梅雨






 みかげは24時に上がり、すでに日付は変わって24:30近く。
 梅雨に入って雨が降る中みかげは微笑んでいた。傘に当たる音。リズムが一定でないその不安定さが好きだった。
 昼間の雨も好きだが、夜の雨も好き。
 ウインカーを付けて止まっている車が前方に見えた。青のシトロエンCだ。
 みかげが助手席に近づき身を屈めると窓が降りた。
「雨の日は大変だな」
「そうでもないよ。雨、好きだもの」
 和矩は頷いて目の前のアパートを見上げた。
「食事に誘おうとしたが、奏ちゃんがいるんだよな」
「一緒にって言う時間じゃないしね。あの子、明日中間だって言ってたからね」
「じゃぁ、またにするか」
「そうだね、」
 みかげはそう言ったが窓から手を離す気は無かった。
「メール、メール打ってメシ行くか?」
 みかげは頷いたが、奏を真夜中一人にする心苦しさとか、でもこのまま帰ることがもったいなく感じて、もそもそと鞄を探る。
「メール?」
 雨の音を楽しんでいたので聞こえなかったようだ。
 携帯を開ければ、奏からのメールだった。
 
 ―カズさんが待ってるよ。先に寝ておくので、しっかり戸締りしてから寝てください。じゃぁ、夜のデート楽しんできて下さいね―
 
 みかげは笑いながらそれを和矩に見せる。
 二人してアパートを見上げれば、まだ電気が点いている部屋に首をすくめて笑う。
「いい子だな」
「いい子よ。今時居ないくらい」
 和矩が笑うとみかげは車に乗り込む。
「近場の、牛丼屋にでも行くか?」
 みかげは頷いた。
 
 
 パリには梅雨という概念は無い。でもやはり雨が降る時期は存在していた。でもこれほど降る場所は日本以外ない気がする。
 梅雨も終わる頃なのだろうか? 湿気がまとわりつき、重苦しくなってきていた。
 澪は窓から外を見た。
 隣にはステファニー・オハラビルがあって、ここは最上階、四階の一番大きな部屋だ。それでも、寝室ぐらいが仕切られているくらいで、部屋というものが無い。
 リビングにキッチンに作業場所が同じなので、やはり奏を呼ぶには手狭な間取りだ。これならば、階下の、シェア・メイトをしている助手たちの部屋のほうが個室が多くあってよかった気がする。
 これもステファニーの好意なのだから文句は言えないのだが。
 戸が叩かれ、澪が側にあるドアフォンのボタンを押すと、宏樹が立っていた。
 澪は弾かれた様に戸に近づき戸を開ける。
「どうしたんですか?」
「約束は一時間後だったけど、新しく出来たって言う服を見たくて」
「……、あ、どうぞ。早すぎて、まだ片付けなんか出来てないんですけど」
 廊下には日本の従業員が二人の行動を怪しむ視線を投げている。
 宏樹がすべるように入り、鍵とチェーンをかけると、澪を抱きしめた。
「あの、ここじゃ、」
「声が漏れる? いいよ、俺は」
 耳元でくすぐったく吐息交じりの声がする。
 
 カウンターの隅にコーヒーが置かれる。
「いつもこのスペース?」
 少しだけの空間に宏樹が苦笑いを浮かべる。
「ええ、今は作業行動が大きいのでどうしても。でもすぐに片付けられるんですけど、」
「いいよ、澪がしやすいように」
 宏樹は足を組んでコーヒーを口に含む。
 澪はそれを見て製図用紙のほうを見る。
「そうしていると、奏ちゃんそっくりだ」
 澪が顔を上げる。
「奏と?」
「けっこう似てるよ」
「……、奏はまだ17で、」
「だからって奏ちゃんに手を出す気は無いよ。君が逃げなきゃね。妹みたいだ。本当に。多分、高校自分の澪はあんな感じだったんだろうという感じ」
「あれほど柔らかくないですよ。私あの頃必死だったんです。自分が目指したいものに進むこととか、みかげの事とか……、あの、……松浦君は、」
「カズ?」
「彼は、……いいです」
「カズの事が気になる?」
 澪はすぐに首を振ったが、宏樹の顔は面白くないような表情をしている。
「違うんです、その、言っても解らないことですから」
「信用されてない?」
「違います。あ、その、」
 澪が眉をひそめて俯くのを見て宏樹は上着を着ると、玄関へと向かった。
「俺に言えなくてカズに言えることならカズに聞けばいい」
 戸を開けてそのまま出て行った。
 
