赤い空にたむけの蒼い水 此処が何処だ? と聞かれるとたいして詳しい説明ができるわけではない。だが、此処が自分の部屋で、その自分は、拘束に値するほどの身動きの出来ない格好で肘置きに寄り掛かっている事だけは解った。 長くうっとうしい髪、重い着物。ああ、平安時代だ。と解るのにもそれほどの時間を要しなかった。ただ、平安時代と、鎌倉、奈良、その時代の服装区分が定かでないことを除けば、これはまさに十二単と言うものであり、想像に値するほどの重さだということだけは解った。 床を歩いてくる音がする。急ぎ足の大股だ、側に居た人影、これが面白ことに、彼女たちには用が無いかのようにその顔、その容姿、着物の柄に至るまで影が落ちあまりはっきりと見えない。 ―夢か― そう思って顔を上げると、これまた奇妙なことに自分の父親の高揚した顔、着物はたぶん、狩衣とか言う貴族服なのだろうが、それがまた影が落ちてはっきりと解らない。 それとも、自分が勉強不足なために、柄の知識が無いから影が落ちているのか。 ともかく、父親は興奮気味に喜ばしい顔を自分に向けている。 「――姫、」 ―ナニ?― 父親がなんと呼んだのか聞こえなかった。だがそんな不都合を無視して父は話す。 「そなたの縁談が決まった。今夜夫が参られる。心して待つんだ」 ―夫?― 自分の意志と反して肯く体。 この時代、こうして縁談が持ち込まれるのは行かず後家となった人ではなかっただろうか? ほとんどが夜這いをかけられ、あっという間に通い婚成立ではなかっただろうか? 胸が苦しいのは、帯や服だけの所為ではないようだ。 あっという間に夜がくる。それも夢のおかげだ。 ぎし 回廊がきしみ、雨戸が開けられた。 部屋中に明かりがあったはずなのに、一個、一個とろうそくの火が消され、残すところは廊下に近いずっとはずれの一戸だけ。しかもそれは女房たちが帰るためにつけられている一個で、細く、そして弱い明かりだ。 だが、それでも無いよりはましである。近付く男の影に胸が高鳴る。どういう挨拶をすればいいのか解らないが、とにかく口元は隠したほうが良さそうだと、体と一致して手が口元に伸びてすぐ、その手を掴むように夫となる男はすばやく近付いてきた。 「碓氷 ―……!― 自分の目を疑った。そこに居るのは、転校生_荻原 耕輔 何故? と聞くまもなく、耕輔は自分の腰紐を解き、手馴れた様子で自分を裸にしていく。恥ずかしさで身体をねじれば、そのうなじに息を吹きかけてくる。 「お逃げになるな、いとしの君」 玲 床に座り込み、ため息をつくと、床から心配そうに顔を伺うものが生えてきた。 「お方様?」 玲がそちらを向く。 床から半身だけ出ている青い身体。翼が生えていて、胸にも羽毛が生えている。彼女のようなものを鳥獣と呼び、空を飛べる。玲の側に必ず居て、玲の心拍が乱れるとすぐに現れ、玲の持っている鬼の中でも力のあるものに伝達する。まるで「女房」だ。 玲は首を振り、 「夢を見て、暴れて落ちただけ。落ちるなんて、久し振りだし、高校生で落ちるなんて、ね」 玲は立ち上がると、背伸びをした。鳥獣は床に消え、部屋はいつもと同じく静かになった。 玲が部屋を出て階段を下りると、母親が心配したように台所から顔を覗かせた。 「凄い音したけど?」 「ベットから落ちた…、」 「運動会の夢でも見たの?」 母親のからかう笑い声が消える。玲は居間に座りぼんやりとテレビをつける。 「未明、警察のほうに爆発したような音がしたと通報があり、警察が出動。現場とされる場所に向かってみると、私の背後に広がる大きな穴が開いていたと言うのです」 レポーターのミステリアスな紹介のあと、バス六個分と言われる大きな穴が映し出された。 深さは二〜三メートルほどだが、バス六個を並べた幅には絶句する。しかも、真夜中「ボン」とも「バン」とも似つかない地響きを伴う音がしたというのだ。 不幸中の幸いと言うのだろうか? 真夜中の山道で、人通りは無かったし、民家からも外れた場所だけに、被害は道路だけだった。とはいえ、観光シーズン真っ盛り、その道は観光バスの行路として予定していた旅行会社が多数あって、その損害を除けば、誰の迷惑もかかっていなかった。 たぶん、あの道を直すために作業員が借り出され、少しの間とはいえ、職には不自由しないだろう。 玲はそんなことを思いながら、母親が出してくれた朝食を食べる。 「晩御飯、一人でいい?」 「は?」 「今日、お父さんと食べに行こうかって話になって」 「のけ者?」 玲は自分を指差すと、母親ははにかむような顔をして、 「結婚記念日だもの」 可愛らしい母親を持ったものだ。玲はため息をついて肯いた。 「いいよ、いっといで、なんか探して作ってみる」 「ありがと、お土産買ってくるから」 「いいよ、楽しんでくれば」 父はすでに会社に出かけていていない。通勤に時間の距離だと、朝会うことは稀だ。母もパートがあるから、徐々に化粧をして、徐々に働く女性へと変わる。 玲も制服に着替え、そして家は誰も居なくなる。 玲が校門を潜ると、朝の慌しい、それでいて新しい朝の風景でにぎわっている玄関が見える。その玄関で上履きに履き替えている耕輔が見える。 ―お逃げになるな、いとしの君― 玲は首を振り、意を決して玄関に入る。 「おはよ、玲」 顔を上げると、同じクラスの吉村 千沙 「ああ、おはよ」 「見た?」 「ナニを?」 「テレビ」 「……、どんなの?」 「ニュース。あの大きな穴」 玲が不思議そうに見返しているのを千沙が笑って答える。 「あたしだってニュースくらいたまーに見るのよ。