夏が来る_4
通り雨(後編)
松浦 由香


【前編のあらすじ】
―突然の雨で、同僚の日村の家になぜか招かれた(?)美鶴は……?―
『前回』
 髪を束ねているゴムを外し、湿った髪をタオルでくるむ。
 ふと眠気が襲い、何かに触って目を開けると、日村が顔を近づけてきていた。触れているのは腕だった。
―あの?―
 声が出ないのは、あまりにも側に居る所為だ。
 唇が重なり、もそもそと服の中に入ってくる手と、体を触るあの綺麗な指。感じていく自分の体が、風呂上りの時よりも上気していく。
 自分にもあったのかと思えるような甘い声を出して、美鶴は目を固く閉じた。
「いいよ、声、出して」  
 その声に美鶴は目を開ける。

 
 二重に目を開けたような感触がした。辺りを見れば日村はテレビゲームをしてて、自分はタオルケットに丸くなっていた。
「あ、」
「いきなり寝るなよ、びっくりしたぞ、何か飲むかって振り返ったらもう寝てるんだから」
 あれは、夢? 夢だとすればかなり欲求不満な夢じゃないか。しかも、当の日村はゲームなんかしていて、寝ている自分にすら興味が無かったということではないか。
「へたくそ」
 日村にコントロールされていた主人公がゾンビたちに襲われゲームオーバーの文字が出た。
「あ、声かけたからだぞ」
「そんなんでゲームオーバーにはならないわよ。貸して、あたし上手いんだから」
 美鶴は日村からコントロールを奪うと、器用にそれを動かし、日村がゲームオーバーになった面もクリアする。
「どうよ」
「まぐれだな」

 美鶴は翌朝大欠伸のうちに帰宅した。父親が会社に出かけるところに出くわしたが、美鶴はただ欠伸をして手を振るだけだった。
「どこ行ってたの? 連絡無いから、お父さん不機嫌よ」
「友達んとこでゲームしてた」
「この前の日村さん?」
 美鶴は母の顔を見上げた。玄関まで心配して見に来た母は、それでもパートに遅れるのは良くないと化粧はしていた。
「まぁ」
「付き合ってるの?」
「一晩ゲームしてただけ」
「一晩中?」
「そうよ」
「嘘でしょ」
(おい?)
 美鶴が母親に眉をひそめると、母親は日村の顔を思い出しているようだった。
「当り障りの無い、でも、強いて特徴が無いから、覚えてないけど、かっこいい人だったよね?」
(聞くな、母)
「どこまでいってるの?」
「いってない」
「嘘! だって、今日は七時には帰れるかも。とか言いながら、日村さんのお陰で閉店まで居たの。って日が多いじゃない。店長さんのときは、人が居ないからね。って大人みたいなこと言うくせに」
(そう?)
「美鶴は、思っているよりも日村さんを意識していると、お母さんは見たね」
(何を見たんだよ、何を!)
 美鶴は一言も喋らずに部屋に上がった。母はそのあとも何事か喋っていたようだが、美鶴は知らない。聞こえない。たとえ聞こえても相手をしなかった。
 ベットに腰掛け大欠伸をする。ゲームは白熱していた。日村の腕とどっちこっち変わらなかった。でも、不意に腕がぶつかったり、目が会うと思い出していた。
(たちの悪い夢だ)
 美鶴はその場に横になった。
 例えば昔、と言っても数年前だが、気になる相手が居れば相手の本意を聞き出すのが上手かったと思う。好きな子いるの? とか、彼女は元気? とか、それで相手は相手の有無や、自分への好意度をすぐに表した。でも日村は違う。どれも通じない。
 彼女はいないらしいが、自分にも興味がないようだ。そんな程度の子とよく何度もキスをしようとする。神経が図太いのか、よほど欲求不満なのか、とにかく、日村はしらふのキス魔だ。
 そう思うほうが楽だ。

 それから、美鶴は六時から閉店まで連日出なければならなくなった。バイト連中が学業と、バイトで忙しくなったからだ。
「休み無いっすよ」
 美鶴の愚痴に店長は片手で詫びる。
「もう何人か人を増やす予定だから」
 増やしても、安心して休めるまで何日かかるか。美鶴は重いコンテナを乗せた台車を押して店の中へと向かった。
 レジ応援のチャイムが鳴り、美鶴がレジに走れば、レジの側に日村が立っている。美鶴が首を傾げて応援を呼んで南(大学生バイト)のほうを見た。
「何?」
「ああ、これをひとケース」
 日村が振り返ってそう言った。日村の前に立っているのは日村と同じ年ぐらいの女性だった。可愛らしい感じを受ける人で、「ごめん、無理言って」と首をすくめた。
 美鶴は1リットルのペットボトルの箱を取りに行く。六本で六キロある箱を台車に乗せ、レジに持ってくる。
「ウミってば、ぜんぜんかわんないね」
「お前も」
「今日、何時終わり?」
「そろそろ」
「じゃぁ、どっかでお茶しない?」
 日村は少し顔を赤めたように肯いた。顔を上げたときにはその赤みは消えていたので錯覚だとも思えたが、美鶴は会釈だけして作業に戻った。
(ウミ?)
 日村の下の名前を思い出しても、「ウミ」という音は出てこなかった。
 バックに帰ると、日村が帰る所だった。
「お先」
「お疲れ様」
「あ、彼女は、高校のときので」
 美鶴が首を傾げると、日村は「あ、いい」と出て行った。
 日村が出て行った後で、社員名簿のファイルに目が行く。
「見てどうする?」
 呟いて、美鶴は仕事を続けた。

