≪栗栖 はづみの場合≫


 2/14が近づくにつれて憂鬱になってくる。栗栖くりす はづみ。17歳。
 彼女には、隣に住み、一応彼氏だと言っている【藤田 柾二ふじた せいじ】に渡すかどうかで悩むんでいたのだ。
 彼氏なら、渡せばいいじゃないかって、そう言う問題じゃぁ無い。なんせ、あいつと付き合っているなんて誰も知らないことなんだし、第一、本当にそれが付き合っているのか不明なのだ。
 柾二が引っ越してきたのは中学に行ってすぐで、既に五年経ったわけだけど、その間、あいつはアメリカ留学だの、フランスに単身赴任する父親に付いて行ったりと、五年の間の三分の二は居なかったわけで、帰ってきても、優秀な頭をお持ちの彼はすんなり私立の学校に通っているありさま。で、はづみはと言うと、公立のしがない一般学生をしているわけだ。
 今まで一度もそう言う儀式らしいことを過ごしてないし、何よりも、柾二自体が、イベント事に無頓着で、ヴァレンタインはチョコの交換会じゃない。と言って馬鹿にしていた手前、手作りのチョコなどあげられないのだ。
 それなら渡さなくて済むのだが、何だか、気持ちがはっきりしないのは、今年はいやに力を入れている女子の所為だ。
 クラス中がヴァレンタイにはまって居るかのように、せっせとプレゼントを作っているのだ。在る者はマフラーだったり、在る物は大作のセーターだったりで、教室中毛糸だらけだ。
 そんな中にあって、家庭科の授業でマフラーを作ると言う課題が出されれば、はづみだって編まないわけにはいかない。
 結局誰かにあげるために編んでいるのが解る。すべてダーク系ばかりで、その中で、自分の為に編むはづみの毛糸は赤だったりすると、顰蹙をかえって買う。だから、自分でもいいと思えるくらい茶色のマフラーを作ることにする。
「はづみは誰かにあげるの? 」
「自分かな。」
 そう言いながら作らないと、かってな憶測が変な誤解を生む。
 はづみは比較的手先が器用に出来ているらしく、ほとんどがシンプルなマフラーを編む中、紗羽は凝った模様を得意とし編んで居るのだ。
 もし、柾二にあげるのなら、こんな色は気に入らないと思う。いや、あいつなら、どんな色でも、どんなものでも喜ばないだろう。
 いつも清ましていて、人を馬鹿にしたように鼻で笑い、終いには、「お前にゃぁ解らないよ。」と話を終わらせる。だから、いつも話が途中で終わる。それで何で付き合っていると思うのだろう。はづみは時たまそう思う。
 好きだと聞いたことも無ければ、言った事も無い。ただ、夕飯を一人で食べるならと、はづみの母親が一緒に食べようと誘ってから、お隣さんと言う形で、話し出しただけだ。
 部屋に入ることはあっても、それで何があるわけじゃない。年頃だと思う。今年の夏、処女を捨てたと言う子が多かった。はづみにはそれが大した思い出にも、喜びにも思えなかったが、明らかにそれらの彼女との間に、妙な大人の溝を感じているのは確かだった。
 そんな秋口に柾二は帰ってきた。また私立の高校に編入して、そこで常にトップの成績だと言っていた。嫌味な奴だ。
 窓を叩く音がする。いつも、竹差しで窓を叩くのが合図だ。
 はづみは窓を開ける。柾二がコートをハンガーにかけていた。私立の有名高校は、大学まであって、成績百位までが自動的に入れると言う。まぁ、こいつの成績なら、授業をすっぽかそうが、ボイコットしようがテストで受かるだろう。
「お帰り。」
 とりあえず的に言うと、柾二は伊達の眼鏡を外し、はづみのほうを見る。
 はづみは柾二のほうを向かずに机に向かって漫画を読んでいた。
「勉強ぐらいしろよ。」
