『時刈吾郎〜ミス・マーガレット〜』
とある国の片田舎に、毎夜舞踏会を開く屋敷があった。 そこには吸血鬼の住む屋敷だとか、魔女の居る屋敷だとか噂される程美しいお嬢、ミス・マーガレットが住んでいた。 ある日一人の異国の青年がやってくる。 彼は、ここよりずっと東の国の日本という国から来たという。 その異国の男の髪は見たことのないくらいに黒く、無造作で、着慣れていない洋服はしわだらけだが、それらをすべて整った顔と異常なほどの礼儀が補っていた。 彼の名前は時刈吾郎。 その東洋人をミス・マーガレットはいたく気に入り、屋敷に招き入れたのである。 子供のように甘えているような顔に、どこか怖いほどの影のある吾郎に心引かれるミス・マーガレット。 彼女は吾郎と同じ部屋にいることを強制しても、吾郎は笑って承知し、同じベットに寝ることにも、抵抗の色無く吾郎はそれを笑って承知する。 ミス・マーガレットの我儘を吾郎は笑って承知するだけで、一見言いなりのように見える行為だが、どんなことをしても、ミス・マーガレットには吾郎との距離が縮まっていないように感じていた。 ある夜。満月がこれから起きる出来事を昼よりも明るく照らすように出ている。 「ねえ、ゴロー私が何故貴方を気に入ったのか分かる? 」 ベットに横たわったままの吾郎に、薄紫のネグリジェを着たミス・マーガレットが、ベットに近付きながら話しかける。 吾郎との間に気だるい空気を感じながらミス・マーガレットはベットに腰を掛ける。 吾郎は横になったままで、サイドボード上の水に手を延ばす。 「さあ。」 吾郎は一口水を含むとコップを元に戻し、天井を見上げる。 ミス・マーガレットは吾郎の胸に覆い被さる。 「じゃあ、貴方は何故私を気に入ったのかしら? 」 吾郎は静かに息を吐いてから、冷ややかな口調で言った。 「君が吸血鬼だという噂を聞いたから。」 ミス・マーガレットがいやらしく笑って吾郎を見上げる。 吾郎はそのミス・マーガレットの顔を凝視する。 「今は? 今でも吸血鬼だと思う? 」 ミス・マーガレットは起き上がる。 「いや。ミス・マーガレットはミス・マーガレットだ。でも、今の貴女は違うみたいだ。」 「どう違うの? 」 ミス・マーガレットがゆっくりと吾郎の首に手を延ばそうとするのを、吾郎はベットから這い出て逃げる。 「まるで人が変わったような。」 吾郎はゆっくりと出口へと向かう。 「何を言ってるの? 私は私よ。何も変わってないわ。どこへ行く気なの? 」 ミス・マーガレットもゆっくりとベットから出てきて、吾郎へと歩み寄る。 「さあ。」 艶っぽく手を差し伸べて近付くミス・マーガレット。 その手から逃れようと吾郎は部屋を出る。 ドアを開け放つとそこは異次元のように、廃墟と化した屋敷の通路が現れた。 埃と塵と、蜘蛛の巣と陸苔、異臭の凄さに吾郎は手で鼻と口を塞ぐ。 この前この部屋に入る前まで、この廊下は赤い絨毯が敷かれ、豪華なロウソク灯の明かりが揺らめき、部屋の前には美しさが溢れているミス・マーガレットの肖像が飾られていたのに、今ではその面影を知るのは ミス・マーガレットの肖像画だけであった。 「さあ、ゴロー部屋に入ってきなさい。」 振り返ると、青白い顔のミス・マーガレットが、薄紫の、怪しいネグリジェを着たミス・マーガレットが強い口調で吾郎に手を差し伸べている。 吾郎は何も言わずに、廃墟と化した廊下へと飛び込んだ。 「愚かな人。そんなことをしたら私が怒ることも知らないで。私の側に居たら幸せでしたのに。」 ミス・マーガレットも吾郎の後を追って廃墟へと行く。 