ねぇ、あれは絶対にミステリーサークルよね」 「……、巨大すぎない?」 「そんなこと無いわよ。あれは宇宙人の仕業よ」 千沙の言葉に玲は首を振り、ため息を落とす。 「もしかすると、鬼かもよ」 耕輔だ。玲は顔を嫌々上げる。千沙が失笑し、玲の肩を数回叩く。 「いまどき鬼だって、おかっしぃ。荻原ってなに、そういうミステリーって好きなわけ?」 「前の学校で、不思議探求部。略してフシタン部に所属してたんでね」 「へぇ、面白そう! で、どんなこと調べたわけ?」 「たとえば、学校の七不思議。って何処にもあるだろ? それの信憑性とか、何故それが流行ったのか。無い学校だってボツボツあるわけだからね」 「それで?」 千沙と耕輔は並んで教室に向かう。 ―意識しすぎだ― 玲は呆れるほど耕輔の唇を意識している。少し動くだけで、音ともに漏れる息とか、そういうことに過剰意識している。 玲は屋上に上がってきていた。一人になるには此処が一番だ。だが、此処で心拍の乱れを起こすと、鳥獣が出てくる。 「どうした?」 玲が振り返ると流 流とは玲の持っている鬼の中で一番強い力を持つ。例えばの話だが、玲を王様だとしたら、鳥獣はそれに使え、世話をするもの。流は大臣、参謀と言うくらいに値するかもしれない。実力人望から言えば流の方が遥かに玲より王らしい。 だが、世の常なのか、流のような才気ある者は、必ず二番手に下がり王を支える。ふと浮かんだ名前を聞けば、何と無くその位置が解るのではないだろうか、まさに彼は、諸葛亮孔明だ。 「お前がいきなりくるなんて」 「出てこられないんだよ」 玲が顔をしかめる。 「お前が、碓氷 頼近 「考えてなど……、」 玲は俯く。 風が過ぎていき、屋上の遥か向こう側に鳥獣が姿を見せた。 「流、前世というものは本当に人間を縛っているのだろうか?」 「は?」 「前世の記憶、前世の思い、それらは全て現世に持ち越されるのだろうか?」 「まぁ、たまぁに覚えているものはいる。でもそのほとんどがその記憶、その意思が無く実行している。それに、ごくごく普通に生きて死んだものは、そういうしがらみを背負わない。今度生まれ変わったら別な誰かと結婚する。誰かを愛し、必要とする人間全てが変わる。別に縛られていることも無いから。だが、究極至極の人生を負った者ほど前世に縛られる。その者以外を愛せず、その者の敵を討つしか能が無く、それだけに生きる。人間の本来自由である思想が前世と言うもので縛られる。だから、そんな記憶は持たないのが普通だ」 「だが、あいつは持っている」 「だから、たまぁにいるって」 「私にも、前世はあったんだろ?」 「たぶんな」 「前世で私は鬼使いではなかったのか?」 「前世が鬼使いだから、現世でもと言うのも少ないんだぞ。それはもって生まれた星の宿命だ」 「前世がそうであるなら諦めもついたのに」 「そんな諦めは、戦っていく上で邪魔だ」 玲は流の目を見入った。じっと見つめる目に生気は無いように感じられた。 「流、私は何のために戦っているのだろうか? 鬼の力を得て、見なくていいものが見られるようになった。そしてそのものの中で邪魔だと思うものだけ排除してきた。たぶん、このままずっとそれで構わないだろう。でも、お前が「主」として私を呼んだのには、他に仕事があるからじゃないのか? お前の力ならあの鬼塚を破ることも容易かったはずだし、主を持たないほうが自由じゃないか。私はなにと戦わなくてはいけないんだ? 今まではそれを担う気も、それを考えることもしなかった。怖かったし、鬼の力に嫌悪感を抱いていたから。だが、私は……、」 玲は口を塞いだ。夢の話をするべきではないだろうと思ったのだ。あんな夢、欲求不満だと笑われるだろうし、何故に耕輔なのか理解できないのだ。 「私は?」 流の問いかけに玲は俯いて首を振る。すると流の姿は消える。誰かがやってきたのだろう。 顔を上げると、何年生かも知らない女生徒たちが上がってきた。玲は弁当箱を手に階段へと向かう。 「私は何故戦うんだろう?」 玲が学校を出て街を歩く。その通路にある電気や、その他量販店にあるテレビは、あの穴の事件を取り上げている。 地層学の名誉教授だという男が一生懸命説明しているが、それこそ言っている本人だ出さえちんぷんかんぷんなことなのだろう、いいながら、憶測ですが、とか、と予想します。を連呼している。 「大変なこと」 玲は独り言を言った後、背後に気配を感じて顔をしかめる。 「そう嫌そうな顔をするな」 玲が隣に立った流を見上げる。 「別に、何も考えてなどないぞ」 「あの事件だが、」 玲が後ろを振り向き、喫茶店内のテレビから映し出されている穴を見る。 「力を感じる」 玲は信号の青に合わせて歩き出す。 「それで?」 「行ってみるか?」 「……、日帰りは無理だろ?」 「じゃぁ、週末ぅ?」 玲が顔をしかめ流を見る。この「男」はどうしてこうも俗世間にまみれてるんだろう? 玲の思惑を他所に流が玲の腕を掴む。玲が立ち止まると、耕輔がビルの合間に入っていく。その背後にきらりと光るものを落とす。 玲は流を見上げたが、流の姿は見えなかった。玲は耕輔が落としたもののそばに行く。 「鍵?」 玲はそれを拾ったが耕輔は何処にもいなかった。玲は鍵を唇の側に持っていき、小さく呟く。 「胡蝶、彼の物の在りし場所を示せ」 そう言った後、すずめが玲の前を飛来し、そしてすっと飛び上がる。 玲はそのすずめの跡を追いかける。 耕輔が人気のない公園で空に向かって煙を噴出した。 ―まったく、この町は鬼が多い― 耕輔はタバコを加え、気配に横を向く。 