「大きなお世話。で、何? 」
「今度の模擬試験受けるのか? 」
「受けない。」
「やっぱり。」
 はづみはそう言った柾二のほうを見る。真冬だと言うのに窓を開け放して服を着替えている。はづみは顔を漫画に向きなおし、「なんで? 」と聞く。
 セーターでも被っているのか、不具合な声を出しながら、
「名前が無かった。」
 と言う。
 模擬試験会場はいつも、彼の学校で行う。模擬試験を受けに来る名簿を見れるほど、教師から信頼されているのか、企業秘密をよく知っている。
「受けるの? 」
「一応。」
「また一位ですか。」
「多分な。」
 嫌味な言葉にはづみは頬杖を着いて顔をそむける。窓に面して机を置いているのには、これ以上部屋の内部を見せたくないからと、柾二の様子を見るためだ。
「セージ! 」
 下で伯母さんの声がする。はづみが窓の外を少し首を傾げてみると、女の子達が立っていた。制服がそれぞれ違うのは、彼女たちが、柾二と塾で知り合っているからだと言うことが解る。そして、彼女たちは柾二に告白するために来ている事も。
 だが、いくら柾二に心のこもったプレゼントを渡そうと、柾二は一言玉砕で追い返す。
「要らない。」
 好きです。と差し出されたものをじっと見て冷たく言い放つ。泣き出す子も居るほど、奴の言い方は冷たい。
 はづみはそれを二階の部屋で、窓を透かして聞いていた。
 やっぱり彼女じゃないのかもしれない。もし、彼女だと思っていれば、「付き合ってる奴居るから。」と断るだろう。でも、あいつがそう言うことに機転がきくかは不明だ。
 柾二が上がってきた。はづみはそれを上目使いで確認して漫画のほうに目を落とす。
 家の隙間は、手を伸ばせば届くところにある。柾二は手を伸ばし、はづみの前の窓を開けて何かを放り投げた。
 はづみが落ちたそれを振りかえる。
「何これ。」
 柾二からだと期待した瞬間「外に立ってた。お前に渡してくれって。」そう言って窓を閉めて下に行ったのか部屋から気配を消した。
 はづみは座って屈したまま動かなかった。
 ほぅらね、やっぱり彼女じゃないのよ。ただのお隣りさんなのよ。そう思えば思うほど、好きなのに……。と涙が涌き出てきそうになる。
 くれた人には悪いが、受け取る気が無い。まぁそのうち使うかもしれないから、物置にでもしまっておこう。
 翌日、はづみは休み時間を利用してマフラーを編んでいた。
「昨日のさぁ、塾で、」
 はづみの前に座る吉野 リセが話し掛けてきた。
「また、一位だったのよ、その人。なんかさ、ずっとなんだって、ろくに塾には出ないくせに頭がいいのよ。」
 リセが頭がいいとは思えない。だから、遥か別のクラスの話としてリセは言っている。はづみにはそれが柾二だと解っている。
 柾二が必ず一位だというのを、はづみはリセから聞いていたのだ。
 柾二と勉強の話はあまりしない。しても、模擬試験に行くか? とか、そういうことであって、XやYの話はしない。
「今日来るんだよ。」
 はづみは顔を上げる。
「誰が? 」
「その人。何でもアメリカからきた人の通訳なんだって。しかも、その人の名指し。」
 はづみは軽く相槌を打つ。それで、女子が浮き足立っているのか? とも思えるほど、今日は念入りに化粧道具を広げている。
「皆、彼目当てなのよね。だってさ、彼の家はお金持ちで、大きくて、玉の輿だし。」
 はづみは考える。家に行ったが、広さは自宅とそう変わらない。
「本宅はね。アメリカにあるんだって。日本にはお手伝いさんと暮らしてるんだって。」
 おや、おや? なんじゃ、そのすっ飛んだ話は。あの人がお手伝いさん? あんなに似てて?
