農家の少年の姿が重なっているように見える。後ろてに結んだ髪。自分より少しだけ高い背。いつもは少し後からいつも背中を守るようにしてくれているのに、怒ったときだけ前を行く。
「あす、ま」
 郁美がこぼした言葉に麻人が振り返る。
 懐かしい気持ちが胸を占拠し、こみ上げてくる熱いものが涙となって流れる。
「郁美ちゃん?」
 郁美はその場にうずくまった。
 思い出したのは、その背中だけ。なのに胸は窮屈で、切ない。会いに来てくれたのに、覚えていないことも悔しくなってきた。
「思い、出せない」
「いいよ、無理しなくても。思い出すほうが、よっぽど変だから」
「でも、大事な約束だったんだよ。それが思い出せない」
「会えたじゃないか」
 郁美は頷く。
 でも約束はそれ以外にもあったはずだ。絶対に守らなきゃいけない。その一心で、その後姿を、笑顔を、名前を覚えていたはずなのに。
「近くに居ること分かってんから、また会えるし、」
「引越しとかないの?」
「ないと思うなぁ。何でや?」
「だって、なまってるし」
「ああ、これな、何でかなぁ? 親も、親戚も関西人居てへんねんけど、何でか俺だけこないな喋り方で、でも、関西行ったら、偽関西人やて言われんやろうけど。とにかく何でか俺だけがこんなんやねん」
「へんなの」
「悪かったなぁ」
 郁美は微笑んだ。涙で濡れた頬が少しだけ痛む。
「ねぇ、」
「何や?」
「思い出すまで、友達でいてくれへん?」
「なんて?」
「友達で、」
「あ、それはええねん。そやなくて、何で急に関西弁なん?」
「わからへん。移ってもうたみたい」
「そんなわきゃねぇだろ」
「そう?」
 二人は笑いあう。
「やっぱり郁佐は、笑ったほうがいい」
「郁佐?」
「郁美ちゃん」
 郁美は首をすくめ、手で涙をぬぐって立ち上がった。
 道端でしゃがみこんだ二人を、変な目で通り過ぎていた通行人もこの際気にならなかった。
「あたしの、最初の友達」
「勝瀬 麻人」
 麻人は手を出さした。
その手を握り返す「鈴木 郁美」

 昨日まで見ていたものが夢だったのか、今日見たものが夢なのか明日になれば判る。明日も、あさっても、残って居ればそれはきっと現実だ。
 そんなことをしなくてはいけない、そんな思いをしてしまうほどの出会い。
 多分、平和に普通に、友達ができて、楽しくて仕方がなかったなら気づかないだろう。たった一人の友達を得た喜びを。
 明日、彼に会うことが楽しみで仕方がない。眠ることが惜しまれるほど、今日がいとおしい。
 あの頃の自分も、そう思っていたのだろうか?

終りの章 約束
 はるか昔に交わしたかもしれない。でもそれを今でも覚えている人はまずいない。居たとしても、今、現在それを守ろうとはしない。
 だって、時が経ちすぎて、相手が判らないのだから。でも思う。きっと、ずっとそばにいたいと思う気持ちだけがずっと変わらず活き続け、そして繰り返される生命に乗っかっている気がする。
 だから会えるんだ。
 親子
 兄弟
 友達
 恋人
 そのどれもが、きっと必ず会おうと約束した相手だとしたら、
 そのどれもが、ずっと好きで、守りたいと思った相手だとしたら、
 どれほど素敵だろうか。
 今なら判る。あの頃の約束。思い出してはいないけど、でも分かる。
「俺は、飛麻を守る。友達だから、ずっと、一緒に居る。約束する」

終わり


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