路上
   
 いい天気の、昼下がりだ。かなり暖かくって、朝一枚余分に着てきた人は、それを手にしている。
 彼は軽く額の汗を拭い、腰を叩いた。
 彼の職業は、通る人の似顔絵を描くこと。
 彼は腰を叩き空を仰いで、再び小さな椅子に腰を下ろした。
 その彼の前に女性が腰を下ろした。
 春らしいクリーム色のスカート。綺麗な指先、そして微笑した顔が「Bonjour! 」と言った。
「やぁ。」
「あら、日本人?」
「ああ。観光?」
「ええ。記念に描いてもらえる?」
「高いよ。自慢じゃないけど。」
「……、日本円で、一枚三千円。ってとこ?」
「そうなるかな?」
 彼は、彼の得意とする鉛筆で最初書き出した。あとで水彩絵の具でぼけた色を落とす。
「どのくらい居るの?」
「さぁね、十八で家出てからだから、そろそろ十年、かな?」
「十年? その間、家には?」
「まったく。」
「連絡も?」
「ああ。まさか、親に頼まれた探偵さん?」
「見える?」
「いいや。」
 彼女の微笑はそのままで、彼らは話を続けた。
 通りすぎる人の手にしたパンのいい匂いがする。
「お腹空かない?」
「絵を描き上げてからね。あ、君は食べてもいいよ。どうぞ。」
「じゃぁ、私も我慢するわ。でも、いい匂い。」
「ああ、多分、すぐそこの角を曲がって二軒目の店のパンだ。結構安い。」
「美味しいのね? うふふ、楽しみ。」
「何が?」
「貴方とお茶が出来るの。」
 彼は彼女を見た。
「なぁに?」
「否、君って、おもいのほか日本人らしからぬ事を言うんだね。」
「どう言うこと?」
「逆ナンパだ。」
「うふふ。だって、貴方の絵がとっても気に入ったし、あなたが私の誘いを断るはず無いもの。」
「凄い自身だ。イタリアにでも居た?」
「うふふ。行ったことがないわ。行きたいけど。海外はここが初めてよ。」
「へぇ。」
 彼の鉛筆がすらすらと走る。
 自慢ではないが、彼の絵は人気がある。人気が出始めたのは、ここ一年ってとこだ。
「私って、どんな感じ?」
「どんな? そう、迷ってるね。」
「迷ってる? 何を?」
「なんか、迷わなくていいようなことを。」
「例えば?」
「彼と別れる?」
 彼は絵の具を取り出し合わせ始めたときだった。彼女がバックから指輪を取り出し、絵の具で濁った水の中に落とした。
「清々したわ。」
「やっぱり。」
「彼ね、奥さんが居たの。おまけに、べつにもう三人ほど愛人が居たの。」
「それは凄い体力の持ち主だ。」
「あら、全然よ。テクだって無かった。どこがいいって言えば、ただやたらとお金持ちだったってだけ。」
「そう、彼はいい金づるだった。」
「そう言うこと。」
「で、今度は貧乏画家を狙うのかい?」
「苦労するのはいやよ。」
「そりゃそうだ。」
 彼は混ぜ合わせた絵の具を塗り始めた。
「髪、耳に掛けた方がいいかな。」
「こう?」
「ああ。いいね。君は自然にほほえめるんだから、素敵な人に出会えるさ。」
「そうだといいけど。」
「居るよ。きっと。」
 彼は絵を完成させて彼女に差し出した。
「素敵だわ。あたしって、こんなに綺麗かしら?」
「もっと綺麗なんだろうけどね、なかなかゆっくりとは見ていられないんだ。通りだとね。」
「あら、今度は貴方がナンパ?」
「否、正式なお誘い。あそこで、カフェでもどう?」
 彼女は微笑んで、彼は道具を片付けた。
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