Marionette

松浦由香




思い出。
思い出の中に、今も生き続けているだろうか?
君が昔大事だったものが。
あれほど大事にしていたもの、今更あの時と同じだけ大事だと思うかい?
でも、「彼ら」は記憶しているよ。
君達からあいされていた日々を。
だから、あの日に戻りたいと願っているんだ。
覚えて居るかい?
君が大事にしていたものを?
その思いを?

 快晴で、夏の暑さなどすっかり忘れそうな初秋。いつも通う河川敷土手で、彼は膝を組
んで寝転がっていた。
 不思議な夢を見た。それが朝からずっと気になって、授業など身にならなかった。否、
「そんなの、いっつもじゃん。」
 幼なじみの七瀬 美春に言わせればそうなのだ。そして確かに、彼、吉行 航にとっ
て、授業は昼寝の時間で、別に夢の所為で身にならなかったわけではない。
 でも確かに、今日は酷くそれに邪魔されて授業など、気付けばここに居るような具合な
のだ。
「なんだかなぁ。」
 ため息を逃がすように航がそう言うと、ふいに女の子が顔を覗かせた。綺麗な顔をして
いる。吹き出物(美春が言うには「ニキビ」らしいが)それが全くなく、大きな目に、や
んわりとした笑み。航は慌てて起き上がると、彼女に振り返った。
 白地に青い水玉のワンピース。青い靴に、手には青い鞄を持っている。どこかで見た気
のする彼女に、航が首を傾げると、彼女も同じく首を傾げた。
「なんか、用?」
 彼女は困ったような表情を見せ、喉の当たりに手を持っていった。
「言葉、話せないの?」
 彼女は二度頷き笑顔を見せた。
「あの、その人がなんのようで?」
 道を聞かれても手話は苦手だ。と言わんばかりの嫌そうな顔に、彼女は笑って横に座っ
てきた。
「あ、あの?」
 彼女は航の鏡のように首を傾げる。でも、何故だか、理由はつかないが、彼女の言って
いることが何となく解る。気がする。

 彼女は川の方に目を移し、眩しそうにそれを見つめた。
 航は頭を掻いて、その妙な人の隣に黙って座っていた。そのまま帰ればいいのだが、彼
女の側は何故だか安心する。それに口が利けない人を置き去りにするのは、妙に彼の正義
感に触れる。
「あのさぁ、名前なに?」
 彼女は難しそうな顔をし、航を指さしたあと、彼女は自分の胸を刺した。
「当ててみろって?」
 彼女はにこやかに笑い、航は彼女のした動作を繰り返した。そしてある名前が浮かんで
きた。
「ミユキ、」
 彼女はにこやかに笑った。当たっているらしい。まぁ、どこにでもありそうな名前だか
ら。と彼は俯いたが、彼にとってその名前は思い出深い名前だった。
 ミユキ。クドウ ミユキ。幼稚園で一緒だったとっても可愛い子。髪の毛を二つで結
い、いつも笑っていた。だから彼にとって、その名前は特別な名前だった。ありきたりだ
と言ったら、クドウ ミユキちゃんは怒るだろうか?
 航はミユキの方を見た。ミユキは満面に優しい笑みを浮かべているだけで、別に気にし
なければ気にならない存在だった。初対面でこんな感じを受ける人など、多分そうは居な
い。まるで運命の人だ。
 そう言う顔をした航に、ミユキは土手の上を指さしていた。航がそれを見上げると、美
春が自転車を降りて立っていた。
「よぅ、美春。」
 航がそう言うと、美春はそのまま自転車を漕ぎ行ってしまった。
「なんだ、あいつ。」
 航はそう呟き、ミユキを見ると、ミユキは「早く行かなきゃ、彼女誤解してるよ」とい
う顔をしていた。
 本当になぜそう言っているのか解らないが、そう言っている気がしてならない。でも航
は首を振り、ミユキの隣を立とうとはしなかった。ミユキの切なそうで、急き立てている
顔がじっと航を見ていたけれど、航は暫く、そう、辺りが夕闇迫ろうとし、茜色に空気が
染まるまで、そこを動かなかった。

