福音

松浦由香


 白い着物。少しだけ朱色の襟元と、開かない扇。うっすらと施された手の白さ。真っ赤な唇。重い頭。
 やっと、このときが来たんだ。
 大嫌いだった人。意地悪で、私ばかりをいじめていた人は、中学卒業とともに会わなくなった。
 真由は中心部の高校に通っていた。友達も多くいて、毎日が楽しかった。
 街は、クリスマスで賑わっていて、再会はその頃だった気がする。
「合コン? 大学生とかがするようなやつ?」
「そう言うんじゃないと思うよ。たださ、他校の男女があって、カラオケするの。」
「その後は?」
 真由と、真由の親友二人は腕を組んだ。申し出は、親友の一人・依子が持ってきたものだった。塾で顔を合わせる「それがさ、凄いニキビ面したやつなのよ。」という圭吾という彼が、「今度カラオケ行かない? こっち、三人用意できるんだけど。」と言ってきたのが始まりだった。
「やっぱり、その後って言うのは、」
 もう一人の親友、香澄が眉をひそめて真由を見た。真由も「そう思う」というような顔をして依子を見上げた。
「だよね、やっぱ、最後は、ラブホでも連れ込まれるかな?」
「でも、相手って、同じ年でしょ? お金は?」
 香澄が依子を見上げて頬杖を付いた。
「一緒に行ったんだから、割り勘って言うかな?」
 真由が言うと、有り得なくないような空気が三人に流れる。
「一緒に帰ろう。二時間居てさ。」
 依子の提案にはなんだか素直に頷けなかった。行かなきゃいいのではないのだろうか? そう言う顔をした真由に、依子は拝むように手を合わせた。
「好きな人って、その圭吾って人?」
「違う。一緒に行くって言ってる、直人って子。」
「かっこいいんだ。」
 香澄が依子を見上げると、依子は首をすくめて真っ赤になった。
「しょうがない。」
 そうして真由たちはその週の土曜日、学校が終わって待ち合わせ場所のカラオケ屋に向かった。
 カラオケ屋に行くと、すでに彼らは来ていた。圭吾と直人は好意的に笑顔で迎えたが、一人だけ俯いている人が居る。でも真由は彼をすぐに「佐伯 偉人」だと解った。
「こんにちは、えっと、俺圭吾。直人。そんで、偉人。」
「依子と、香澄と、真由。」
 偉人が真由の名前を聞いて顔を上げて驚いている。真由はすぐに視線を逸らして俯いた。
「よりちゃん。」
 真由は依子の袖を掴んで帰りたいと言ったが、困るような顔をした依子に、どうしても帰れなかった。
 六人は個室に通された。圭吾はまず本を開き、直人はメニューを取って「何か飲む?」と聞いてきた。
「あたしたちはオレンジジュースで。」
 依子がそう言うと、直人はにこやかな顔をして注文をした。
「とりあえず先に歌うね。」
 圭吾はそう言ってのりのいい曲を選曲した。
「なんで、誘ったの?」
 香澄が曲がかかるまでにそう聞くと、圭吾と直人は顔を見合わせ、唸ってから「なんでって、男ばっかでカラオケ行くのって、殺風景だなって思ってさ。」
「じゃぁ、別に、私たちじゃなくてもいいんだ。」直人が首を傾けた横で、圭吾が画面に向き直って歌い出した。「でもそれ聞いてよかった。あたし達も、歌おう。久し振りじゃない。」
 香澄はそう言うと本を広げた。それを依子と真由が覗くようにしていたが、真由はそんな文字の一個たりとも読めないほど、嫌で、嫌でしょうがなかった。
「大人しいね、えっと、真由ちゃん?」
 真由は直人に呼ばれて顔を上げる。
「大人しい訳じゃないよ、居たくないんだろ。」
 偉人はソファーにふんぞり返って座っていた。腕を組み、威圧するような視線で真由を見ていた。真由は俯き、泣きそうになるのを必死で堪えていた。
 なんで、今思いだすのよ。
 中学の廊下で、よく後ろから追突させられた。訳もなく、「ブス」だの「どけ」だの、暴言を吐かれ、挙げ句には、くくっていた髪を引っ張られたりもした。
 私がどれほど彼を嫌いで、憎いと思っているのか知っているのだろうか?
