Juge
天使の歌声を持つ、鬼を呼ぶ少女

 今から数ヶ月前に遡る。一人の青年が町を歩いていた。
 彼の黒ずくめの出で立ちをおかしいと感じさせない、他人の挙動に無関心の町を、彼は黙って歩いていた。目的は今のところない。彼が強いられる物事が見当たらないのだから。
 彼は人ではない。多分、人科ではあるが、いわいる普通の人間という部類の人間ではない。しかし、幽霊でもなければ、それら類のものではない。代々引き継がれる不可思議な血を継承したもの。
 彼の仕事は、邪成る者の時を止め狩ること。
 最近急増する邪成る者のほとんどが、人の心に巣くう小鬼の類だ。赤や黄色、青に、緑と言った基本的様色の彼らは、高さ数十p、大きなものでも、二十p弱という小物だ。しかし、取り入った人間の憎悪が近年増幅する中、たかだか小鬼と侮れなくなってしまったのだ。
 彼の名は、時刈 頼近。時刈家の何代目かの継承者だと言うが、そう言うものにとんと関心がなく、それを騒ぎ立てていた家から独立して、同朋と言える男と暮らしている。
 同朋の名は、長崎 真琴。電波傍受のプロで、ありとあらゆる情報を仕入れてくる。

 頼近が人気の無くなったビル同志の狭い路地を通っているとき、頭上から少女が降ってきた。度近眼眼鏡をして、長い髪は二つに編まれ、古そうなチェックのワンピースを着ていた。
「ごめん、なさい。」
 彼女は凄むように自分を抱きかかえてくれている頼近に謝る。
「自殺なら、向こうへ飛び降りろ。」
「そんなことする気無いもん。ただ、逃げたかっただけ。」
 頼近は彼女を見下ろす。度近眼の眼鏡の奥の瞳が、レンズによって歪まれているが、確かに悲しそうに見える。
「追われているのか?」
「追われている。と言えば言えなく無い状態。」
「何だ?」
 頼近が首を傾げると、彼女を下ろし、再び彼女を見下ろした。かなり背が低く、かなり、まだ成長しきれていない。
「で、何処へ行く気だ?」
「一緒に逃げてくれるの?」
「そんな気はない。」
 彼女はすっと口をとがらせて膨れる。膨れながら、「解らないけど、どっか、遠く。」
 すっと視線を落とし、伏せた仕草に、頼近は何も言わずに翻り歩き出す。
「来ないのか?」
 暫く歩いて声をかけると、彼女は頼近の腕に絡まるようにして走ってきた。
 人の流れに沿いながら、頼近は彼女を自分たちの家に連れてきた。

 閑静な一戸建ての中にある、至って普通の家だ。だが、万年暗幕の引かれている部屋。一階の居間には訳の解らない機会が混雑している。
 居間のテーブルに彼女を前に頼近が座り、真琴は自席であるパソコンの前に座って彼女を見た。
「名前は?」
「ノエル。清門 乃衛琉。」
「珍しい名前だなぁ。」
 真琴はそう言ってノエルの顔をじっと見つめる。ノエルは俯き、「年は、十五。高校には行ってないの。もう、働いてたから。でも、辞めなきゃ行けなくなって。親は、小さい頃に死んだし、兄弟も居ない。あそこに居たら、体を売らされるに決まってるから、逃げてきたの。」
「何処で拾ったの?」
 真琴はいつそんなものを付けたのかと思うような筋肉を、タンクトップの下に隠し、長い髪を束ねて、足を組み、自分で入れた満足のお茶をすする。
「知らん。建物なんぞに興味はない。」
 頼近の言葉に真琴は呆れてノエルの方を見る。
「とりあえずさ、部屋で休んだ方がいい。何か寝てないって感じだから。階段上がって、右手にある部屋に寝な。押入に布団があるからね、敷けるでしょ?」
 ノエルは頷き、居間を出て階段を上がり、右手すぐにある部屋の戸を開けた。
 薄手のカーテンが引かれていたが、一階よりも自然の風が吹き抜け、押入に言われたとおりの客用の布団があった。

