櫻蔭高等学校生徒会室
この高校はなぜか、十二月に学園祭がある。それがクリスマスとかぶるため、生徒も、教師も妙に浮き足立っている。 露崎 睦月。この学校紅一点の生徒会役員。そして陸が化け物だと言った副会長だ。肩で切りそろえた漆黒の髪が時代錯誤だが、きりりとした眉と唇から、意志が強そうで、どんな男も太刀打ちできそうもない雰囲気をかもし出している。陸をはじめとする連中の中にあって、女子の指示もかなりある睦月は、廊下を歩くだけで、何かをもらってしまうときもある。 「あ、露崎せんぱーい」 そういう時は必ず家庭科部で作ったお菓子が手渡される。お菓子は嫌いじゃないが、余りあっても困る。とはいえ、睦月は唇に微かな笑みを浮かべたまま振り返り、案の定差し出されたお菓子を受け取る。 「ありがとう。大事に食べるわ」 これはクッキーだな。と漂ってくる匂いをかぎながら廊下を歩く。この時期の廊下は非常に狭い。 露天用の飾りの残骸、教室では間に合わないために出されたダンボールなどが廊下を行きにくくさせている。 中に、数通り行きやすい廊下もあるが、今では使われなくなった元タイプライター教室前(現在は南にパソコン教室がある)だったりする。そのため、なんだか薄暗く、寂しい廊下だが、喧騒から逃げるにはいい場所だし、何より障害物がないことがよかった。 睦月はそこを通りながら、先ほどのクッキーの包みを開ける。可愛らしいウサギ型で抜かれたクッキー。それに微かに笑って口に1個入れる。甘い空気が口に広がり、ふと目を外に向けると、向かいに見える民家のハウスデコレーションの見事さに、なんだか幸せを感じる。 「クリスマスだしね」 そういいながら睦月は廊下を過ぎ、生徒会室の前に立った。 この通りには、映画部が貸しきるはずの視聴覚室前に、学園祭で放映するはずの映画タイトルが貼り出され、いろいろな露天の案内、場所を示す構内地図が張られているほか、人の姿は見えなかった。 「隔離されてる感じね」 睦月はそう言って戸に手をかけた瞬間、いやな悪寒を背中に感じる。殺気とかじゃなく、よく感じるうらやむような視線じゃなく、風邪の悪寒だ。 「今風邪になっちゃいけないんだけどもね」 睦月は小さく呟いて戸を開ける。中の風がもわっと睦月を包み、何処となく男臭を感じ目を細める。 陸が物言わぬ反感の視線を睦月に向ける。寒いと言う目ではない。 「健全な高校生が、キャバクラ嬢の真似事は、不似合いだと私の一存で却下しましたので、生徒会長」 睦月はそう言って自席につく。会議室の隅に、書類の束と、白紙のコピー用紙がある机が睦月の机だ。書記だと言うが、陽太も孝典も生徒会便りなるものを書いたことがない。いつも睦月がきれいな字で書く。月一であるクラス役員会でも、睦月は副会長をしながら書記をしている。この学校運営は、睦月一人で行っていると言って過言ではなかった。 睦月は席につくなり、軽い頭痛に目を閉じる。 ―いかん、風邪だ― 睦月は目を開けため息をついて書類を手にする。 「高杉、昨日頼んでおいたバスケ部のルールだけど、誰もが見える場所に掲示するように言ってくれた?」 「ああ、女子三人の場合は、二年の吉田一人が相手すること(とはいえ、百八十あって、もちろんレギュラーで、プロからすでにお誘いありだけど)。その際のゴールは少し低め。あと、小学生以下はフリーゴールに変更させてきた」 「ぬいぐるみはどっから出すって?」 「みんなクレーン(ゲーム)であまってるんだと。それを出すってさ」 「そう。陽太君、囲碁将棋部のコスプレ対戦はどうなった?」 「コスプレ?」 陸の上ずった声が高々と響くが、陽太は苦笑いを浮かべ、 「今空前のブームらしくって、部長が○いってキャラクターにふんするそうですよ。狩衣ってやつに見立てた模造紙を作ってました」 「ご苦労なことね。