 はづみは解らないように顔をしかめる。
 廊下が騒がしくなり、冬では開かずの窓となっている窓が一斉に開く。清清しく、嫌味なほど悠然と、その私立の高校の制服のまま柾二が歩いてきた。
 柾二が平歩する相手は、金髪で緑の目の美人だ。
 教室に入ってきて、一度ははづみを目に入れたはずなのに、だからと言って表情を変えたり、話し掛けたりしない。
 はづみも、編みかけのマフラーを終い、英語の教科書を業とらしく出す。
 日常会話を馴染もう。とでも言いたげな日常会話のやり取りで授業は始まった。
 時々、彼女マリアが柾二と親しげに耳打ちし、笑い合う姿に少しむっとしながら、それでも、知らぬ顔をするのだから、迷惑なのだろう。はづみと知り会いと言うことがばれるのは。だから、はづみはノートに書いている振りで俯いていた。
 マリアの声は綺麗で、自己紹介の際に言った、オペラ歌手になるのが夢。と言ったとおり澄んだよく通る声をしている。
 授業は二時間続く。休み時間、マリアと柾二の周りに生徒が集まる。
 はづみは教室を出て行く。
 昨日、一言も言わなかった。別にただのお隣りさんだから言う必要も無いのだろうが、学校に行く。と言う話題だけでいいじゃないか。
 はづみはトイレ横の渡り廊下の手すりに掴まる。
「栗栖。」
 はづみが振りかえると、和泉屋 宗吾が立っていた。宗吾は同じクラスで、とりわけはづみとよく話す男子の一人だ。
「お前の隣人て、凄い奴だったんだ。」
「隣人……、昨日くれたのって。」
「あ、渡してくれたんだ。」
 参った、相手は宗吾だったのか。いい奴だが、興味も趣味も合わない。悪い奴じゃないが、気兼ねをしてしまう。それなら、馬鹿にされていたほうが楽なのだ。
「返事とかはさ、別に急いでないから。」
 はづみは頷く。宗吾は妙な笑顔で教室に帰っていった。
 悪い奴じゃないのだ。本当に。でも、好きになれない。格好はいいけど、好みじゃない。つんけんしているけど、柾二のほうが好きだ。やっぱり、好きなんだ。
 はづみは空を見上げてため息をつく。
 柾二が教室から出てきてトイレに歩いてきた。
 その後を金魚の糞のように女子が歩く。面白いように皆が一斉に歩く。
 はづみは鼻で笑って教室に帰る。
 マリアが男子たちのつたない英語に困惑している。はづみは見ないで席に座り、頬杖をついていると、柾二がいそいそと帰ってきて、マリアの周りの男子を掻き分け、護兵に変身する。
 はづみはそれを横目で見ながら、リセの言う言葉に納得していた。
「仲いいよね。付き合ってるのかな。何かさ、海外よく行ってるらしぃし。」
 はづみは「そうじゃないの。」と言い捨てて窓の外を見る。
 はづみが勝手に付き合っていると思っていたのは、あの日がきっかけだ。でも、今思えば、ただの挨拶で、そんなの、外国暮らしの長い奴なら、普通の行為なんだと思う。
 秋口の、銀杏の葉が落ち始めた頃、家の前に立ってはづみの帰りを待っていた。正確には、タクシーで降りて直ぐだったらしい。はづみの姿を見て抱きついたのは、柾二の方だし、その後、軽く、本当に軽く唇にキスしたのも柾二のだ。
 それで勘違いしないほうが可笑しいだろう。でも、翌朝、柾二は今まで通りで、昨日の熱烈な挨拶が嘘のようにはづみをけなした。「体の成長が無い。」とか、「頭もずっと小学生だろ。」とか。
 キスなんて、やっぱりただの挨拶なのだろう。
 はづみにとっては、ファーストキスだったけど。
「ねぇ、はづみ。これだけど。」
 クラスの一人が編みかけのマフラーを持ってきた。
「何かさ、一目少なくて。」
 はづみがマフラーを手にする。
