天の邪鬼に愛の歌を
松浦 由香


 
「見合い?」
 志貴子は目を丸くして母親を見た。
 母親は台所の境に垂れている暖簾を上げ志貴子とテレビ前で新聞を読んでいる父親を見ながら言った。
「一体いくつよ。この近所で売れ残ってるのあんただけなんだから。努力ぐらい見せないと、」
「何の努力よ、」
「独身まっしぐらじゃないと言うところよ」
 ―勝手なものだ―二十歳そこそこで付き合っていた彼とは猛反対の上で別れさせた人の言葉だろうか?
 志貴子は渋って居たがそれでも「仲人」さんがお世話になっている人だからと一度だけという約束で見合いをすることにした。
「見合いって、普通昼間じゃないの?」
「向こうさんが夕方じゃないと時間が空かないんですってよ。合わせなきゃ」
「何でよ、」
 ―もしこれが成立した日には自分はずっと言いなりじゃないか―冗談じゃない。志貴子はぎゅっと草履を踏み込んで案内された和室へと向った。
「遅くなりました」
 ―五分遅刻は常套手段だ―と思いながらも深々と頭を下げ、上げた目に仲人さんと申し訳なさそうな向こうの母親だけが居た。
「それが、あの子ったらまだこっちに来てませんで」
 志貴子は短息をつき、とりあえず座敷に上がる。
「すみませんね、こんなお時間にした上で、」
「いいえ、うちなんか行き遅れですから無理はお互い様です」
 ―まだ三十前だよ―何をそう急ぐのだろう? 今時、三十でも結婚してないなど当たり前じゃないか。それなのに、なんだってそう急に急がし始めた? そうか、従姉妹、私よりの五つ下で、母親の中の悪い叔母(妹)の娘が二人目が出来たとか言っていたなぁ。それでか。
「あの、お手洗いに行って来てもいいでしょうか?」
 志貴子は和室を出てトイレへと向う。
 このまま帰ろうか。そう思いながらトイレへと向うと漂ってくる煙、げほげほと咳き込んでトイレの入り口に行けば、その前で携帯を操作しながら煙草を吸っている男が居た。
 ぱりっと着込んだスーツ。ネクタイはだらしなく緩めていてそれが妙な色気のある男だった。
「これは失礼」
「いえ」
 トイレ前に立っている男など怪しさきわまる。志貴子が男を見ていると、男は何も言わずに立ち去った。
 トイレから出てくるとロビーにはあの男一人だけがいて電話をしていた。
「まったく役にたちゃしない。所詮女だ。仕事が出来ますとか言いながらろくなことをしやしねぇ。いいか、もうクビだ。そんなことなら辞めちまえ」
 携帯を切り、目の前を通りながら自分を気にしている志貴子を見た。
「何か?」
「それってセクハラだと訴えられますよ、男尊女卑もいいところ」
「ほぉ、人の会話を盗み聞きするのはプライバシーの侵害には当たらないのかな?」
「あんなに大声で話していれば嫌でも聞こえますよ」
「嫌なら聞くな」
「それならこんな場所で話さなきゃいいでしょ、」
「誰かさんがトイレに入ろうとしたのでね」
「トイレの前に立たれているなんて不愉快ですもの」
「だからここに居た」
「部屋なり、外なりあるじゃない、」
 志貴子と男はぎりぎりと睨みあう。
「あ、惣史!」
 振り返れば見合い相手の母親と、仲人、それに母親が近づいてきていた。
「遅かったじゃないの、お部屋時間一杯になったからって追い出されたのよ、春日さんに謝った?」
 ―げーーーーーーーーーー―
 多分お互い顔には出さなかったが思ったはずだ。こいつが見合い相手かよ。と。
 幸か不幸か、近くに仲人さん行きつけの店があるらしく場所はそこに移される事になった。
「で?」
 志貴子が眉をひそめる。
「だって馬が合っちゃって、あんたたちだけで行きなさいね、どうせ見合いってそんなもんだから」
 話があったというより、早々に切り上げるべき時間というのを考慮すれば、七時から会食させて九時に送る。が妥当なんだろう。だからって、お約束の、
「ご趣味は?」
「お茶とお花を」
「まぁ、おしとやかなお嬢様で」
「それほどございませんのよ」
「ではこれからは若いお二人に」
 を省くことはない。
 とは思っても、仲人と両家の母親は一致団結して二人に頷き会ってタクシーに乗り込んだ。
「じゃぁ、キャンセルしてください。どうせなら僕の行きつけへ行きますよ」
 惣史はそう言って母親たちに頷いてタクシーを見送った。
 志貴子は黙って逃げ帰っていく母親たちの後頭部をガラス越しに睨んだ。
「それで、どこへ行く?」
「家に帰りますよ、」
「そ、じゃぁ俺は腹ごしらへに行く」
 惣史はそう言うと歩き出した。
 志貴子は辺りを見たがタクシーの姿はなかった。ため息を付き明かるい方へと歩くことにした。大通りにでも出ればタクシーぐらいあるだろう。
「足いたぁい、帯も苦しい、さっさと脱いでやる」
 小さく呟いたつもりだが、後ろに居る人の失笑を買ったらしい。志貴子が振り返ると惣史が立っていた。明らかに馬鹿にしたような顔をして。
「な、なんですか? ……て、」
 振り返りながら着地した足元の段差に取られバランスを崩し、そのまま腰から落ちた。
「いたぁい」
 涙粒が出る。
「ほら、」
 惣史の差し出した手を打ち払い、志貴子は立ち上がるが、着物の腰には泥がついている。
「サイアク、借り物なのに……もう」
 志貴子はバックからハンカチを取り出し叩くが泥はそう簡単には退いてくれない。
 暫く見ていた惣史は直ぐに志貴子の手を掴み見合いで使うはずだったホテルへと向った。
「ちょっと、痛い、離してよ」
「部屋を、」
「あ、はい、あの、」
「ダブルだ。一番上に空きがあったはずだ。早くしろ、」
「あ、はい」
 受付嬢は慌てて鍵を手渡し、惣史は慣れた手つきでエレベーターに志貴子を連れ込む。
「離してって言ってるでしょ」
 手を振り切り、降りるために直ぐ来る階のボタンを押す。
「そんな尻で街へと繰り出す気か? 変に振り向かせた責任はある、何とかするまでの間だ」
 扉が空いたが志貴子は下りずに最上階、スイートルームしかないフロアで降り、その一室に入った。
「それを脱ぐといい、とりあえずそのガウンを着てろ、……11号かな?」
「……えぇ、」
 むっとしながらさすがスイート、他にもベットルームがある。と感心しながら部屋に入って着物を脱いだ。
 お太鼓を緩め、きつく縛った帯を順にはずす。ぷちっと開放される胸とわき腹と下っ腹。―ははは、ボンレスハム―
 帯でついた筋。少々うっ血していたり内出血を起している。
「いてぇ」
 ガウンを着てでてくるとメイドが居た。
「その着物だ、綺麗に落としておいてくれ」
「かしこまりました」
 メイドは丁寧に出て行った。
 志貴子は着物を手渡すと部屋に戻ろうとする。
「襲いやしないさ。どうせすごいことになってるんだろ、その下は、」
「凄いこと?」
「自殺行為さ。帯で締めるだけ締めて、」
「えぇ、内出血と痣だらけよ」
「あり意味マゾだな」
 志貴子は眉をゆがめて部屋へと入った。
 入って直ぐにベットに腰をかけ、母親に電話を入れる。
「お母さん、絶対に断ってよ、」
「断るって、あんた今何処よ、えらく静かじゃない、」
「ホテル、」
「ホテルって、あんた、」
「違うわよ、こけて着物を汚しちゃって、それで、」
「あんた、そんなに不貞操な娘に育てた覚えはないわよ」
「だから、違うって、」
 ドアがノックされ、志貴子は携帯を切って頭を抑えながら戸を開けた。
「頭痛か? そりゃそれだけ縛ってりゃ血も通わないだろう、」
「煩い、大体見合いに遅刻するは、詫びの一つもなく、もう……サイアク」
 入り口にもたれる志貴子の前に缶ビールが差し出された。
「これでも飲むか?」
 志貴子は奪い取るようにしてビールを取ると、気持ちよく口を開けて喉奥にそれを流し込んだ。
「……、ビールだ……、にがぁ」
 志貴子は舌を出し、あまりの苦さに冷蔵庫を開ける。
「お酒ばっか。お茶とかジュースはないの?」
「飲めないのか?」
「えぇ。飲めない、」
 志貴子はそのまま腰をついた。
「目が、回る」
「おい!」
 志貴子がそのまま倒れるのを惣史が受け止める。
「一口だぞ、一口。それで目を回すかよ、今時」
 ドアが叩かれ惣史はとりあえず志貴子をソファーに寝かせて戸を開けた。
 メイドが11号の服を見繕って持ってきた。的確な服だ。自分が志貴子から得た印象のままの服が運ばれメイドが出て行ったあと、酔っ払って寝ている志貴子を見下ろす。
「たった一口でこう無防備になる女が今だに一人身なのは、よほどの欠陥品かだな」
 そう言いながら惣史は志貴子を抱き起す。
「剛……何で駆け落ちしてくれなかったのよ」
 惣史は抱き起こした志貴子の顔を見る。
 目は開いている。志貴子は首をたれ惣史にもたれかかる。
「なぁんだ、剛じゃないんだ」
「悪かったな、彼氏じゃなくて、」
「彼氏? そんなんじゃないわよ。私より、平和を選んだ奴よ。サイアクだわ。見合いはサイアク、三十路三十路ってそれの何所が悪いのよ、仕事も出来ないくせに正社員だからって怒鳴る年下のばか者どもめ。もう、サイアク」
 志貴子はそう言いながら惣史の首に腕を回した。
「おい、」
「あたしだって好きで一人じゃないわよ、でも、相手が居ないのよ。ばぁか。あんたも馬鹿、こんなにいい女が居るのに」
 そう言って志貴子は惣史にキスをした。色っぽくて熱のあるものじゃない。ただのキス魔だ。
 だが暖かくてぬるっとした感触がただのキスに納まるものじゃない。
 惣史はそのまま志貴子を押し倒していた。
 
