ガラスの月
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 深月と柳と楊の生活は滞りなく過ぎていった。多分、深月が口走らなければ、この沈黙も、多少のことはなかったはずなのだ。
「車?」
「うん。十八だし。柳のような車にさぁ。(すっかり呼び捨て)」
「でも、お前に運転は。」
「大丈夫よ、楊だってバイク乗れるし。ね? だめ?」
 楊は柳のほうを見た。先ほどから一言もしゃべってないが、絶対に反対しているはずの柳を。
「やめておけ、免許をとるときどういう思いをするか。」
「何?」
「とにかく、不都合は無いだろう?」
 柳はそのまま部屋を出て行き、楊もその後を追うように出て行った。

「不都合ねぇ。あるから言ってるのよ!」
 深月は山から下のスーパーまで自転車で買い物に出かける。クリスや、ミセス・ホールが買い物に行くことは無い。今までどうして居たのか不思議だが、とにかく買い物は深月の役目となった。
 深月は自転車を止め汗を拭う。八月も終わりというのに、まだまだ夏は終わらないらしく、日差しは強い。日中を避けているのに、これでは過酷過ぎる。ましてや、冬のことを考えると……。しかも、学校へ行けというのだから、
「残酷ぅ。」
 深月はペダルを踏み込む。風が服を煽って気持ちはいい。でもその分、前のかごに入れた買い物や、後ろに乗せたものが重い。
「やっと、ついたぁ。」
 深月が屋敷前に着くと、見知らぬ黒い車が停めて居た。しかも、その車の横には、黒いスーツの男が三人立っている。
「なんだ?」
「え? 家に、帰ってきたんです、けどぅ。」
「あ、どうも。」
 深月は急いで裏に回り、クリスと一緒に荷物を屋敷に入れる。
「何? あの車。」
「お客様らしいです。」
「柳?」
「まさか、深月様ですよ。」
「ああ、……、あたし??? 何で?」
「ハニーのお呼び。」
 楊が台所の入り口でアメリカンドックを食べながら立って居た。
「ねぇ、ずっと言いたかったんだけど、そのハニーって、」
 柳が今から深月を呼ぶ声がする。楊は居間のほうを指差し、深月は言いそびれた顔をして居間へと向かう。
 居間に入ると、黒服が二人に、恰幅がよさそうな男が一人柳の前に座って居た。
「あの、何?」
「ハニーです。」
「こんな小娘に何が?」
「失礼な言い方ですね、うちの先生ですよ。気に入らなければほかをどうぞ。」
 柳は深月に椅子を明け渡し、深月は柳の座っていた椅子にちょこんと座った。
 夏の午後の日差しが窓から入り込み、まだ引いて無い汗が深月の首筋を流れる。小さく息を吐いたとき、ガラスの応接机に写真があるのを見つける。
「かわいい子。でも、笑ってない。大好きなクマ……かぁ。」
 深月はそういうと柳を仰いだ。そして首を傾げると、柳は依頼主を見た。
「いかがしますか? 北小路様。」
「……、頼む。」
 難しい顔をしながらも、北小路は頭を下げた。