「不良」 「これは、これは」 「届に来ただけよ」 玲が鍵を見せると、耕輔はポケットを探る。 「どうも」 「あのマンション?」 「ああ、親父の弟夫婦の家に厄介になってる」 「そう」 玲は公園から見下ろせる町を見た。風が過ぎ、玲が顔をしかめる。 「ぬるい」 「あ?」 「風がぬるすぎる。どっかで、いやなものが出た」 「鬼と言え」 玲は耕輔を一瞥するような視線を投げ、そしてそのまま空を見上げる。 「胡蝶 玲がそう言うとふわっとすずめが姿を現し、どこかへと飛んでいく。 「胡蝶?」 「小鳥だと、ありきたりだから、どうせならって字を変えたのさ。いいでしょ、かわいい感じがあって」 玲は鼻で笑いブランコに腰掛けた。 「ブランコは嫌い」 「は?」 「行ったり来たりで進まない。そのくせ上昇と下降がめまぐるしくて、息苦しくなる」 耕輔は玲を見下ろす。玲の目はここにあらずで透明に地面へと目を落としていたのだ。たぶん、胡蝶に同視でもしているのだろう。 「二丁目付近だな」 玲が顔を上げると、二丁目と言われた辺りで大きな爆発音が響き、煙が上がってすぐ、玲の右こめかみに風が走った。 玲がすぐにこめかみを押さえる。微かににじんでくる鮮血。 「どうした?」 「胡蝶が、」 玲が続けなくても、その後の言葉は察しがついたのか、耕輔は振り返り煙の上がった辺りを見つめた。 「耕輔君」 二人が驚いて振り返ると、公園の入り口に耕輔が厄介になっている叔母が立って不信そうに二人を見ていた。 「鍵なくして、おばさん待ってたら、同じクラスの子なんですけど、届けてくれて、暫く話してて」 「家に上がったら?」 「いいえ、届に来ただけですので。それに、もう行かなきゃ」 「おい」 耕輔が行こうとする玲の腕を掴む。 「来るならあとからにすればいい。心配してる人の前から姿は消さない方がいい」 玲はにっこりと笑い、 「だから、お礼はいいって、ほんと、荻原ってば律儀なんだから」 笑って走り去った。 「可愛らしい子ね」 「あ? ……、そうかな?」 「見る目無いわね、耕輔君は」 おばはふふふと可愛らしく笑って先を進んだ。 耕輔はその後姿に母親を重ねる。母親はたぶん、血筋から言って間違いないのだが、鬼を狩る血筋が濃い人だ。だが運動能力ともに普通の女性で、ただただ正義感だけが強い人だった。だから、母と言うよりは口厳しいしつけ係という印象しか持っていない。 父は普通のサラリーマンで、母と結婚しても何処も変わらず年を重ねている。今回、都会で一人暮らしをしたい―と言っても、体中の血が玲の居るこの町に行かなくてはいけないと指示したためなのだが―願い出たとき、父は自分の弟夫婦がいることを説明し、そこに居候するならばと許可した。 弟夫婦はごくごく普通だが、子供は居なかった。何でも、何度も流産した挙句、弟のほうが糖尿を患い、子供ができなくなったと言うのだ。 そんなことで弟夫婦の家に行く前日の夜、母親は耕輔のところに来てこう言った。 「鬼は邪魔なだけ。情けを持てばお前が殺される」 そのときなるほどと思った。この母は自分が碓氷頼近の前世を受けたまま存在していることを悟っていたのだ。そしてそのために極端な正義の手本を見せていたのだ。 ―鬼はしょせん鬼。改心しようが、生まれ変わろうが、邪魔なだけだ― 耕輔が振り返る。玲の姿は何処にも無いが、走り去っていった幻影を見てしまう。長い髪が風に動き、スカートが風を含んで動き、風を生んで走っている姿が。 「邪魔した?」 耕輔が顔を上げると、叔母は様子を伺うような視線を耕輔を見ていた。 「なんの?」 「彼女とのデートの」 「まさか。ただ、…、まだきちんと礼を言ってなかったと思って」 「追いかける?」 「…、家を知らないから」 「そう、じゃぁ、明日きちんとするのね」 耕輔は肯いた。叔母は鼻歌を歌いながらマンションのエレベーターボタンを押す。 「やっぱり、やっぱり行ってくる」 耕輔が走り去るのを叔母は笑顔で手を振って見送った。 「向こうさんのことも考えて早く帰ってくるのよ!」 叔母の―若いっていいわねぇ―と微笑ましくなるような見送りを無視して耕輔は走った。 胸騒ぎが強くなってきていた。どんな鬼が居るというのか解らないほどの威圧感も空気中に漂ってきていたし、町が危険にさらされるのはごめんだった。 ―町だけか?― 耕輔はふと立ち止まる。何か間違ったことを思った気がして耕輔は頭を振り、再び走り出した。 玲は壁に手をついて息を荒くして空を見上げていた。 とてつもなく大きな鬼だ。絵本とかで見る擬人化している鬼だ。角が二本生えていて恐怖感を与えるにはそれだけで十分だが、誰もその姿は見えない。空気の固まり―実は鬼の足なのだが―が家を薙ぎ倒すだけにしか見えない。 「逃げなさい!」 救急隊員の声に玲は首を振り、泣き声に近い声を上げる。 「腰が抜けて動けないんです!」 玲を助けようと救急隊員が近付いてくるが、空気の塊が近付くことへの恐怖から誰もが逃げていく。 誰の気配も感じなくなった。あるのは目の前に居る鬼と、もぬけの殻となった家。電柱。コンクリートの路上。そして静けさだけだった。 「一体、なにがしたいのよ」 玲の言葉に鬼の目がぎょろりと動いた。 「人に飼われた鬼め。裏切り者。現羅我坊 玲が顔をしかめる。「現羅我坊」というものを知らない。口を開こうとした玲の頭上に、鬼はその大きな手を振り翳してきた。 その大きさの癖に素早く、叩き潰されると覚悟してしまうほどの早さだったが、以外にも、玲は無事だった。 耕輔が玲に飛びつき逃げ切れたのだ。 