 志貴子が起き上がり、掛け布団を取られて惣史も起き上がった。お互い背中を向け合い腰をかけ無言のままで居た。
「この状況は、」
「憶えてないか、やっぱり、」
「憶えてるわよ、ベットに来た、辺りから、」
 ―そうよ、剛だと思ってすがり付いたのに、相手が違っていた―だが、ベットに沈んだ身体の上に乗って来た惣史を追い払う気はなかった。
 懐かしい人肌の温もりと、やるせないほどの快楽に逆らう気はなかった。
「あ、」
 志貴子は床に落ちている携帯を見た。着信十数件。全て母親。しかも留守電入り。
「あ、あぁ……サイアク」
「……それ以外の言葉を知らんのか?」
「何よ、」
「昨日からずっとサイアクばかりじゃないか、」
「だってサイアクなんだから、」
 振り返った志貴子の胸が隠していた掛け布団からこぼれる。
 慌てて隠し、背中を向ける。
「もうサイアク」
 志貴子が口を開く前に惣史はそう言って立ち上がると、部屋を出て行く。
「シャワーでも浴びてとりあえず飯にしよう。どうあがいてもお叱りは免れないわけだから」
 惣史は戸を閉めた。
 志貴子は深くため息をついた。
 ―サイアク―以外の言葉などないじゃないか。見合いで知り合った相手とセックスをして、性格上は抵抗しあっているのに、なんて身体の相性が良かったのかしら―サイアクのコメントだわ―
 志貴子は携帯を取り上げた。
「もしもし?」
「あ、志貴子、あんた今何処よ」
「ホテルよ、」
「あ……、あんた、」
「それってあたしを信じれないって言いたいわけ? それとも向こうをなじる? バーで酔っ払って運んでくれて、部屋とって向こうは帰ったわよ。今起きたの、最高に頭が痛いから、もう少ししてから帰るわ」
 惣史が戸を開けて静かに立っていた。携帯を切ると近づきオレンジジュースを差し出した。ちゃんとガウンを着て。
「信じるのかそんな嘘」
「信じようと信じまいと、ふしだらな娘ですよりは納得しやすいものよ」
 オレンジジュースを受け取り一口口に含む。
 唇に走る痛み。下唇に指を持っていけば切れている。志貴子は惣史を上目使いで見る。
 ―昨日咬まれたんだ。……シャワー、浴びてこよう―
 シャワーを浴びに行けば憶えている範囲内でもやはり、胸と二の腕とわき腹に歯型がある。
「酷い性癖だ」
 シャワーが沁みる。
 志貴子がガウンを着て出ると朝食が運ばれていた。
「目が悪いのか?」
「え?」
「眼光が鋭い」
「……いたるところに歯型がある所為で痛むのよ」
 惣史は口を左手で隠し目を伏せたが、
「爪あとだって結構な痛みだ」
 と言ってコーヒーを口にした。
 志貴子は黙って向いに座り、急に感じる空腹にトーストを頬張る。
「昨日食べ損ねたんだわ」
 惣史は呆れたように鼻を鳴らし新聞を広げた。
「あたしそれきらい」
「は?」
「食事中に顔が見えないのって嫌い。うちのお父さんがそうなのよね、まるで砦みたいに顔を隠して、俺に構うなって姿勢、だいっ嫌い」
 志貴子はそう言ってコーヒーを飲む。
 惣史は新聞をたたんだ。
「あら、以外に素直」
「嫌いだとはっきり言われて通すほど嫌な性格はしてない」
 ―そこは、嫌―って言ったよな、昨日……。
 二人は黙ってパンをかじった。
「へたに刺激しあわない方がいいと思うので、名前も、あと職場も、もろもろ」
「聞かないで置こう」
 二人は頷きあい、食べ終わる。
 志貴子は惣史が用意してくれたスーツに身を包む。
「返さなきゃいけないわよね、これ」
「プレゼント。だからって金に困ってないわけじゃないぞ、」
「持ち合わせ一万しかないのよ、無理よね、この額じゃ、」
「慰謝料ということで、」
 志貴子はガラスに映る自分の姿と惣史を見て頷いた。
 ベージュ系の堅苦しそうなスーツ。それを着た志貴子は妙に不似合いだった。昨日着るまでは似合っていると思って居たのだが……。
 