「知り合い?」
 直人が偉人に聞いている声が、圭吾の選曲した曲の合間聞こえる。
「中学ン時一緒だった。」
「やっぱり、あたし帰る。」
 私は立ち上がって、香澄や依子が止める声なんか聞きもしないで帰った。
「何?」
「どうしたの?」
 首を傾げるか澄人よりこの前で、圭吾と直人は偉人の頭を叩く。
「あの子かぁ。」
 その顔は意地悪で、少しだけ茶化そうとしている。
「お前が好きで、でもどうしても言えずにいじめたって子。ガキだなぁ。本当は嬉しいくせに、意地悪しちゃうなんて。」
 直人の言葉に偉人は真っ赤になって「誰が!」と言ったが、状況を飲み込んだ香澄や依子の含み笑いに黙った。
「じゃぁ、真由の大嫌いな奴なんだ。」
「大嫌いな奴?」
 圭吾が香澄の言葉に聞き返し、香澄は頷いた。
「中学校の同窓会があっても行かないって言ってたから、なんでって聞いたら、大っ嫌い人が居て、絶対に逢いたくないってさ。」
「可愛そうに、そう思われるようなことをした自分を責め、まだ好きだなんてなぁ。」
 圭吾の言葉に偉人はもう何も言わずに俯いた。
「でも、あれは重傷だね。すごく怖がってたし。」
 香澄と依子は頷く。
「手を貸してあげたいけど、私たちは真由の友達だからね。真由が嫌がるようなことは出来ないよ。」
 偉人から返事はなく、代わりに直人が「解ってると思う。で、どうする? 歌っていく?」
「心配だから、帰る。よりは居たいらしいけど。」
「香澄!」
 依子が香澄を叩いた。
 二人がその部屋から消えて圭吾と直人はソファーにもたれた。
「割り勘だって置いていったけど、もらえないだろう?」
「だよな。あの子たち一曲も歌ってないし。悪いことしたし。」
「そもそもお前が悪い。けっこう可愛い子たちだったのに。」
「だろ?」
 圭吾が紹介したのは俺だと言わんばかりに胸を張った。
「俺は、依子ちゃんがいいな。」
 直人の言葉に圭吾はちらっと偉人を見て、「俺は真由ちゃんかな。」
「あ、そうだな、真由ちゃんて、かなり守ってやらなきゃタイプだよな。」
 と直人も同調する。
「帰る。」
 偉人は立ち上がり、鞄を掴んで外に出た。
 カラオケ屋の出口までの長い廊下を歩き、ふと目にしたトイレから、真由が出てきた。口にハンカチをあてがい、涙目で居る。
 真由が偉人に気付いた。そして露骨に嫌な影を落とした。
 偉人は鞄を開け、財布から一万を抜き出すと真由に近付き「あいつら帰ったから、割り勘だっていっても、歌ってないから、返す。」と紙幣を押し付けて出ていった。
 身体が強張っていたが、合計でも四千としなかったのにしては、一万という返金は多すぎる。
 真由は慌てて偉人を追いかける。
 怖い思いはしたくない。でも、こんな大金をもらっても、嫌な気分が残るだけで、使っちゃえなんて気は起こらない。
「待って。」
 自転車に跨った偉人が振り返った。
「これ、多すぎる。」
 一万を差し出す真由に、偉人は何も言わずに漕ぎ出た。
「待ってって。」
 真由の言葉を無視して偉人は走り去った。
 あとに残った真由は一万紙幣をただ見つめるだけだった。
「で、どうしろっていうの?」
「返せなかったの。」
「聞いた。」
「どうしよう。」
「聞いた。」
 真由は依子と香澄に月曜日相談をした。二人は互いに顔を見合わせて首を傾けた。
「ねぇ、少しだけ聞いていい?」真由が香澄の方を見る。香澄は静かにそして優しく言った。「あんたさ、偉人君が嫌いだって言ってたけど、本心好きなんじゃないの? 意地悪されたから、いじめられたから、向こうが嫌いだから、嫌いにならなきゃって、思ってるんじゃないの?」