 真琴が椅子をならして向きを変え、パソコンを叩くと、「やっぱりだ。」と呟いた。
 頼近は首だけ振り返ると、そこにノエルが映っていた。ただ、その姿は眼鏡もなければ、あんな古い格好もしていない。
「エル。人気歌手だ。凄いんだぞ、ひとたび歌声を聞けば癒され、快楽に陥る。まるで天使の歌声だって言われている。だが、二、三日前のコンサートで、歌っている最中に鬼が現れた。電気が割れ散り、客の半数が何らかの怪我を負った。ほとんどのマスコミが、彼女の声と電球の周波数が一致したためだと言っているが、彼女の声を声紋分析すれば、こうだ。」
 画面に波形が現れた。
「これを、お前のお師さんであった、時刈 聡明の声の波形と合わせるとだ。ほら、見事に一致。つまり、あの子は時刈にしかない力の波形を持っている。しかもあまりに微弱なため、それに便乗し、飲み込もうとする鬼を引きつけている。まるで、天使の歌声を持つ、鬼を呼ぶ少女。ってところだな。」
 真琴がそう言って頼近に振り返ると、入り口にノエルが俯いて立っていた。話し全てを聞いたとは思えない。ただ、最後に言った、天使の歌声を持つ、鬼を呼ぶ少女。だけを聞いたような、蒼白した顔をしている。
「私、明日には出ていきます。言われたように、今日は疲れているから。今日だけ、ゆっくり寝て、明日。」
「だったら、早く寝ろ。」
 頼近に言われ、ノエルは階段を駆け上がる。
「厳しいなぁ。僕は、そんな風に育てた覚えないけど。」
 真琴が頼近に微笑む。頼近は顔を背け、ノエルが上がっていった階段の方を見上げる。
 畳の目が目に入る。ノエルは横になり、布団にくるまっていたが、先程聞いた言葉が耳を覆って寝れなかった。
 コンサートは大盛り上がりだった。歌を歌えば歌うだけ、みんなが自分を受け入れてくれる。今まで、何処でどうしてきたのか、ノエルは一人だった。気付けば、孤児院で一人冷たい隅に座っていた。見知らぬ男が手を引いて、その男の言うままに歌を歌った。そして、ノエルはやっと、自分の存在を確認できた。私は、生きている。
 だが、コンサートのさなか、はっきりと見えた。頭に角を生やした、おとぎ話の中の鬼の姿を。そして鬼は、ノエルの側を飛び回りながら、照明を割ったり、舞台を壊した。ノエルは震えてしゃがむしかなかった。あんなものを見たのが初めてだったのだ。
 ノエルはもう歌わないと決めた。決めた以上、あの場所には居られない。だから、逃げようと決めた。でも、歌わないと思えば思うだけ、歌いたくて仕方がない。

 すーっと音がして襖が開くと、頼近がビニール袋を落とした。ノエルはそれを見てから、頼近を見上げる。
「晩飯と、所用品。」
 眉をひそめて座り、袋の中を覗く。確かに食料である弁当が入っている袋と、歯ブラシ、櫛などのものから、生理用品まで入っている。
「な!」
 あまりの恥ずかしさに真っ赤になるノエルに、頼近は淡々と、いつもと変わらない口調で、「そろそろだろ? そう言う匂いがする。」と言った。
 何をそんな平然と! と言いたかったが、ノエルに顔を上げれる勢いはなかった。
「出ていくのは勝手だが、まこに礼ぐらい言ってから出て行けよ。それ、あいつが買ってきたんだから。」
 頼近はそう言って襖を閉めた。
 ノエルは顔を上げ、にこやかに笑って弁当を頬張る。

 翌朝、ノエルが起きて居間に行くと、真琴はすでに起きてテレビを見ていた。
「タレントのエルこと、清門 衛琉さんが昨日謎の失踪直後、自殺をしているのを、関係者の発表で解りました。」
「な?」
「やぁ、おはようノエルちゃん。」
「どういうニュース?」
 ノエルはテレビに近付く。
「昨夜遅く事務所の社長清門氏が衛琉さんの自宅であったマンションに、合い鍵を使って入ったところ、衛琉さんが風呂場で、左手首を切っているのを発見、救急車を呼んだのですが、すでに死亡していたと言うことです。」
「私、……。」
「事務所としては、君の逃走はかえって良かったみたいだね。もし、あのまま事務所にいて、ポルノに転向しても、売れないだろうと思っていたようだ。でも、代わりになった子は、どう言った子なのか解らないけどね。」
 真琴はそう言ってコーヒーメーカーからコーヒーを注ぎ、ノエルに手渡す。
「まこ。」
 頼近がトランクス姿で部屋から出てきた。ノエルは顔を赤くして、視線を逸らす。
「おいおい、ノエルちゃんが居るんだから、そんなかっこうしないの。」
 真琴の言葉に、頼近は近くに引っかけてあったシャツを羽織り、椅子に座る。
「腹減った。」
「ったくぅ。」
 そう言いながら真琴は台所に立ち、朝食の用意をする。
「二人って、ゲイ?」
 頼近と真琴が一斉にノエルを見る。
「どうしてそう思う?」
 真琴がパンをトーストに入れ、ハムエッグを机に並べる。
「なんと、なく。」
 真琴はくすくす笑うだけだった。しかも頼近は肯定も否定もしない。