 そんな「不幸」な見合いから一ヶ月が過ぎていた。
 志貴子はゴム手袋をはずし一通り辺りを見た。
 このビルの掃除婦となって既に五年。不況組みといわれやっとの思いでついた仕事が清掃員。同期は仕事が嫌でさっさと辞め、残るのは子育ても終わって自適の老後を過ごしたいという四十、五十のオバサンばかり。若いつもりではなくとも、この世界では若いのだ。
 今日の仕事は済んだ。掃除道具も完璧に洗い終わり、完璧に片付けた。
「終わり、終わり」
 その時だった。内線がかかる。
「はい、清掃課です」
「あ、社長室ですがコーヒーをこぼしたんで至急掃除に来てください」
「……解りました」
 四時五十八分。あと二分で終業だと言うのに。
 志貴子は掃除道具が入っているワゴンを持って最上階の社長室へ向う。
 社長室の掃除は毎朝七時から始める。そのあと順にフロアを回る。今日は二度目になる。
エレベーターが空くと秘書が廊下に立っていた。
「遅いわよ、もう」
「すみません。なんせ急だったもので、」
「いいから早くしてよ、」
「……無理ですね、あれを無理して早く取ると染みになりますよ、そんなにお急ぎならかぎかけておきますから先に帰られたら? どうせ不在社長なんですから」
 志貴子はそう言って雑巾に洗剤の入ったスプレーを用意する。
「そうだな、帰りたまえ、」
 志貴子は水の入ったスプレーを取る手を止めた。
「で、でも社長」
「いつになるか解らないんじゃ、君が居てもしようがない。毎日残業じゃぁ大変だからね」
 この声は、間違いなく惣史だ。
 秘書が帰らないのは、多分、この男のアフターオフィスでもしようというのだろうこの社長室で、
「で、でも社長、」
「帰って良いと言ってるんだから、帰れ。しつこいのは嫌いだ」
 秘書は志貴子を睨む見ながら鞄を掴みエレベーターに乗り込んだ。
 志貴子は気合を入れて振り返る。
 社長室には何度も出入りしているが社長なんて逢った事がなかった。ただ、物凄く若くてハンサムだという噂しか知らない。
 志貴子は黙って染みの側にしゃがむ。
「落ちるか?」
「仕事ですから」
 志貴子は、汚れを、紙や布で吸い取らせ、水で溶かした洗剤をきれいな雑巾に染み込ませたあと、汚れの中央に向かってたたくように拭き取る。きれいな水を少量染み込ませたティッシュで拭いた後、固く絞ったきれいな雑巾で洗剤分を完全に拭き取る。
 黙々と作業をして二十分。ほかと変わらなくなった頃顔を上げると惣史が机に腰掛けてじっと見ていた。
「居たんですか、帰ったかと思った。秘書、お待ちですよ」
 志貴子は立ち上がり掃除道具を片付ける。
「鍵を掛けて帰らないとね、」
「そうですか、では施錠よろしくお願いします。お疲れ様でした」
 志貴子はそう言ってワゴンを付いて出て行く。
 ―サイアクだわ―世の中何が不幸って、度重なる事以外不幸はないと思っている。幸か不幸かどうも縁があるらしいが、いやな縁だ。
 
「はぁ?」
 仲人をしてくれていた栗本の叔母ちゃんと母親が志貴子の腕を両方から掴み懇願している。
「何、何ですと?」
「だから、先方さんがちゃんとした形でもう一度お願いしたいといって、」
「何で? 私断ってねって言ったでしょ? 嫌だって、」
 母親と栗本の叔母ちゃんは首を傾げる。
「嘘でしょ、断ってないわけ? てか、経歴知ってるんだったよね、うちのビルの社長だって、だから断る気無かったんでしょ、あわよくばとか思って、違う? 信じらんない」
 志貴子の言葉を他所に母親と栗本の叔母ちゃんは再度見合いの席を設けた。
 今度はブラウススーツを着た。着物なんか冗談じゃない。
 ―痛そうだ―そう言って腹部に付いた紐のあとに舌を這わした。
 志貴子は顔をしかめ通された和室に座った。
「この前は申し訳ありませんでした。遅れてきた上、不手際でお着物を汚してしまって、クリーニングが済むまで此処に待機させておいたなんて帰ってきて申しますの、もう、驚いて」
 向こうの母親のあの様子は確かに申し訳なさが伝わる。だが、
「あの、私の経歴ですけど、」
 全員が志貴子を見る。ただし惣史はそれ以前から面白いものでも見るように含み笑いを浮かべているが、
「私の職業、」
「えぇ、惣史のビルの清掃課の方でしょ? 知ってますよ」
「社長ですよ、この人、」
「志貴、この人って、」
 志貴子は舌を出し顔を背けた。
「えぇ。以前は両家のお嬢様とか、高学歴だとか、色々と探してきたんですけど、どうも、その、」
「なぜ見合いをしようと?」
 惣史の言葉に志貴子は惣史を見る。
「まぁ、惣史、」
「……性格的欠陥がありまして、そちらは?」
「似たようなもので、」
「でしょうね」
「志貴子、」
 母親の懇願するような声に志貴子は黙って顔を背けた。
 そのあとは気まずい空気が流れるだけだ。会話らしい会話もなく、お茶菓子で済まされたこのつまらない見合いはようやく終わった。
「とりあえず断るにしてもちゃんと「見合い」らしいものをしておいた方が断れると思いましてね」
 宴を結ぶときに惣史はそう言った。
 志貴子は軽く惣史を睨んで先にロビーに出た。
「すみません、うちの子、本当に、」
「いえ、うちも、」
 多分母親同士、仲人も含めて冷や汗で直ぐにでも倒れたいだろうに、妙な空気の一同がロビーに揃ったとき、志貴子はふらっとどこかへ向う。
「どうぞ、」
 そう言って手を差し出したのは腰の曲がった老父の側だった。
「まったく最近の若い人は困っている人が見えないようで、お手、どうぞ」
 落としたハンカチを取ろうと腰を曲げるよりも素早く志貴子はそれを拾い上げ、体制を崩しかけた老父の手をとって姿勢を整わせた。
「どうも、」
「いえいえ、もう大丈夫ですか?」
「えぇ。助かりました」
 志貴子は微笑んで踵を返して惣史の前に立った。
「では、改めて、縁が無かったことが残念でなりませんわ。失礼します」
 そう言って母親の手を引き歩き出した。
 仲人が慌てて追いかけ、母親がすみませんと何度も振り返る。向こうの母親も何度も謝っている声はするが惣史の声はない。
 ―まったく変わった人だ―惣史は含み笑いを浮かべずんずん歩いていく志貴子を見送った。
「まったくあなたって人は、どうする気なの、結婚」
「結婚は家のためにするわけじゃないでしょ、気が向けばしますよ」
「そんな悠長な、」
「ま、そういうのは「縁」らしいですからね」
 惣史は笑いながら歩き出した。
 ―あんな性格がきつくて、思い通りにならない女など調教のし甲斐がある―惣史はにやりと笑って、先ほど志貴子が助けた老父の視線に気付く。
 知らない顔だが妙に気にかかる老父をやり過ごし、母親と一緒に帰る。
 