 真由は「違う」とも、首を振ることもせず、ただ香澄を見入っていた。
「気付いていないんだ。」
 依子が頬杖を付いて真由の肩過ぎた髪の一房を手にした。
「きっと、そうなんだね。偉人君が好きなのに、なんでいじめるの? ああ、嫌いなんだ。そう思ったから、嫌いになろうとしてるんだ。暗示にかかっちゃって、辛いんだ。」
「そんな、ことないよ。私、大嫌いだもの。」
「大嫌い、ねぇ。」
 香澄と依子は顔を見合わせた。
「でも、とりあえず返さなきゃね。だって、私、圭吾君から返してもらったもの。」
 依子はお金を見せる。
「また逢うしかないよね。」
「どうする? 行く?」
 真由は何も言わなかった。
 依子が圭吾に連絡を付け、海の見える公園で待ち合わせをした。
 真由の顔色が悪くなるのを、香澄たちが心配しているころ、偉人が圭吾を連れてやって来た。
「あれ? 直人君は?」
 香澄が聞くと、「あ、直人なら補習。進学クラスだと、クリスマス返上なんだ。」
 圭吾が答える。
「だって。」
 香澄が依子に小声で言う。
「で、何?」
 圭吾がそう言うと、依子が真由から預かっている紙幣を差し出す。
「これ、偉人君が真由に渡したらしいんだけど、私たち、もう、もらってるから。」
 偉人は黙ってそれを受け取り、ポケットに押し込んだ。
「それだけ、じゃぁ。」
 香澄がそう切り出すと、圭吾が慌てて引き止める。
「あのさ、直人が来るまでそこで話さない?」
 香澄と依子が顔を上げる。
「ファーストフードか。真由、どうする?」
 真由は何も言わなかった。ただ俯いて立っているだけでいっぱいだった。
 五人は店内に入った。ほとんど真由は香澄か依子に手を引かれている状態で、意識して歩いてなど無かった。
「遅くなった。」
 直人が来たのは六時少し前だった。それでも真由はただそこに座り、俯いていた。
 真由と偉人以外は、話しが盛り上がっていて、それがいい頃合いを迎えた七時少し過ぎ、店を出ることになった。
「あれ? よりちゃんと直人は?」
「どっちが払うかってやってる。」
「直人は見栄っ張りだから。」
「よりはしっかり者だから。」
「香澄ちゃんは?」
「圭吾君におごられるなら、もっと食べたかな?」
 圭吾が鼻で笑って真由を見た。
 店から圭吾が居るところまでは数段の階段があり、真由はその上で立っていた。
「大丈夫かな?」
「さぁ。どうなんだろうね。あ、星だぁ。きれー。」
 香澄が空を仰いで手を広げた。その時、依子と直人が出てきた。
「勘定は?」
「勿論割り勘。」
 依子が誇らしげに言って、直人が少し呆れた顔で出てきた。
「じゃぁ、帰ろうか。」
 四人はそれぞれに家の場所を話して、依子には直人が、香澄には圭吾が送って行くことになって、四人はその場から消えた。
「おい!」
 かなり不機嫌な言葉に真由は我を取り戻したように偉人を見た。
「あれ。二人は?」
「とっくに帰った。お前どうすんだよ。」
「え、あ、帰る。」
 身体が強張り、嫌な緊張が走る。真由は一歩後退った。
「ば、馬鹿、そっちは。」
 偉人が真由に手を伸ばしたが、思ってもみなかった、一歩後ろが階段で、転げるなど。しかし、偉人のその手は、真由を引っ張り、その反動で、偉人が階段の下まで飛んだ。
「いったぁ。」
 着地の時足を捻ったのか、偉人はその場にしゃがんだ。真由は慌てて階段を駆け下り、偉人の側に近付く。
「大丈夫?」
「ああ、お前こそ、大丈夫だったか? 俺、放ったから。」