「手作りなんて、呪いがかかってそうだな。」
 はづみがゆっくりと顔を上げる。
 柾二がノートをめくりながら言ったのだ。
 少なくても、このクラスにも柾二にあげようと必死で編んでいる子は居るだろう。柾二にあげなくても、やっぱり好きな人に精一杯編んでいる子は居る。
「呪われるような酷いことしてたらそう思うのよ。」
 はづみはしっかりと柾二を見る。柾二がノートからはづみのほうに顔を向ける。
 こいつの酷い言葉にはなれている。でも、一生懸命作っている他の子に非は無い。
 柾二は伊達の眼鏡を掛け直すように指ではじき、はづみを見る。
 はづみはマフラーに目を落とし、落ちた目を器用に拾い上げて手元まで救い上げる。
「気にすること無いわよ。はい。」
 はづみは笑顔を向けたが、彼女の顔が暗い。彼女こそ、柾二にあげるつもりだったのだ。
 けなげな女の子の気持ちを踏みにじりやがって。と思えばこそ、はづみは絶対に柾二のほうを見なかった。
 授業中は俯いていたし、家に帰っても、窓にカーテンを引いた。
 何度か竹差しで叩く音はしたが、開ける気は無い。
「はづみ、ご飯。」
 母親の声に下に下りていく。
「はづみ、これ、お隣りに持っていって。」
 はづみはお盆を渡されてむっとするが、はづみの家には、これに応対できるのがはづみ以外居ない。母子家庭であるはづみの家で、母に逆らうことは出来ないのだ。
 庭に出て、戸を叩く。階段を駆け下りる音が聞こえる。レースのカーテンを開け、柾二が出てきた。
「はい。」
 はづみは床に盆を置き、翻る。
「待てよ。」
 柾二が肩を押さえるが、はづみは体をくねらせて逃げるように帰る。
 家に上がって窓を音を立てて閉める。
「はづみ、母さんね、今から仕事だから。」
「また? 」
「田辺さんが風邪引いて、その代わり明日お休みもらったの。だから、先に寝てて。」
 はづみは頷き、仕事に出て行く母を見送る。
 母はコンビニの店員をしている。田代さんには小さな子供が居て、たまに子供を預かったりしている。
 はづみは用意された夕飯を食べようとテレビをつける。
 窓の外にぼうぅっと立っている柾二が居る。
 一瞬「馬鹿」と引いたが、はづみは無視して夕飯を食べると後片付けを済ませ、電気を消し、二階に上がる。
 部屋に入ると、既に上がってきていた柾二の影が見える。
 鬱陶しい。
「窓割るぞ。」
 何だよ、逆切れかぁ! はづみはそう思いながら、カーテンだけを開ける。
 窓から身を乗り出し、庇に足を掛けて立っている。
 はづみはベットに座り、窓にへばりつく柾二を見ないようにしている。
「いい加減、開けろ! 」
 はづみは窓に近づき、舌を出すとカーテンまで引き、下着を持って下に行く。
 流石に風呂場までは回ってこないだろう。
 優雅に湯船に浸かって風呂から上がると居間に点けていなかった電気が点いている。
 はづみは恐る恐る居間を覗くと柾二が椅子に座り、テレビまで点け、お茶まで飲んでいる。
「何してんのよ! 」
「茶。」
 はづみは頭を抱え居間に入る。
「何でよ。」
「玄関は開いてた。」
 はづみの溜息など聞きもしないで柾二はお茶を飲み干し、はづみを見上げる。
「お前、髪を伸ばせばいいのに。」
 はづみは柾二を見下ろし、腕を組んで顔をそらす。
 今だかつて肩から下に髪を伸ばしたことは無い。
「何で、あんな事言ったのよ。」
「あんなこと? 」
「呪いが掛けられてるとか。」
「正直なだけだ。」
 はづみは溜息をつく。
「彼女がどれほど傷ついたか。」
「じゃぁ、その気も無いのに、付き合うほうが優しいか? 」
