初春のバス


 
 森沢 奏は高校受験を当日を迎えていた。志望校は有名な陵智学校高等部。レベルは全国でも十本の指に入る名門校だ。
 奏は試験へ向かうバスに乗っていた。どんなに遅れても試験時間よりも三十分も前に着く様に定刻なら一時間前に着くバスに乗っていた。
 人は少なくてまばらで、街は霧が立ち込めていた。
 イヤフォンCDから大好きな歌手もアップテンポの曲が流れてくる。
 
 ♪好きな人の姿ならどんな場所でも目に付いてしまう
彼だけを見ている私だから
いつだって彼を見失わない
それが好きって言うことでしょう?
ねぇ、あたしに気付いてる?
ホント、意地悪だね君って♪
 
 奏は鼻歌を歌いながらリズムを取る。と言っても周りに聞こえている人は居ないだろう。と思っている。少し心配になってイヤフォンを外し辺りを見たとき、隣の列の一人掛けに据わっていた男の子と目が合った。
 陵智学校の中等部の制服を着ている。彼はすっと目を伏せた。
 奏は頭を下げてイヤフォンを耳につける。
 奏は目だけで隣の彼を見る。
 すらっと伸びた足を窮屈そうにあの空間で組んでいる。その膝に手が組んで置かれている。暇そうにどこかを眺めている視線。ダルそうに前髪を掻き上げた指の長さ。
 奏は窓のほうに目をやった。
 このまま見ていると好きになる自信があった。いや、すでに好きなのかもしれない。一目ぼれ。と言うのだろう。
 陵智校前。のアナウンスで奏と彼は立ち上がった。
 同じバス停に下りる。
「受験?」
 彼が声をかけてきた。普段なら絶対に声をかけないようなタイプの彼の言葉に、奏は頷く。
「ま、がんばれや」
 そう言って彼は校門とは違う場所へと歩いていった。
「あ、ありがとう」
 その背中に奏が声をかけると、彼は振り返り、
「受かるといいな」
 と言った。奏は頷き、微笑んだ。
 
 合格通知。制服合わせ。入学式。部活はブラスバンド部。担当はアルトサックス。
 奏の身の回りは次々に新しく変わっていった。
 彼の事を知るのに時間はそうかからなかった。
 藍住 颯馬。家はすごい金持ちらしく、双子の兄透馬が居る。この二人の性格は正反対で有名だった。
 不良の癖に成績が悪いわけではない弟の颯馬。生徒会長、人に好かれる常にトップの成績を保持している兄透馬。
 彼らの周りには話題が絶えなかった。特に颯馬は毎晩喧嘩をして歩いているだとか言う噂が溢れていた。
 だが、奏は二人共と同じクラスにはならなかった。遠くから、騒いでいる取り巻きよりずっと後ろから見ているだけ。それだけでよかった。
 奏は一人で図書館に向かった。
 なんとなく奏はルネサンス時代が好きだ。いや、きっかけは解っている。家に遊び来たみかげが好きだと言って話している姿が楽しそうだったからだ。それを見て好きになったのだ。
 奏は図書館の歴史書の棚を見上げる。
「あった……でも、」
 奏は眉をひそめて背伸びをする。奏はそれほど背は高くない。姉の(澪)おねえちゃんは高い。次女の梓ねえさんは低い。これは母親似だろう。三女の渚ちゃんは少し背が高い。一番低くて、一番子供なのが自分だ。
 奏は口を尖らせて、背伸びして手を伸ばすがあと少しが届かない。
「待って、」
 振り返ると颯馬が立っていた。でも、この笑顔は颯馬じゃない。
「あ、いいです。踏み台持ってきますから」
 奏はするりと横を過ぎ、踏み台を取りに行ったが、颯馬にそっくりな透馬はすでに本を取り出し奏の方を見た。
 奏は踏み台を持ち上げ渡り廊下のほうを向いて止まっていた。
 渡り廊下を颯馬が歩いていく。面白くもなく不服そうな仏頂面の颯馬を見ている奏の顔が少しだけ―気に入らない―
 奏は我に返ったように踏み台を持っていくと、透馬が本を差し出した。
「あ、すみません。お手数をおかけしました」
 奏は本を側の机に置き、踏み台を丁寧に返すと、本をカバンを置いている場所へと持って行った。
 奏は本を開き、時々気になるような言葉をノートに書き写していっていた。
 透馬はその二列後ろの席に座り、その後姿を見ていた。
 自分に無関心な奏。颯馬の方を見ている奏。妙な侮辱感にさいなまれた透馬の奏を見る目が険しい。
 
 桜が散り、すでに若葉をつけて輝いている。
 奏はそれを微笑ましく思いながら自転車を漕いでいた。土曜でも部活はある。休みだから人の通りの少ない、いつもとはちょっと雰囲気の違う通学路を行く。
 少しの下り坂とカーブ。奏は少しスピードを落としたとき、ふらっとそこから人影が出てきた。
 慌てて握るブレーキ、バランスを崩してこけた。
 べダルが右足を吸ってじりじり傷むのを我慢し、顔を上げれば颯馬が眉をひそめて立っていた。
「大丈夫か?」
「あ、うん……ちょっと痛いけど。あ、あ、藍住君は大丈夫?」
「あぁ。お前がこけたから」
「そう、よかった。じゃぁ」
 自転車を起こして学校へ向かった。
 部活にある消毒液と絆創膏を貼る。
「以外に天然だよね、奏って」
 友達の言葉に首をすくめ、奏は練習を始めた。
 
 夕方。普段と変わらない時間に部活を終える。
 家の方向は奏だけが違う十字路でしばらく喋り、それから一人で自転車を漕ぎ出す。
 若葉のトンネル―春には桜のトンネルで、地元のテレビでいつもニュースで取り上げられる有名な場所だ―を過ぎる。
 信号で止まったとき、颯馬が隣に立った。
「足、大丈夫か?」
 奏は頷いて、自転車から降りる。
 颯馬はちらりと奏の足を見て、信号が変わる瞬間に自転車のかごに500mlのペットボトルを落として走り去った。
「あ、藍住君、」
 颯馬は振り返らずに走っていった。
 かごに入ったスポーツドリンクのジュース―侘びのジュースかな?―
 奏は少し頭を下げ、自転車に跨って家に戻った。
 しばらくそれが勿体無くて飲めなかった。
「よかった。がんばって受かって」
 奏、まだ15歳の春―。
 
 

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