六角堂外聞録  1
 時は天保八年。世に有名な大坂、大塩平八郎の乱などの動乱の世相を反し、この大江戸に置いてもなお、煽動波乱至極の時代と相成っておりました。
 しかしながら、それは表向き、血の気の多い役人や、生活苦に喘いでいる、それでも多少なりの力の温存可能な農民達だけで、本当に困っている者は、そんなものに参加できるほどの力もなく、ただ飢え死ぬのを待つばかりの身、誰の手も患わすことなくその身は河川、山に野晒され、鳥によって埋葬されていくのである。
 一人の坊主が新しい骸となった死体に、すでに鳥が頭上を舞い、その煩い読経を差し止めようとたかだかと鳴いている。その中で、坊主は片手の錫杖を一度地に打ち、片手で拝んでやって、その場を去った。
「たまにいいことをすると、ろくなこと無いよ。」
 坊主の一町ほど前で腰を下ろしていた女がそう言った。紺地に赤い鮮やかな牡丹の着物を着た女が、すいと日笠を持ち上げて、坊主を見た。
「そうは言ってもね、これでも坊主でさぁ、一応の読経はしねぇと、寝覚めが悪いでしょ?」
 坊主はそういって女の一歩後ろに立った。
「そう言うもんかねぇ。」
 女は立ち上がり、杖にくくりつけた鈴をちりりと鳴らして歩き出した。
「一体、いつまで続くんでしょうかねぇ。」
 坊主の背後から、音もなく一人のこ汚い男が出てきた。腰を十分落とし、がに股で、その汚いふんどしがちらちらと見える。無精ひげを生やし、あまりにも汚い格好なのに、足音がせず、身軽で、それが普通の男だとは思えないくらいの身のこなしだ。
「どこ行ってたんだい?」
「ちょっと、茶屋でね。この先五.六町ほど行った先で、番頭達が休んでいる宿があります。」
「と言うことは、もう、着いたわけだ。」
「あと少しです。」
 小男はそう言うが早いか、すいっと裾を巻く仕上げ、「お先に。」と走っていった。
「どいつも、こいつも、あたしを置いていって。」
「だから、籠を雇いましょといいましたでしょ。」
 坊主がそういって、坊主らしからぬ健脚ですいすいと先へ歩き出した。
「全く。」
 女はそう吐き捨てて歩き去り、誰も居なくなった山道の、木々の微かに揺れ淋しい場所を、昼だというのに、心細くなりそうになりながら歩くこと暫し、賑やかな宿場町が現れた。そして、その中の一軒に、目印の笠を吊した宿が見える。
「お邪魔するよ。」
 そういって女が暖簾をはぐると、おやおや、見知った侍も腰を下ろしているところだった。
「詩乃!」
「安く呼ぶんじゃないよ。」
 女は侍の隣りに腰を下ろし、「連れが先に来てると思う。主が着いたって呼んでちょうだい。」
 女中が階段を音を出して上がり、その後で、若い青年が女中と一緒に降りてきた。
「おや、岡様。」
 青年は女よりも先に侍の方に声を掛け、女の側に正座をして、侍の方を向いた。
「如何しました?」
「なぁに、ちょっとした、」
「女も居ないで一人旅たぁ、淋しい奴。ちょっと、番頭、荷物持ってよ。あいたた、もう、今日は歩きたくない。」
 女はそういって足を家に上げ二度ほど揉んでから立ち上がった。
 綺麗な顔をしているのに、今時何処を捜しても見当たらない、子供でも、これほど見事に、顎の線で切り揃えたおかっぱは珍しい。その漆黒と、瞳の漆黒はたいそう色っぽくて、少しふっくらとした唇も、なかなかだと思われるが、何しろ如何せん、この人にそんな色気を望むほうが無茶だと言わんばかりのがさつさで、階段を上がり、彼女だけに用意した部屋に入っていった。
 部屋の真ん中で足を放り投げている人に、青年、番頭は呆れながら荷物を隅に置く。
「詩乃さん、お行儀ってもんが。」
「煩いね、疲れたの、お前達みたいに、身体資本じゃないんだよ、こっちは。」
「だから、籠を、」
「煩いねぇ。もう。」
 女、詩乃が膨れたので、番頭はすごすごと自分たちの部屋に帰った。
 部屋には、無口すぎる男、だか女だか、黒布を垂らした、黒子装束を着ている通称「傀儡師」と、坊主、そして先程坊主と詩乃を追い抜いた小男、通称「運び屋」そして、青年「番頭」の四人が寝泊まりすることになった。
 詩乃との部屋は襖で間仕切りされているだけで、開けようと思えば開けれるが、誰もそうしないのは、詩乃にそう言う魅力をひと欠けでも感じないからだ。
「失礼します。お客様方。ただいま宿がいっぱいで、こちらの旦那が、お客様と同室で構わないとおっしゃってまして。」
 女将だろう、ふくよかで、働き者そうな感じだが、そのくせ、酷く神経質に勘定を数えそうな女だ。
「済まないが、」
 と現れたのは、先程の岡という侍だ。普段は八丁堀の番屋に務める役人で、岡 征十郎という。
「詩乃さん、どうしましょう。」
「お前達さえ、よければいいんじゃないのかい? あたしは、晩飯まで寝る。番頭、絶対に、鮎の塩焼きを頼むんだよ。」
「はい、はい。」
 番頭の生返事のあと、岡 征十郎は荷物を床に置き、壁にもたれるように隅に座った。
