Lady Ann〜火曜日のあしながおじさん〜 初夏の陽射しに小川の水面がきらきらと光っている。 レディー・アンたちの制服も半袖になり、動きは活発になっていく。 レディー・アンのお気に入りは低く腕を伸ばしているブナの木の枝に座ることだった。 「レディー・アン?」 「何? レイチェル。」 「レディー・アンは夏休みどうするの?」 「ここに居るわ。行く当てないもの。それに、例え帰っても、いいえ、帰らない方がいいもの。」 レイチェルはレディー・アンがいそうだと言うことを知っている。だから、口をつぐんでしまった後ろから、レディー・アンと同じクラスの、アリエルが声を書けてきた。緑がかった長い黒髪をしたアリエルは木の上のレディー・アンを見上げる。 「うちにいらっしゃらない? 一週間。タリアとは言わないけど、海岸街よ。」 「ありがとう。でもいいわ。」 「でも淋しいでしょ? 一人よ?」 「大丈夫。一人じゃないわ。ギルバート先生と、校長先生。それにアトスもいるし。」 「それだけよ?」 「でも、お邪魔は出来ないわ。ありがとう。」 レディー・アンはそう断って、それから一週間後、ほとんどの生徒が夏休みのために帰っていく姿を見送った。 「淋しくなりますよ。」 振り返るとユーリエとユーリアが荷造りをして立っていた。 「大丈夫ですか?」 「大丈夫よ。今までだって、出来ることはしてたわ。迷子にはなるけど。」 「やはり、帰らずに。」 「だめよ。お父さんもお母さんも待ってるわ。大丈夫だから。ほら。」 レディー・アンは二人の背中を押し出す。 「心配性なんだから。」 レディー・アンはそう言って空を仰ぐ。きらきらと輝く太陽は眩しくて、熱かった。 レディー・アンは寮に入ると、あれほど賑やかだった寮が静かで、もの淋しく思えた。 「釣りに行きませんか?」 振り返ると風間が釣り竿を持っていた。レディー・アンは頷き、少しはずれにある小川まで二人で出掛けた。 「で、風間さんは釣りの経験は?」 「さっぱりです。」 「私もよ? どうするの?」 「何とかなるでしょう。」 風間はそう言って笑い、ミミズの入っているバケツを覗いた。 「どうにもならないことはあるものよ。」 レディー・アンの言葉に風間はミミズを諦めて座り込んだ。 「ありがとう。」 「はい?」 「誘ってくれたの。一人だからでしょ?」 「まぁ。」 「おじさまに言われた?」 「おじさま、ですか?」 「火曜日のあしながおじさま。そう呼んでるのだけど。」 「まぁ、そうですね。」 「そう。でもご心配しないでって。私は大丈夫よ。大勢の孤独の方がきっとすごく淋しいわ。毎日何かを見つけて楽しむから。って伝えてくださる? あ、でもそうするとお手紙くれなくなるわね。じゃぁ、またお手紙書かなきゃ。」 レディー・アンは笑って立ち上がると、寮室に帰った。 食堂は物静かで、食事の時間を間違えたかと思うほどだったが、確かに匂いはするし、料理番も立っている。 レディー・アンは中に入って驚いてしまった。 「ギル!」 ギーゼルベルトがスープを口に含んで顔を上げた。 「帰らなかったの?」 「イツァは今不穏な政治状況だ。帰れない。」 「家族は移動してきてないの?」 「政府主要人だ。」 「じゃぁ、捕まってるの?」 「連絡がない。」 レディー・アンは自分の席に着く、まばらに生徒は居る。と言っても、いつもならば大騒ぎの食堂が校静かでは、いくらのレディー・アンも暗くなってしまう。 「あ、ねぇ、明日ピクニック行かない?」 そこに居た全員がレディー・アンの方を見る。 「どうせ授業はないし、みんなで遊ぶ方が楽しいじゃない? 行かない?」 ほとんどが賛成したが、ギーゼルベルトと、ノーラだけは行かないと言った。 翌日、晴天で、レディー・アンたちはピクニックに出掛けた。少し歩いた、ビクトリエンス卿の敷地内にある側縁までの日帰りだ。 レディー・アンの歌声は、寮から少し離れていても聞こえるほど抜けて届いてきた。 ギーゼルベルトはバイオリンを弾いていたが、ふと見た空にどす黒い雲を見つける。 「雨だな。」 ギーゼルベルトはそう呟いてバイオリンを弾いた瞬間、弦が切れ、顔をはじくと、鮮血が走り、ギーゼルベルトに嫌な予感が走った。 ギーゼルベルトが川へと向かって歩いていると、前からピクニックに行っていた生徒が帰ってきている。 