Lady Ann〜火曜日のあしながおじさん〜 風間は主人である、ローデンツ・ビクトリエンス卿の前に立っていた。老主人は口髭を生やし、ロマンスグレーの髪を綺麗に梳いていて、そして優しい緑の目を、風間が念密に調べた書類に向けていた。 「ほとんど彼女から聞きましたが、出生や、両親の名前などは、すべて戸籍謄本から本物です。」 「驚いた。彼女は、彼の娘だったか。」 「彼? ロバート・トレイシーバー。彼をご存じですか?」 「ああ、有名なペッターだ。素晴らしい音を奏でる。ただの金属の管を、折り曲げただけの、あのトランペットを、彼はまるで生き物のような音を出し聞かせ、世界を魅了している。なるほど、彼の娘なら、逢ってみたいね。育ててみたいよ。」 「では、そのように手配をいたしましょう。」 「出来るかね?」 「彼女は、洗濯屋に居候しています。結構その身は狭いはずです。洗濯屋にも多少のお金を差し出し、彼女の才能の話しをすれば、どうかと。」 「そうだな、では、風間、そのように手配を頼む。」 風間は頭を下げて部屋を出ていった。 老主人は車椅子を引き、窓辺に近付き空を仰いだ。 「彼女は娘なんだね。私に出来る唯一の恩返しだ。すまない。遅くなったが、恩を返せるよ。ロバート。」 その日の昼過ぎだった。 レディー・アンは洗濯屋のご主人と女将さんの三人で風間を迎え、その話を聞いて黙ってしまった。 「ええ、知ってますよ。レディー・アンに才能があることは、でも、うちには、学校に通わせる余裕はない。それに、いくらレディー・アンが凄いからといって、ビクトリエンス家にと言うのは、あまりにも突飛すぎて。」 「解ります。でも、このままこちらにいても、レディー・アンの才能は開花されないでしょう。レディー・アンのように才能を持っている子供を、ビクトリエンス卿は養子や養女縁組みをし、才能を伸ばしておられます。それに、これは、ビクトリエンス卿の私的なことも加味されております。卿のご親友が、レディー・アンのお父様であるとおっしゃっております。彼に受けた恩を返すまたとない機会、ぜひ、卿の意向を取り入れていただきたい。」 洗濯屋夫婦はレディー・アンを見た。 申し分ない申し出だ。断る理由はない。もう決めるのはレディー・アンなのだから。 レディー・アンは頷き、その話を承諾したのだった。 レディー・アン誕生日の日。 空は晴れ、素晴らしい青空に恵まれた。 ビクトリエンス家からの贈り物と言われる服を着たレディー・アンは、荷物を持って洗濯屋の前に立っていた。 「今までお世話になりました。」 「元気でいるんだよ。」 「辛いことがあったなら、すぐに帰っておいで。」 レディー・アンは近所の人に見送られて馬車に乗り込んだ。馬車には風間が乗っていて、優しく微笑んでいた。 「ひと騒動だ。でもそれだけ、あなたはみんなに好かれているんですね。」 「いい人ばかりだから、みんな。」 レディー・アンは顔を覆って涙を流した。 馬車はビクトリエンス邸の門を潜り、園庭に入った。 「す、凄い! これ、N.Y? 本当に? こんな緑のある庭始めてみたわ。田舎じゃあるまいし、しかも、門からお屋敷が見えないなんて。凄い、馬や牛ね、放し飼いなのね? 凄すぎる! N.Yにあったのね、こういう場所が!」 レディー・アンは馬車の窓から身を乗り出し感動していた。風間はその姿を微笑みながら、本を開いて読んでいた。 「あれは何?」 「噴水です。あと少しで水が上がりますが、お停めしましょうか?」 御者の言葉にレディー・アンは頷き、止まった馬車から降りてその広場に近付いた。 時計の文字盤がそこにはあり、はりはなく、ただ、水を吹き出すための穴がある。 「あまり近付きますと濡れますよ。」 レディー・アンは辺りの木立や、シバの青さ、そして咲き乱れる花の中にあって、その時をまった。十二の穴と三時の穴。そこから水が吹き出て屋敷の天辺にある鐘が三時を打ち、レディー・アンは水の吹き出てきらきら光っている異世界の幻想的な空間を堪能した。 「もうよろしいでしょうか? 卿が待って居られますから。」 「はい。」 レディー・アンの髪と服が少し濡れていたが、彼女はそんなことにはちっとも気にしないで、馬車に乗り込んだ。 「素敵ね。あんなものを毎日見られるの? 幻想的だわ。」 「建築家で有名なバトロー・レイザーもこの家から出ていきましたからね、ここで育ったお礼にと彼が作ってくれたんです。」 「素敵! 感激しちゃうわ。まるで夢の国か、おとぎの国だわ。」 