 休憩室に腰掛け足を投げ出しため息を落とす。さすがに二週間休み無しと言うのは体にこたえる。
「ああ、美鶴ちゃん、これの整理してくれる?」
「なんです?」
「従業員名簿。辞めたでしょ、入ったでしょ、で、いろいろと足したり引いたりしなきゃいけないのだけど、忙しくってね、明日の朝一で送る分だから、いない人は二重線引いて、新しく来た人のはこれね」
 そう言って店長は売上金などの計算を隣の部屋で始めた。
 「名前」というキーワードがなぜかよく続く。続くときはとことんまで目にするもので、ファイルを開ければすぐ「日村 海渡」とあった。
(ああ、ウミだ)
 美鶴は名前を指でなぞる。なぞってもどうにもならないのだが。
 フィルの整理を済ませ、十時前に店を出て岐路につく。真っ暗な道を自転車の重いペダルを踏み込む。
 あれから彼女とはどうなったのだろう? 高校の時の彼女だと言ってた。よりを戻すだろうか? 一晩ぐらいなら、ありうるかもしれない。
(彼女、可愛かったから)
 美鶴はいつも曲がる道で停まった。曲がれば家に直行。でも気持ちは前進を希望している。曲がってどうする? 行ってどうする? でも、曲がって家に帰って、鬱積するより、はるかに楽だ。近くまで、近くから見るだけ、
(って、ストーカーじゃん)
 内心思いながらまっすぐ漕いで、漕いで、日村のアパート前についた。
(来てしまった……)
 額にうっすらと浮かぶ汗。日村の車は無かった。
(ほぅら、デートじゃん)
 無理やり気が晴れたと暗示をかけ、漕ぎ出そうとしたとき、日村の車が帰ってきた。
「ん? どうした?」
「別に」
 すぐ返事が出るあたりすごい。と思いながら、美鶴は帰ろうとする。
「あ、じゃぁ、お疲れ様」
「てか、上がる?」
 日村に言われるまま美鶴は部屋に上がった。
(絶対に待っていたんだと思ってる。―いや、待ってたんだけど―絶対に、気にしてたんだと思ってる―いや、気にしてたけど―)
「缶ビールでいい?」
「缶ビール?」
「そっ」
 日村の手には二個のビールがあって、一個を美鶴に差し出した。
「それで、何してたの?」
「たぶん、想像していることと変わらないわよ」
 美鶴は勢いよくプルタブを開け、くいっと一口飲んだ。 
 日村が軽く唸って、
「いや、確かに、昔の彼女に会って、妙にはしゃいで飯食いに行ったんだけど、すぐに彼氏から連絡入って、結局飯一人で食べて帰ってきたんだよなぁ。結局合わない人とは合わないのよって、わざわざ言いに来たとはね」
 美鶴が日村の顔をゆっくりと見返した。
(鈍感なのか、罠か。天然なのか、計算なのか。相手を黙らすの上手いな、コイツ)
「別れた理由な、合わない。って言われたことだったんだよ。当時何が合わないのかさっぱりで、さっきやっと聞けたんだけど、って、すでに卒業して五年は経ってんだけどさ。で、何が合わないかといえば、全部だってさ。会話も、趣味も、間の取り方も。下手なんだってさ」
 美鶴はビールをちびりと飲んだ。
「あ、続けて、あたしは家具だと思っていいから」
 美鶴はそう言って日村から目をそらした。
「楽しんでるだろうと思ってたことが、さっぱりだった。そう言えば、この前別れた女もおんなじ事言ってたなぁ。カイはつまんないって」
(今度はカイか)
「俺って、そんなに面白くないか?」
 松本(高校生バイト)が言ってた言葉を思い出す。
―「会話なさそうですよね」―
 美鶴は苦笑いをする。
「楽しいとか、面白いと思ったことが無いのは、無いよ」
「怒らすほうが上手いらしい」
「そうね、何も言わないからじゃないの? 何も言わなくて、こっちに伝わってるつもりでいるから、相手は解らないままで、すごく不安なのよ……、きっと」
「でも、好きじゃなきゃ、付き合わないわけだし」
「逆に、彼女が何も言わないでごらんよ、好きも、デートしても、逢いたいも言わないでごらんよ、不安にならない?」
「いや、煩くないし、仕事中に言われても困るから」
「あ、そう」
 ビールを机に置いて、舌を出す。
「やっぱり苦い。あとあげる。さぁて、帰ろう」
「もう?」
 日村がとっさに美鶴の腕を掴む。
「何で、来る予定じゃなかったし」
「ああ、まぁ」
「…、じゃぁ、事故でもする?」
(馬鹿なあたし)
 心臓が「ドン」と高鳴る。
「あ?」
 美鶴はくすっと笑い、日村に顔を近づけた。そして軽く唇に触れて顔を離す。
「じゃぁ、おやす、み?」
 日村は美鶴の腕を強く引き、抱きしめた。唇を重ねあわせ、美鶴は日村に押され倒れる。
 ごん。床に命中する後頭部。こういうとき特に自分の後頭部が尖がっている気がするから嫌だ。
「いた。倒すんなら、布団の上が良かったかも」
「板の間のほうが、冷たいだろうと思って」
 美鶴は苦笑いをした。日村も同じような顔をして笑った。
 日村の唇が、口から首へと移り、熱を帯びる息遣いが耳に触れる。
(嗚呼。かなり後悔。すればしたで悩むの判ってるくせに。何で、したのかが聞きたくなるくせに。ていうか、こんなこと考えてると、悦に浸れないんじゃない、あたし)
 冷静な自分が時々嫌になる。なんだってこうも冷静で居るのだろうか? それがプライドになって、自分から服を脱がないし、相手を欲しいとも言わない。
―「かわいい女。じゃ無いから」―
 昔そういった人が居たな。どんな奴だったかすら忘れたけど。とにかく自分では精一杯かわいいつもりで居たから、かなりショックだった。
 そしてかわいい女というのはどういう女なのかを考えている間に疎遠は別れをうんでいた。自然消滅。そんな都合のいい言葉で済むような気持ちではなかったはずなのに、辛くなかった。それほど好きじゃなかったんだと思う。
(で、こいつはどう思ってるんだろう?)
 裸の体の上に渡された日村の腕が重い。目を開けると時計は朝の七時を指している。
「起きてる?」
「あ?」
「七時。朝一じゃなかった?」
「……、くそ」
 日村は起き上がりうな垂れた。毎日そうやって苦労するのはみんな同じなんだと思う。
「シャワー浴びて行ったら? すっきりするわよ」
 美鶴はタオルケットで胸を隠して起き上がり日村を見た。
「そうする」
 日村はそのまま風呂場に向かった。
 美鶴は居なくなってから下着を着け、タオルケットをはぐった。布団のしわを伸ばす。目に見えないしみはあるだろうが、とりあえず出血は無し。まぁ、初めてじゃないから無いだろうが、久しぶりだったし、痛かったし。
 とりあえず日村と一緒に出かけ、自転車にまたがっても、やはり腰が重い。