 航は家に帰った。ミユキが立ち上がり、頷いて立ち去ったからだ。家に戻ると直ぐ、母
親に急き立てられるように夕飯を済ませ、そして風呂に入り、一息ついたところだった。
 ベットに腰掛け、床を見つめる。あの、「ミユキ」って、やはりどこかであったような
気がする。そうでないと、彼女の言っている言葉が、紡がれなくて解るはず無いのだ。で
も、覚えがない。中学校? 小学校? 幼稚園。そのどれもに、聴覚障害者は居なかっ
た。
「じゃぁ、どこで逢ったんだよ。」
 航がベットに寝そべったとき、入り口の戸に美春が立っているのが見えた。航は驚き飛
び起きて美春を睨む。
「なんだよ、かってに。」
「さっきから呼んでたわよ。どうせ、今日のあの彼女のこと思い出して、さっぱり聞こえ
なかったんでしょうけど。」
 美春はつんけんとそう言って航にノートを差し出した。
「さっき渡しそびれてたノート。鈴木から預かってきたの。借りるんでしょ?」
「あ、ああ。」
 航はそれを受け取り、ぱらぱらとめくって、美春に「ミユキ」のことを聞いた。
「ミユキ? 工藤 美幸ちゃんのこと?」
「否、違うだろ?」
「さっきのこも、ミユキって言うの?」
「多分。」
「なによ、その多分。って。」
「口聞けないんだ。こっちの言うことは解るらしいから、頷いたり、笑ったりするけ
ど。」
「なんで、ミユキなのよ。」
「当ててみろって言うから、」
「言うから? ミユキって言ったら頷いたって? 馬鹿にされてんじゃないの?」
「否、きっと、ミユキで間違いないよ。」
 美春は眉をひそめた。口が利けない、それも怪しいところじゃないか。耳が聞こえてい
て、なぜ口が利けないんだ? そう言うことを疑わないところが、馬鹿なのよ。
 美春はそう思いながら、ノートを机に置く航の背中を見た。
「明日も逢うの?」
「さぁ、そんな約束はしなかった。」
「でも、土手には行くんだ。」
 航は頷いた。

 翌日の放課後、美春も一緒に土手に行くと、ミユキはすでに居た。
「ごめん、こいつも逢いたいって言うからさぁ。」
 ミユキは航の言葉に柔らかい光を得て微笑んだ。
 二人は同時に「良いの、私も逢いたかったし。」と言った気がした。
「あなた家は?」
−ずっと向こう−
「そんな遠い場所から、なにしに来てるの?」
−航君に逢いに。そして、あなたにも。−
 美春と航は顔を見合わせた。
 やはり普通に考えておかしい。なぜミユキの言葉が解る? そして、なぜそれがおかし
いと思いながらも、話を続けれる?
「あなた、と、私たち、前に逢ってる?」
 ミユキは力強く頷いたが、直ぐに顔を曇らせ、空を見上げた。航も美春も空を仰いだ
が、答えになりそうなものはなかった。
 ミユキが航の足を叩き、喉を指さす。
「喉、乾いたの?」−ミユキが肯く−「じゃぁ、買ってくる。お前は?」
「オレンジジュース、否、お茶にする。」
「ダイエットか? 無駄なことを。」
「煩い!」
 航は笑いながら土手を駆け上がり、そのまま姿を消した。自販機は土手の向こうの、少
し行った先にある。暫く航は帰ってこない。
「なんで、あなたの言ってることが解るのかしら?」
 美春が横を向くとミユキのその目に見られ、直ぐに視線を落としたが、それはまっすぐ
だったから、それは何の曇りもなかったから、美春は目をそらしただけ、でも直ぐに目を
見つめ、そして何となく口にする。
「まるで、空気と話してる見たい。まるでね、そう、そこに居るのに、居ないような。口
が利けないから、何でも話せる訳じゃないんだけど、話しても誰にも言わない。そんな嫌
な気持ちで話すんじゃない。秘密を知ってるもの。まるで私の持ち物とか、そう、人形と
か。ごめん。気分悪いよね、人形と一緒だなんて。」
 美幸は優しく首を振った。
−それで?−
「それで、なんでも言えそうだわ。」

 航は自販機の前に立って、ボタンを押した。
「ミユキ、ミユキ。やはり彼女と昔合ってる。爺さんとこじゃなく、もっと側で、どこ、
だっけ?」
 航はお茶のボタンに目を移すと、後ろに黒い服を着た女の人が立っていた。航は慌てて
お茶を買い、頭を下げながら彼女の横を過ぎる。
「思い出。思い出の中に、今も生き続けているだろうか?君が昔大事だったものが。」
 航が振りかえると、女の人はジュースを買い、航を不思議そうに振り返って歩き去っ
た。
「なんだ?」
 そう言いながら、航はその言葉の意味を探る。それが耳からは慣れないのだ。空耳じゃ
なく、まるで、美幸が誰なのかを捜し当てれるヒントのようで、航はそのまま立ちつくし
ていた。