「小癪なぁ、…、頼近ぁ」 「悪魔降伏、怨敵退散、急急如律令」 耕輔は右の二本指を立て唇に押し当てて呪言を切ると、鬼は竜巻を巻き上げてぱっと消えた。 「大丈夫……、おい?」 振り返ると玲がしゃがみ込み耳を覆っていた。耕輔がその肩に手を置くと、玲は跳ねるように耕輔を見上げる。 「大丈夫か?」 「そんな側から言えば、いくらの小娘も辛いもんだぞ」 耕輔が振り返ると、紙袋を片手に持ち、りんごを食べている流がいた。 耕輔が見下ろすと、玲はようやく立ち上がり、肩で息をしながら吐き出すように喋る。 「現羅我坊って、なに?」 「あ……、さぁ」 「流!」 玲は流の方に左の人差し指を突き出す。流は一瞬顔をしかめたがその指を握りため息をこぼす。 「まぁ、此処で話していちゃぁ、いろいろ不具合が出てくるから、別な場所へ行くか?」 流の言葉のあと、微かに遠くの方で声がする。 「地震、治まったみたい? 家に帰って大丈夫?」 「安全確認をしますので、暫くお待ちください」 警察だろうか? それとも、自衛隊か、とにかく今この場にいてはどんな質問をされるか知れない。たぶん、大丈夫だと言っても、病院で検査をされるだろう。 玲は肯くと、流は玲を負ぶって走り出した。そのあとを耕輔も追いかける。 「風塵」 流がそう言うと、突風が吹き付け、人々が目をつぶっている横を流と耕輔が走り抜けていく。 流が立ち止まった場所は、耕輔のマンション近くの、あの公園だった。 耕輔が流を睨む。 「男を尾行する趣味はない」 流はそう言ってベンチに玲を降ろし、玲の上で呪言を切る。 「容易く当てられやがって」 流の言葉に耕輔が気配を感じて振り返れば、鳥獣が地面から突き出ていた。それに空にはスズメやカラスがよく飛び交っている。 「覚悟はあるが、手、出すなよ」 流の言葉に耕輔は流を見る。流は息苦しそうに玲の足を地面に降ろし、ベンチに雪崩れるように座り込んだ。 「おい」 「毒気に当たっただけだ。暫くしたら目が醒める」 流の言葉どおり玲は目を開けた。だが、それは数分のようで、数時間のように長かった。日の翳りは少なかったし、誰も怪しむほどではなかったにせよ、耕輔には長い時間に思えた。 「気持ちワル」 玲は口を塞ぎ起き上がる。 「あの鬼の前で尋常に息をするな」 「そんなこと今さら言わないでくれる? 助けにこなかったくせに」 流は鼻で笑い、耕輔を見上げた。 「それで、現羅我坊って、何?」 流は空を見上げ鼻の頭を掻く。そして観念したような顔をし、耕輔を見た。 ―お前から言え― と言わんばかりの目に耕輔は唇を微かに動かそうとしたが、意思とは反して口は開くことを拒否している。 流はため息をこぼし、膝を叩いて口を開いた。 「現羅我坊は俺だ。そして俺じゃない」 「はぁ?」 流は顔をしかめる玲に苦笑いを浮かべながら静かに話し始めた。 遠くの方で小学生らしき子供の別れる声とか、軽やかに笑いながら近付く女子高生たちの声が聞こえる。 だが、誰も公園内の三人に目を向けない。鳥獣もいつしか姿は消えていた。 「大昔、この世の混沌が始まったとされる年、一人の鬼が生まれた。いや、そのときはまだ神だな。自然を司るために生まれたその鬼には、天を司り自然の全てを担う頭と、生命を生み出すための右手、それをかき混ぜて大陸を作る左足と、生命に生と老いを与える右足、そして戒めの火を繰り出す左手を持った神がこの世に生まれた。 それが現羅我坊。その力は強大にして、誠実だった。 時は流れ、人がこの世に住み、我坊のことを人々が忘れ始めたころ、我坊の怒りが爆発し、この世を混沌の世界に戻そうとし始めた。それが鬼神現羅我坊の誕生だ。 大地震が起り、津波が続き、日照りが続き、風によって家々はなくなり、火によって全て灰となっていった。 そこに現れたのが一人の巫女だった。巫女は我坊を静めこむと、その身体を五体に切った。頭は天を司り知性の鬼塚に。右手は生命の源水を司る鬼塚に。左手は家内安全、対人祈願など、人々の守りを司る鬼塚に。左足は豊穣を司る鬼塚に。そして右足もまた鬼塚に祭られた。 それからずいぶんと時は過ぎ、この世で鬼塚が壊された」 「碓氷頼近はいつ出てきた?」 玲がボソッと呟くと、流が空を仰ぎ、 「ついこの前。まぁ、続きがあらぁな。黙って聞いてなさい」 子供をたしなめるようにそう言って流は続けた。 「碓氷頼近たちが居た頃は、平安時代真っ只中で、百鬼夜行の大行列もにぎやかだった。陰明師をはじめとする鬼狩人たちがたびたび鬼の里にやってきた。碓氷頼近たちも例外ではなく、時の名武将藤原兼倶 巫女により五体に分けられた我坊は、五つの鬼となっていた。頭鬼・威脇 兼倶には部下が四人居て、そいつらもかなり優秀だった。建部 秀麻呂 流はそう言って何処から出したのか先ほどの食べかけのりんごをほお張る。 「じゃぁ、流って名前じゃないじゃない」 「ああ、それ? それは、人間歴で言うところのずっと後の話で、まぁ、ちょいと待ちなって。 そんで、とりあえず、それぞれに退治され、再度鬼塚に封じられたのさ。 だが、封じられずに済んだ鬼も居る。右手鬼の真頼と、右足鬼の只納」 そう言って流は自分を指差す。 「只納?」 「ああ、只納。いわれは容易い。名は只それを示すためのもの。そなたの名は、……、私が授けよう」 「流?」 「俺はずっと巫女に従い、巫女の式神となった。巫女は死ぬ。俺は同時に封印され、巫女の生き写しに会うためにずっと眠っていた」 「私がその巫女?」 流の嫌そうな顔に玲の方も嫌そうな顔をする。 「お前に憑いたのは、玄同が厄介物として現れたからだ」 「じゃぁ、私でなくてもよかったんじゃない」 「子供のほうが、年を取った奴よりはいりやすいし、取り憑くには単純だからだ」 「単純で悪かったね。