 志貴子は一人で弁当を食べていた。二十五までは母親が作ってくれたが、最近は作ってくれない。だからと言って買ってくるものも味気なくて仕方なく簡素なものを作ってくる。昨日の残りの煮物と、玉子焼きだけ。
「味気ないねぇ」
 と言いながら弁当を口に入れる。
 すると内線がかかる。
 「社長室」のランプだ。
「清掃課です」
「コーヒーの染み抜きを頼みたい」
 惣史の声だ。志貴子の顔が険しくなる。
「……カーペットですか? 服ですか?」
「服だ」
「クリーニングに出してください」
 志貴子は電話を切る。
 ―昼休みにまで働かせるな―志貴子は電話に舌を出す。
 昼からは雑居スペースのような企画部だのなんだのと、やたらと人が多く、汚いフロアへと向う。
 誰も志貴子の姿に気をつけないし、志貴子も仕事の邪魔をせずに自分の仕事をこなす。
「あ、これ捨てといて」
 志貴子は山のような灰皿を手渡され無言でゴミ袋にそれを入れる。簡単にそれを拭いて手渡し、次へと向う。その繰り返しだ。おばちゃんが掃除をしようと、志貴子がしようと誰も関係ないのだ。
 エレベーターに乗り込む。掃除道具のワゴンは酷く場所をとる。
「すみません」
 と言って乗り降りをする。
 就業後、五時半を過ぎ、志貴子は社長室のある最上フロアに来ていた。
 秘書の姿はない。帰ったようで荷物もない。
 志貴子はそれを横目に非常階段のほうへと向う。ワゴンはその階段脇に置いて、そこから屋上へと上がる。
 昼ご飯前に干していたタオルを取り込みに来たのだ。白く洗われたタオルが風になびく。
背伸びをして空気を胸いっぱいに取り入れタオルの前に立って煙たさに咳き込む。
 目の前のタオルがはぐられ惣史が顔を出す。
「こんなところで何を?」
「見て、解りませんか? タオルは仕事道具です。取りに来たんです。それより、」
 志貴子は煙草を睨みぷいっと端からタオルを取り出しだ。
「毎日干してるんだ?」
「たまにです。ほとんどが地下にある清掃課の窓側ですけど、そこじゃ太陽に当たって雑菌も出来ないから、社長も甲羅干しですか?」
 志貴子の嫌味に惣史は片眉を上げただけだった。
 春の風に煽られるタオルを一枚一枚取り、腕に掛けていく。時々風が髪を持ち上げて邪魔をして手を止めるだけで志貴子の動きに無駄はない。
「何で清掃課に?」
「……バブル粕ですから」
 志貴子はそう言って頭を下げて屋上を出る。普段ならもう少し空を仰いだり、風に当たっているが惣史が居るとそれだけで気がなえる。
 階段を降りると階下から話し声が聞こえてきた。
「―でも、社長ってかっこいい割りに性格がね」
「恋の噂とかも在るし、秘書の杉谷さん? 彼女なんか、一回寝ただけだって捨てられたって、」
「それでよく見合いするよね、」
「何せ名門を潰したくないんでしょ、でも、いい男だし性格云々を我慢したら、お金持ってるし、」
「でも、嫁姑でもめそう、」
「そうか、名門だものね」
 志貴子は背後の気配に顔をあげれば惣史が立っていた。いつから居たのか解らないが平然としたような表情の中にかすかな怒気を含んでいる。
 志貴子が鼻歌を歌いだした。そのとっぴな行動に惣史が志貴子を見る。
「あ、何してるの、あなた、」
 志貴子が階段を降り声を掛けられてびくっと彼女たちを見た。
 秘書課の二人の社員は志貴子を睨む。
「いや、干していたタオルを、」
「聞いてた?」
「はい?」
「私たちの話し、」
 志貴子は首を傾げ、
「外が気持ちよくって鼻歌歌ってたんで、あの、何か用でも言いました?」
「別に、それより社長、は居る?」
「さぁ。用がなければそこには入らないので、解りませんけど」
「そう、そうよね。あ、鍵掛けておいたから……降りるけど、行く?」
「いいえ、掃除ワゴンと一緒じゃいやでしょ、先にどうぞ」
「そうね、じゃぁ」
 二人はそそくさと下りて行った。
 社長室の鍵の確認はとうにしているはずだ。じゃなきゃあんな悪口は言わない。
 志貴子はワゴンにタオルを全て乗せそれを畳み始めた。
 惣史は階段に座り煙草に火をつけた。
「煙草って血管収縮させて怒りっぽくさせるんですよ。止めたら」
 志貴子の言葉など聴かずに燻らせる。
「ま、あんたが先に死のうと関係ないけどね」
 タオルを畳みながら志貴子はワゴンを動かす。
「器用だな、」
「煙の少ない場所へ移動してるの」
 エレベーター前に止まる。此処からでは惣史の姿は見えず煙だけしか見えない。
「冷血感な社長でも、はっきり言われるとへこむのね」
 志貴子が鼻で笑う。
 煙が途絶え、惣史が姿を見せたあと、灰皿にそれを投げ入れて志貴子に近づいてきた。
 志貴子はワゴンをエレベーターから遠のけると、惣史はその志貴子が居る隙間にやってきて酷く強引に手首を掴むと、吸った直後の嫌な匂いのする唇を押し当ててきた。
 ねじ込まれてくる舌、それと同時に入ってきた煙に志貴子は惣史を押しやろうとするが、どういうわけだか酷く強情に押し付けてくる。
 ―気持ち悪い―志貴子は惣史の唇を噛み、離れた惣史の横っ面を叩いた。
 エレベーターが開き先ほどの秘書が戻ってきた。
 志貴子は肩で息をしながらエレベーターを見る。
 二人は状況判断している間に時間によって扉は閉まり、階下へと呼び戻されていった。
「あ、ちょっと、」
 惣史が腕を掴む。志貴子は振り解き、
「誤解説かなきゃ、」
「何の誤解だよ、キスして盛り上がりすぎて唇を噛んだというのに?」
「盛り上がってないわよ、私は強引にされたの」
「そう見るかな、社長と、清掃課の平社員。どうかな?」
 志貴子は惣史を睨みつけエレベーターを呼んでワゴンと一緒に中に入った。普段ならエレベーターの隅に小さく控えているが今日はそんなことに気を回す余裕がない。
 地下の清掃課に止まるとワゴンを無碍に片付けカバンを掴んで外に出た。
 ―なんて日だ、あいつと関わるとほんとサイアク―
 地下からいったんは1階に上がらないと出られない。先ほどの秘書が手近に居た同期に話している横を過ぎる。
 ―言ってろ、ほざいてろ、もう、サイアク―
 志貴子が帰る目の前に杖が横に伸びて志貴子は立ち止まった。
「三島会長」
 志貴子が振り返ると惣史が降りてきていた。
「ご機嫌如何ですかな、お嬢さん」
 志貴子は三島会長を見下ろした。背の小さな老人で、優しそうな顔を見せているが評判はすこぶる悪い。確か、四十も年下のフィリピンだったか、インドネシアかの奥さんをもらったと聞く。しかも、おん年七十にして妊娠させたとか、させてないとか、とにかく好色ぶりは有名だ。
「何の用でしょうか?」
 惣史が近付くのを三島会長は杖の先で立ち止まらせる。
「若造には用はない。用があるのは春日 志貴子さん。あんたにだよ」
 志貴子は黙って会長を見つめている。
「あの、彼女が何か?」
 惣史が口を挟むのを疎ましそうな顔をしながらも志貴子が口を開かないので「仕方なく」それに答える。
「彼女をわしの秘書に迎えようと思ってね。清掃課の平社員なんぞいやだろう?」
 会長のずるそうな目が志貴子を見上げる。
「彼女は秘書経験は、」
「そんなものどうにでもなるわい、どうかな? それとも若造に色々と恩があるのかな? それならば、お前んところの有望株として名高い開発部の井村と沢村という奴と引き換えてもいいぞ」
「な、」
 惣史の絶句する声と周りの過敏な反応。
 志貴子はため息をつき歩き出す。
 会長が微笑む横を過ぎる。
「これ、」
 志貴子は立ち止まりゆっくりと振り返る。
「なんでしょ、」
「恩があるならば開発部の、」
「つまんない事で、」
 志貴子はそう言って首をすくめる。
「志貴?」
 声に弾かれる様にして声の方を見れば、
「剛?」
 スーツを着た男が近付いてきた。
「やっぱそうだ。お前変わって無いなぁ。無愛想というか、」
「剛君、知り合いかね?」
「え? えぇ」
「昔私を捨てた男ですよ」
「おい、志貴、」
 剛が慌てて手を出すが志貴子はそれを触れさせる事無く歩き出す。
「用が無いのなら失礼します」
「ちょっと待たんか、」
 志貴子は立ち止まり振り返る。
「あんたは状況がわかっとらんのだな、開発部の引き抜きといえばこの会社にとってはデメリット、お前さんも知らんわけじゃないだろう?」
「無意味。そう言ってるんです。私社長じきじきに首を言い渡されたんですよ、さっき。社長を口説こうとして怒らせたんですからね取引にはならないんです」
「ほぉ、ではそのままなら来てくれるかな?」 
「それはもっといやです。あんな堅苦しいスーツを着てへつらこくなんて屈辱以外にありませんし、何よりも年寄りの相手なんて真っ平です」
「年よりはいかんと? 金を持ってるのにか?」
「金があってもつまらないでしょ、……一日中入れっぱなし出来なきゃ意味がないから。失礼」
 志貴子はカバンを担ぎ直しビルを出た。
 大きく嫌な空気を吐き出し、駅に向って歩く。
「会長、話があれば会議室を用意しますが?」
 三島会長。この会社の出資者ではあるが権限一切は放棄し、ただ利益のみの計上だけで済んでいた。それは惣史の祖父と親友だったからだと言うし、いまだに初恋の相手である祖母に思いを寄せているからだとも言われていた。一度就任式に姿を見せたきり会っていなくて忘れていたが、あの見合いの帰り志貴子がロビーでフォローしたのは紛れもなくこの会長だ。
 エレベーターに会長と惣史、そして会長の孫娘婿の剛が乗り込む。
「会長、まさかとは思いますが、いい子が居たと言ったのは、」
「あぁ、春日君だ。そういえばお前は彼女を振ったと言っていたな、」
「え? えぇ、結果的にそうなりますかね、ドライなんですよ、淡白と言うか、その…百合は優しいし暖かいですからね」
「それに金もあるしな」
「会長、」
 扉が開き惣史は黙って二人を会議室に案内した。
 椅子に座り暫くして惣史は口を開いた。
「引抜を公言するとはどういうことでしょうか? それとも、その二人が承諾しているんですか?」
 惣史の口調に剛は会長を見た。
「最初は、……春日さんを手に入れるための口実だったが、酷く気分が悪いんで本当に引き抜くことにしよう」
「井村と、沢村をですか? 会長の会社にも有能なものは居るはずですが?」
「虫の居所が悪いんだ。この会社を潰すまでするさ」
「引き抜いたあとはポイ捨てですか」
 会長は何も言わずに惣史を見た。
「もしくは、彼女を引き渡せと?」
「辞めた、そうだが」
 惣史は黙って会長を睨んだ。眼光の鋭い会長とにらみ合ったところでどだい勝てる訳ではないが、今目を逸らすことは出来なかった。
「まぁ、考えといてくれたまえ、剛君、彼に彼女のことを話しておいてくれ、よく」
 会長はそう言うと出て行った。
「はぁ。話せと言われても、」
 ―剛、本当に好きだったのよ、あたし―そう腕の中で言っていたあの体を思い出す。この男の代わりにされたと思うと腹立たしい。なんて腑抜けで、無能そうな男か。
「まぁ、志貴とは高校のときからのタメで、まぁ、なんつうか大学も一緒で、それでまぁ付き合ったけど、見てのとおりに面白くなくって、」
「見てのとおり?」
「あぁ、女らしいところなんかまったく無いし、なんかつまんなくなってきてさ、ってこんな話をすればいいのかな?」
 剛の言葉に惣史は机を叩き立ち上がる。
「よく解りました。ですがその話は会長にするべきですね、もうお引取りを、そしてヘッドハンティングは絶対に阻止させますと伝えてください」
 惣史は会議室の戸を開けて剛を出した。
 戸を閉め、椅子に座り手を頭の後ろで組むと天井を見上げた。
 会長は狙ったものは必ず手に入れる。どんな事をしても。それがモットーであり今までそうしてきていた。社員二人を引き渡しても彼女も連れて行くだろう。いや、彼女さえ引き渡せば会社は安泰だ。だがそれを天秤に掛けている。どちらが痛みを伴うか。社員は会社にとっての痛みだ。いやお陰で倒産するかもしれない。身の破綻だ。
 ―彼女は? 彼女が居なくても、……現に今居ないわけだから彼女の人身御供など、― 惣史は机を叩く。
 