−ねぇ、航君のこと、好き?−
 美春は美幸の目を見開いてまじまじと見つめた。
「な、何を言ってるの?」
 言っているわけではない、そう感じるだけだ。でも、確かにその目はそう聞いている。
そして嘘は通じない。とも言っている。
「す、……、き。」
 ミユキの顔が咲き誇ったひまわりに変わる。その顔に美春は心の中すべてさらけ出して
しまった気がして、でもそれを必死で隠す気など無かった。口止めする気も。ミユキがそ
う易々というとは思えなかったのだ。
「なんで、あなたに言えるんだろう。航に言えないのに。」
 ミユキは膝を抱えた美春の背中にてをあてがった。
「喧嘩ばかりなんだよ、逢えばいつも。私も頑固だし、勝ち気だから、つい、航に言い過
ぎちゃう。解ってるなら、素直になればいいって? 無理。無理だから、ずっと片思いな
んだよ。幼稚園から。航が、美幸ちゃん。あ、幼稚園のとき航が好きだった女の子ね。彼
女が好きだって知っていても。応援までしちゃって。私、それから素直じゃないんだ。今
から素直になればいい? 無理なんだよ、そう、簡単じゃないんだ。」
 航が我に返ってジュースを持って走ってくる。美春は立ち上がり、航からお茶を受け取
ると走り帰った。
「なんだ、あいつ。」
 怪訝そうな顔をした航がミユキを見下ろす。
「は?」
 航は顔を赤くして、少し不機嫌そうにミユキにジュースを渡す。
「あのさ、冗談でもそう言うこと言わないでくれる。美春のことが好き? なんてさ。」
−なぜ?−
「なぜって、オレは、あんな男勝りな女は。」
−本当に?−
「しつこいぞ。」
 航は直ぐにそう言ってジュースを開け、一気に飲み干すと、大きな、ため息をこぼし
た。
「どういうのか、気には、なる。」
−でしょ?−
 航はミユキの方を見た。ミユキは「そうだと思っていたの。ずっと前からでしょ?」と
言っている。

「前から、かも知れないし、つい、最近かも知れない。幼なじみなだけで、それ以外、
気にしないようにしてたんじゃないって? あ、んーーーーー、かも、しれない。でも、
なんで?」
−ずっと、航君を見ていたから。ずっと。−
「見ていた?」
 ミユキは笑って空を見上げる。思い出さなきゃいけない焦燥。ミユキを忘れたままで居
てはいけない焦燥。ミユキは、誰?

 美春は頬にてをあてがって、商店のガラスを覗き込んだ。なぜ美幸には話せるんだろ
う。以前、一度だけ誰かに話した。航が好きだと。そう言えば、それも「ミユキ」だった
はず。
「ミユキ、……。ミユキ!」
 美春は胸が飛び跳ねた。まさか! そんなことはないだろう。そんな思いだった。
「ミユキって、航が昔大事にしていた操り人形の名前。まさか、人形が人間になんて、で
も、でも、もしそんな不思議なら、ミユキに言えることも、そして、ミユキがなにを思っ
ているのかも。それが、勝手な思いこみであっても、符合してしまう。なぜ、ミユキが居
るの?」
 美春は土手へと引き返した。彼女が読んだそのどれもの「漫画」や「本」は、持ち主に
恋した人形は、持ち主を人形にしてしまったし、呪い殺した。航もそうなるかも知れな
い。それがすべてだった。
 何度か転びそうになっても、息が切れて、この世の際っと同じ苦しみにあっても、美春
は走ることを止めなかった。

「ミユキ、君は誰?」
−私は、私。航君に名前を付けられてからずっと、航君を見ていたミユキ。−
 航は思った「やっぱり」と。そして、そうであることを望んでいたような気もしてい
た。
「オレを、人形にする気?」
−なぜ?−
「よく、あるだろ、そう言う話し。」
−無いわよ、航君はいつもそう。悪い方に考えて、素直じゃないんだから。本当は美春ち
ゃんのこと好きなくせに、美春ちゃんが、美幸ちゃんのこと好きなんでしょ、って言った
から、美春ちゃんに好かれてないって思って、私に、本当の名前を付けないで、ミユキっ
て名前にしたんでしょ? さぁ、私に本当の名前を付けて。ミユキでなく、本当に付けた
かった名前を。」
「航!」
 航は身体を跳ねさせて振り返る。
 気付けば辺りはすっかり暗く、人の気配がまるでなかった。その土手を美春が駆け下り
てくる。
「それ、」
「ああ、オレが小さい頃大事にしていた操り人形だ。」
 美春は航を見た。航は美春に頷き、ミユキを見た。
「オレ、どうすればいい?」
−それは、航君がよく知っているわ。ずっと、そうしたかったんでしょ?−
「航?」
 美春にはミユキの言葉は解らなかった。ミユキの顔は人形のように表情が固まり、ミユ
キの身体は節があるだけで、人間のような柔らかさはない。すっかり人形だ。等身大
の。