でも、格別理由も無く入られたわけなのね、あたし」 「とはいえ、お前はあいつらを怖がらず、悲観せず、あいつらを犬や猫のようにかわいがった」 「ように見えるだけよ」 玲の言葉に流は首をすくめ空を仰ぐ。 「あの穴へ行ってみるか?」 「どうやって?」 流の考えはそれこそ「単純」だった。週末玲が田舎に遊びに行くと言うので耕輔も誘う。同伴者として「従兄」の流が付き添う。流は某有名大学の地質学を学んでいて、今回のあの穴の調査を個人的にしたいという話に玲が乗ったと言うのだ。しかしこれは耕輔の家族に言った説明で、玲の家族にはその逆を話す。 「絶対にばれる」 といいながら、女装して清楚な地質学を学んでいる「静琉 かくして、週末の旅行は決まった。 なぜか鈍行にこだわる流に言われ、鈍行で向かい、バスに乗って二時間。現地の山里についたのは昼を少し回っていた。 あの穴のおかげか、観光客が俄かに増え、寂れていた村に急に官公庁の出張所が来るなど大賑わいをしている。 「いい迷惑なんだげどね」 老婦はそう言って玲たちと同席して掛けそばを注文した。 「迷惑ですか? 活性化に繋がるんじゃありませんか?」 玲の言葉に老婦は苦笑いをし、首を静かに振る。 「あの穴が風で埋まり、人々の関心も失せちまえば元の鞘に戻る。だが、あの若いもんたちは、この繁盛を忘れらんねぇ。すると、あの穴のようなもんをまた作っちまう。そして人を呼ぼうとする。けんども、今度は人が作ったもんだって判って村は過疎化に加速がつく。出て行くことの出来る若いもんはいいが、年よりは出て行けねぇ」 玲は老婦が苦笑いを浮かべてみているほうを見た。彼の息子か、孫か、とにかくこの村の若い衆は名所の写真だの、テレカ(いまどき?)を売っては、ニヤニヤと笑っている。まるで金に取り付かれたような顔だ。 「あんたらは見たんかね?」 「いや、穴には興味が無く、この辺りにある鬼伝説の収集に」 流の言葉に老婦は感心したように流を見る。そして玲と耕輔を見る。 「この二人は私の教え子で、日本の七不思議を調べるクラブなんですけどね、いつもいつも大所帯を引き連れていけなくて、今回はこの二人なんですけどね」 流の言葉に老婦は頷き、宿泊先を聞いてきた。 「いや、日帰りで」 「そんなむちゃだね、うちに泊まんな、三人ぐらいなら泊めてやるから。鬼伝説なら、うちの裏の山に鬼塚があるし」 「どんな?」 流の言葉に老婦は暫く考え、 「あれは確か、そう、深渦 玲が流を見ると、流は頷いてメモを取る様子を見せながら、その実そこは何も書いていないだろうと思われる。その隣の耕輔も同じくメモを取っている。玲は老婦の話しを聴く役目になって口を開いた。 「深渦の鬼って、どんな鬼だったんですか?」 「この辺りに、とても綺麗な源泉があったそうで、そこの側にみのうという娘が居てね」 「美人?」 「そりゃ、言い伝えだから、美人らしかったよ」 「美人じゃなきゃ定番じゃないですもんね」 玲が笑うと老婦も笑い、昔聞いたと言う話を思い出しながら続けた。 「みのうには年寄りの父親が居て、貧しいながらも仲良かったそうな。ある日、若くて人は言いが貧乏な青年と、貪欲な長者がこの村を通りかかった。若者は、源泉の水を母親に病に聞くと信じて汲みに来てた。長者はその水で儲けようとやってきてた。二人は同時にみのうに心引かれた。若者とみのうは心通わせたが……」 「ありきたりですね、長者が横取りをした?」 「それどころか、源泉は自分のものだと誰にも汲ませず、みのうを諦めた若者は真夜中水を汲み田舎に帰ろうとしたところ見つけられ、滅多打ちにされた挙句、逃げ惑いながらその源泉から出た水の瀬で死んでしまった。それがちょうどうちの裏。深渦の鬼塚の辺りなんだよ。若者が死に、泉は枯れ、この村に用の無くなった長者はみのうを連れて待ちに帰ろうとする。だが、床に居る父親を置いてなどいけず、みのうは苦しみ、その姿がすっかり変わるほどやせ衰えていった。長者はみのうを見捨てこの村を出たが、その帰り道大雨と、川の氾濫に巻き込まれ溺死したそうな。それもこれも、みのうとその若者のたたりだとか、二人が鬼神になったんだとか言う話になって、それで祭られたのさ。それが、あの穴の開いた晩、大きな雷が山に落ち鬼塚が壊れてしまってから、穴は開く、川は徐々に増水している。木は妙に元気が無い。まるで一ヶ月ほど雨が降らなかったぐらいに、そう、村がダムの底に沈むと決まったあとのように、」 老婦がそう言ったところで、村の若者が血相をかいて走りこんできた。青白い顔。その顔には恐怖がにじみ出ている。観光客はそのただ事ならぬか鬼全員が顔をしかめた。 「敦也が、敦也が、沢で死んでる」 辺りが一瞬凍りつく。寒々とした空気が流れ、警察がとりあえず観客だろうが、動くなと叫ぶ。 それから一時間がたって、県警の刑事総出で事情聴取が始まった。勿論玲たちも例外ではなかったはずだが、四人はすでに老婦の家に居た。 「まぁ、用があればここにくるだろう。面倒なことになっちまった」 老婦はそう言って番茶を入れた湯飲みを玲に差し出す。 「それで?」 「それでとは?」 老婦は首をかしげ玲を見たあと、思い出したように口を開いた。 「家がね、きしむんだよ。歩くたびにきしむのは古いからだけど、」 「いや、しなりが無い。まるで水がないような感じですね」 耕輔が柱を触りながらそう言うと、老婆は頷き、 「それに、湯飲みを手にしていれば変わらんが、ひとたび床に置けば、」 と湯飲みを床に置くと、徐々にではあるが目で解るぐらい水位が下がっている。 