 翌日、八時過ぎに母親が起しに来たが、
「首になったのよ、言ったでしょ、行かないの」
 と志貴子はベットに寝ていた。
 父親が出社する。それから一時間後に母親もパートで出て行く。
 志貴子がもそっと起き出そうかと思って居たとき階段を上がってくる気配がある。
 母親が出社前に声を掛けてきたのだろう、子供じゃないと言っておきながら。
 志貴子は頭から布団を被り寝たふりをする。
 戸が開いた。
 沈黙が続く。
 ―熱い―
 春とは言え日の当たり始めた部屋は既に陽気で暑い。母親も我慢するものだ、志貴子が布団をはぐると一言悪態をついて出かけるのだろう。
 志貴子は布団をはぐって起き上がる。だが母親は何も言わない。志貴子が振り返ると惣史が立っていた。
「社長出勤でもする気か?」
「な、何で?」
「社長の特権だ」
「意味わかんない、お母さん、」
「出かけられた。辞表を出したが考え直して欲しいと頼みに来たといったら快く中に入れてくれた。もう出かけて誰も居ない」
 志貴子は惣史を睨み上げる。
「会長の女になれとでも?」
「いや、」
「じゃぁ、開発部の社員は? 会社は? あんた社長でしょ、私は首にした、それで丸く収まるでしょう?」
「それで収めば、三島会長と恐れられないだろ?」
「じゃぁ、私が居ようが居まいが会社を潰すとでも?」
 惣史は頷き、志貴子は呆れてため息をついた。
「それで、あなたはどうしようと?」
 志貴子に言われ、惣史はベットに片ひざを乗せた。
「どうする事がいいのかを探している」
「その態度が?」
 惣史は首をすくめそのまま座った。
「君の剛に会ったよ」
 志貴子は何も言わずに窓の方を向いた。
「あれの何所がよかった? 安物の薄っぺらい守銭奴じゃないか」
「今好きだとは言ってないわ」
「忘れられずに、人を代用したくせに?」
「それでもよかったでしょ? あなただってとっかえひっかえじゃない、」
 顎をしゃくって惣史を見る。
 惣史はベットに座り直し、ため息をついた。
「何よ、辛気臭い。ため息一つするたびに幸せが逃げるのよ」
「それじゃ、その幸せとやらからは縁遠いわけだ」
 惣史は笑いベットに仰向けになった。
「いいベットだ」
「安物よ、どいて。……スーツ、しわになるわよ」
 惣史は横臥して志貴子を見上げた。
 沈黙が流れていく。
「会長の女になれって? 結婚を諦めて、愛人として生きろって? ……でもその方がお金だって十分だし、楽かもしれないわね、相手が気に入らないけど」
 志貴子はため息をついて俯いた。
「幸せが逃げるそうだ」
 志貴子が首を動かすと惣史がそれに近付いてくる。
 煙草のかすかな残り香が近付いてくる。顔をしかめる志貴子に惣史は口の端を上げ、
「我慢しろ」
 と口を塞いだ。
 薄いパジャマからは直ぐに熱が伝わる。
 