えっと、」 「頼まれてた茶道部のお茶菓子は、町にある茶菓子やから買うんだと。割引してもらってるらしい」 孝典はそう言って椅子を斜めに倒し、微かにゆれる。 「じゃぁ、経費内には抑えたのね?」 「たぶん」 睦月はそれらの報告を踏まえた上で、生徒指導部の教師に手渡す書類の下書きをはじめた。 睦月が個人持ちのノートパソコンのキーボード内に夢中になっていたころ、ふいに部屋中が明るくなった。窓の外を見ればすっかり夜の闇で、時計は六時を回っていた。 あの四人はとうに帰ったはずだ。入り口に目を向けると、真哉が背中を向けて立っていた。鞄を机に置き、振り返ると、缶コーヒーとコンビニ袋を下げている。 「どうしたの? 帰ったと思ってた」 「前を通ったら、明かりが見えたからね。食べる?」 「いただく」 睦月はコーヒーに手を伸ばし、「あったかい」と頬にあてがい、袋の中にある、これまた温かい肉マンを頬にあてがった。 「それで、終わりそう?」 「何とか。ありがとうね」 「具合、悪そうだな」 「風邪みたい」 「昔っから、無理するほうだから、遠慮なく言えよ。俺に言えなくても、言えるやつぐらいいるだろ?」 「高杉は相変わらずよく見てるね」 「お前だからな」 二人はほくそえみ、黙って肉まんを片付け、睦月はその後少しして書類を片付け、二人は一緒に下校した。 先ほどの会話を、たまたま真哉の後をつけ、廊下で盗み聞きとなった陽太は、廊下の闇で口を抑え動悸を静めようと必死だった。 ―高杉先輩は、露崎先輩が好きで、それを露崎先輩は知っていて、二人は結構仲がいい? かなり、すごいスクープだよなぁ。でも、言っていいのか、こういう話。普段、二人はそんな感じしないけど……― 翌日、陽太が思っていたよりも早く、睦月と真哉の中が広まっていた。でどころは町で二人で歩きながら、仲良くクリスマスプレゼントを買っていたという目撃情報からだった。そのことで、今年の告白ショーの目玉は真哉か睦月の、愛の告白だという噂が流れた。 陸が不機嫌そうな顔で会議室に入ってきた。 すでに睦月は自席でパソコンを打ち、真哉は昨日睦月が仕上げた報告書に目を通している。陽太と孝典は並んで今朝買ったばかりの週刊誌を読むふりをして、睦月と真哉の様子を伺っていたところだった。 「不機嫌そうだな」 真哉が陸の様子を見ることもなくそう話し掛けると、陸は鼻息荒く椅子に座り、再び鼻息を荒くした。 「どうして女って言うのは見栄っ張りなんだ。確かに、こう、胸の大きいほうがいいんだがよ、ウソつくにも限度ってもんがあるだろ?」 真哉は顔を上げ、興奮気味に手を大きく振って話す陸を見た。 「どういう嘘だよ」 「Eカップなの。とかいってて、じゃぁって脱がせばねぇの。まったく。見えねぇの」 陸は自分の胸を水平に撫でる。 「ない? 男か?」 「違う。バストアップブラにパットだとよ。まったく、女なんだから、せめてCからだな。一番小さくてC。これでも小さすぎなんだけどよ」 陸の言葉に陽太と孝典が顔を見合わせる。Cカップがどれほどの大きさか知れないが、基準値はCらしいのだと納得し、孝典は、付き合ってきた彼女たちの胸を思い出し、少々大きかったのは、あれはDだったんだな。と思い出していた。 「それって、2組の関川さん?」 「お?」 陸が図星を突かれ睦月を見る。睦月は書類を机で打ち整えながら、馬鹿にしたような口調で続ける。 「有名よ。関川さんの胸は。なんせパットの厚さ三センチなんていう噂があるんだもの。とはいえ、そんなみっともないことをさせるのは、そういうものに固執する男が多いからなんでしょうけどね。Cが最低ランク、ねぇ。苦労するわよ、それじゃ」 睦月はそう言って真哉に書類を手渡し部屋を出て行った。真哉は出て行く睦月を見送る。 