「それに、さっき言ってた沢、あれも穴が開いた日に見つかったんだわ。今までそこにはなぁんもなかったのにさ」 玲が流を見る。 老婦を手伝い夕飯の支度をする。山菜一杯の食卓とは思惑はずれごく普通に家で出てくるようなものだった。 「若い人には合わんかね?」 老婦の言葉に流と耕輔は箸を動かす。 このごろよく思う。 ―コイツは、鬼のはずで、食事など必要ないといいながら、なんだってこう食べているんだろう? いつ消化し、トイレに行くと言うのだろう? 鬼がトイレに行くなど聞いたことがないけど― 玲が目線をそらした瞬間、老婦の死角となる畳の目から鳥獣が小さくなって出てきた。それはまるで小さなフィギアのような、キーホルダーのような小さな人形だ。 「主上。沢の死体の死因は溺死でした」 玲はふと老婦を見る。老婦は大いに食べる耕輔を気に入ったようで、耕輔の皿に取り分けている最中だった。 「後で聞く」 「御意」 鳥獣は姿を消した。玲は食べ終わると両手で湯飲みを包み、満足げに馳走を言うと、老婦はにこやかに笑った。 用意された部屋は襖を隔てた二間だった。 「先生が居るから、変な気はおこさねえだろうが、玲ちゃんはこっちにねな」 玲は肯き、老婦が障子を閉め出て行くのを待った。廊下に出た老婦が自室に戻り、横になった。そして数分後眠りに入ったのを確認すると、襖を一枚開けて流が頷いた。 「緋那 「主上、此処に」 鳥獣が姿を見せた。だが、いつも笑われる鳥獣は全身が青いが、彼女は緑をしている。 「彼女は緋那。いろいろと調べてもらうのに凄く重宝なんだ」 「つまりスパイか?」 耕輔の言葉に玲は顔をそむけ 「言いが悪いなぁ」 と膨れて見せた。 「実は奇妙なんです」 緋那は玲と耕輔の様子に眉を潜めていたが、流が喋れと言う合図を送ったことで口を開いた。 「沢の深さは指一本ほども無いんです。水がちょろちょろ出てきていますが、あそこで溺れようとするほうが難しい。だからと言って、あの水と同じ成分の水はこの辺りには無いらしく」 「ちょいと待った。緋菜、お前は何処まで探りに行ってきたの?」 「警察本部です。あと、鑑識とか」 「それって、流の趣味? 最近二時間ドラマお決まりシリーズにはまっているらしいから?」 「人聞き悪いなぁ。そういう綿密な情報も、あればあっただけ役に立つだろう?」 「どうだか」 玲は腕組みをする。 「でも、そんな沢で溺れるわけないというならば、どうやって溺れるんだろうね?」 「深渦の鬼か?」 「気配は村に入ってからずっとあったけど、」 「襲う気は無いらしいな」 「町であった奴(空気の大鬼)とは違うね」 流が頷き、外のほうを指差す。 「山のほうに?」 玲の言葉に三人は同時に立ち上がる。 夜の山はその湿気が異常に鼻につく。足元は暗く視覚は頼りにならない。なるほど、こういう時歩き回っていれば遭難に遭う。だからじっとして居ろと言うのか。玲は鼻で笑いながら二人のあとを追った。 玲はふと耕輔の背中を見上げた。この村に来る事にさほどの反対もせず、流に対して威嚇の度合いも少なく感じる。転校そうそうにあった嫌な違和感も無い。それを醸し出せば此処に居る鬼が逃げるから、出していないのか定かではないが、とにかく、普通の同級生だ。 「主上」 その声に玲が立ち止まる。そしてやっとという顔をする流の前で気配に気付く。ほかを考えていようと嫌な気配には敏感だ。だが、今まで気付かなかった。それは足元に水の気配を察ししなければ、ごうごうとなる滝の側に居ることに気付かないほどの鈍感さだ。 玲がすっと顔を上げると、着物を着た娘が立っている。幽体だ。つまり幽霊と言うものだ。 「みのう?」 玲の言葉に彼女は肯き、そのままで後退る。三人はそれを追いかけると、小さな水の音がする。 「深渦の塚だ」 耕輔の言葉に源泉横の塚を見る。石に注連縄が巻かれていたようだが、石は半身を失い標縄は丸のまま片方に残っている。 「どうか、助けて」 玲が顔を上げるとみのうが肯く。 「何故こうなったの?」 みのうは首を振り、あの晩起った事を話す。 「激しい雷がわれらの上に落ちてきて、わしは半身を失った。半身はその坂を転げ、何者かによって連れて行かれてしまった」 「どんな奴?」 「判らない。でも、鬼となった昔、空を飛んでいた鳥と同じだった気がする」 玲が空を仰ぐと、鋭利な三日月が紫に浮かんでいた。 「何故お前はそこに居る?」 耕輔の言葉にみのうは顔をしかめ、息を吐き出し耕輔を睨む。 「何で?」 玲が流を見ると、流は平然と、何処から持参してきたのかりんごを食べていた。呆れて見上げている玲を見下ろしながら、 「こいつの言葉はそれだけで呪符を含んでいる。言わなかったか?」 「平気な顔をしている奴がそばに居るんで、皆そうかと思った」 りんごをしゃくっと言わせて流が鼻で笑う。 「それで、なんだってお前さんはそこにいる?」 「鬼狩人じゃないか」 「大丈夫、こいつの目的はこの娘だ。お前じゃない」 流は玲を指差すと、みのうも玲を見る。玲は首をすくめ耕輔を見る。耕輔は顔をそらし不服そうな顔をした。 「われらと言っていたが、相手はお前の連れだろ? 何で一緒に行かない?」 「縄によってここから出られない」 「逆だな、ここに縛り、半身がお前を捜して暴れるのを利用しただけだな」 耕輔の言葉に流が手を打つ。 「なるほど、お前頭いいなぁ」 髪をくしゃっと掴む流の手を耕輔が叩く。玲は呆れてみのうのほうに顔を向ける。 「鳥って、どんな鳥だった? 色とか、どんなに見えたとか」 「尾が物凄く長かった」 「尾長鳥? 