 シャワーを浴びて二階に上がると惣史は服を着て窓辺に立っていた。
「ご近所の眼とかって考えてくれんでしょうね、」
 惣史が振り返ると濡れた髪を拭きながら少し重そうに目を開けている志貴子がベットに座るところだった。
「奴ともしたのか?」
 志貴子が見上げる。
「いや、別に、」
「高校生じゃお金ないからね」
 惣史は窓の外を見ながらそのフレームを叩いた。
「ちょっと、家を壊す気?」
 志貴子の言葉に惣史は近付くと前髪を掴み顔を上げさせてキスをした。強引で酷く不愉快なキス。志貴子は全身で抵抗する。
「ちょっと、志貴子、煩い……、あ、」
 母親が帰ってきたところだったようだ。暴れている志貴子をたしなめようと上がってきて、娘のキスシーンなど見たくなかっただろう。
 離れて志貴子は肩で息をしながら惣史を睨む。
 惣史は口を拭った手を見た。
 ―また、噛みやがった―
「ちょ、ちょっと、あんたたち、」
「すみません、ですが子供じゃないんで、今日は失礼します」
 惣史はそう言って出て行った。
「志貴子、あんた、」
 志貴子は布団を頭から被って横になった。
 ―サイアク。あいつの、残り香が……―
 布団と言わず、自分に染み付いているような錯覚に襲われる。またつけられた腹部の歯形。首筋の痕。なのになぜあんな酷いキスをするのだろう。
 ―聞いたのはそっちじゃない。剛とやったかなんて、……安っぽい守銭奴か、それに振られたなんてかっこ悪すぎてまだ忘れられないのよ、悪かったわね―
 親の反対にも合ったがそれは綺麗な逃げ口実。本当は、二股を掛けられ、振られた理由が、金持ちだし、向こうの方が「性格」が可愛いからだった。それからというもの二股だの、一回だけの相手だとか酷い恋愛しかしたことが無い。
 
 夕飯は酷かった。
 母親は何も言わず、父親には言ってないだろうが酷く機嫌が悪い。食事をとると直ぐに風呂へと行った。
「志貴子、」
 父親から話しかけるなど珍しい。
「お母さんと何があったか知らないが、話さなきゃ解らない人だぞ。お前だってそうだろ? よく似てるから、二人は、」
 父親の言葉に志貴子は頷いて二階へ上がる。
 どう話せというのだ? ―まったく、奇妙な事になったものだ―もうため息しか出なくなっていた。会社に恩はないし、潰れ様がどうしようが構わない。辞めたのだし、未練も無い。会長の愛人になるのはやはり抵抗が大きすぎる。愛の無いセックスはありだとは思うが、会長となるとそれは抵抗する。それならば―それならばあいつの方がいい―
 体が重なるたびに怖い位にはまりがいい。
 志貴子は思い出す頭を振って俯く。
「志貴子?」
 母親の声だ。母親が戸を開けて入ってきた。
「あんたも大人だし誰と付き合おうと構わない。望月さんとはお見合いもしたわけだから、でも、あれは、」
「……そういうプレイが好きなの。激しいのが。心配しないで、」
 志貴子はそう言って頷いた。
 
 翌日、志貴子は昼休み時間に会社に向った。ビルの前の喫茶店に座り、惣史が出てくるのを待っていたのだが、向かいの椅子が引かれるまで暇つぶしに買った本に夢中になっていた。
「あ、どうも」
「俺か?」
「家だと、母親が心配するから」
「(社長)室へ上がるか?
「いいえ、もっと静かな場所がいいはずよ、どうすべきか話し合うためには」
 惣史は頷き、秘書に携帯から電話し「今日はそのまま帰る」と切った。
 
 二人は惣史の家へと来ていた。
「静かな場所、ねぇ」
「ホテルへ行ってもよかったが、昼間行くと誤解を招くだろ?」
「家もどうかしら、」
「此処は商談でしか使わない。あるのは応接セットだけだ」
「それはそれは」
 椅子に座る。
 こぎれいに使われている一室は確かに商談だけしか使わないのだろう。生活観がまるでなくて、妙な緊張を生む場所だ。
「それで、どうするって?」
 惣史は椅子に座ると足を組んでポケットの中から煙草を取り出し机に放った。
 志貴子はそれを睨みながら、
「結局のところ、私が我慢すればいいという話なら、私は我慢すべきだと思う。でも、親に、私は愛人になるから孫の顔は期待しないで。なんて言えるわけが無い。そうかと言ってこのままなのもだめなんでしょ? まぁ、私は辞めたのだし、どうなっても知ったこっちゃ無い。もともと清掃課とは言えただの掃除係、職場が無くなってもたいした痛手はないのだけど、私の所為で誰かに過大な損害が出るのはやはりよくないし、気分がいいものでもないわ。だから、」
「だから?」
 志貴子は何もいわずに窓の外を見た。
「此処、何階だっけ?」
「……十二階」
「見晴らしいいわね、」
「飛び降りるなよ、」
「しないわよ、後片付けが大変な事なんか」
 志貴子は立ち上がり部屋を出て行く。
 ―会長のところへ行く方を取ったのか―追いかけたいがその理由も無く追いかけるのは妙に「無様」に思えて惣史は窓の外を見たままで居た。
 
 ―決意表明。かな?―引き止めてくれるかもとか、強引に辞めさせるかもとか言う気は無かった。だが黙っていくには選択肢に負荷が多すぎた。だからどう言われ様と行く気ではあったが惣史に会ってから行きたかった。それが感情によるものか解らない。もしかすると、自己犠牲するんだからと惣史を踏みにじっていきたかったのかもしれない。それさえも解らない。ただ、胸の奥に小さくて痛い塊があるのだけは確かだった。
 三島会長の屋敷は近所でも有名な豪邸だった。
 居間に通されたあと直ぐ三島会長と惣史の母親が出てきた。
「あの?」
 驚く志貴子に母親が頭を下げる。
「どういう?」
「嘘だから」
 会長はそう言って椅子に座った。
「あの子があんまりにも女の人と遊びすぎて、その中の何人かは慰謝料だのと騒ぎ立ててろくなもんじゃないのよ。母親としてそういう遊びは向こうさんに悪いからと諭してもまるで聞く耳も無くて、だからとにかく見合いして結婚さえすればおとなしくなるんじゃないかしらって、何人もの良家のお嬢さんと見合いをしたけれど、どれもこれも破談。なんせ、見合いの現場に他の女性を連れてくるんですからね。どういう神経してるんだか、母親として情けなく思って居たときに、偶然じゃないと思うわ。でも、あなたが街を歩いていたのよ。惣史が急にあの子となら「見合い」をしてもいいって、今までのは見合いとは言わないでしょって言い出して、栗本さんとは顔見知りで無理だと知りつつお願いして、あなたのご両親にもうちの子が大変気に入りましたのでってそう言ったのに、遅刻はするし、二度目なんてあまりにも失礼すぎて。その日に会長にお会いして、状況を説明したの。そしたら会長が、」
「一芝居を打ったわけだ。ああいう手のばか者にはいいお灸だと思ったんだが、あんたが一人で来たところを見ると、灸はすえられなかったらしい」
 会長は呆れ顔で首を振った。
「あの、じゃぁ」
「あの会社のヘッドハンティングは架空話。そこまでしてどちらを選ぶかであいつの本心が解る筈だったが、どうも愚鈍すぎて、呆れて物も言えん」
 会長はそう言って腕を組んで鼻息荒く息をついた。
 母親はただひたすら頭を下げている。
「じゃぁ、」
「あぁ、君を気に入ったのは本当だが、それはいいお嬢さんだというだけで、身請けの話じゃない」
 志貴子は「身請け」に首をすくめて笑った。
「あなたにそんな思いをさせてるのに、あの子ったら、本当にごめんなさいね。お断りの話がきたけれど、どうしてもといって説得したのに、」
 志貴子は母親に頷き、
「いいですよ、悪いのは……縁が無かったということだけです。芝居を打つほどの価値が無かった。そういうことです」
 志貴子に母親は畳み掛けるように謝った。
 
