前向きに、サガロウ
↑Honey=Joker top

 朝の電車はひどく揺れ、混み、お盆休みである今、なんだって混んでいるのか、彼には納得行かなかった。
 冷房車らしいが、汗が蒸せ、誰ともいわずに「アツ」くて、倒れそうだった。
 彼が大きく肩で息をついたとき、小さな声が下のほうで聞こえ、彼は下に首を向ける。彼の胸辺りしか無い背の、小さな女性が顔を赤めて立っている。その後ろに居る親父の妙に悦に入った顔。
 彼はすっと彼女の肩に手を回し、ぐいっと引っ張り、周りに睨まれながら彼女を親父から離す。
「あ、ありがとうございます。」
 彼は首を動かしただけで何も言わなかった。

 いつもの駅で降りると彼女も降りた。だが、彼は気にすることなく歩き出すと、その服を掴む人が居る。振り返ると先ほどの女性だ。
「何?」
「ごめんなさい。」
「いや、さっき聞いたし。」
「そうじゃないんです。いえ、そういうこともそうなんですけど、あの、服。」
 彼は顔をしかめ彼女が指差している辺りを見た。Yシャツの胸の辺りに赤い口紅がついている。
「本当にごめんなさい。あの、彼女とか、奥さんに迷惑かかるでしょうから、あの、これ、クリーニング代です。足りませんか?」
 そう言って千円札を出している彼女に、彼はしかめた顔から噴出した。
「いいよ。彼女も居なきゃ、結婚もして無い。誤解されるような相手もいない。名誉だよ、痴漢から助けた子におまけにキスされたってね。まぁ、口じゃないのは残念だけど、いや、これはセクハラだと思わないでよ、あの、なんていうかね、」
「解ってます。でも、シャツ汚れたし。」
「いいよ。水で落ちるだろう。」
「さぁ。」
「ま、とりあえずさ、もういいから。」
 彼はそういうと階段の方へと走って行った。

 そんなことがあったことすら忘れてしまった九月も中旬。彼は一人電車に乗って揺られて居た。
 -----はぁ、失恋。なんと言うこっちゃ。
 頭をがしがしと掻き毟り、床に目を落とす。普段はなかなか見られない床を見つめ、さすがに最終電車は人が居なくていいや。と寝転んでみる。
 そうすると彼女の言葉を思い出す。
 入社してからずっと付き合って居たはずの彼女が、頬を赤くし、そのくせ俯いて、そして迷惑そうな目で彼を見上げ、
「別れましょう。」
 と言った。彼が言葉を失っている間に、彼女はすっかり真相を話した。
「あたしね、あなたと二股かけている人が居てね、私、彼の子供を身ごもったの。ということで、バイバイ。」
 彼女のあまりにもあっけらかんとした言葉に、彼はなすすべもなく、ただ黙って見送った。