吾郎は何も言わず、振り返りもしないで廊下を走る。 朽ち果て、倒れかけている柱を飛び越え、崩れかかっている壁の隙間を潜り、階段を飛び降り外へと走るが、ミス・マーガレットがそれらを不思議な力で吹き飛ばし、吾郎よりも早くに、外へ出る扉の前に立ち塞がる。 「どう逃げても不利には変わり無くてよ ゴロー。」 ミス・マーガレットはますます青白く、唇は血ほどに朱くなり、怪しく吾郎を見つめる。 吾郎は翻る。 目の前に、他は朽ち果てているのに、目の前にある扉は朽ちてない。その上に掛けられている男の肖像画も立派な、その扉へ吾郎が行く。 ミス・マーガレットは声高に笑いながら吾郎の後を追って部屋に入る。 「貴方は付いてないみたい。ここは伯爵の部屋。人間に殺されたドラキュラ伯爵の部屋。貴方が自ら入ってきてくれるなんて。自分から犠になってくれるなんて。」 ミス・マーガレットの弓なりになった唇の端から白い歯が見える。 今まで話さないでいた吾郎が鼻で笑い、振り向く。 冷たい表情の吾郎に、ミス・マーガレットは一瞬寒気を感じる。 吾郎は部屋を軽く見渡し、口の端に笑いを含む。 「僕は付いてますよ。ミス・マーガレット」 吾郎は彼女の名を呼んで、軽く首を振り、「いいえ、ミス吸血鬼。」 と付け加えて、気取って礼をする。 「お、お前は誰だ。」 お辞儀をした顔が上がってきたとき、ミス・マーガレットは恐怖の悪寒を感じて、後退りをしてしまうくらいの顔がそこにあった。 「云いませんでしたか? 僕は時刈吾郎、です。」 薄ら笑いを浮かべる吾郎。さらに後退りするミス・マーガレットは生唾が喉に引っかかっている感じがして軽く咳き込む。 「時刈は時狩です。時を狩るのですよ。ミス・吸血鬼。」 ミス・マーガレットは部屋の中にある伯爵の「死刑の絵」を見た。 そこには、人々に太い杭をさされている伯爵と、その杭を持つ村人。そしてそれを指示する男、東洋の男がいた。 その東洋の男は目の前に先程とは違う、自分と同じように豹変した吾郎が立っている。 「あれは僕のご先祖様です。僕たちは貴方たちのように妖怪や魔物の類いではありませんので、寿命がくれば他の人と同じように死にますし、病気も怪我もします。でも、僕たちの種族の血は、貴方方の類いを狩れる力があります。僕のご先祖様が狩ったはずなのに残っていたみたいで。だから僕が狩りに来たのです。貴方方吸血鬼を。」 吾郎はそういうと右掌をミス・マーガレットに向けて、呪文を唱え始める。 ミス・マーガレットも、それから逃れようと必死に動こうとするが、あまりにも無防備で術中に掛かったため、身動きができず、無駄に体を捩りながら叫び声を上げる。 「もう終わりにしましょう。この世の中に、貴方たちは無駄なのですから。」 ミス・マーガレットが、吸血鬼から一瞬ミス・マーガレットに戻っても吾郎は呪文を止める事なく唱え続け、最後の呪文を云い終わると、ミス・マーガレットはミス・マーガレットとして消えていく。 「もう。終わりよ。ゴロー。ありがとう。愛していたわ。」 微かにミス・マーガレットの声が聞こえた後、伯爵の部屋も他と同じように変貌し、屋敷が崩れ始める。吾郎は透かさず外へと出る。 それを待っていたように屋敷は崩れ、大きく煙が舞う。 吾郎は屋敷に火を放ち、どこかへ行ってしまった。 彼の行くところは今のところわからない。 森の中の大きな屋敷で、毎夜舞踏会が開かれていたら、それは吸血鬼が犠を捜している。のかもしれない。 |
2000.11.15
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