「いい表現ですね。でも、あなたが今から潜る門の奥には、大変なこともあります。歌の練習をしなくてはいけなくなるでしょう。好きなときに、好きなようにではなく、ここで暮らしていること同じように、そして挫折も味わうでしょうし、」 「大丈夫よ。あたしいい人だもの。そんな周りにはいい人しか集まらないわ。みんなきっと親切な人ばかりよ。」 レディー・アンの漠然として、それで居て、なんだか妙に実感や、説得のある言葉を聞き、風間は微笑んで本に目を戻した。 門を潜り更に、十分ほど経ってから、馬車は玄関に着いた。でも風間はまだ本を開いている。 「レディー・アン様をお連れしました。」 御者がそう言うと、重々しく扉が開き、それは馬車で入り込む玄関だったのだ。急に舗装された。と言っても石のない土なのだが、屋根のある場所に入ると、薔薇の咲き誇るいい匂いがしている。 「薔薇って、今の時期だっけ?」 「奥様がご趣味で温室にしてしまったんだ。アーチを。」 風間はそう言って本を閉じ、鞄に押し込むと、馬車は緩やかに止まった。 「つきましたよ、レディー・アン。ここが、ビクトリエンス家です。」 と扉が開くと、大理石の大きな花瓶に、負けないような大きな玄関。使用人らしき人が左右に二人ずつ立っている。 「あなたのお部屋係の、ユーリエとユーリア姉妹です。」 「お部屋係なんて、そんなの必要なんですか?」 「特別生にはすべてついていますよ。」 「特別生?」 「言っていませんでしたね、レディー・アン、あなたはビクトリエンス家に養子に来たわけではなく、卿が開かれているビクトリー校に入学したんです。そして、寮生活をするんです。」 「でも、彼、えっと、そう、アトスは。」 「アトスは孤児でしたからね。多少親が生きている保証のある方に養子制度を与えるのは、もしあとで、ここを出て行くとき、果ては、親が引き取りに来たときに面倒が生じますからね。」 「でも、私の親は……。お父さんが生きているという保証はないし。」 「卿である校長先生は少なくても生きていらっしゃるとおっしゃってますが。」 「ご存じなんですね、私のお父さんの行方も。」 「風の噂だとおっしゃってます。」 「逢いたいなぁ。」 「逢えるでしょう。あなたがここで勉強をし、世界にいけば。きっと。」 風間の言葉にレディー・アンは微笑み、彼らの後からついてくるユーリエとユーリア姉妹に振り返ると「レディー・アン。よろしくね。」と手を差し出した。 姉妹はお互い顔を見合わせてから微笑み、その手を交互に握った。 レディー・アンの部屋は三棟の南側で、広くって、大きなベットがあった。 「凄い素敵! こんなに大きいお部屋見たことがないわ。」 「平均的な部屋です。特等生になればもっと大きな部屋が与えられます。」 「これ以上に? それは贅沢だわ。ここなら、三人、いいえ、もっと大勢で住めるわね。きっと、ここでご飯とかも炊けると思うわ。」 「ぜひそうしないように。詳しい規律などは昼食時あなたの担任となるミス・ブローカーから聞いてください。」 風間はそう言って部屋を出ていく。 「あ、風間さん。ありがとう。私頑張るわ。」 風間はレディー・アンの言葉に優しく微笑み戸を閉めた。閉めてすぐにレディー・アンとユーリエとユーリア姉妹の笑い声が聞こえてきた。軽やかで春のような笑い声だ。 風間は心なしかその声に浮かれている心を静めながらビクトリエンス卿の部屋を訪れた。 「気に入っていたかね?」 「はい、大勢で暮らせるとおっしゃっておいででした。ただ、お父上の事になると伏し目がちに逢いたいとおっしゃっていました。」 「逢わせてあげたいがね。なかなかそうも行かぬ事情がある。」 「はい。」 風間は、窓際に車椅子を寄せている卿に頭を下げて同意する。 昼食時。レディー・アンはユーリエたちに連れられて食堂に向かった。 食堂は一棟の一階に大きく場所をとっていた。 各テーブルには色の違うテーブルクロスが敷かれていて、制服も微妙に違う。 「南から弦楽器。打楽器、吹奏楽器、声楽、指揮となっています。」 「教室別で座るのね? で、私は?」 「あなたは声楽のあの一番後ろです、レディー・アン。新入生だし、実力が解らないから。」 「なるほど、実力世界なのね。」 レディー・アンは担任となるミス・ブローカーの話を聞いて、紹介のために他の新入生達と同じく北の端に列をなして立っていた。 ビクトリエンス卿が車椅子で入ってくると、生徒が全員起立をして迎えた。 「新入式を始めます。バイオリン……。」 