 そして気付くと彼はとあるビルの屋上に居た。ふぅっと風が身体を持ち上げて気付いたのだ。
 -----自殺者って、なんかこんな場所に来て飛ぶんだろうなぁ。
 そう思いながら下を覗く。随分と高いビルだ。彼は足がすくみ、縁に掴まるようにしゃがみこんだ。
「お、いい心がけ!」
 そういわれて声のする真上を見れば、黒服に、黒髪の少女と、彼女よりは少しばかり年上の青年が立って居た。
「な? 誰だ?」
 先ほどまでの高さの恐怖よりも、その急な登場に驚く。
「あたし? あたしは天使。って言って信じる人いるの?」
「まぁまぁ。」
 彼女をなだめるような青年の声に、彼は顔を引きつらせる。
「アー、自殺志願者君。いや、名前が悪いなぁ、別にこれから死んじゃうんだからどうでもいいけど、とりあえず名前聞いておこうか?」
 自称黒服の天使に言われ、彼は渋るように名前を告げる。
「沢村 いたる。」
「至さんね。えっと、そんで降りちゃう?」
「いや、その。」
「ジョーカー、助けに来ておいて、あんまりそういう言葉は、」
「でも、飛び降りたいって人を止めるのもどうかと思うわよ。だって、飛び降りなきゃいけないほどのことがあったわけだし。それが乗り越えれるなら、こんな場所にはいないし、もっとも、あなたの死ほど無駄なことは無いけど。」
「無駄……。」
「ジョーカー。」
 救いようの無い言葉を発した黒服の天使・ジョーカーに付き人は深くため息をこぼす。
「だってそうでしょう、彼は志望するはずだった人を二人も助けてる。にも関わらず自分が死ぬんだもの。」
「二人も?」
「気付かなかった?」
 ジョーカーは首を傾げたあと、「人助けってそういうもんだけどさぁ。」とあごに指を持っていき空を仰いだ。綺麗な人差し指を至は見つめる。
「数日前、あなたは痴漢にあって居た女の子を助けたよね?」
 至がしばらく考えて、シャツを指差し、頷く。
「その子はその後すぐ、連日の痴漢行為への不満から急行列車が駅に来た瞬間飛び降りて死ぬのよ。それを知った痴漢者もまた、罪悪感からこっちは首吊り。でも貴方の勇気で彼女は力を得て痴漢者は鉄道警備員によって逮捕された。あなたの助力で二人の命を救ったの。」
「はは、でも、俺の自殺も運命だと思えば。」
「何でよ。だいたい、何で死ぬわけ?」
「いや、天使なら、そういうことはお見通しでしょう?」
「何で死ぬの?」
 ジョーカーが背後の青年を振り返ると、青年はジョーカーの腰辺りを指差す。
「ああ、本。そうかぁ。えっと、」
 ジョーカーは本を取り出し、ぱらぱらとめくったあと、暫く文字を目で追い、ぼん。と音を立てて本を畳むと、大きく息を吸った。
「ばっかじゃないの! あんな女に振られたから死ぬって? いや、このご時世マジで? あんな女なんかいっくらでも転がってるし、挙句には、あんな女に価値なんか無いわよ、だいたいあの女はあなたの運命の人じゃないわよ。そんな女のために人徳で得たものを放棄する気? ああ、あほらしい。ねぇ、本気で救うの? こういう人。いいじゃない、どうでも。ねぇ、ヤン!」
「助けてください、仕事です。」
 青年こと、楊に言われ、嫌そうな顔を至に向けるジョーカー。
「なんだかなぁ。」
 ジョーカーはそう言って至の側に腰を下ろした。そしてどこからか缶ジュースを取り出す。
「飲む? 要らない? さっき買ってきたところよ。」
 そう言ってプルタブをおこし、咽喉にすっきりさわやか系の水を押し込む。
「で、あの。」
「どうする?」
「はぁ。」
「飛び降りてもつまんないよ。まぁ、降りた先のことなんか知らないけど。」
「でも、天使でしょ?」
「だと思う? 結構真に受けるタイプなのね。」
 至はあからさまに馬鹿にするジョーカーに笑顔を引きつらせ、その後ろの楊を見上げた。綺麗に整った顔をした美形もまた、苦笑いをしている。
「あなたがどうしようが構わないといえば構わないのよ。でも、あなたはこの後運命の人に出会い幸せを掴む。でも、飛び降りたらそれはなし。あ、言っとくけど、幸せだから苦労しないとは言って無いからね。苦労も時が経てば笑い話になるもんよ。それをいちいちあの時幸せになるって言ったじゃないかって後退性はよく無いわ。」
「後退、性?」
「後ろ向きより、前向きがいい。あ、でも今はそのまま下がってね。」
 ジョーカーの妙に弾んだ声に至は思わず噴出す。
「そう! 人間笑った方がいいわよ。あの女はあなたと別れて結婚するけど、二年ほどで離婚。後に再婚するけど、子供はぐれるし、老いてからは寂しい老後が待ってる。」
「マジで?」
 至は眉をひそめジョーカーを見返した。本気で心配している至に今度はジョーカーが噴出す。
「ばっかねぇ。そんなことあるわけないじゃない。そう思えば、別れたあとも悔いは無いでしょ?」
「いや、俺が居さえすればって、」
 ジョーカーは黙って至を見返した。至の言葉は本心だし、この男は自分が傷ついてなお、傷つけた女を思っているやつだと解る。ジョーカーはため息をこぼし空を見上げた。
「いい天気じゃない。下ばっか見てないでさぁ。前向いて行こうよ。」
 ジョーカーの言葉に至は空を見上げた。微かに光る星。街のほうが明るすぎて普段は見ていなかった。確かに空を見上げている方が心はすっとしてくる。
「彼女は、幸せになるよね?」
「それは本人しだいよ。あたしがあなたは幸せになると言っても、その努力を怠れば、ね、わかるでしょ? つまりそういうものって、自分でどうにかできることなのよ。あなたはあなたが幸せだと思うようにすれば、それが幸せなんだわ、きっと。周りがどれほど同情しても、あなたを非難してもね。」
「そうだね、……、最後に、聞いていい?」
「何?」
「本当に、天使?」
「に見える? 普通の女子高生。」
「だよね、そうだよ、ふつーいないよ、」
 至が納得するように頷くのを見て、ジョーカーは小さく笑った。
「でも、浮いている女子高生だけどね。」
 そうなんだよねぇ(泣き)。という顔をして至は立ち上がり階段口へと向かう。怖くて逃げると言うよりは、生きよう! なる希望がにじみ出ている。その足を止め、至は振り返る。
「ありがとう。このあとだよね、運命の子と会えるの?」
「それも、あなたの努力しだい。あなたが会いたいと思っていれば、会えるんじゃない?」
 ジョーカーの言葉に至はにこやかに微笑んで頭を下げ階段を降りて行った。
「これでいい?」
 ジョーカーがそういうと、風がざわわと過ぎていった。
「何?」
 ジョーカーは黙って見下ろしている楊を、腕組をして見上げる。
「あそこまでしゃべらなくても、」
「いいんじゃないの。彼、先が解っても努力するタイプそうだし。」
「しかし、相手の女性の老い先を言うのは、」
「でも、信じてなかった。あたしなら……、あたしなら、そんなやつなんか地獄にでも落ちろって願うのに、彼は願うどころか、心底心配してた。だから、なんか、うそだって言っちゃってた。なんかね、ああいうやつの側って苦手。」
「あこがれてるからだろう。前向きな人に。」
「どうせ、後退性ですよ。でもいいの。なんか、今回の依頼は気分がいいわ。」
「そう。それはよかった。さ、リュウが待ってる。」
「そうだね。」
 ジョーカーはそう言ってポケットからペンダントを取り出した。金の鎖には血のあとがにじんでいる。―それは、三日ほど前ここから飛び降りた女性のものだった。
 電車での痴漢、上司からのセクハラ。助けてくれたのは、至だけだった。彼女のときはすでに切れている。だからこそ、三日後、同じ場所に彼が来ることを知り、彼が同じことをしようとするのを、どうしても止めて欲しかった。ペンダントに込められた「思い」が「奇術師ジョーカー」の扉を叩いたのは、昨日の事だった。


 至はその夜、一人の女性と知り合う。明るくて、飾り気の無い。まるでジョーカーのような性格の女性。でも、ときどき重なる。どこかで逢ったことがある人。そう、必死になって謝って居た彼女に、似てる……。

Fin




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