カフェオレ
   
 彼女はそのつかれた身体を椅子の背もたれに伸ばした。もう何日ベットで寝てないだろうか。仮眠なら、この机の上で寝たような気はするが。否、確かに、着実に寝ている。空白の時間があるのだから、寝ていたのは確かだろうが、何せ覚えていない。
 彼女はため息をこぼして机の上を見た。相変わらず進んでいない仕事。
 自分が何のためにこの仕事を選んだのだろうかと思う瞬間が、そこにあった。
 好きで選んだはずなのに、まったく楽しくない。
 彼女はふと横を見る。寝ているアシスタント達にそっと毛布を掛けてくれる彼。片手で謝って微笑みが返ってくるのを待った。
「上がりそうにないの?」
 彼女は小さく頷いて項垂れた。
「人気漫画家は大変だね。」
「なんで、絵、描いてるんだろうってよく思うよ。」
「好きで描いてるんだろ?」
「そうだけど、でもね、今、すごくしんどいから。」
「そう。でも、こう考えてみれば、忙しいうちが花だよ。誰かが読んでくれているから忙しいんだもの。もし、誰も相手にされなかったとき、今日の日のことを思い出して、あの日がよかったって、必ず思うだろ。」
「多分。そうね。」
「だったら、やれるよ。それが解らないなら、もう描かなきゃいいと言うつもりだけどね。」
 彼はそういって台所に向かった。
 彼女の仕事場に、仕事が終わったら、もしくは、土日の休みには顔を出して、たまに手伝ってもくれるが、そのほとんどが、ただの「ベタ」塗り。
 彼女はふと考える。彼にとって、この関係はいいのだろうか。と。彼は普通にサラリーマンをしている。付き合いだして、すでに五、六年経っているだろうが、一度もその記念日に顔を合わせない。ばかりか、祝ったことすらない。女らしいわがままも言ったことがない。彼は、あたしのどこがいいのだろう。
 漫画を書くしか能のない女なのに。

 いい匂いがしてきた。甘くって、ほろ苦くって、彼の得意な【カフェ・オ・レ】の匂いだ。
 アシストも起き出して、「来てるんですか?」と笑っている。
 彼の匂いは甘い【カフェ・オ・レ】そして、その匂いに包まれていると、不思議と幸せになる。

「一服どうぞ。」
「ありがとう。ねぇ?」
「何?」
 アシストさん達に同じようにカフェ・オ・レを配る。それぞれにコップがあるので間違わずに。
「あたしのどこが好き?」
 彼の一瞬マジで驚いて、照れた顔を一生忘れないだろう。
 アシストさん達の目も丸い。でも、あたしは、あたしが疑問に思ったときに聞くのがあたしらしいから、その顔に憶しはしなかった。
「どこ? そう、言うなら、どうしようもないとこかな。多分、この世の中で、君に付き合えるのは、ここに居る連中だけだとして、でも、彼女たちだって、ここを抜け出て外に出たいとする。多分、よほどのことがない限り、僕は平気だな。」
 彼はそういって例えば。と昨日雨が降ってきて慌てて入れた洗濯物のブラジャーを掴み上げて「こういうものがそこらにあっても、しょうがない。と思うのは、僕ぐらいだろうね。」
 彼の言葉にアシストさん達はくすくす笑いだした。
「まぁ、そういうのが気にならないと言うことは、相性がいいんだろうね。」
「答えじゃないわよ。」
「相性がいいって言うのは、立派な答えだと思うよ。好きや、愛してたって、別れる人はいる。でも相性がいいと、なんか、一緒にいるだろ? そういう感じが好きってこと。」
「よく解らない。」
 彼は腕を組み、暫くしてから「リンゴの種はリンゴの種がいいよね? レモンの種だとへんだ。レモンの種もレモンの種がいいよね? リンゴじゃ変だ。」
「何言ってんの?」
「そういう変なことをふいに思って、話しして、「何言ってんの?」って馬鹿にしながら付き合ってくれるとこが好き。」

「ごちそうさま。」

 アシストさんたちが軽めの荷物を持って出て行った。

 残されて初めてあたしは凄いことを聞いたと思った。どこが好き? って、あたしだって、彼のどこが好きなんだろう。きっと、さっき彼が言ったように、リンゴと種はリンゴの種がいいって感じなんだろうな。よく解んないけど、それがいいって言う感じ。きっと、そういいたいんだと、思う。

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