レディー・アンは座って自分たちを見上げている生徒を見渡したあと、座らずに立っている先生達へと目を向けた。 ミス・ブローカーはシスターで、灰色の僧服を着ていたが、とても綺麗な人で、ただ、その度近眼の所為で瓶底の眼鏡を掛けていたが、それさえなければ随分と持てるだろうと思う。 その隣の恰幅のいい女先生は声楽でも高音域を担当している人で、ミセス・マロウ。高い声が出そうな樽のような身体をしている。 その隣りに立っている神経質そうで、細くって、鋭い目を眼鏡越しに向けているのがピアノ担当のソルディック先生。 ずらっと並ぶ先生の端で一人静かに立っている男の人を見つけた。生成のジャケットを羽織っていて、無精ひげが生えており、あまり格好は良くないが、でもレディー・アンの心が揺れるほど、彼は素敵な人だった。 彼は、バイオリン担当の先生で、ギルバートと言った。 「アン?」 レディー・アンは呼ばれて横を見ると、全員が彼女を見ている。 「自己紹介です。」 ビクトリエンス校の教頭先生であるミス・ガーデンが三角眼鏡をつり上げた。 「あ、はい。アン・トレイシーバアー。レディー・アンと呼んでください。イタリー系人で、母は一年前に死んで、父は行方不明です。あ、でも暗くないでしょ? 根っからめげない性格みたい。趣味は、歌を歌うことです!」 「もういいのよ。アン、自己紹介は手短に言うものよ。」 レディー・アンは首をすくめたが、ミス・ガーデン以外は笑っていた。ミス・ガーデンは神経質そうで、彼女もまたシスター服を着ていたが、こちらは、相当な修行をした人のように細くって、貧相な体型をしていた。 レディー・アンは声楽テーブルの一番後ろに座る。 「初めまして、レディー・アン。私、キャリー。キャリー・ローパー。」 キャリーは少しぽっちゃりしたこで、金髪で、人の良さそうな笑顔をして見せた。 「よろしくキャリー。」 「楽しそうね?」 「ええ、楽しいわ。素敵じゃない。」 「でもここは最下位よ。」 「あら。一番が居るんですもの最下位はいるわ。でも言い返せば最下位が居なきゃ一番は居ないわ。感謝してもらえべき方よ。」 レディー・アンはそう言ってキャリーに微笑んだ。 「明るいのね。」 「楽しむことが一番よ。」 食事が始まると、まるでレディー・アンは歌っているかのような食事をした。踊っているような、歌っているような軽やかで楽しげで、一緒に食べているこちらも楽しくなるほどの食事ぶりだった。 「レディー・アン。」 レディー・アンはキャリーと一緒に三棟へと帰るところだった。呼び止められて振り返ると、栗色の巻き毛の女の子と、黒髪のまっすぐに伸びた少女が立っていた。 「私、レイチェル。彼女はミリィ。良かったらお話ししません?」 「ええよろしく。」 レディー・アンと、三人の少女は庭に出て行った。校舎横の椅子のベンチに座る。 「素敵よね。ここって。N.Yじゃないみたい。」 「ないのよ。N.Yだけど違う。私も親元離れてきたときには驚いたもの。」 「そうよねぇ。毎日おやつがでるわ。」 「キャリーったら。」 「レイチェルもミリィも声楽なの?」 「いいえ、私はピアノ、彼女はバイオリンよ。」 「ねぇ、ギルバート先生ってどんな方?」 「あら。もう素敵な先生を見つけたの? でもよりによってギルバート先生?」 レイチェルが嫌そうに聞き返す。 「何故?」 レディー・アンは不服を込めて聞き返すと、レイチェルは少し声のトーンを抑えていった。 「だって、少しだらしなさ過ぎだわ。」 確かに、服はズボンからでていたり、無精ひげだったりするのは、レディー・アンもいやだった。でも、彼の目から感じるなんだかとっても暖かいものは、そんなことをすっかり忘れさせてしまうほどの力があったのだ。 「あれ?」 レディー・アンがずっと向こう側に池を見つけて立ち上がる。 「あれは池?」 「ええ、そうよ。なんで?」 「行ってみるわ。」 「え? 今から?」 「すぐじゃない。」 「でも、歩くのはもう。」 「じゃぁ、いいわ。私一人で行くから。」 レディー・アンは走り出した。スカートが足に巻き付こうが全然気にならなかった。 池に今まで気づかなかったのは、周りを囲っている木がまるでドームのように生えていて、いっさい中が見えなかったのだ。ただ少しだけ、そう、四人でお喋りするのに座ったベンチからだけ、少しだけ見えたのだ。 レディー・アンはその池に近付くと、更にそこは周りから誰も入れたくないほどに木で覆われていた。