戸が閉まり、陸は小声になった。 「噂といえば、お前と化け物、一緒に買い物してたって? 何かってた? やっぱ、バストアップブラか?」 真哉は冷たい視線を陸に向けたあとすぐ、鼻で笑い、「クリスマスプレゼントだそうだ。大事な人へのといってた」といって紙に視線を落とした。 陽太と孝典は本を盾にしお互い顔を見合わせていた。 陽太と孝典は昼休み屋上に上がってきていた。真冬の合間の温かく、風のない今日は他にも生徒はいた。 「陸先輩は気にして聞いたのかな?」 陽太の言葉に孝典は首を振る。 「気にしたっていうよりは、面白がって聞いたって感じだろうな。でも、大事な人って、自分のことを言うか?」 「まぁ、俺なら、自分へのって言うな」 お互い肯き、牛乳をちゅ―っと飲む。 「もしかして、ただ真哉先輩は付き合っただけとか?」 「だと思うぞ」 「だとすると、誰宛のプレゼント?」 「親?」 「を、大事な人って言うかな?」 「だな。じゃぁ、いるのか?」 二人は首を傾げパンをかじる。 「ところで、Cカップって、どのくらいなんだろう?」 二人の目が目の前を通った女性との胸へと移る。服を着ている状態でCカップなんぞ、判断できない。もし出来るなら、陸には特殊な才能があるんだ。 ―やはりただものでなかったか生徒会長― 睦月はトイレの鏡の前に立っていた。顔色が悪いのは目の下のくまで判る。頭痛も治まっていない。熱はなさそうだが、倦怠感が体を襲う。後数日ときった学園祭の準備をしている今、副会長の自分が抜けることは非常に迷惑がかかる。だが、たった一日ゆっくりと安眠を取れば直りそうだということもわかっていた。そこに来て真哉とのうわさ。真哉はそれを迷惑がらず、逆に楽しむだろう。昔からそういうやつだ。 では睦月のほうは? 睦月も悪い気はしない。真哉はいいやつだし、まっすぐで好きだ。でも、好きだという種類が違う。同類として好きだは、異性として好きには必ずなりえないのだ。 蛇口をひねり、出てきた水に手をさらす。手を切るような痛い水に顔をしかめ、手を洗い、ハンカチで水を取る。そしてまだ痛む手で額に触れる。微かに熱がひくような、気持ちよさが伝わる。 トイレから出ると、陸がその前を通った。その居合わせ方にお互い嫌そうな顔を相手に向ける。 陸はトイレの札を見上げ、黙って過ぎる。睦月も背中を向け歩き出す。陸は足を止め振り返る。 「おい、なんか、あったのか?」 睦月が立ち止まりゆっくり振り返る。振り返り、陸がこちらを向いているので、話し掛けられたことを認識すると首を傾げるだけで返事を済ませた。 「なんか、おとなしいぞ」 「気のせいじゃない?」 「……、あんま、無理すんな。……―、あ、一年の須藤ちゃん!」 陸は階段を下りて行こうとする女生徒へと走り去った。睦月は呆れた笑いを浮かべ職員室へと向かった。 やはり風邪はどんどん進んできていた。喉の痛みが加わり、悪寒がひどくなってきた。特に、夕方、空の茜が紺に追い立てられる時間になると、ひどく寒気が体を襲う。早く家に帰って寝たい。そんなことを思っても、次々に舞い込む、各クラスやクラブの現況報告に、値段の一覧。それらに目を通しておかなければならない責務に、頭痛がひどくなる。 「寒い、なぁ」 睦月の呟きがやみにかき消される。睦月はコートを着込み、書類をまとめ鞄に押し込むと、今日は帰ることに決めた。このまま倒れても、しゃれにもならないからだ。 立ち上がる睦月に頭が重く痛む。がらっと戸が開き、陸が覗いた。 「まだいたのか?」 睦月は顔を上げ、「もう帰るとこ」とそっけなく返事をする。 ふぅん。ときの無い返事をし、戸を開けて待っている陸に、首を傾ける。 「何?」 「いや、」 「女の子連れこむ気?」 「こんなとこじゃ盛り上がりもねぇよ」 「そ」 そっけない相槌を打ち、睦月は鞄を掴んで息をついた。 