 柾二の言葉は正しいと思う。女の子の立場から言えば、それでも嬉しいが、その逆だと柾二の言う通りだと思う。
「大体、好きでもない奴から物もらって大事にしまって置くなんて事、俺はしないんだよ。」
 はづみは柾二のほうを見下ろす。
 昨日の宗吾からの物を言っているようだ。
「別に、あんたには関係無いでしょ。」
「あぁ、関係無い。お前が誰から何をもらっても。」
 伊達の眼鏡は人間関係に一線を置くためだと、柾二が言っていた。眼鏡を見ると人は見透かされている気になると言う真相心理が働くと言っていた。本当かどうかは知らんが、確かに柾二の眼鏡越しの目に見られると内心を見透かされている気になる。
「何で、学校で無視してた? 」
「あんたが嫌なんじゃないの? 」
 はづみは台所に行って冷蔵庫を開ける。ジュースを取り出し、居間に出てくる。
「俺の分は? 」
「無い。」
 向かいに座りプルタブを開けて口に含む。机に置くと柾二がそれをとりジュースを飲む。
 それが、アメリカでは普通で、別に深い意味は無い。と思っていても、やっぱりどきどきする。
「さっきの話。俺が嫌だって? 」
 はづみは顔をそむけてテレビを見る。
「マリアって可愛いよね。」
 柾二ははづみを見て、同じようにテレビを見る。
 ヴァレンタイン特集のドラマだ。
「ヴァレンタインか。いつだっけ。」
「さぁ、興味無いから。」
 はづみの返事に柾二は適当な相槌を打つ。
「ねぇ、もう帰ってよ。」
 はづみが柾二のほうを見る。
「何だよ。」
「寝るの。」
「添い寝してやろうか? 」
「大馬鹿者。そんな事言う暇あったらお勉強でもしたら? 」
 はづみは顎を上げて嫌味に言う。
 柾二は何も言わずに立ちあがり、玄関に向かう。
 はづみはジュースの缶を台所に持っていき、居間を出る。出て直ぐの所に柾二が立っていた。
 何? と言うまもなく、はづみは柾二に押さえられるままキスをされる。抵抗などせずに、噛み切る勢いで柾二の唇を噛む。
 口に微かに血の味が広がった。柾二が舌打ちをして顔をしかめる。はづみは柾二をじっと見たまま黙っていた。
「さっさと帰って。あんたなんか、大嫌い。」
 柾二を思いっきり突き飛ばして追い出すと、鍵を掛けて二階に駆け上がる。
 部屋に入って直ぐ床に座りこむ。
 何でするの? あれも挨拶? 違うんじゃないの? って、誤解するような事するな。好きでもないくせに。
 はづみは膝を抱いて悔しくて泣き出していた。
 翌日。学校へと行くために外に出ると、同じ時間学校に向かう柾二と顔を合わせる。唇に噛んだ後のかさぶたがしっかりとついている。
「おはよう。」
 はづみはいつものようにそう言ってすれ違う。
「今日、俺ら半日なんだ。うち、来いよ。」
「嫌。」
 はづみはそう言って歩いていく。
 半日だろうが、休みだろうが、それだけの理由でなんで家に行かなきゃいけないの。
 はづみの足取りは重かった。クラス中で噂になっている以上に好きなくせに、それを知らない顔で居なきゃいけない。本当はね、そんなこと無いんだよ。と言ってやりたいような憶測が飛び交っている。
 マリアとは恋人同士だとか。マリアは不器用だから、うらやましくて、呪いがかかってるなんて言ったとか。好い様に解釈している。
「ねぇ、はづみ。」
 はづみは顔を上げる。リセが紗羽の編んでいたマフラーを手にして「器用よねぇ。」と感心しながら、「今日さ、どっか行こうか? 」
「……、ごめん、今日はね。お腹の調子が、悪くて。」
「解った。」
 昨日から腹痛が続いている。柾二のことを考えると怒りと同時に、悲しさまで溢れてくるのが、生理前の腹痛を酷くさせているようだ。