「雨が来そうだったからね。でも、レディー・アンは木の実を採るって山に入って、風間さんとギルバート先生が探しに行ってる。ギルも帰った方がいいよ。なんだか嵐が来るみたいだから。」 すれ違った生徒がそう言い残して立ち去る。なんだって、木の実を採らなきゃいけないんだ? と思いながらもギーゼルベルトは川の方へと走っていた。 動悸が川近くになると更に激しくなる。風間とギルバート先生の姿が見える。今彼らに会えば追い返されるだろう。ギーゼルベルトはレディー・アンの姿がないことを確認して、二人に見つからずに山に入っていった。川原からすぐは岩肌で、影になって簡単に登れた。昇ってすぐに湿った土が現れ、しかもそこから誰かが昇ったらしく真新しい滑ったあとが見える。 レディー・アンか、それとも、彼女を捜しに入った風間かギルバート先生のどちらかだろう。 ギーゼルベルトはそのまま山を登っていく。枯れ木が行く手を阻み、再三ギーゼルベルトの服を引っ張る。 「困ったぁ。」 レディー・アンの声だ。ギーゼルベルトは茂みをかき分け、飛び出た。そのギーゼルベルトの行動にレディー・アンは驚き、急斜面で足を取られて転けてしまった。 「アン!」 ギーゼルベルトの異様な大声は、川から山にはい上がろうとしている二人にも聞こえた。そして二人が上を見上げている目の前で、転げ落ちるレディー・アンにギーゼルベルトが飛びかかり、頭を庇って落ちてくる様子が見えた。 小枝が薙ぎ倒される音、時々頭の上でギーゼルベルトが唸る声、レディー・アンは身体に当たる地面や、小石、坂を下っていく摩擦などよりも、レディー・アンを庇ってくれているギーゼルベルトの腕の強さと、彼の微かな呻き声が気になって、震えが来ていた。 そしてそれが終わったとき、川原に墜落した二人は、墜落のショックでギーゼルベルトはレディー・アンを手放し、レディー・アンは放りだされたが、軽傷で済んでいた。 レディー・アンは駆け寄ってきたギルバート先生に抱き越された。 「先生?」 「なんて事をしたんだ!」 ギルバート先生の冷静を欠く声と、それと同時にレディー・アンを抱き締める行動に、レディー・アンは一瞬きょとんとした顔をしたが、ギルバート先生の大きな体に抱き締められていると、すごく安心する。止めを閉じる。 でも、レディー・アンは目を開け、ギーゼルベルトを見る。 「大丈夫?」 「少々痛みが酷いはずだ。君を庇って落ちてきたんだから。腕に支障がなければいいが。」 風間の言葉にレディー・アンの顔が強張った。 ギーゼルベルトはソリストだ。腕が動かなければ、それは、死も同然だ。 震えるレディー・アンをギルバート先生は優しく抱き締めてくれた。 「あなたの所為だからね!」 ノーマの罵倒が廊下に響く。 手当が済んだレディー・アンは、まだ治療中のギーゼルベルトの様子を見に来たのだ。 風間がノーマを連れて行こうとするが、大声でレディー・アンを罵倒し続けている。 レディー・アンは静かに治療室に顔を出すと、保健婦が頷いて中に入れてくれた。 「彼女には鎮静剤を打たなきゃ。」 保健婦はそう言って出ていった。 「痛い?」 「ああ。」 むっときたが、でも、そう言ってくれるだけでもレディー・アンは嬉しかった。でも、腕に巻かれている包帯が、どうしてもレディー・アンの涙を誘う。 「大丈夫だ。擦り傷だけだ。動くし、バイオリンになんの支障もない。」 「そうかしら? だって、私を抱き締めて滑り降りたんだよ。」 「確かに重かった。」 レディー・アンがむっとギーゼルベルトを見る。頬に走っている傷に気づく。 「これは、弦が切れて当たっただけだ。」 「切れるものなの?」 「練習熱心なもので。」 「そう。」 レディー・アンは呆れたと言わんばかりにそう言ってみたが、座り直すと、ギーゼルベルトの顔をしげしげと見た。 「何かして欲しかったら言って。」 「別に、……。歌。歌ってくれる?」 「私のでいいの?」 「手近にいるので。」 レディー・アンは口を尖らせたが、静かに歌いはじまた。 発表会で歌った歌だった。それしか口に出来ないような状態だったのには、レディー・アン自信気づいていない。でもギーゼルベルトはそれをレディー・アンの手に手を重ねることで停めた。 「その歌は、あまり好きじゃないんだ。