「お前やっぱ、なんかおかしいだろ?」 「何よ」 「悪態の一言二言いうのに」 睦月は鞄を下げる。右腕に激痛となって鞄の重さが加わる。いつもならたいした重さじゃない鞄も、風邪をひいている今では拷問に近い重さに感じる。 「おい、ほんと、大丈夫か?」 陸の言葉が遠くに消える。睦月はため息と一緒に椅子に座り込んだ。 「おい」 陸が慌てて手を差し出す。掴んだ手首の生暖かさが指から伝わる。 「大丈夫よ、風邪引きかけだから、かなりだるいだけよ」 睦月はそう言って立ち上がり、肯いた。こういうとき、いつも思う。 ―かわいくねぇ女― つらいからとか、もうだめなの。と弱みを見せろ。そうすれば、陸でも優しく出来る。ふと頭をよぎる言葉に陸は頭を振る。 ―なんで俺が、こいつに優しくしなきゃいけねぇんだ。ばぁか― だが、目の前の睦月は確かにだるそうな、息苦しそうな短息をついている。 「ちょっと待てよ」 陸は携帯を取り出し、真哉に電話をする。何故真哉であるのかわからない。噂になっていて、なぜか睦月の私情を知っている素振りをするからだとしても、妙に釈然としないで電話は真哉の携帯につながる。 「今何処にいる?」 真哉が学校に戻ってきたのは、電話を切って十分後だった。校門前にタクシーが停まり、それから真哉が降りてきた。 生徒会室からようやく階段を降りて、玄関で睦月は靴箱にもたれていた。 「陸は?」 睦月は微かに首を振り後ろをさす。指した廊下の闇から鞄を担いで走ってきた陸が現れた。 「早かったな。じゃぁな」 陸はそう言うと、真哉に鞄を押し付け靴を突っかけで玄関を出て行こうとする。 「生徒会長、……、ありがとね」 「おい、睦月」 真哉が咄嗟にそう呼び、闇の中のガラスに睦月がしゃがみこんだのを映し見ると、陸はガラス戸を叩いて翻り、睦月の前にしゃがみこんだ。 「乗せろ、そのほうが早く帰れる」 陸の言葉に真哉は黙って睦月を陸の背中に乗せる。 「やだ、いいって」 睦月は言葉では抵抗していたが、体は動くことが出来ないのか、どしっと陸の背中に重さった。 三人がタクシーに乗り込むと、タクシーは何も言わずに走り出した。行き先は真哉が先に言ったのだろう。しかし運転手は何の迷いもなく走り、とある大屋敷の門の前で停車した。 「門を開けてもらいますから」 そう言って真哉が助手席から降り門横のインターフォンに向かって何かを言っている。陸は窓からその門の表札を見る。 『水上家』 とかかれた表札。水上家といえば、ここあたり一番の武家屋敷。確か今では町の総合病院のお屋敷だといっていた。 陸は横で目を閉じて息苦しそうな睦月を見下ろす。 ―露崎だったよな、こいつ― 真哉が乗り込むと門が開き、車は暫く奥に走った。外車が止まっている駐車場を通り、一分ほどで玄関に着くと、すでに迎えの人がわんさと出てきていた。 「お嬢様!」 甲高い声のメイド(というのか、同じ衣装を着た同じような顔の女性)が睦月を車から引き出す。真哉も車を降りていた。陸は黙ってその圧倒される情景を見ていると、中に連れて行かれた睦月と入れ違いに、背筋の伸びた老婆がタクシーに近付いてきた。 「睦月の祖母です。あれの母はまだ病院なので、私が代わりに礼を言います。とりあえずタクシーから降りなさい。真哉、彼を中に案内しておきなさい。私は睦月の様態を見て向かいます」 「ハイ、おばあ様」 深夜は深々と頭を下げ老婆は家に向かった。 「ということだ。中に入ってくれ」 陸は真哉に腕を取られ、タクシーから引き出された。タクシーは料金をもらい、陸を下ろすとゆっくりと消えていった。 「こっちだ」 真哉は勝手知ったる家の中であるかのように家に上がり、老婆に言われた部屋に向かっていく。陸はその後を小走りになりながら付いていく。 