 ちがう。みかげとの過去を喋ったかどうかが聞きたかったんです。もう、みかげを悲しませたくないから。話していなければ、今後話す可能せがあるかどうか。それが知りたかっただけ……。それを聞いて、答えてくれますか? 一緒に居たのに、みかげを思い出したらもう、だめね
 
 澪は書きかけの製図に眼を落とす。宏樹用の採寸。今度オハラビルで新作パーティーが予定されている。そこで徹と宏樹用の服を頼まれていたのだ。もうそろそろ服を作らなければ間に合わないのだが、こんな別れ方をしたあとでどうやって作る気が起こるか。
 澪が深くため息を落とすと、再びドアフォンがなる。
 
「にゃ」
 戸を開けると荷物いっぱいのみかげが立っていた。
「奏ちゃんも中間テスト終わり記念。で、遊びに来た。忙しかった?」
 みかげは笑いながらその山のような荷物を邪魔になる真ん中に下ろし、窓の側に近寄った。
「空が一段と低いねぇ」
 澪と奏は首をすくめあって荷物を隅に移動する。
「ポテチと、チョコビと、クッキーにクラッカーにせんべいに、ガムに飴。好きなのを食いたまえ」
「すごい奮発」
「まぁね。やけ買い?」
「何で?」
「いや、ね」
 みかげは少し膨れて、
「昨日の夜、カズとゲーセンへ行ったのさ。奏ちゃんがテスト中だったからね、邪魔しないように外へ行っていたんだけど、そうしたらさ、エアーホッケーってあるじゃない、あれでこてんぱんにされて、あったまにきてね」
「松浦君と一緒だったの?」
「このところ毎晩。雨が降ってるからね、雨降ってると自転車乗れないからあたし。歩くでしょ、一応心配してくれてるんだね。飽きもせず迎えに来てくれるのさ」
 澪は黙ってみかげを見返す。その表情は何ともいえない不安を持っていた。
 奏もそのただならぬ表情に澪とみかげを見る。
「嫌なんだ。カズと逢うの」
「……そうは言ってない」
「でもそういう顔をしている」
「そうね、……えぇ、嫌」
「何で?」
「だって彼は、……なんとなくよ」
「……澪のなんとなくとか、忠告は本当によく当たる。でも、カズはべつに、」
「そういってまた辛い思いするのよ?」
 澪は口に手を宛がって顔を背けた。
 みかげはその行動に一瞬目を見開いたがすぐに微笑み、
「そりゃ誰かを好きになれば、しんどいこともあるさ。裏切られることも。でも、今はいい風が吹いてるから。もし、前みたいな風が吹いたら、その時は止めて?」
「そうなる前に、そうなるかもしれない前に辞めさせたいの」
「それは、」
 