 はづみは放課後、スーパーに寄って帰る。
 柾二が夕飯の材料を買いに来ていた。買い物篭にはレトルトのカレーが入っていた。
 はづみはその横を過ぎ、生理用品売り場に行く。手にして横を向くと、目のやり場に困ったような顔をして立っている柾二が居る。
「何。」
「通り道。」
 後ろを通ってレジに並ぶ。
 はづみは買い溜めする為に三つ抱えてレジに並ぶ。鈍痛がお腹と背中に走り顔をしかめる。
 とうとう来たか。そんな顔をして紙袋に入れてくれたそれを持って店を出る。
「入れろよ。」
 はづみは柾二を見て籠に鞄を入れる。
「それは? 」
「これはいい。」
 柾二は何も言わずに並歩する。
「口、痛い? 」
「別に。」
「そう。」
 はづみは腕でお腹を温める様にして歩く。柾二はゆっくりとそれに付き添いながら自転車を押した。
「はづみ! ……。」
 はづみが向こうの通りを見る。クラスの女子が立っている。
 はづみは手を軽く上げて立ち去る。
 明日大袈裟な事になるような予感はできるが、今は寝たい。この腹痛を押さえるための薬を飲んで、暖かくして寝たい。それしか考えられなかった。
 その後も、何人かのクラスメートに逢った様だが、痛みで誰に会ったのか覚えてない。
 家に着くと玄関に腰掛ける。柾二が鞄を持って入ってきた。それを受け取ると、手を払って出て行くように言ったが、柾二はそのまま鞄を持って上がる。
「何よ。ちょっと、勝手に人の部屋に入らないで。」
 玄関に座ったまま、二階に向けて大声を出す。
 何で、今月はこんなに痛むんだろう。初めてじゃない。こんなに痛いの。
 柾二が降りてきてはづみの隣にしゃがむ。「ほら。」そう言って腕を引き上げて立たせる。
 痛みで顔をしかめる。いかん、目の前が真っ白だ。
 そう思った瞬間、はづみはそのまま柾二に倒れこんだ。柾二はふんばりはづみを支える。貧血を起こして、卒倒している。直ぐに戻るだろうけど、このまま玄関で立つのは、自分も辛い。柾二ははづみを座らせて抱えあげる。思いのほか、重い。二階に運べそうも無くて、居間の電気カーペットに下ろして電気を入れる。
 カッコよく二階のベットまで運べないなんて、なんて体力の無い。柾二は自分の腕を見た。
 はづみは意識を戻し、体を丸める。意識的に腰を擦ると、その手に添えるように柾二の手が伸び、腰を擦ってくれた。
「馬鹿じゃないの。帰りなさいよ。」
「ほっとけないだろ。」
「いいから。」
 痛みで涙が出てくる。なんせ、初めて生理痛と言うものを思い知ったからには、涙ぐらい出てしまうのだ。
 それを見て帰れるわけも無い。柾二は二階から毛布をとってきて、紗羽に掛けて、腰を擦りつづけてくれた。
「もう、止めてよ。」
 その間ずっとはづみはそう言い続けた。お願いだから、帰ってとまで言ったが、柾二は帰らなかった。あんたがどんな奴か解らなくなったじゃない。
「もう、病人じゃないんだから、帰って。」
 はづみは起き上がる。頭まで重い。これが生理痛? 頭を押さえて腕で支える。
「何で、そんなに帰したいのさ。」
「生理中にあんたと逢いたくないから。」
「……、仕方ないだろ、おまえ、女なんだから。あって……。」
「だから嫌なの。そうやって、解ってる風で、何にもわかんない奴と居たくないの! 」
 まぁ、所詮無理なことだ。男にこの痛みを説明しようとしてもそれは解りっこない。はづみだって、なって初めて知ったのだ。この痛みを。
「じゃぁ、言えよ。どんなんか、何して欲しいか。そうじゃないと解らないだろ。」
「だから、出て行ってって言ってるでしょ。」
