ろうそくの炎が、壁に影を揺らす。まるでワルツでも踊っているかのようなそれをぼんやりと眺める。ろうそくの炎はなんだか安心する。と誰かが言って居た。誰だっけ? まぁ、そんなことどうでもいいのだけど、それにしても、お腹、すいたぁ。
 ごんと机に額をぶつけ、目を閉じる。眠いわけではないが、起きているだけで、目を開けているだけでお腹がすく。変な理屈と笑われようとも、目を閉じていれば幾分かお腹のすき具合にストップがかかるだろう。
 一体いつから待っているのだろうか? 待つ気などまったくなかったのだが、いつもの「多分、行けるはず」に惑わされている。
 所詮仕事が忙しい人だし、人付き合い、私よりは数段いい。おまけにもてる。「くそ腹が立つ!」ほど。
 なんだかやけになってきた。なんだって待ってるんだろう。
 顔を横に向ければ、なんだかんだと言って用意しているご飯が皿の上に鎮座している。ため息をひとつつき、そばのから揚げに手を伸ばすが、それをただ指ではじくだけで顔を背ける。きっと、今食べたら止まらない。結局先に食べて、お風呂に入って、ドラマ見て、先に寝るだけだ。
 別に普段なら構わないけど、今日は「とりあえず」特別でしょ? あたしの誕生日でしょうが! とか思っても、ならない電話は静かに寝ている気がする。
 なんだかなぁ。体を起こして髪の毛を掻き毟って膝を抱える。あと五分しても帰ってこなかったら、先食べよう。いや、もう五分。といい続けてすでに四時間。揚げたてだったから揚げは冷めてしまったし、炊き立てのご飯の匂いさえももう無い。
 つまらない。最低。ふざけんな! そのどの言葉もすっかり吐き出して、今出る言葉は、
「お腹、すいたぁ。」
 あぁ、もう十時だ。いくらダイエットしなきゃとはいえ、さすがに十二時間の絶食は堪える。ましてや、九時以降の食事こそ太るもとじゃないか! でも、電話はならない。メールも、玄関のチャイムさえも。
 そのまま横になり、そばのクッションを枕代わりにすける。煌々と電気がついている中、静かに時を刻む時計の秒針の音と、ときどき外を通る暴走車の音、あとは何も無い。虫が鳴いている気がするけど、ただの耳鳴りだろうし、もう、なんだか、いいや。うん、寝よう。お休み。