入り口となりうる隙間から中に入ると、木の聖道のような空間が広がった。 西日が降り注いで、青々とした木が風に微かに揺れる。その色を移した池が、透き通って綺麗だった。 「素敵! ここで泳ぐのも素敵じゃない?」 と思ったが、人が来るとやはり恥ずかしいので、レディー・アンは靴を脱いで足だけ浸しに入った。 「冷たい。どっから沸いてるのかしら?」 そう言ったレディー・アンの耳に、木が揺れる音がして振り返ると、青みがかった髪をした少年が顔を出していた。 「な、何してんだ?」 「何って、水に!」 ぬるっとした感触が足に触れて、レディー・アンがバランスを崩してしまった。彼はとっさにその空間に入ってきて、レディー・アンの手を引っ張り、そして抱き支えてくれた。 レディー・アンは彼のお陰で濡れずに済んだが、でも、彼の手はレディー・アンの左胸をしっかりと触っている。 レディー・アンは大声を上げて彼を突き飛ばして、その反動で二人とも池に座り込んでしまった。 「何すんだよ! でっかく濡れずに済んだのに!」 「何って、人の胸を触っておきながら!」 二人は同時に立ち上がった。 「胸だ? 誰が触るかよ!」 「触ったわよ、その手で、私の胸を!」 「助けてもらった礼がそれか?」 「助けて何て言ってないわよ!」 「なんて女だ。」 「あんたに言われる筋合いはないわよ。」 二人は同時に顔を背け、同時に歩き出し、狭い入り口から出て行って、それぞれの部屋に帰った。 「ったく!」 レディー・アンはユーリエたちに急遽風呂を用意してもらい、風呂に浸かっていた。 「まったく腹が立つわ。」 「でも、この学校にそのような不躾な生徒さんは居ませんよ。」 「居たの。すっごく嫌な奴なんだから。」 ユーリエとユーリアは同時に顔を見合わせたが、思い当たる人物は居なかった。 夕食時。レディー・アンは食堂に行くと、弦楽器か野バイオリン部の中に先程の彼が居た。 「あ!」 彼とレディー・アンは同時に指を指して大声を出す。 「なんですか二人とも。」 ミス・ガーデンが聞くとレディー・アンがすかさず言い放つ。 「彼、私の胸を触ったんです。」 「池に転けそうになったのを助けたら突き飛ばしたんだろ。」 「何よ、胸を触ったから突き飛ばしたんでしょ!」 「触るかよ。第一触った感触なんか全然無かったぞ。」 「触ったんじゃない!」 ミス・ガーデンのヒスって上擦った金切り声が聞こえると、二人はミス・ガーデンの方を見た。 「どう言った経緯で知り合ったのかは知らないけれど、今はお食事前です。喧嘩なら、あとで私の部屋に来なさい。いいですね。」 レディー・アンは座り彼から顔を背けた。 「レディー・アン?」 キャリーが様子を伺う。 「本当よ。あいつはあたしの。」 「私信じる。でも、ギルが?」 「ギル?」 「彼よ。ギーゼルベルト・ディートリッヒ。」 「ドイツ人?」 「ええ、でも彼の弾くバイオリンは凄いのよ。中庭に大聖堂があるじゃない?」 「ええ、ステンドガラスの沢山ある大きな、」 「そうあそこはね、人の波長を得て窓が開閉する仕組みなの。多分、あなたはさっそく明日あそこで歌わされて、その実力を見られるわ。」 「開くの? 声だけで?」 「ええ、その人の持っている声の室にとって、T1からT9までのタイプに分けられるの。1はすべての人を癒したり出来る、そう、ここには居ないけど、すべての窓が開は、その順に、南側だけだとかって具合に空く場所でそのレベルが解るの。」 「キャリーは?」 「聞かないで。一枚も開かないんだから。」 「どうして?」 「どうしてって……。」 「素敵な声よ。あたし好き。」 レディー・アンはキャリーに頬摺りをする。キャリーは辞めてと言いながらまんざらでもない顔をする。 食後、レディー・アンはキャリーとレイチェル、ミリィと一緒にレディー・アンの部屋へと向かっていた。 「レディー・アン。」 レディー・アンが呼び止められて振り返ると、綺麗な金髪の少女が立っていた。 「ギルには近付かないで。」 「勿論だわ。」 レディー・アンの意外な言葉に彼女はその場をそのまま立ち去った。 「誰?」 「ギルの妹のノーラ。」 「双子?」 「いいえ、血のつながっていない妹。だから、いつもギルに言い寄るこにああして牽制しかけてくるの。」 「言い寄る? あんな性格の悪い奴に? みんなおかしいわ。」 レディー・アンは足を踏みならして部屋に三人を通した。 |
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