通された部屋は日本間にダイニングセットがある奇妙な部屋だった。黒塗りの重厚そうなそれに座るように言われ、部屋を一巡して陸は真哉を見た。 「何だ、この家」 真哉は唇に人差し指を当て、入り口へとあごを振った。すると老婆が入ってきた。先ほどは玄関灯でよく見えなかったが、ほんのりとした黄色の(後で知ったが、あれはくちなし色だという)着物を着ていた。 「ただの風邪のようです。幸い、この家は医者が多いので対処は早いでしょう。あの子は頑固だから、あなた方が運んできたということはよほど我慢をしていたのでしょう」 老婆が話をし始めた途端、紅茶に茶菓子が机に乗せられ、挙句に夕食を取るように言われたのを、陸は必死で遠慮した。 高くて、美味そうなものは口に出来るだろうが、老婆の前では肩がこって仕方がなかったからだ。 真哉も陸同様遠慮して玄関に向かう。 「露崎に会って行くか?」 ―さっきは睦月って呼んだくせに― などと思いながら、真哉の後についていくと、障子で締め切った部屋の前で停まる。 「露崎?」 「高杉?」 その声の後、メイドらしき先ほどの一人が障子を開けた。 「お薬を飲まれたあとです」 メイドは頭を下げて立ち去っていった。 部屋は畳の間だった。畳に背丈の低いたんす。学習机というよりは、昔の文机のような、正座が似合いそうな机、畳にじかに布団を敷き、着物姿にカーディガンを羽織って睦月は座っていた。 「ありがとう。今日は」 「俺でなく、陸だけどな」 「……、そうね、ありがとう、生徒会長。家に帰ってきて、薬飲んでほっとしたんだわ、ずいぶんと楽よ」 睦月はそう言って肯いた。 「無理するなっていったろ? まったく」 「無理はしてないわよ。好きだから、してるの。ただそれだけよ」 睦月がそういったあと、三人に静かな無言が襲うと、どこかで微かな物音がする。聞き取れなかった音は、徐々に声に変わる。 「どっちが本命だ?」 「真哉はばあさんが勝手に決めただけだろ? 一応本人意思があるわけだし」 「でも、姉ちゃんの好みは悪いからなぁ」 陸が睦月を見ると、普段の目が据わった威嚇する表情になっている。 「太郎! 葉月! 瑞貴!」 睦月がそう呼ぶと障子が開き、小学生悪がき三人組といった風貌の男の子が姿を現した。 「うちの弟の太郎と、従妹の葉月、瑞貴兄弟よ」 睦月は三人を睨むように紹介すると、三人は一気に陸のほうを見た。 「な、なんだよ」 「真哉の邪魔してんのか?」 「邪魔?」 口火は葉月だった。すばしっこく、機転がよくきく活発な男の子といった感じだ。 「何だ、その邪魔って」 「おねえと真哉は、おばあ様の一存で許婚ってことになってんだよ」 「へぇ、そう……」 陸は真哉の顔を見た。いつもの平静とした横顔だ。睦月もたいした動揺がない。 「許婚ねぇ。……、おい?」 陸が真哉の腕を掴む。 「おばあ様の戯れだ。俺は気にしていない」 睦月の目が真哉を向いたが、すぐに三人の子供に目を移す。 「とにかく、あたしの風邪が移りたくばそのまま正座なさい。移されたくなければすぐに退出なさい」 三人の子供は口を尖らせて出て行った。 陸と真哉はしんしんと寒い中並んで歩いていた。あれから言葉が出てこなかった。許婚ということは付き合っているとかをはるかに超えた存在だ。いまどきあるのか? と首を傾げたいが、ともかく、許婚であることは認めたのだし、だからといって、どういう関係まで進んだとか野暮を聞く気にもなれない。というか、それは聞きたくもないことだった。 「俺と露崎の家とは、かなり昔から由縁があったんだ。いろいろと、話せばそういう偶然かぁというようなことだが。それが、おばあ様の代に、うちのじいさんと恋仲になった。非常に愛し合っていたそうだが、時代が時代だけいにおばあ様は水上さんとご結婚なさった。