 目が覚めて唖然とする私に、彼は不思議そうな顔をする。
「なに?」
「なにって、いつ帰ってきたのよ?」
「あ、えっと、十二時?」
 聞くなよ。と思いながら時計を見上げる。六時だ。しかも日が部屋に差し込んでいる。
「よく寝てたなぁ。」
「そう?」
 もう、何も話したく無いほどの倦怠感が体を襲う。だるくてやっと起き上がってまた唖然とする。目が覚めたその枕元で、パジャマを着て胡坐書いて新聞を読んでいる時点でも唖然としたのに、昨日用意したものの姿が無いのだ。きれいに。皿も、コップも、何もかも。テーブルはきれいに拭かれ、何も無い。
「この上のものは?」
「くった。」
「くった?」
「ああ、うまかったぞ。で、なんだ? あんな豪華な料理。俺が帰ってくるのがそれほど待ち遠しいかぁ?」
 思いっきり、拳骨の「骨」で鼻を殴る。いい音がして彼はぐへっと音を出した。なんだよ、こいつ! むっと来て立ち上がり洗面所にいく私の背中に彼が何かを言う。
「朝飯は? ちょっと、かなり腹へってんですけどぅ。」
 うるせぇ。勝手に食いやがれ! 私は思いっきり洗面所の戸を閉め、鏡に顔を映す。ほらね、ものすごい剣幕の顔だ。目が釣りあがってる。おまけに顔色も悪い。ああ、史上最強の不幸顔だ。水を多めに出して頭から突っ込んで、冷水で頭を冷やそう。
 なんだか虚しくなって涙がこみ上げてくる。ああ、情緒不安定だわ。これって生理前だからかな? そういえば、もうそろそろかぁ。ああ、だから無性に甘いものが欲しいんだ。何だけどなぁ。
 洗面所から出ると、彼は静かに朝のテレビを見て居た。無視して寝室に向かって、唖然。ああ、今日はこれで三回目。おまけに、この唖然は他の二つとは比べ物にもならない。例えば、そう、父親が自分の年と同じ子を部屋に連れ込んでいる場所を見たとか、母親の下着が透け透けだったとか、それほど、唖然。
「なに、これ?」
 彼の乾いた笑いに振り返ると、照れた彼の顔があった。
「なによ、これ。」
「ああ、まぁ、いろいろと考えてね、これが無難、かと。」
「無難? なによ、これって、ベビーベットに、ベビーキャリー、ベビー服に、しかも趣味悪いし。ガラガラ、おしゃぶり、入浴バス? 風呂に入れろよ、そのまんま。で、なにこれ、」
「ああ、これ? 哺乳瓶消毒洗剤らしい、テレビでやってるだろ、あれ。」
「あれじゃない。なによ、これ。」
「そろそろね、」
「はぁ?」
「いや、誕生日プレゼントを必死で考えててさぁ。デパート中の女の人に声かけたほど解んなくってさぁ。お前が欲しいもの。指輪とか、ネックレスとか、花とか、」
「食い物にしてよ。」
「って言うだろ? だから、ケーキ?」
「形に残んないでしょ。」
「おまえさぁ、むちゃくちゃ言うよな。いつも思うけど。そんで悩んでたらさぁ、目の前をお腹の大きな人と、それと一緒に旦那さんがキャリーバックを買っていくのみてさぁ。そろそろ、どうかなって。もう、そろそろ結婚、しないか?」
「あたし、と?」
「そう、あんたと。俺と。というわけで子作りに励みましょう。」
 彼は私を押し倒す。その額を思いっきり爪で突くと、彼は私の上から退いて顔をしかめる。
「あのね、というわけじゃないでしょ、というわけじゃぁ。一体、どうしたって言うのよ、結婚は面倒で、まだ若くて、子供なんかって言う余裕無いって言ったじゃない。」
「無いよ。全然。もし今できても、かなり、困る。どうやって育てればいいかとか、いろいろ。でもさぁ、なんかさぁ、そう言うこと一緒に、わかんないとか言いながらお前とやっていくのも、いいかなぁと。で、子作りを、」
 再び額に爪の後を作り、私は彼の前に正座した。彼は痛がりながらも同じく正座をした。なぜ正座かなんかわからない。ベットの上で二人が向き合い正座していると、明治あたりの初夜を思い出す。見たのかよあたし。
「子供、作ろう?」
「率直過ぎ。」
「じゃぁ、こういうのはどうだ? 俺のパンツ洗ってくれ。」
「洗濯機に言いな。」
「ああ、じゃぁ、味噌汁を作ってくれ。」
「永●園に言って。」
「じゃぁ、じゃぁ、俺と同じ苗字に、」
「夫婦別姓というのがあったよね、あたし好きなのよ、この苗字。」
「……。嫌なのか?」
「昨日の腹いせさ。」
「性格悪いぞ。」
「どうすんの? この性格のコピーができるのよ。一人といわず、二人も。三人がかりで、よってたかるよ。」
「いいよ、……、多分、……、その、……、とりあえず小作りぃ。」
「やはり、どうぞ。」
 私は箱を差し出す。彼は渋い顔を私に向ける。
「つけなきゃだめっすか?」
「嫌なら、ご飯食べる。昨日食べてないもの。」
「お、ダイエットか?」
「暫くは髪の毛一本たりとも触るな!」
「おい、怒るなって。」
 部屋を出る私を彼が追ってくる。私は別に怒ってなど無いから、座るとすぐに彼に指をさし、
「ご飯。」
 と命令する。
 誕生日をすっぽかした詫びを入れろ! と言わんばかりの私に彼はしぶしぶ冷蔵庫を開ける。
「何もねぇぞ。」
「パンか、そう、確かなんかあったって。」
「無いって、」
「あるって、」
「じゃぁ、お前探せよ。」
 もう! どこまでも役たたずめ! 私か顔をしかめ冷蔵庫に近づくと、彼はその場を一歩下がる。
「おい、こういうものを冷やすのか?」
 冷蔵庫にはケーキと、ふたを開けた指輪ケース。目を凝らさなきゃ見えない石のついた指輪があった。
「おお、ちいせぇ。」
「嫌味か?」
「これ、給料の何か月分?」
「値切って、給料の1/3分。」
「お手ごろで。」
「そうでしょ? いやいや、どうする? 今はめる? 子作りには邪魔だと思うが。」
「どこまでも小作りかい?」
「嫌いじゃないでしょ。」
「ああ、大好きよ。指輪も、キャリーバックも、あんたも。馬鹿すぎで。」
 ……。彼の反応は彼らしかった。鼻の頭に急に汗をかき、それを指でぽりぽり掻いて、照れた顔が私を見たとき、私はようやく笑った気がする。途端、下腹部に走る激痛。
「あ、いったぁ。残念、小作り中止。」
「何で?」
「生理が始まったの。いたぁ。トイレトイレ、その前にナプキン、ナプキン。」
 トイレに駆け込む私に、「小作りぃ」と名残惜しそうな声が追いかけてきたのはいうまでも無い。


 それから半年後、順調に結婚した私たちは、今までとなんら変わらずすごし、すぐに子供ができた。ハネムーンベイビーだ。いつの夜のだ? という邪心も、ぐっすり眠っている無防備な子供と彼を見ていると吹っ飛ぶ。
 子供が寝ているのは許そう。何でお前まで寝るかな? ま、いいかぁ。天気もいいし、昼寝日和だ。親子三人川の字で寝よう。ああ、いい天気。
「あ!」
「なに?」
 急な声に顔をしかめる私に、彼は首だけ起こして、
「誕生日おめでとう。お休み。」
 ……。ああ、そうかぁ。授乳に負われ、オムツ換えに追われて忘れてた。今日、誕生日だった。あれから二年かぁ。あれ? 去年はどうしてたっけ? 去年、去年、……。

 風がゆっくりと過ぎていく。柔らかい光の中で、親子は首筋に汗をかきながら昼寝をする。起きたのはそれから五分後だ。
「あつぅい。」
Fin
Juvenile Stakes:ジュヴナイル編集部記念杯投稿作品

2002.09.14




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