「ミユキ、それを言いに、来たのかい?」
−ずっと、思っていたでしょ? 私はずっと航君を見ていたから、知っているの。−
「ミユキ、どこに行くんだい?」
−約束したの。−
「誰と?」
−親切な人と。さぁ、航君、もう私の手助けは要らないでしょ? 素直になって。−
 ミユキは光り輝き、星が散らばるように一瞬で消え去った。秋の夜空に小さな星が瞬
き、その中に航は美春と、二人きりで居る。
「ミユキは?」
「もう居なくなった。」
「なにをしに来たの?」
「魔法を、かけに来た。」
「え?」
 航は美春に向かい合う。美春も航を見つめ、小さな鈴の音がした。
「オレ、ずっとお前が好きだった。何度も言おうと思いながら、息を飲むみたいに、その
言葉をかくし、ミユキにだけうち明けていた。そしたら、ミユキが、背中を押しに、奇跡
が起こった。」
「私も、好き。私も、ミユキにずっと言っていた。あなたのタンスの上にいた、あのミユ
キだけが、私の思いを知っていた。」
 流れ星が落ちた。また鈴が鳴る。それは、航が唯一持っている、美春の鞄から引きちぎ
った赤い塗料の塗った鈴。好きだと知られたくないばかりに、その塗料をこそぎ取り、銀
色の傷だらけになった鈴。
 もう二度と会うことはない。ミユキが居なくなったのは、いつだっただろう。母親が捨
てたと思ってから、もう随分と時間が過ぎたはずだ。

「どうしても?」
 暗闇に響く冷たい声。その声に糸の付いた操り人形は肯いた。
「でも、君は人形だよ、人形が人間になるなんてこと、出来るわけないだろ?」
−それでも、このままだと航君は、美春ちゃんは、自分の気持ちを殺したままになってし
まう。お願いです。神様。どうか私を人間にしてください。そして、二人に素直になるよ
うに、それを言ったなら、私、消えても構わないから。−
「いいだろう。ただし、お前の口はやはり人形だ。開くことは出来ない。約束をおし、人
間らしく出来るだけするんだよ、瞬きを忘れずに、そして、二人がお前の正体に気付いた
なら、お前は消滅するんだ。もう人形で居られない。それでもいいかい?」
−構いません。タンスの後ろに落っこちてしまってから、航君には逢っていないのだし、
もう、航君は、私の助けなど要らないほどおとなになっている。でもただ一つ。美春ちゃ
んへの思いだけは、私がミユキで居る以上無くならない。だから、どうしても、−
「いいだろう、お前を人間にしてあげよう。だけど、これだけは訂正させて。私は神様じ
ゃない。俺は、奇術師・ジョーカーだ。」
 奇術師は操り人形に奇術を施し、人形は光を得て人間の姿を手に入れた。人間らしくす
る公約は、人形の彼女には辛いことだった。瞬き一つで痛みが走り、歩くだけでイバラに
身体を締められているようだった。
 でもそれでも良かった。もう一度大好きな航君に会えたし、美春ちゃんにも会えたのだ
から。人間にならなかったら、人形はタンスの裏に落っこちたまま、そのうち、母親によ
って捨てられるのだから。
 この身体の痛みなど、なんのこともない。航君が大好きだから。航君が大好きでいてく
れたから。
 人形は星の瞬きの一瞬、人間に戻った。

忘れるわけがないわ。
あなたが私を愛してくれていた日々と
あなたの小さな優しさしかない掌と
抱き締められていたぬくもりを
名前をくれたあの日を
泣いている貴方を励ました日々を
笑っているあなたを見る幸せを
それをくれたあなたを
私は忘れるはずがない
忘れられないわ
私が貴方を愛したように
貴方も愛してくれたのだから
忘れないわ
私は貴方が好きだから
忘れない


思い出。
思い出の中に、今も生き続けているだろうか?
君が昔大事だったものが。
あれほど大事にしていたもの、今更あの時と同じだけ大事だと思うかい?
でも、「彼ら」は記憶しているよ。
君達から愛されていた日々を。
だから、あの日に戻りたいと願っているんだ。
覚えて居るかい?
君が大事にしていたものを?
その思いを?

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