 ムリ
 
 続く言葉を誰も続けなかった。
 奏は黙って俯き、みかげと澪は黙って見入った。
 
 
 三日。多分、澪と険悪になって別れてから三日が過ぎたと思う。何故険悪になったのかとか、何故険悪にならなきゃいけないのかさっぱりみかげには解らない。和矩が嫌いだとしてもあの避けようは、一瞬「晃平」を思い出すほどだった。でも理由は言わない。
 傷つくから、その姿を見たくないのよ。と念を押すように言って帰ったが、どうもそれ以外のことを何か隠している気がする。
 みかげはつまらなそうに頬杖をついて窓の外のずっとずっと遠くを見てため息を落とした。
 奏の視線を感じてみかげが奏のほうを見る。勉強机にしているリビングの机で、その側で頬杖にため息を疲れたら誰でも邪魔だと思うだろう。みかげは首をすくめベットのある部屋に行こうとしたみかげの腕を奏が掴んだ。
「みかげさん、出かけません?」
「奏ちゃん?」
 年下に慰められてる。と言う羞恥は無い。今は誰でもいいから優しい声が聞きたかった。みかげはその優しさに甘えるように頷くと、二人は町へと向かった。
 大通りに出て服屋の前で立ち止まる。
「ずっと昔ね、と言っても化石ほどじゃないけど、澪と同じように歩いてて、ある服屋の前でこうして立ち止まったの。澪はすでに美術の道に進みたいと言う夢はあったけど、県展だの、美術展だのに出してもそういうのってなかなか芽が出ないでしょ、けっこう悩んでてね、それで食べていけるのかとか、多分、澪はずっとずっと大人だったのよ、高校一年で。だから凄く悩んでいたときにね、こうやってガラスの向こうの服を見てあたしが、あたしはこういう服は着ない。と言ったの、そしたらね澪がね、その店に連れて行って、みかげにはこういう服とこういうのとっていろいろ見繕ってくれたの。単品では私に似合わないものでも、それが合わさった時あたしに似合うなってあたしが思った。そんときにね、澪、デザイナーになればって勧めたの。澪の返事はただ笑いだけ、でもその半年後、デザイナーになるって言い出したの。聞けば私がきっかけのようだけど、本当は違うのよね」
 みかげは笑いながら振り返る。奏と目線が合わず、奏が振り返ると徹と宏樹が立っていた。
「やぁ」
 奏は萎縮する。こういう綺麗な人のそばはどうしても緊張する。姉である澪に対してもどこか気を遣う。そのくせみかげにはまるで無い。そんな奏に宏樹はやんわりとした笑みを浮かべた。
「一緒にどう?」
 徹が笑顔でみかげに言うとみかげは大きく頷いた。
 