飛ぶかね?」 玲が首を傾げている所に、草木が揺れる音がした。 「人間に寝返った裏切り者」 出てきたのは人だった。ただし、その服装は時代劇で見る農村部の農夫の格好だ。そして、目は真っ赤に光っていた。 一人、五人、数を数えることを辞めたくなるほどの村人が鍬や鋤を持って出てきた。 「いいねぇ、お前が女で、人間相手にゃぁ本領を発揮しないと「知ってる」ようだぞ」 玲は鼻で笑いみのうのほうに顔をそむける。 耕輔は唇に指を当てると、ふと思い出したように玲を見れば、村人に対して威嚇した険しい顔をしている。耕輔は指を降ろし、こぶしを構えた。そのとき流が微かに笑ったのを耕輔は知らない。 甲高い声があがり、玲たちは空を見た。 「あの鳥!」 尾が長く夜空に明るく光っている。 「火の鳥?」 玲の言葉に流が舌打ちをし、苦々しい顔で村人を見た。 「玄同め」 苦々しく吐き出した言葉に触発されるように村人が飛び掛ってくる。その飛び方、飛びつき方、その動きはまるで糸に操られ振り回されている人形だ。 「どうするの?」 玲は一人避けてそう叫ぶと、流はさらに苦々しく呟く。 「相性が悪すぎる。あの傀儡は殿邑が作り出すものだ。それが玄同の幻影火鳥のもと動いているとなれば、」 「殿邑、つまり左足鬼は玄同に?」 「妥当な思考だ」 流は村人を避け飛びその背中に鳥の羽を生やし空中に留まる。それを火鳥が火の粉を尾からなびかせて飛び込んでくる。 「空中戦は、火より風の方が上だ!」 流はそう言って手の中に風の弾を作り出し火鳥に向けて掌を突き出す。火鳥が甲高い声を上げて上げてそれを交わすと、風の球は森林を駆け抜け、どこか遠くの方で土煙を上げる。 玲と耕輔の足にその振動が伝わる。それに足がとられた瞬間、玲の方は村人の一人に押さえ込まれ、その作られたような無表情の顔が近付く。 「神反逆者壊滅」 耕輔は飛び上がり呪言を呟いて札を投げつける。札は矢と姿を変え玲を押さえ込んでいた男の背中から胸へと貫いていった。 玲の胸あと少しで止まったそれに玲は一瞬顔をしかめる。玲にとって頭の痛いその色、そして光を放ちそれは村人とともに消える。そのとき湧き上がった臭気、吐き気よりも悪寒を誘うそれに玲はますます気分悪く顔をしかめる。 「若造!」 耕輔が流の言葉に流を見れば、流は玲へと飛んでいっている。 耕輔は指を二本たて唇に宛がい、九字を切り、地面に向かって呪言を押し当てた。 「総邪神反壊滅」 流は玲を抱え上げ飛び上がる。そのすぐあと、地面に九字が現れその呪戒の中に居た村人は瞬間に消えうせてしまった。 みのうの居る岩は、注連縄に守られて逆にその呪言を受けずに居た。 呪言が消え、流が玲を抱えて降り立つと、火鳥は高々と泣いて飛び去った。 「まったく、だての鬼狩人じゃなかったなぁ。お前」 流の言葉に耕輔は玲の方を見る。玲の苦痛に歪む顔に眉がひそむ。 「飛んでてもびりびりときたと言うことは、あのまま居たらどうなってたかな」 耕輔は自分の掌を見た。思いの他出た力に驚いているのは、実は本人だった。どう思って呪言を放ったかなど覚えていない。ただただ呪言をつむぎ、そして放った。早く終わらせなくてはいけない。ただそう思って。 「お願い……」 みのうの言葉に流と耕輔が振り返る。 「わしと、あの人を助けて。わしには解る。あの人はわしを探してどんどん人の心を失っていく。そうして本当の鬼になっちまったら、もう、どの世でも会えねぇ。そんなのは嫌だ。お願い、わしたちを助けて」 耕輔が顔をしかめて流を見る。流は涼しい顔をして玲を抱き上げ、 「俺の主はこの小娘だ。この娘がこうなっている以上は、俺が勝手に動くことはできねぇ。まぁ、もうちょっとそこにいな」 流はくるっと翻ると老婦の家の方へと歩き出した。 「おい、ちょっと」 耕輔は流の側に駆け寄る。みのうの慟哭が草木を揺すって響く。 「いいから、お前も来い」 流の言葉にわけも解らず、だからと言って、みのうが徐々に動物的泣き声を上げるなか側に居る気もなく、一緒に山を降りる。 流は老婦の家を過ぎ、村を横切り川原へと降りてきた。風が河の上を走り涼しくも冷たく三人を包み込む。 ざわっと姿無き水の音に河の方を見ると、徐々に大きな鬼が姿を見せた。 「コイツが?」 「半身の鬼だ」 鬼は肯き、大粒の涙を落とす。 「何を泣いてる? お前があの穴を開けたんだろ? いくら好きな相手を探すからと言って、」 鬼が大きく首を振る。 「喋れないんだな」 流の言葉に鬼は肯く。 「鬼同士なもんでね」 流の言葉に耕輔は顔をしかめる。流は玲を降ろし、玲は頭を軽く振りながら座ると、鬼を見上げた。 「また、ずいぶんと大きい」 「座ってるからな」 「あ、そうか」 玲の感情のない呟きは闇に消え、言葉も音も闇の河に引きずり込まれる。 「半身の岩を探し、上に戻すんだろ?」 耕輔の言葉に、流は首を振る。 「お前、忘れてるようだから、もう一度いうが、あのばあさんはこう言った。村はダムの底に沈んだと」 「ああ、言ってた」 「本来、塚や、社の類は徐霊をしてきっちりとした場所に移し変える。あの山はここに村が移るまではただの山だ。そんなところにある塚が今まで壊されなかったわけなかろう? 風化、天災、いろんなことででも塚は壊される。あの岩を見たか?」 耕輔がみのうの居た岩を思い出す。半分に割られた岩に注連縄がかけられている。それだけだ。緑の草が生えていて、山特有の匂いがしていた。 「深渦の鬼が何故山の中にある?」 「それは源泉に近いほうが、」 「青々とした草木の上に放り出されたような岩が、真新しい注連縄が、そんな昔からの効力を失わずしてあると思うか?」 