 柾二は立ち上がり玄関に向かう。
 あぁ、帰れ、帰れ。
 はづみはそのまま倒れて眠った。痛みと、生理中の倦怠から眠気が来たのだ。
 何だか徐々に緩和される痛み。きっと電気カーペットの所為ね。そう思えばこそ、暫く目を開けなかった。
「はづみ。」
 母親の声に起きて、時計を見て驚いた。九時だ。家に帰ってきたのが四時頃だから、よく寝ていた。
「柾二君に御礼言いなさいよ。」
「何で。」
「さっき、母さんが帰ってくるまで、ずっとお腰擦っててくれてたんだから。そのお陰で、何時間もくうすかくうすか寝て。」
 ずっと? 帰ったんじゃ、無かったんだ。カーペットの所為でも、無かったんだ。
 夜。確かに、擦ってくれていたんだと解る。今、カーペットも無い布団で寝るのには、腰が痛すぎる。
 翌朝、変な夢で目が覚めた。はづみが柾二に何かをあげている。受け取らないと解っていて
贈ったものを、柾二は確かに受け取った。何をあげたのか覚えてない。でも、定番のものだと思う。
「おや? 明日はヴァレンタイン? 」
 はづみの声に、リセたちが振り返る。
 教室の席で頬杖をついているはづみを取り巻くようにはづみを見ている女子。気にしてはいないが、不機嫌極まりない行動だ。
「昨日、何で藤田君と居たの? 」
「……。居た? 私? 」と言って、スーパーからの帰りを思い出す。「あ、あぁ。居たねぇ。」
 そんな客観的な返事は要らないらしく、話題は先行する。
「どう言う関係って、やつに聞いて。奴の言うことが正しいから。……、そう、奴がただの隣人だと言えば隣人だし。そう、奴に聞いて。」
 はづみは机に伏せる。お腹が痛くなってきた。でも、よく長い間、寝ている奴の腰を擦り続けたものだ。感心すると同時に、何故そんなことをするのか疑問が沸いてくる。
 あいつを一回でも優しいと思った事が無い。だから、あれが優しさでしたのか、計算高い奴だから、お礼を期待でもしたのか。お礼ねぇ。
 今スーパーに行けばチョコしか売ってないのじゃないか? と思うほど、チョコだらけのはずだ。そこに行けば、今でさえ格好の目にさらされているのに、更にそう言う目にさらされる。
 家庭科で、マフラーが採点済みで帰ってきた。丁度いいものが帰ってきた。あげるのにはよく出来たものだが、お礼にしてはいいのもだろう。呪いかけといた。とでも言って渡せばいい。数日して部屋の角に追い遣られていたらこっそり取り返そう。
 放課後、靴を履き替えるはづみの耳に妙な騒ぎ声が聞こえる。
 制服のままで柾二が校門前に立っている。知り合いたちと話をしている。下級生も知っているなんて、他校の生徒ながら、奴の知名度の恐ろしさを知る。
 はづみが俯いて帰る前に立ち塞がり、鞄を取り上げる。「何。」無愛想に言うはづみに自転車を渡し、柾二はコートを脱ぐ。
「ほら。お前んとこ、コートないんだな。」
 そう言ってコートを胸に押し当て、自転車を取り上げる。はづみは周りを見てから、コートを羽織る。
「おぉ、そうだ。」
 はづみは鞄に入れたマフラーを、採点の紙を取って柾二に渡す。
「ちゃんと呪っといたぞ。」
 柾二は鼻で笑うとそれを首に二重にして巻く。
「ヘタ。」
 はづみはマフラーを解き、掛け直してやる。
 柾二は頷いただけで、ありがとうすら言わない。はづみもコートの礼など言わない。でも、柾二があてがう様に腰に回した手と、一緒に自転車のハンドルを持つはづみの手が、同じ事を言ってる。
「ありがとう。好きだよ。」

fin

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