 四人は美登里さんの店に入った。
「かわいい」
 奏が入ってすぐに置かれている幸運のウサギを見つける。
「女の子だよね、ああいうのに反応する子って大好き」
 みかげはそう言いながら微笑んで奏を見る。奏は少し顔を赤くしてみかげの隣に座った。
「いいんだよ、女の子はああいうのに興味があって、あたしみたいにね、あれはウサこうで、食べれなくって、ただの置物だと思うようになっちゃぁおしまいだよ」
 みかげはそういって声を立てて笑った。
「それで、どうしたの?」
 徹がみかげのほうに柔らかい笑みを向ける。みかげは何も言わずとぼけた顔を見せたが、徹には効かない事を悟ってぽつぽつ話し始めた。
「さすが、観察力あるぅ」
 徹は礼とばかりに頭を下げた。
「澪と喧嘩した。と言うのかな? ちょっとした意見の食い違い」
「ほぅ、面白い」
「面白い?」
「よく知っている奴も、澪ちゃんが絡んでいるから」
 みかげはすっと宏樹のほうを見た。宏樹はずっと顔を背けている。
「どうでもいいけどね、そんなこと」
 みかげの言葉にむっと来たのか宏樹が顔を戻すとみかげと目線がぶつかった。
「澪にね、カズと逢うのは辞めろって言われたんだよね。澪の言うことは正しいんだよ、凄く。澪は間違いは言わないから。でもね、あの否定は、」
 みかげは黙って頬杖をついた。
 カラン
「あ……」
 和矩は意外な面子に驚いて徹の隣に腰掛ける。
「そろそろだと思ってやってきた」
「何でまた、」
「お前の所為でむしゃくしゃしているのがいるから」
 徹はさも面白いと言わんばかりに宏樹のほうを指差した。和矩は眉間にしわを寄せ宏樹のほうを見る。
「俺?」
 と聞いた和矩を無視するように宏樹が入り口を見ると、澪が入ってきた。
 座っている宏樹を見て一歩二の足を踏み、和矩を見て歩が強まり、みかげを見て顔が悲壮感に満ちた。
 全員が徹を見た。
「一気解決って大好きだからね」
「なんだよそれ」
 和矩が聞くと、徹は指を鳴らしみかげの方を見た。
「澪ちゃんが和矩を嫌う理由。聞きたくない?」
 みかげは澪の方を見た。
「だから、直接聞くんだよ、」
「ダメ、」
 徹の言葉に澪が声を高めた。普段なら決して出しそうも無い高音だ。だが徹は微笑み、和矩のほうを見た。
「なぁ、みかげちゃんに、みかげちゃんが壊れていたときのこと話したか?」
 澪の悲壮に満ちた声、いや呻きが漏れ、澪は俯き、その顔色を隠すように髪が垂れた。
 澪のその様子に宏樹は徹を睨む。
「聞いたよ、」
 答えたのはみかげだった。それがあまりにもあっけらかんとしていたので澪は顔を上げてみかげを見た。
「聞いたよ。カズが晃平の側に居たってことも、晃平があたしにした事も知っているってことも、」
 みかげの言葉に宏樹は口元に手を持っていった。
「みかげ、あんた、」
 澪の手を握りみかげは微笑み、ゆっくりと言葉を置く。
「震えてどうしようもなく怖くって、多分、壊れたと思う。でも壊れきれなかったのは、カズが話してくれたから、何でそんなに詳しいのか、多分、澪に話さなかったと思う。中学のときにあたしが大事にしていたキーホルダーをあげたのカズだったんだよね、それからカズは私を知っていたんだって、あたしの記憶容量には残っていないんだけどね」
 みかげはくすりと笑って澪を見た。
「晃平の話を聞いて壊れるんじゃないか、カズの側に居れば、親友ならそういう話を聞いてる、なんかのときにそれが出てきたら、昔以上に壊れるんじゃないか。……そうか、澪は壊れるって思ったんだ、……ほらね、澪の決断は正しいでしょ?」
 みかげは徹に微笑む。
 徹は頷き、宏樹の方を見た。
「和矩に、みかげの過去を話したか、これから話す気なのか、知っているから、酷いことをさせるんじゃないか。そう言う事を聞きたかっただけだよ。そしてそれを知っていながら、知らない紳士ぶってみかげに近づくカズが許せなかった。ただそれだけ」
 みかげは澪の手を摩りながら、
「怖かったよ、聞いたときには、澪のことずっと呼んだし、でもね、大丈夫だった。思い出したし、今でもちょくちょく思い出してたりする。でもあのときの悪寒や吐き気はなんだか無いんだよね。なんか、遠くの、誰かの話に思える。あ、多重人格かな? 困ったなぁ。でもね、そのたびに澪が言ってくれた、大丈夫よ。が頭や身体を軽くする。お呪いはずっと有効のようだよ」
 みかげの言葉に澪は肩を落とし息を付いた。
 奏は黙っていた。みかげの過去は知らない。でも一時期澪が朝早くから夜遅くまでみかげの家に入り浸っていたのは覚えている。両親は迷惑な話だといっていたが、澪は、親友を置き去りに出来るほど薄情じゃない。と断固として聞かなかった。そのとき、こんな熱い友達が欲しいと思ったくらいだ。
 その過去は今でもみんなの心に深く傷を残しているようだ。だがそれを知ることは今後も無いと奏は思う。
「さ、誤解が解けたところで食事しよう」
 徹の声と同時に食事が運ばれてきた。

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