耕輔は眉をひそめ思い出す。そうだ、確かにみのうの居た辺りの草は青々とし、岩の下の草も青かった。注連縄は最近かけられたように新しく、四手も真っ白だった。 「じゃぁ、みのうの岩のほうが?」 「鬼となったのはみのうの方なのさ」 第三者の声に耕輔が振り返ると、老婦が立っていた。 「おばあさん……」 「鬼狩人なんて、厄介なものが生まれ変わるとは思わなかった」 「おばあさん?」 「あたしはね、ずっと、ずっと、あの人だけを追いかけていた。なのに、どの時代にもそいつは鬼のままだった。一緒に居たいと願っても、そう思って生まれ変わっても、もうこんな年寄りになっちまって、また生まれ変わるために死ぬ。でもまた居ないと思えば、もう一度鬼にも、般若にだってなるさ」 老婦の真っ白い髪がぼうぼうと伸び、昔読んで聞かせてもらった「三枚の御札」のなかの山姥のように変わっていく。 「お前には見えないんだね、」 玲の言葉に老婦は玲をねめつける。 「側に居るのに、そばにずっと居たのに」 玲の言葉に老婦は辺りを見渡すが、やはり見えていないと見えて顔に怒りがますます濃くなって浮かんでくる。 「土剋水。だけども、見失いすぎては剋てるものも剋てない」 玲の言葉に老婦は玲へ飛びかかった。玲は瞬間に河へと動き、その飛沫が老婦に飛び散る。 ―みのう― 老婦が跳んできた水を慌てて払う。水は老婦の身体に染み込み、まるで水滴によって形を変えられていく砂のようにその肌がへこんで行く。 ―みのう― 老婦が顔を上げると、河から鬼が見下ろしているのが見えた。 「あ、あんた……」 鬼の姿が青年へと変わっていく。 ―みのう、帰ろう― 青年の差し出す手に、老婦は何の躊躇もなく掴みに行く。その手に水が含まれ、石河原にぼたぼたと落ちながらも、老婦は足を河に浸していく。その足元から老婦は水に浸食される砂の城のように足元から崩れ、そしてとうとう青年と一緒に川の底へと消えた。 風が静かに行き過ぎ、木々の静かなる葉音だけの中で、玲が水から這い上がってくる音で耕輔は我に返る。 「大丈夫か?」 腕を掴み引き上げると、玲の身体から流が浮き出て、分離した。相変わらずこれを見るとぞっとする。 流は抜け出てすぐに玲の身体を支え抱きかかえる。 「朝市の列車には間に合うだろう」 耕輔も立ち上がると、うっすらと遠く東の空が明るくなってきていた。 「疲れるものか? やっぱり」 「何が?」 「その、」 「同化するのか?」 耕輔が渋るように頷くと、流は鼻で笑い、 「ただ単に、こいつは寝てるだけだ。眠いから寝る。あとは任せた。寝てるだけだ。俺も眠い。お前、コイツ背負って帰れ」 「お、お前は?」 「俺はこいつのいる場所に瞬間移動できる」 「そんな勝手な! って、消えるな、おい、こら! 流!」 耕輔は項垂れて立てかけられた玲を抱きしめたまま叫んだが、流が現れる気配はまるでなかった。 「俺だって、眠いんだよ」 耕輔はそういいながらも、玲を背負い、ふらりふらりと山を降りた。 流が言っていた一番列車には間に合わなかったが、昼前の列車に乗り込み、夕飯前には家に辿り着いた。 「ありがと!」 すっきりした玲の顔とは逆に、耕輔は目の下に隈を作り家に戻った。 「流」 玲は闇のなか自室で小さくそう呼ぶと、部屋の角から流が姿を見せた。 「みのうをあそこに置いたのも玄同?」 「置いたのは殿邑の手下だろう。みのうに、水より強ければ来世で会えるとそそのかし、動かしたんだろう」 「注連縄をうつことはなかったんじゃ?」 「打ったからこそ暴れたんだ。打たなきゃ、おとなしく来世をまつさ。注連縄のおかげで半身が見れなくなってしまった。だから暴れた」 「何で暴れさしたの? しかもあんな田舎で」 「田舎だからいいのさ、徐々に各地に被害が及び、そして首都壊滅しても、このところの不思議な現象。で片付く。計算外だったのは、鬼の癖に人間の見方である只納のお前の側に、碓氷頼近が居たことだろう。お前の存在は確認していたが、頼近の存在までは気付かなかったと見える。火鳥がお前を抱きかかえていた俺への攻撃を止め、飛び去ったことでもそれが解る。だが、頼近の存在も露見し、お前はついに玄同の計画を邪魔した。たとえ小さな小さな計画であっても、玄同の性格上お前は現羅我坊の敵としてあらゆる鬼から狙われることになるだろうよ」 「玄同は、玄同は土を取り込んだのよね? 何故?」 「現羅我坊となるためさ。しょせん、玄同である以上玄同以上の力はない。五体を集めそろえてこそ現羅我坊となり、何をするやら、この世を滅ぼすも、手中に入れるもその思考一つだ。あまりよくないことは想像つくけどな」 流はそう言って俯いた玲のつむじに目を落とす。 「だから、私は現羅我坊となる前に、徹底抗戦をしなきゃいけないのね?」 「そりゃ、お前の勝手だ。俺たちはお前の使い方一つでどうにでもなる。言っただろ? お前は俺たちの主上だ。お前の命令は絶対だと」 「口が悪い家臣だけど。……、様子を見ることも一つだと思う。でも、たぶん、玄同と相性は会わないはね。私はみのうの心が痛すぎるもの。側に痛いのに居られない寂しさを利用したなんて、それが鬼だから構わないと思っているのなら、やっぱり合わない。だから、きっと、」 玲は顔を上げたが流はすでに居なかった。あるのは闇の中の部屋の角だけだった。 玲は布団にもぐりこみ、目を閉じた。 ―たぶん、きっと、戦わなきゃいけない相手なんだろうなぁ。― |
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