 ―こうなると―状況が変わってくる。それはそれで複雑な事に。―あいつが私を気に入って見合いをしたという時点でどうも胡散臭い。それからあとの行動を考えても、気に入ったというよりは、適当に選んだら以外に話が進んだ相手。という感じを受ける。つまり、そこら辺を歩いている奴が気に入ったと言え、そこら辺を歩いているものの知り合いなんてそうそう居ないだろうと踏んだら地雷だった。というところだろう―
「さて、こうなると、どうしたもんか」
 とりあえず、当面は清掃課からの連絡で、いくら辞めるとは言え人手が足りない今急に辞められては困る。新人が使い物になる頃までは来るようにと言われているので、明日からまた職場に戻るが、―あいつはこの話を知らずどういう態度で居る事やら―
 
 翌日。惣史は酷く機嫌が悪かった。単純に志貴子が会長のもとへ行く事が気に入らないのだが、なぜ気に入らないのかを考えると腹立たしい。それを阻止して開発部の連中を山のように送りつけたって痛くは無いだろうに、そう思う自分が非常に腹立たしくて、無性に叫びたくなるほどイライラを隠せないで居る。
 秘書もそれを察してか部屋に来ても用を言って姿を消す。普段なら妙な色仕掛けの一つでもするのに、よほどピリピリとしているのだろう。
「社長、お電話です」
 外線のボタンを押せば今一番聞きたくない声が出た。
「会長……」
「どうだ、開発部の社員は?」
「元気ですよ」
「そうか、いやぁ、つまらぬ意地だった。わしは手に入れたいものは入ったのでこれでお前のところから手を引こう。まぁ、近々食事にでも来い」
 電話は勝手に切れた。
 惣史は受話器を叩きつけ、怒りに任せて添えつけの机を蹴り上げる。ぐぐっと走る痛みに、やり場の無い怒りが増幅する。
 ―どうにかして、取り戻さないと―
 惣史は急にはっきりと、すっきりと頭の中が冴えた。もやもやと煙立っていたものがそれこそ一気に晴れた。
「何で取り戻す? 俺のじゃないのに」
 その言葉を閃く前よりも酷く分厚い雲が今度は雷雨を伴い現われた。
 ―やはり、取り戻さないと―
 くだらない堂々巡りで数日が過ぎた。
 仕事などろくにやっていない。判を押したり、会議に参加したが一切頭に入っていない。丸々数日怒りと寝不足に支配され、その面差しが変わっていることにすら気付かない。
「社長?」
 秘書に喧嘩を売っても無駄だ。以前なら気晴らしに誘ったのに、なぜだか今は乗り気がしない。性欲が無くなった訳ではないが、この女に対しては無い。それ以外の女に対しても同様だ。
「あの、先に帰りますが、よろしいですか?」
 時計を見る。就業五時には三十分も早い。
「まだ早いだろ?」
「頼まれていましたA社への書類を持って行ってそのまま帰っても構わないと、少し早いですが、向こうの就業ぎりぎりですと失礼かと思いまして」
 惣史は頷いて手で秘書を追い返す。
 秘書が戸を閉めた。惣史は俯いてため息をこぼす。
 あんなにモテていた筈の自分がさっぱりモテ無いのは、どういうわけだか。自分が誘わないのもあるが、その気が無いという事もあるが、それにしたって無様な形だ。
 惣史はため息をついてついていた腕を引き戻したとき、いつのコーヒーだか、コップが落ちた。口をつけていない大量のコーヒーが絨毯に広がる。
 惣史は舌打ちをし、清掃課に電話を入れる。
 応答ベルをしつこいほど鳴らす。19回、……25回。イライラがたまる。
「はい、せい、」
「遅い! 社長室だ。コーヒーをこぼした直ぐに来い!」
 惣史は受話器を叩きつけた。
 ―どいつもこいつも―
 惣史が眉間にしわを寄せていると、管理課の部長がやってきた。
 大まかにしか話は聞いていないが、にしても一大事を引き起こすほどのミスをしてそのお陰で取引が延びているという事後報告を受けた。
 惣史の顔がひくひくと痙攣する。
「一体何をしてるんだ!」
 怒鳴ればことが済むわけじゃない。いつもならば冷静に対処方法の確認をし、理にかなったやり方で進んでさえいれば、事後報告だろうと許した。だが今はまさに情に流されて怒鳴っているだけだ。
「失礼します。清掃課です」
 惣史は怒鳴っていた声を殺した。いや、声が出なくなった。
 ワゴンを付いて入ってきたのは志貴子で、怒鳴っている惣史を明らかに無様だという目で見てから、給湯室へと向った。
「……すまない。作業は順調には進んでいるんだろう? ……じゃぁ、君に任せる。ただし、こういうことがあった取引だ、できる限り詳細な報告をしてくれたまえ、」
 部長は頭を下げて出て行った。
 志貴子が固く絞った雑巾を広げながら部屋に入ってきた。
「酷い顔」
 そう言ってコーヒーのシミを見て眉をしかめた。
「また、大量に、」
 志貴子は惣史の側にしゃがみこむ。シミがそこにあるのだから仕方が無いが、あまりにも側過ぎて惣史には目眩が起こりそうな位置だった。
「どうして、」
「何がです?」
「なぜ、ここに居る?」
「呼んだの、社長ですよ」
「そうじゃなくて、何でまだ清掃課に?」
 志貴子は顔を上げて惣史を見上げる。
「……聞いてないの? ……じゃぁ、会長にでも聞いてみたら? もしくは、あなたのお母さんに」
「会長はともかく、なぜ母さんに聞かなきゃいけない?」
「首謀者だから」
 志貴子の返答に惣史は眉をひそめる。
 シミは綺麗に退いていく。的確に、明らかにコーヒー色では無くなって行く。
 惣史は黙ったまま志貴子の作業を見下ろしていた。
 シミが広範囲だったのもあって、就業時間が過ぎやっと終わった。
 志貴子は給湯室へ行き、雑巾を洗う。
「終わったのか?」
「えぇ、一応」
 雑巾を絞り、給湯室のシンクを洗い流したあと志貴子は手を洗う。
 手拭で手を拭きながら志貴子は惣史を見た。
「聞かないの? 会長に」
「……、君が知って居るならば、君が話してくれればいい」
「……、私が話しても、信じないと思うわよ」
 志貴子はそう言って惣史の横を過ぎようとするのを、惣史がその腕を掴み、壁に押し付けると鬱積していたかのように唇に吸い付いた。
 抵抗してくる力を抑える力。ねじ伏せて壊して、もう二度とどこへも行かないようにしたい。―もう、二度と―
 惣史はさっと離れた。
 志貴子は顔を横にしていたがその頬を伝うのは涙だ。
「痛かったか?」
「えぇ」
 惣史は言葉に詰まる。
 志貴子は瞬きをして洗面所へと向き、鏡に近づいた。
「コンタクトがずれちゃったじゃない、まったくほとほと強引よね、優しいとかって言う感情とかがまるでないんだから」
 志貴子はそう言って目を瞬かせたあとでワゴンをついて出た。
「おい、」
「会長にでも聞いてみることね」
 志貴子はそう言って部屋を出て行った。
 惣史は上着を掴むと会長の家へと車を飛ばした。
 会長宅には母親と見知らぬ女の子が杉坂氏の執事と居たがそんなことはどうでもよかった。
「どういうことですか、会長!」
 血が逆上せている惣史にとりあえず座って冷静になれと会長は言った。そして落ち着いた頃、志貴子に話した事を話した。
「それは、彼女も?」
「あぁ。知ってるさ」
「お前がなぜ彼女となら見合いを真剣にすると言い出したのか。という点では、彼女は通りすがりの人で、自分とはまったく面識が無かったし、知り合いに通じるものも居ないだろうとか、万が一にでも居たとしても、断ってくるだろうと思って居たはずだと分析したようだけど」
 母親はそう言ってカップを置いた。
「あ、あの、ねぇ」
 惣史はくしゃくしゃと髪をむしった。
「勿論そこは言わなかったわよ、彼女が迷子のお嬢ちゃんの母親を一緒に探してあげたとか、見つかったときにそれはそれはドキッとするような笑顔を見せてそれに一目ぼれしたなんて」
「か、母さん!」
「だから言ってませんよ。あなたが気に入ったとおり私だって気に入ったのよ、あんなお嬢さんならいいじゃないって。それなのにあなたの性格がまたもや災いして、だから会長に頼んだんです」
 惣史は呆れた溜め息を落としたが、実際そうしてくれたお陰で自分の気持ちには気付いたのだ。
「行って来ます、彼女の家へ」
「よかったわ。さっそく家を調達しておいてあげる」
「結構ですよ、そのくらい自分でします」
「絶対にあなたのマンションへは連れて行かないことよ、あんな部屋人間の住処じゃないから」
「どういう意味ですか、」
「幻滅に値するということよ」
「いやいや、案外そこを嫌っては話が進まんのじゃないかね?」
 会長と母親に見られ惣史は場の悪そうな顔をして出て行った。
 
