le Souhait




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4.吹く風。病む平和

 湊は彬人といっしょにハインリッヒの屋敷にしばらく住んでいた後、彬人用の屋敷だという新しい屋敷にやってきた。
 日数がかかったのは、装飾の手入れと、使用品の買い揃えに手間取ったかららしい。昼間そちらのほうへ荷物を移動させ、今晩はこの屋敷での最後の夕食だ。
「まぁ、歩いて一時間も、二時間もかかるわけではないし、再び永遠の別れ。ってわけじゃないんだから。そう、泣かずに。」
 彬人の母親、スベンサー公爵夫人はハンカチをすでに三枚ほど濡れしきっていた。それを湊はようやく呆れながら言うと、スベンサー婦人は赤い顔で、いつでも遊びに来るように。と再三約束させた。
「しかし、ハインはいかがかしら。自分から今日は早く帰れるといっていたのに。」
「まぁ、まだ六時ですし。」
 彬人はこの数日で、すっかり敬語で話をすることに慣れたようだった。「アキル様」と呼ばれても、さほどの苦痛もなさそうに見えるし、かえって、本来の姿なのだと思われる。ただ、まだ母親とか、兄とは呼ばない。
 ハインリッヒの馬車が着いたようだ。彼の馬車は到着時に少々癖があって、御者がランタンに鞭を当てるのだ。ただし、それは故意ではなく、玄関脇に近づけるために手綱を引くためなのだ。それはどの御者も鳴らさないから、彼が帰ってきたと知れる。
 ハインリッヒは遅参の言い訳をして自室に帰り、すぐさま夕食に参加する。それが彼の礼儀というか、作法だから、みんな扉のほうを見たのだが、今日は格別そこに顔を見せるのが遅い。帰ってきて玄関がにぎやかになってすでに十分が過ぎ、ハインリッヒは着替えを済ませて入ってきた。
 湊は彬人とスベンサー婦人と顔を見合わせた。
 ハインリッヒはどこか影を落とし、無口がさらに押し黙ると、陰湿且つ陰険に感じられる。そして黙って椅子に座り、同じように黙った。
 湊はスベンサー婦人に首をすくめ、給仕婦が食事の用意を始めたのをきっかけに口を開く。
「嫌味、じゃないなぁ。僻み? ねたみ、とも違うかぁ。いやいや、そうしたものが合わさった、まるでいじめね。」
 湊の言葉にハインリッヒは嫌悪の顔を湊に向ける。湊は首をすくめ水を口にする。
「ハイン。誰でもそのくらいわかりますよ。ザクセン公爵ですか?」
 スベンサー婦人に言われ、ハインリッヒは視線をそらした。どうも、ザクセン公爵なる人物に何かを言われ、不機嫌で、思慮深い顔になっているようだ。
「話せないお仕事なのですか?」
「いいえ。」
「ではおっしゃいな。ザクセン公爵のお父上とは幼馴染、あまりおふざけですと、」
「いえ、彼はきっかけに過ぎません。」
「なんのです?」
「それは……。」
「湊に、言わせますか?」
「……、それがどれほど楽か知っていますが、それが酷であることも承知です。実は、」
「あたしはいいよ。」
 湊は皿に盛られたスープを飲む。彬人もハインリッヒに頷き、同じくスープを飲む。
「どういう意味?」
 スベンサー婦人は湊のほうに首を傾いだが、答えたのは彬人だった。
「僕たちの、異世界からの侵入者の話はすでに大きく広まってます。」
「侵入者だなんて。」
「しかも、それがほかの人には見えない魔獣が見えるなど、話のねたにならないほうがおかしい。そういう話は使用人を通じて、その家人、その上司、そして最高者の耳に入って当然。僕の意見から言えば、召集がかなり遅いほうだと思いますよ。多分、ハインさんが、僕だと知って行かせなかったのでしょうけど。」
「そう、国王陛下の耳まで。」
「一派の過激派からは、彬人たちが魔獣を操っているのではないかとさえ言われています。」
「そんなわけないでしょう!」
 ハインリッヒの言葉に、スベンサー婦人は金切り声を出したが、その直後の湊の言葉に絶句してしまった。
「行かなきゃ、ハインさんの職務に関するよね。でも、弟を見せ物にはできないし……。ね。」
 ハインリッヒは黙って頷いた。
「だから、行っていいよ。アキはどうだか知らないけど、行くべきだと思う。」
「どうしてそんな風に?」
「風がね、風が煩いんだ。なんか、ここに居ても、何にもならないって。」
「風ともお話しできるの?」
「はははは、できませんよ。そう感じるだけ。」
 スベンサー婦人は不可解な顔をしながらも納得した。そもそも、湊の読心術なるものも今ひとつ信じてなどない。きっと何らかのトリックがあるはずだと信じて疑っていない。それでも、便利なものだから、ちょくちょく湊にその技を披露するように頼んでくる。信じてない割りに、その回数は比較的多い。
「日にちは決まっているのだ。金曜。ハーノヴィーバ王国の皇太子が歴訪するディナーのときです。」
「まぁ、何でそのような。」
「隠していた事が裏目に。そう……、私がすぐ陛下に報告しなかったばかりに、過激派から、相当な隠しだまと見える、そうなれば、ハーノヴィーバ皇太子の祝賀会でお披露目する気なのでしょうと……。」
「まぁ、意地の悪い。」
 その晩、ハインリッヒは一口も食べることなくその食事を終えた。

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