 それから二日、何事も無かった。あるわけないのだ。ただ一回寝ただけで、恋人にはならない。
(やっぱり、早く好きな人見つけなきゃ)
 無理だと知りつつも美鶴はそんなことを思う。
 急に秋らしい風が吹いた九月の中ごろ、掲示板に張り出された一枚の紙。
「日村さん、移動するの?」
「しかも、遠いねぇ」
 美鶴はちらりと日村を見た。
「栄転なんで、出世ですよ」
 この店から車で一時間離れた県下一大きな店の副店長に就任するらしい。出世は出世だ。こんな小さなところとは比べ物にもならない。将来ある青年なのだから、そういう大きな場所で修行を積んだほうがいいのだろう。
「結構前に知ってたんですけどね」
 日村はそういって笑っていた。
 その日の夜。久しぶりに二人きりになった。隣の机でレジ金の計算をする日村。聞こえる音はお互いが出す小銭の音だけ。
「あ、……、栄転おめでとう」
「どうも」
 裏の部屋は通りから外れていて音がしない。隣接する民家も少し離れているから、やはり音がしない。虫の声と、小銭の音だけ。
「向こう行けば、彼女でも出来るんじゃない?」
「どうかな」
「出来ればいいわね」
「そうだな」
 レジ箱を金庫に片付ける。
「終わり。これもお願い。じゃ、帰る。お疲れ様」
 美鶴はレジ箱を渡し部屋を出る。
「なぁ、やっぱり、好きな子を見つけなきゃいけないか?」
 美鶴はロッカーを開け、日村の言葉を噛み締める。
(やっぱりこいつは言わないな。そういう時は、好きだって言うもんだよ。そういえば、素直になれるのに。ホント馬鹿。あたしも)
「当たり前でしょ、お休み」
 美鶴は店を出た。店を出て自転車にまたがり、風を切って家に帰った。
 腕を上げてみる。かすかに日村と交わった体温を感じる。それはただの残り熱? 空想とか妄想でもよかった。寂しい気持ちが覆い尽くしていく感じを忘れさせるなら。
「好きな人、見つけなきゃ」
 涙が出る。これほど好きだと解かっていて、なんて素直じゃないんだろう。ずっと、ずっと好きだったのに。
「好き」
 こぼした言葉は秋風がそっと消し去っていった。
 日村の移動はそれから二週間後だった。十月に入ってすぐ、店は静かになった気がした。

終わり。





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