 ―夕飯時にアポ無しで来るかよ、普通?―
 惣史は直ぐに志貴子の家に来ていた。夕飯の準備の最中で、急な訪問の中、無口な父親と居間で野球観戦をせざるを得なくなっていた。
 野球には興味が無い。今は志貴子を連れ出すのが先決なのだが、どうしてもそれが出来ない。
「気が強いでしょ、あの子」
 父親がビールを傾けた。コップにそれが入れられる。
「言えませんね、父親の前じゃ。私も、家内をもらいに行った時そうお父さんに言われましたよ。気が強いが大丈夫かって。確かに気が強いですよ。見て解る通り、志貴子も同じです。気が強いだけで内心は小心者で、肝心なことが出来ない。これは私の性格ですけどね。気が強いくせに泣き虫で、頑固で、負けん気が強いくせに直ぐに諦める。まったく天の邪鬼と言おうか、ただの偏屈といおうか、とにかく酷い性格なんですけど、それでもお付き合いしてくれるんですか?」
「……そのつもりです」
「あなたは、奇特な人だ」
 父親はそう言ってビールを空けた。
 惣史は力を抜いて座った。志貴子を此処から連れ出す気が失せたのだ。志貴子の家族と一緒に居たくなった。そんなに悪い家族ではない。
 急な訪問に慌てている母親と一緒に台所に立つ志貴子を見ているとほっとする。
「気が強いですが、俺、いや、自分も負けずに性格が悪いので。大丈夫ですよ」
 父親と惣史は黙って野球を見ていた。
 父親が小さく頷くのを惣史も頷き返した。
 夕飯が終わり、一通り話が済むと、帰る惣史を見送りに志貴子が外に出た。母親に言われたから出てきたような顔をしている。
「少し、ドライブしないか?」
「はぁ? いやよ。さっさと帰ったら、明日大事な会議なんでしょ」
 志貴子の言葉に惣史は顎で車をさす。
 志貴子は嫌そうな顔をしながらも車に乗った。
 車は静かに発進をし、家の前をゆっくりと過ぎる。惣史がそのとき頭を下げた気がしたが、前を見ている志貴子には解らなかった。そのあとで志貴子の家の明かりが消えたのも知らなかった。
 車は暫く走り、あるマンションに着いた。
 「絶対にだめよ」と言われているマンションだ。
「何所?」
「俺の家」
「ドライブでしょ?」
 首をすくめ、惣史は志貴子の腕を掴んで家に行く。
 一人で住むには十分すぎるほどのマンションだ。玄関を開けリビングの戸を開けて点いた明かりに志貴子は驚いた。
「何、この部屋? 」
「面倒でね」
「面倒って、家政婦とか、彼女とか居るでしょ、」
「家政婦は居ない。女とは外で会う。この部屋に来たのは母さんと君だけだ」
 ありえないと首を振る。脱ぎ捨てられた服は散乱し、ファーストフードやいつの弁当だかが散らかっている。
「此処に連れてきてどうする気?」
「会えない間中考えていた、」
 志貴子は手を上げた。
「いい、話は。聞くには耐えられない。ゴミ袋って言うのは無いの?」
 志貴子は部屋を片付けだした。
 脱がれたままの服を洗濯機に入れ、ゴミを分別して集め、形ばかりの掃除機を掛け、部屋が志貴子いわく「人間の住処」になったのはそれから四時間もあとだった。
「ちょっとのドライブじゃないわね」
 部屋を見れば惣史は隅に追いやられた荷物の側でそのまま寝ていた。
「ちょっと、風邪引くわよ」
 起すために伸ばそうとした志貴子の手を惣史が握る。
 志貴子が唸る。
「こんな状況で出す音じゃないぞ、」
「いや、不用意だったなぁと思って。そうよ、あなたと居たらあたし本当に無用心なのよ。何度もキスされたし、あたしそれほど軽くない自信があったんだけどね」
 志貴子は笑って手を引く。
「ほら、突っかからなきゃ手を離す。やっぱりあなたも天邪鬼ね」
 志貴子は立ち上がると服を叩いてカバンを掴んだ。
「俺は、」
「さ、家まで送って」
「俺は、」
「負けるような気がする? だったら、このまま家に帰してよ」
「傲慢だな」
「そうね、今までの仕返し」
「じゃぁ、ずっと言わない」
「いいわよ、あたしだって言わないから」
 惣史は志貴子の手をとって部屋の奥にあるベットへと向った―。
 
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