不美人香


「えー、こちらの香水、ただの香水とは少し違いましてぇ。……、」
 曇り空は今にも雨を落としそうだった。
 憂鬱な気持ちと、やけくそに足が重く、はく息すら億劫に感じられる。そんな絶望感あふれながら彼女は忙しく賑わおうとしている街を歩いていた。目に飛び込む人の笑顔はみんな嘘で、呆れるほど嘘と、見栄と、ぶすでできている。
 そう思う気持ちのほうがぶすだと自責し、自嘲し彼女は俯いて立ち止まった。彼女の行く手に黒い靴が見えたからだ。顔を上げると、やけに笑顔のいい男が小瓶を手に持っていた。
「香水どうですか?」
「結構、です。」
「そうおっしゃらずに。美人はさらに美しく、そうでないものはそれなりになる香水、名づけて不美人。いかがです?」
 下手なキャバレーの売り込みのような法被に鉢巻きをした腰の低い男は、黒ぶちの眼鏡越しに彼女を見上げる。
「結構です。それに、不美人って、ぶすってことじゃないですか。」
「なるほど、それで売れないのか。」
 などと男は納得したが、すぐに笑顔で彼女の顔を見上げ、
「それを教えてくれたのでプレゼントです。どうぞ。」
 そう言って無理やり彼女に小瓶を押し付けた。迷惑そうに振り返ったが、男はすでにいなかった。
「へ?」
 まぁ、どうせただだ、もらっておこう。名前が気に入らないけど。などと思いながらその小瓶を見た。
 小瓶は普通に百円ショップで買えるプラスチック製の香水などを入れるもので、格別な細工はない。中の液も透明で変わりない。ふたを開けると、フローラルの匂いがかすかにして、香水というほど強いにおいはしなかった。
「まぁ、ただだし。」
 そう言ってふたを閉めようとしたとき、彼女は後ろから来た人とぶつかり、香水全てをかぶってしまった。
「ごめんなさい。」
 声の主は男性だった。同僚と昼食を食べに出てきたところだろう、話をして盛り上がっていて彼女に気づかなかったようだ。
「大丈夫?」
「ええ、こちらこそ、ごめんなさい。」
「あ、服汚しちゃったねぇ。あ、これ僕の名刺、クリーニング請求がきたら連絡して、」
「いいえ、結構です。」
「じゃないよ、」
「本当に、結構ですから。」
「じゃぁ、今から昼どう?」
「え?」
「それでお詫び。なんかそのまま行くことって出来るけど、なんかできなくてね。」
「でも、」
「お昼済んだ?」
「いいえ、まだ。今からです。」
「じゃぁ、いいじゃない。」
 彼は彼女に笑顔を向けた。彼女の胸は躍っていた。素敵な人だった。好青年で、優しくて、何よりも、彼女に始めて親切にした人のように感じられた。
 彼女は彼の申し出を受け、昼を一緒に食べ、連絡先を交換し合い、そして次の休みにデートすることにまでなった。
 海のそばの公園で待ち合わせをして、そのそばでショッピング。夕方にはその夜景を見ながら食事をする。
 彼はとにかく素敵な人だった。趣味は水彩画を描き、彼女も絵は好きだったし、犬も好きだった。週末を過ごすうちに、二人は一緒に住み始めた。
 幸せとはこういうものだと実感した。あたたかで、そして安心できる。本当に幸せだった。

 そんなある日、同じ街で、あの香水屋に会った。
 彼女は香水屋に近づいた。
「ああ、不美人の。」
 彼はそう言って彼女と、その同棲者を見て微笑んだ。
「いかがです、その後。」
「あなたの香水のおかげか知らないけど、すごく幸せよ私たち。」
「そうですか、それはよかった。じゃぁ、不美人から不幸福に変えなきゃなぁ。」
「何で「不」なの?」
 彼は笑い、彼女にそっと右手を見るように言った。右手には服屋のショーウインドーがあった。そこに移っているのは当然彼女と、香水屋と、同棲者だ。
「え?」
 彼女は同棲者を振り返った。そこにいるのはいつもの彼、なのに、ガラスに映っている彼は焼けこけた気弱そうな、彼女の嫌いな優柔不断そうな男だ。
「不美人は内面の美しい人はより美しく、そうでないかたはそれなりに見せる香水なんです。」
 彼女はガラスと、彼を交互に見た。
 同棲者の心は美しい。でも、容姿は……。

────贅沢ですよ。表裏美しいものを願うのは。

「えー、こちらの香水、ただの香水とは少し違いましてぇ。美しい人はより美しく、そうでない方は、それなるに見える不思議な香水、おひとついかがです? 」


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