 しかし、男五人(そのうち一人はどっちか定かではないが)居ると、色が無くてげんなりくる。と肩を落とし始めた頃、夕食が出来上がり、詩乃との部屋の間仕切りがはずされ、客善に乗った見事な鮎に、詩乃はご満悦なのか笑顔を見せて、酒を頼んだ。
「いいねぇ、こういう肉厚なのはさ。」
 そういって詩乃が鮎の身に箸を指したとき、悲鳴が上がった。
「おや? まだ生きてるのかい?」
 そんなわけ無いだろう。と思いながら、岡 征十郎は素早く廊下に出て、その後を番頭が廊下を覗き、「ちょっと、行ってきましょう。」と運び屋が廊下の先へと走った。
 そう時間も過ぎない程度で、運び屋が帰ってきた。
「人が死んでまさぁ。、旦那。」
 岡 征十郎は箸を付けずに待っていた。運び屋の言葉に素早く立ち上がると、それでも鮎をむさぼっている詩乃を見て呆れながら、番頭に「食べ終わったら連れてこい。」と残して出ていった。
 客間の一室で、客の一人が倒れている。目は白目をむき、両手は胸と首を掻きむしっている。
「八丁堀で役人をしている岡だ。手伝うことはないか?」
 すでに役人は来ていた。だが、岡 征十郎の出現を快く受け入れ、担当の役人は名乗った。
「田子 庄助と申します。手助けかたじけない。」
「否、なに。で、仏さんのようたいは?」
「心の臓に持病を持っていたそうでね、それだろうと。」
「なるほど、胸を掻きむしり、」
「息苦しさと、貧血に似た血の引きと、そしてなによりも、後ろに倒れたときに打ったこの徳利で、気を失っている間に毒が身体に回った。」
 振り返ると、腕を組み、腰ひもだけで着物を着ている詩乃が立っていた。その腰ひもが解けると、お前は素っ裸じゃないか! と怒鳴りたくなるような格好に、顔を赤くしながら、
「な、なんだ、女!」
 田子 庄助が叫ぶ。
「知り合いだ。で、毒だって?」
 岡 征十郎が平静にそう言うと、詩乃は仏さんの側に来て手を合わせ、喉、頭を持ち上げて後頭部、そして掻きむしっていた爪、そして胸、そして口元に鼻を持っていった。
「ああ、間違いない。詳しくは、薬屋が分析して見なきゃならんだろうが、間違いなく、毒殺だね。しかも、普通なら善良薬として活躍する薬を、大量接種させている。しかも、本人の意思で。」
「本人の意思?」
「ああ、そうさ。苦しくなったら飲む心臓病薬だとしよう。そうなったら、人は苦しい、それを飲む。ここでなくても、何処ででもいいのさ、とにかく、これを盛った奴の周りでなきゃね。」
「何故?」
「こいつは、商人だ。ご覧よあの反物。あれは今、京辺りで流行っているものだよ。それを持っているとなるとだ、心臓病を患っているからって、商業を休むとはかぎらねぇ。と言うことは、誰かが、そう、こいつの側で、薬を飲むことを知っていて、それも、苦しいときに飲むことをちゃぁんと計算して、我が身から遠く離れた地で、心臓病としておだぶつしてもらおうって魂胆さ。丁度よかった、薬屋、これの解析頼むね。」
 廊下を歩いてきた旅人の老父に詩乃は声を掛けると、老父は詩乃の足下で転がっている死体の口から泡と、手に着いていた微細な粉を持って、明かりの差し込む障子の側に行った。
「検死はこんなもんだよ。もういい? 鮎が冷めちまう。」
「もう少し待て。こいつの身元も、その、側の誰かって言うのも解っちゃ居ない。」
「奥さんか、愛人。」
 番頭がぼそっと言う。
「普通なら気付くよ、岡 征十郎。」
 詩乃はそういって岡 征十郎の肩を二度叩いて部屋に戻った。
 結果、詩乃の言うとおり、薬のよる毒殺であり、それを手渡した妻が犯人だった。しかも、詩乃が言うように、遠くで心臓発作で死ぬことを計算していたという。あらかじめ薬を日数分手渡され、上から順に飲むという几帳面な男で、どう転んでも遠くで死ぬようなところにそれを入れたという。
 動機は、若い男が出来て、邪魔になったからだった。
 詩乃は岡 征十郎と並んで歩いていた。
「で、結局のところ、あたしたちを逃すまいとついて来たわけだ。」
 詩乃に言われ、岡 征十郎は咳を一つする。
「やだねぇ、女の尻を追っかけるなんて。」
「ば、馬鹿を申すな!」
 怒る岡 征十郎を詩乃はあざけるように笑い歩みを進める。
「ところで、岡さん、あの女は何者で?」
 田子 庄助が、出立する前の岡 征十郎に聞いた。
「あの女か? 胡散臭い薬屋の主だ。あれが女将の詩乃。番頭。そして薬を運ぶ、運び屋。病人の情報を仕入れてくる傀儡師、薬を作る翁の薬屋。そして、死者に手向けの読経を聞かす坊主。な、いかがわしいだろ。」
 岡 征十郎はそういって、江戸へと詩乃と同行するのだった。
「ところで、おめぇらはなにしに行ってたんだ?」
「慰安旅行さ。鮎を食べに行こうって言うね。」
「慰安旅行? 鮎をねぇ。」
 岡 征十郎は首を振って呆れるばかりだった。

 時は天保八年。世に有名な大坂、大塩平八郎の乱などの動乱の世相を反し、この大江戸に置いてもなお、煽動波乱至極の時代と相成っておりました。
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