Je l'aime même comme ne conserve pas le baiser.
     〜キスさえ出来ないほど好き〜


 
 盲腸騒動から一年後の年の瀬。宏樹はステファニー・オハラのショーに一年出なかった。他から声がかかったのもあるし、徹と離れNYが拠点となっていたのだ。
 マネージャーを雇い、彼の誘導の元いろんなショーに出た。そして一年ぶりのパリだ。
 徹の誘いで、年越しパーティーに出るために休暇を利用してやってきたのだ。クリスマスまではショー続きで忙しかったし、年明けてすぐから仕事で、休めるのは31日と1日だけだ。
 日本人である彼らには、正月ぐらい休みたいと言う理念が通じない異文化ショックを感じるときでもある。
 徹が居るステファニーの事務所を訪ねる。
「あら、いい男になって、鍛えてるの?」
 ステファニーは目敏く宏樹の腕や胸筋を指差した。
「まぁ、トーイは?」
「あそこで衣装合わせ。あなたと久しぶりにする二月が楽しみよ」
「本当に」
 愛想笑いも巧くなった気がする。笑いたくも無いのに笑わなきゃいけない世界。誰も本心で笑っちゃ居ない。
 宏樹は何も変わらない事務所の中を見ていた。どこを見ていたというわけじゃない。壁も、ガラスも、置いているマネキンも、一年前世話になったときと変わっていない。そんな漠然とした視界に澪の姿が見えた。
 ちょうど半年ほど前、徹に着せて喝采を得たという記事が載り、それからステファニーブランドの男性用の助手に昇格したと書いてあった。そしてその記事で彼女の顔をはじめてゆっくり見た。
 美人で、近寄りがたい印象を与えるほどの美人。確かどこかで同じ印象を受けた気がしたが、どこでだか覚えていない。
 その人が、盲腸のとき世話になり、その後礼も言えずに居る「MIO MORISAWA」だとわかった時胸が妙に熱くなった。
「よぅ、」
 徹の底抜けな明るい声に宏樹は視線を変える。
「コーヒー飲むか?」
「まるでお前の家だな」
 徹は笑い、勝手知ったる他人の家のようにスタッフの合間を縫って狭いキッチンに向かった。
 キッチンでは澪が鍋を掻き混ぜていた。
「コーヒーいい?」
「ええ……、ええ」
 澪はカップを二つ用意しコーヒーを入れる。
「そうだ、今夜のパーティーに行く?」
「ええ、でもすぐに帰ると思います。苦手だから。あ、お砂糖どうします?」
 澪は宏樹のほうを見る。
「あ、いや、ブラックで」
 そういうと、澪はカップをそれぞれに手渡す。
「あ、トーイは飲み過ぎないように、弱いんですから」
「そん時は、澪ちゃんが看病してよね」
 澪は困ったような顔で微笑んだ。
「ミオ、サテンのスカートはどこへ行ったかしら?」
「ミオ?」
 澪は二人に頭を下げて出て行くと、あちこちから声がかかるのをくるくると動いて片付けていく。
「ほんとよく動く子だ。まるでシンデレラだね。いや、シンデレラと違うのは、仕事を楽しんでいて、王子を待っていないということだな。意地悪な継母たちは多く居るようだけど」
 徹はそう言って入り口にもたれ澪が動く仕事を眺めていた。
「お前がパリにこだわるのは、彼女の所為か?」
「はぁ?」
「彼女がパリに居るから、俺がNYに行こうと誘ったときに断ったのは、」
「おいおい?」
「お前には恋、……いや」
 徹は黙って顔を背けた宏樹の肩を掴み、
「俺がパリにこだわる理由は皆無に等しい。ただ、パリに居れば、そう、パリに居ればいろいろと金を使わせずに済むんだよ。あちこちに行くと、それだけ情報をかき集めなきゃいけないから。もし、澪ちゃんの所為で俺が残るとしたら、彼女は酷く俺を怒るはずだ。自己犠牲は自分だけでいい人だからね。もし、仮に、俺がいろんなことに参って側に居てくれと頼めば側に居てくれるだろうよ。だが、思いのほか貞操は硬い。心底心を許した相手で無いと、体は許さないだろうね。なんかあるらしいし」
 徹はカップに口をつけ宏樹を見た。
「気になるなら、声かけろ。礼、まだ言ってないだろう?」
 宏樹は短く答えた。
 