露崎とは、女の子だけが名乗るあの家の変な風習で、戸籍では水上睦月だ。睦月の親父さん、俺の親父と同性が生まれ、おばあ様はどうにかして女の子が欲しかった。そしてやっと生まれた睦月と、俺をうまれてすぐ許婚にしたんだ。ことあるごとに一緒に何かを祝ってきた。七五三に始まり、誕生日、入学式、全て。そして、許婚だと催眠だな。言いつづけられた。でも、俺も睦月もそんなことは気にしない」 「嘘付け」 陸の言葉に真哉は鼻で笑う。 「嘘、なのかな」 「嘘だろ?」 真哉は寒いアスファルトへと目を落とす。 「今まで一緒だった睦月が、ある日一緒に祝うことがなくなった」 「は? ……、初潮」 「あまり大声で言うな。その日、睦月はきれいだった。気が強く、先陣を切る勇ましい仲良しが、急に女の子になった。おばあ様は言った。真哉、お前が睦月を守るんだぞ。ってね」 「おお、きれいな初恋物語だこと」 「茶化すな。だからな、俺が相手出なければ、睦月を守れない男であれば、俺は許さない」 「……、俺に言うなよ」 陸は眉をひそめ前を歩いた真哉の背中を見た。 翌日。いつもの通りの時間に陸は生徒会議室を訪ねた。学校にさえあまり来たがらないのに、自分でも不思議なくらいこの部屋には毎日やってくる。毎日ここに来て、何するわけでもない。ただ、真哉がもの書きする音や、陽太と孝典がひそひそと笑う声、睦月のキーボードの軽快さを聞いているだけだ。 付き合っている女の子戸の悪口を言うのも、別にいわずともいいことなのだ。でも、言ってしまうと、妙に彼らとつながっているような気がする。変な話、ぽつねんと置いてけぼりされた感じから救われる気がするのだ。 戸を開けると、睦月がコピー機の前で紙の束を救い上げていた。制服のブレザーを脱ぎ、腕まくりをしている。白い袖に、ベストで押された胸が影を落としている。 「み、皆は?」 「高杉は職員室。亀山君と村瀬君は各クラスの状況判断に走ってもらってる。生徒会長も仕事する気になる?」 嫌味な言い方は相変わらずだ。昨日、あれほどフラフラだったくせに。 ―……― 「風邪は?」 「処置が早かったおかげで、薬飲んでゆっくり寝たらもう大丈夫。昨日サボった分を挽回中なの」 睦月は椅子に座ると、走り書きされた紙に目を通しながら、パソコンを起動させる。 「なんか、することあるか?」 睦月が顔を上げ陸の顔をまじまじと見る。 「なんだよ」 「いや……、風邪、移った?」 「……(怒り)、もうしらねぇ」 睦月は小さく笑い、画面に目を移す。その画面の前に手が出て、睦月は何も言わずその手に紙の束を渡す。 「職員室の吉岡先生へ持っていってね。柔道部の喫茶店メニューの変更を検討してくれって言ってよね」 「柔道部のサテン?」 「そう。彼らがウエイトレス姿になって、氷餡蜜売るんですって」 「おぞましく寒いじゃねぇか」 「それを狙ってるのよ。あまり儲けを考えてないようだし」 「じゃぁ、行ってくる」 「うん……、あ、ありがとう」 「おう。あ、そうだ。お前、結構、胸あるな」」 「……、そうでもないわよ。だって、最低ランクしかないんですから」 睦月は胸を叩いた。陸は顔をしかめ「最低C以上だよな。Cもないに等しいが」と言ったことをふと思い出し、 クリスマスにわきたつ町。そして学園祭一色の構内を、陸は紙切れ一枚持って歩いていた。時々灰色の空から雪を連れ立ってきそうな寒風が降りてくる。 許婚とは急な話だが、そんなことなどあまり気にしなくていい気がする。歩く足取りは妙に軽い。 ただ、時々、真哉が睦月と話しているのをみると、それを思い出すと、ふと足が重くなることを、陸はまだ自覚していなかった。 さすが、我が愛しの陸生徒会長だ。 |
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