 テレビから、社長の声がしてきた。ノエルは振り返る。
「清門 衛琉。当年十五歳。昨夜の十一時頃、左手首裂傷の大量出血により、死亡しました。今までご声援くださった皆様には、大変遺憾なことではありますが、こちらから申せることは、これだけです。」
「私、生きているのに。」
 頼近がノエルを見上げる。
 真琴が机に朝食の用意を済ませると、ノエルを椅子に座らせる。
「いいじゃん、清門 衛琉は死んだ。その変わり、これからは、時刈 ノエルが居る。」
「時刈?」
「頼近の名字。ちなみに俺は長崎。今日から転校できるように高校の手配もしてあるから。」
「ちょ、ちょっと、待って。どういう……。」
 真琴は高校の転校手続き書をノエルの前に翳し、ノエルはそれを見ながら聞き返した。
「手っ取り早く話が付いて良かったよ。向こうが取り戻そうとする気がないのなら、帰らなくて済む。嫌なことをしなくて済む。いいじゃん。エルに似ていると言われれば、よく言われるの、と腹立たしげに言えばいい。そうすれば、誰も疑わない。自信を持って。」
「何で、私なんか。」
「面白いじゃない、鬼に取り憑かれているなんて。ぞくぞくするわねぇ。」
 真琴はそう言って微笑む。男、だったよね? と聞き返したくなる真琴の台詞に、ノエルは苦笑いを浮かべて、頼近を見る。

 制服に着替えると、ノエルは階段を下りてきた。納得しては居ないが、抵抗する気はない。身を隠せる場所と、これだけの待遇なのだ。この先、どんな仕事が待っていようと、それがいずれ、衛琉人気も廃り、忘れ去られた頃合いを狙って、売り飛ばされても、それは、それで仕方が無い気がする。
「見て!」
 制服は、白のシャツに、短めのひだスカートだった。長い髪は真琴に言われ、天辺でくくった。
「いやぁ、似合う、似合う。」
 真琴が拍手をする中、頼近はちらっと見ただけで何も言わずに、新聞を広げた。
「さ、いっといで。」
 ノエルは頷くと、元気に出ていった。
「なんてことしてんだ?」
 頼近が責めるような言い方をすると、真琴は振り返り、微笑んでから、「面白いの大好き。」と言った。

 学校で、早くもノエルに似ていると噂になったが、真琴の言ったとおり、むっとして「冗談じゃない」とか、あえて、今まで表に出さなかった、持ち合わせの性格を出すと、みんなただ似ているだけと笑うだけだった。
学校から帰ると、家には誰も居なかった。暗幕の部屋は薄暗く、ノエルが二階に上がってすぐ、下で音がする。ノエルが静かに降りていく。
「誰? 」
 ノエルが声をかけて居間の暖簾をあげるが、そこに人の気配はない。否、人の気配するが、何処にいるのか解らない。
 ノエルが辺りを探していたその時、大きな影がノエルにのし掛かり、ノエルはそのまま押し倒されてしまった。
 見たことのない顔。綺麗な、どことなく頼近に似ている顔。
「頼近の側に居た子とは、あなたのことですか?」
 ノエルは彼を見返す。彼の赤く、毒々しい目がまっすぐノエルに向かっている。
「あなた誰?」
「僕が聞いているんです!」
 彼はノエルの髪の毛を掴み、頭を持ち上げると、強く床に頭をぶちつけた。ノエルの悲鳴が上がる。
「頼近の側に何故居る?」
 解らない。など言っても彼は信用しなかった。再三頭をぶつけられ、押し付けられ、痛さで顔をしかめているノエルに、彼はふっと微笑み、右手をノエルの太股に添わせた。
「いやぁ!」
 ノエルの絶叫のあと、玄関が物凄い音で開けられ、靴のまま入ってくる音。
「晴登!」
 晴登が振り返ると、頼近の真っ赤に染められた目がそこに光った。

「何をそう、興奮する? たかが、女一人に。」
 晴登は起き上がり、頼近と向き合ったが、頼近が飛びかかろうとすると、すっと窓を割って外へと逃げた。
 ノエルは足を立て、驚いたまま、まだ、押し倒された状態で居た。
 その姿を頼近は暫く見下ろしてから、晴登と同じように上に覆ってきた。そしてスカートをたくし上げてくる。ノエルは手で必死に押さえ、声を上げるが、頼近に口を塞がれる。
 目を硬くつぶって、身体を硬直させるしか無くなったノエルに、頼近は離れ、「短いスカートは履くな。そうでなくとも、お前は人を引きつけやすいんだから。」と吐き捨てた。
 頼近が立ち上がると、真琴が入ってきて、状況を見て頼近を見上げる。
「晴登が来てた。」
「晴登が?」
「ああ、ノエルを襲ってた。」
 真琴はノエルの側に近付き、すぐにスカートを整え、顔を覗き込む。
「大丈夫?」
 ノエルは頷いたが、初めてのキスに、あんな身をもって体験させられたレイプ紛いの動作に、どう返事をすればいいのか。
「晴登は、見境がないからね。晴登が来た以上、まったく持って、確信が出来た。ノエルは間違いなく、時刈の血を引いている。」

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