 年越しで店はごった返していた。
 徹が、あとでいいものがくる。と言ったのは仲間の一人が仕事を切り上げて合流することだった。
 二つ年下で、仲間の一人の弟。俺たちの弟。頭がいいがすぐにふて腐るのは若い所為だと笑える。こいつと居ると宏樹はさらに大人になれる。こいつも、宏樹たちといれば子供に戻れる。いい関係だ。
「車が込んでて、途中で降りて走ってきたんだ」
 そういう顔は高潮していても、姿は崩れてなど居なかった。
 大きく深呼吸をし息を整えると、時計を見た。
「あと三十分」
「来年はどうする?」
「変わらないさ。今回だって無理やり企画を立てるために来たんだ。仕事じゃなきゃこの時期これないしね」
「ご苦労なこった」
 徹は弟、松浦 和矩の言葉に笑う。
「それにしても人が多い」
「カウントダウンだぞ、寝ずに盛り上がる日だ」
 宏樹も和矩も鼻で笑う。
「やぁ、森沢さん」
 目敏く徹が澪を見つける。
「こんばんわ」
 綺麗なあのさらさらした髪を上げ、黒いドレスを着ている。
「今日はとても綺麗だね」
「好きじゃないんです、こういう格好も、」
「似合ってると思うけど」
 澪は首を傾げた。
 ネックを巻き、そこから胸に降りる二本の布が胸を隠し、背中の半分ほどが見えている。綺麗な姿だ。
「そんな格好だと、変な奴に声をかけられるよ」
「声かけにくい顔をしてるので、大丈夫です。それじゃ」
 澪はくすりと笑い頭を下げて向こうへ行った。
「見たこと、あるなぁ」
 和矩が澪の背中を見入る。
「この前送った雑誌に載ってたからじゃないか? 新人美人デザイナーって奴に載ってたろ?」
 そうだったっけ? と和矩は言って酒を飲んだ。
「ちょっと、」
 宏樹はそう言って二人から離れる。
 和矩が徹の顔を見ると、徹はほくそえんだだけで何も言わなかった。
 
「あの、」
 帰る為に受付でコートを受け取っている澪を呼び止める。
「J'avais un manteau.(コートです)」
「Merci(ありがとう)」
 コートを着せてもらい、宏樹と向かい合う。
「何か?」
「あ、向こうにちょっと、」
 人が多すぎて大声になるのを避けるため、宏樹と澪は人気の少ない非常口側に向かった。
「もう、帰るの?」
「ええ、苦手だから、」
「そう……、その、」
「楽しんでくださいね、残り少ないけど、いいお年を」
 澪が帰ろうとする腕を掴み、
「違うんだ。その、この前は、ありがとう」
 随分前で、今頃変だけど。とか付属を付けろ。と思いながら宏樹は黙った。
 澪は一瞬戸惑う表情を見せたが、すぐに微笑み、
「いいんです。元気になってよかったです。それじゃ」
 と頭を下げ、行こうとする。
「あ、あの」
 澪が立ち止まり振り返る。
「一緒に居てくれ。と言ったら、困る?」
 澪は暫く宏樹を見入っていた。何度か口を動かそうとしているが、どう返事していいのか解らない様だ。
「いや、なら、いいんだ。すまない」
 俯いた宏樹に
「私でよければ、」
 澪はそう言った。
 二人の間に沈黙が流れた刹那、カウントダウンが始まったようだ。
 人はあちこちに集まり、時計と言う時計、明かりと言う明かり、そこ彼処に人が集まる。
会場から人が流れ出し、宏樹と澪の間にも人が入り込む。
 宏樹が澪の側に行こうとするが、澪は微笑を浮かべるだけだ。
「Une nouvelle annee heureuse.(A happy new year.) 」
 人が大騒ぎをする中、澪はその場を立ち去り、宏樹はそれを追えることなく見送るだけだった。
 ―また、傷つけた―
 俯く宏樹に陽気な徹と和矩が近づく。
「あけましておめでとう。今年もよろしく……。彼女は?」
 徹に宏樹は首を振りできる限り人の居ない場所を探し、地下の駐車場へと歩いた。
「追いかけないのか?」
「よいお年を。……でそれで別れた」
 宏樹は顔を顰め俯いた。
「俺、ちょっと上に行ってる」
 和矩はそう言うと階段を駆け上がっていった。
「ガキに遠慮さすな」
 宏樹はコンクリートの柱を叩き、柱に肘を付いてもたれる。
「どうした?」
「解らない。だが、俺は彼女に何度もひどいことをしている。なのに一度も咎めない。他の女のように求めない。何故だ?」
 徹からは返事は無かった。宏樹が徹のほうを見る。徹は何も言わずに柱にもたれている。
「何故だ?」
 宏樹がもう一度聞いたが、徹は首を振り、
「そりゃ、彼女に聞けよ」
 と言った。
 宏樹の深いため息が響く。徹は宏樹の肩に手を置き、階段の踊り場で静かに居る和矩に合図をした。
 
 澪はタクシーの中に居た。街は目まぐるしく賑やかで渋滞のタクシーの窓を叩き、陽気に「おめでとう」をめちゃくちゃに叫んでいる。
 澪はそんな街に目を伏せ、俯き、ため息をこぼした。
 ―苦しい。彼はまた何か悩んでいた。なのに私は助けられなかった。なんて酷いの、私……―

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