「大丈夫。なんとも、無い。ありがとう。」
 真由は心が解凍されていくような、なんとも言えない暖かさが流れ込み、それが自然と涙となって流れてきた。
「おい、本当に大丈夫なのか?」
 偉人のことが、本当は好きだった。でも、意地悪するから、嫌われてるんだって、ずっと、ずっと思っていたから。見ちゃ、好きになるから。嫌いになれないから。そう思っていたから。ずっとずっと、心に嘘をついていたから。苦しくて、それが、偉人にばれるのが嫌で、逢いたくなかった。それを認めることが苦しくて、逢いたくなかった。
「おい?」
 偉人が顔を覗く。
 ぽろぽろ落ちる涙が止まるまで、偉人は黙って側に座っていた。ただ、時々様子を伺うようにして目線が動く以外は、その場を動こうともしなかった。
「お前が、俺のこと嫌いなのは、知ってるけど、その、俺、さぁ。」
「私、佐伯が好きだよ。好きだったの。ずっと。ずっと。でも、意地悪するから。私……。」「ごめん。」
 真由は俯く。やっぱり、嫌いだよね。
「ちょっかい出してたの、は、他の奴らも、お前が好きだって、聞いて。俺が、そうしてたら、誰も、お前に、言わなかったから。好きだって。俺、言えなくって、いじめることしか、出来なくて。」
 真由は顔を少し上げた。真っ赤な顔に、雪が舞い降りた。
「寒いはずだぁ。立てるか?」
 偉人は立ち上がり、真由を立たす。
「帰ろうか? 送る。」
 真由は頷いた。
 握った手を、何故だか離せなかった。暖かくって、大きくて、大好きなぬくもり。
 真由は手を見ていた。扇をもてあそぶ手。
 いつもの匂いのする部屋。違うのは、美容室が持ってきた椅子と、用意された着物ケースと、化粧ケースが片付けられている音がするだけ。
「真由?」
 首を傾げると、満面の笑みで、でも少しだけ目の赤い母親が立っている。
「変わった嫁入りね。」
「いいの。したかったから。
私はね、この家からお嫁に行くの。結婚式場でもなく、神社からでもなく、私は、この家から、偉人の家に行くの。そうしたかったの。わがままだけどね。」
 母親は笑顔で頷いた。
「お父さんは?」
「外で、タクシーの運転手さんと話してる。」
「そう。もう、時間だよね?」
「そうね。立てる?」
 真由は頷く。
 綿帽子をかぶった頭。揺れて小さくなるかんざし。扇と着物を抓む手。母に手を添えられて外に出る。
 珍しい花嫁姿に近所の人が集まっている。
「お父さん。」
 なんだか急に老け込み、背中を丸くするのは、きっとテレビの見過ぎよ。って思うけど、「ありがとね。元気で。」
 真由はタクシーに乗り込んだ。
 雪が降ってきた。あの日と同じ。
 タクシーは偉人の待つ家に向かった。
 偉人は玄関で待っていた。大人になって、少しは優しい顔の出きるようになった偉人は、紋付き袴を着て立っていた。
 扉が開き、真由の手を偉人が支えだしてくれた。
「よろしくね。」
「やっときてくれたね。」
 偉人の温かい手。大好きなぬくもり。その上に雪が降ってくる。
 披露宴会場「鳳凰の間」。盛り上がる会場内で、真由の父親の切なそうな顔が見える。「永遠の別れでもないのにね。」
 偉人が首を傾げる。
「好きよ。大好き。」
 急に真っ赤になって、偉人は正面を向いた。
 真由は微笑んで、その眩しい光の中、幸せへと向かっていくことを確信した。
 この人が好き。この人となら、幸せになれる。そう、信じれるよ。今の私なら。

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