イツァの国家がいいな。」 「そんなの、ごめん、知らないわ。」 「じゃぁ、いい。もう部屋に帰った方がいい。」 レディー・アンは頷いてそこを出て行った。 「なぜ入ってこないんですか?」 ギーゼルベルトはレディー・アンの足音が消えたあとそう話しかけると、逆光の中人影が動いた。 「彼女と話しをするな? と言った顔をしていますね。それは、女生徒だから? それとも。」 「それ以上は言うな。」 それはイツァ語だった。低く、脅しかけるような凄みのある声だった。 火曜日のおじさま。 私は友達を危ない目に遭わせてしまいました。 どうすればいいのかしら? 彼がもう二度とバイオリンを持てなくなるのではないかと、そればかりが不安でしようがないのです。 私の勝手な行動で、彼がバイオリンを辞めなくては行けないと思うと、私は、本当にどうしたらいいのかしら。 レディー・アン。 あなたがそう悩むことはない。 彼は、彼の正義心をもって行動したのだ。あなたはその勇気を褒め感謝こそすれ、あなたの責任だと思ってはいけない。 彼だってそう思ってもらうためにしたのではないのだから。 彼が今望んでいるのはきっと、あなたらしさを取り戻すことだろう。 あなたらしい明るく澄んだ笑い声が聞こえないのは、私にとっても、彼にとっても苦痛でしかないのだよ。 彼のことは心配要らない。レントゲンや、精密検査でも異常は見られなかったと言っているし、君がそれほど病むべき事ではないのだよ。 ギーゼルベルトの腕の包帯も取れた夏休みも真ん中に来た頃、残っていた寮生たちは川原でランチをすることになった。 目の前にはレディー・アンを庇ってギーゼルベルトと落ちた場所があった。 「嫌な場所だ。かなり重たいことを思い出した。」 レディー・アンの曇った顔が一気に紅潮し、頬を膨らませてギーゼルベルトを追いかけ回した。 「失礼だわ! 女の子に向かって、重たいだの!」 「重かったのは事実だよ。」 「それでも、普通は言わないでしょ!」 「いや、かなり重かった。腕が折れない方がおかしいな。」 「まぁ!」 レディー・アンとギーゼルベルトは川原を暫く追いかけごっこをして走り回った。 「もう辞めなさい。」 ギルバート先生が二人の間に割って入って、事態は収拾したが、レディー・アンは頬を膨らませたままギーゼルベルトを見ていた。 「そう言う顔をすると、素敵なことがすべてどっかに言ってしまうよ。レディー・アン。」 レディー・アンはギルバート先生を見上げた。優しそうなひげ面が微かに微笑むと、レディー・アンは顔を赤くして俯いた。 (やっぱり、私先生が好き!) ランチは大きな敷物の上でサンドイッチを頬張った。そよ風が抜けていき、そろそろ寮生たちが帰ってくる頃だとかという話題が出てきた。 食事が終わるとそれぞれ好きなことをする中で、レディー・アンは木に登り、見晴らしのいい場所から川を見下ろしていた。 「なんとかと煙は高いところが好きとはよく言ったものだ。」 ギーゼルベルトの台詞に、レディー・アンは木から飛び降りようとして、スカートが引っかかり、前のめりに落ちた。そこをギルバート先生が抱き留めてくれた。 暖かくって、大きくって、優しい身体に抱き受け止められて、レディー・アンの腕は自然とギルバート先生の首を抱き締めていた。 「聞いたわよ、レディー・アン。」 帰ってきたキャリーとレイチェルがすぐに部屋にやってきた。 「ギルバート先生と抱き合ったんですってね。」 「違うわ。私が木から落ちたところを助けてもらったの。」 「でもその後、あなたはしっかりとギルバート先生に抱きついたんでしょ?」 「だって、すごく優しい感じがしたの。」 「まぁ、おのろけだわね。」 「のろけだなんて、でも、私ギルバート先生が好きよ。」 キャリーとレイチェルは顔を見合わせた。 「先生のことがもっと知りたいとさえ思うわ。」 本当にそう感じていた。ギルバート先生の優しくって懐かしい感じがどうしても忘れられないのだ。そして、ギルバート先生のことを考えると、すごく楽しくって、嬉しい気分にもなるのだ。 「これが恋ね。」 レディー・アンはさっそくそれを手紙に書き記した。 |
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