「その子は私の孫娘でかすみという。もう十歳になるが、ある事故がきっかけで、笑うことも、泣くこともしない。その所為か知らぬが、見ての通り、まだ五、六歳ほどの成長だ。かすみの親、つまりわしの娘夫婦だが、アメリカ旅行中に死んでもういない。今はわしの家の離れで、看護婦と暮らしている。あの子に表情を与えたい。医者に見せたが、外界の刺激を与えすぎると、心臓発作を発生させる。同年代の子供の輪には入っていけず、あまりに不憫で、世界各地の医者に見せた。わしの道楽すべてはかすみのために使われていくようなものだ。しかし、医者はお手上げだという。そこで、人伝に聞いた妙な魔術を試し始めたというわけだ。最初は、白蛇だったか、それからいろんなことをした。アロマテラピーだの、風水だの。だが、まったく。」
「最後、ですか?」
「さぁ。まだいくつかあるだろう。世の中の人間と同じほど。」
 深月は首をすくめ、柳を見る。
「そちらへはどうやって行きますか?」
「今からというならば、一緒に車に乗っていこう。」
「では、ハニー、用意を。」
 柳が部屋の外を指差す。深月は頷いて外に出ると、楊がたって居た。
 扉を閉め首を傾げる深月を楊はとある部屋に連れて行く。
「ここは?」
「ここは、奇術道具の倉庫。どれでもお好きなものを。」
 扉が開き、電気がつくと、なんだか先ほどまで大騒ぎをして居た人形たちが、人形と化して身動きしていないような感じでそろって扉を見て居た。
「……、悪趣味な人形。」
 楊が噴出し、扉にすがるように笑う。深月は部屋に中を歩いて熊のぬいぐるみを見つける。あの写真の中のクマに似ている。深月がそれを掴むと、クマが頷いたような気がした。

 北小路家へは楊と深月が向かうことになった。柳は屋敷から出ることを極端に嫌っている。などの悪口を言いながら二人は北小路の車に乗り込んだ。
「あの、写真もう一度いいですか?」
 深月が言うと、北小路は上着のポケットから写真を出した。北小路は深月のひざの上の熊のぬいぐるみを見て眉をひそめている。お人形ごっこをして欲しいとは言って無いぞ。という顔を窓ガラスに向ける。楊はその顔を左サイドミラーから見る。
 北小路の家は日本庭園のある大きな屋敷だった。北小路の妻、かすみの祖母はこぎれいな人で、穏やかな印象を受けた。
「あの絵は?」
「あれは娘が描いたんですよ。」
「何を描いたのかさっぱりだ。まったく、遺品だから飾ってるが、絵を習いたい、絵を愛している人を好きになったなど、北小路家の恥だ。」
 北小路の言葉に深月は絵から離れのほうへと目を向けた。そこには、車椅子に座っているかすみが居た。ひざにはクマのぬいぐるみが座らされている。
「あれがかすみだ。やぁ、かすみ。気分はどうだい? ……、き、今日は友達を連れてきたよ。ハニーと言ってね。」
「こんにちは。」
 北小路は振り返った。その妻もまた深月を見た。深月はクマの手を振っているが、口は開いていない。しかも、先ほどの声は北小路の娘の声だ。
「どうしたの? しょんぼりして、クマ君が挨拶してるの、クマちゃんはお返事できない?」
「……る。」
 北小路はかすみを見た。確かに微かだがかすみの声だ。
「お部屋で遊ぼうか? 煩いおじいちゃんは向こうに行ってもらって、あたしは、このクマ君のお友達。いい?」
 深月がそういうと、かすみは頷いて部屋に入っていく。
 深月は楊に頷くと部屋に入っていった。しばらくして、看護婦が出てきた。追い出されましたという看護婦に、北小路の不安な目が離れに集中する。
「たくさんの人形ね。でも、全然遊んで無いね。」
「……無い。」
「要らないのかぁ。そう、」
 深月が人形に手を伸ばすと、一体のフランス人形がすうっと傾いて落ちた。
「空かぁ。」
 深月が振り返ると、かすみが不思議そうな顔をして見上げた居た。
 深月はかすみの前に座り、クマの手を動かす。かすみも同じように腕を動かした。
「会いたかったって言ってるね。」
 かすみが頷く。
「閉じ込めてるの?」
 ししおどしが鳴り響き、かすみが頷いた。
「なぜ?」
 かすみは人形を持ち上げる。
「そうだね。寂しいものね。」
 深月はくまの顔を見た。
「多分、その思いをぶつけると、壊れてしまう。そう思うんでしょ? だから、よそに追いやったのね。でも、だから、この部屋にいる人形は空なんだよ。人形は、人の思いを吸収して生きていくの。あなたの悲しみを半分にしてくれる努力をするわ。楽しさなら二倍にしてくれる。」
「ママは思うの、おじいちゃんはママがいなくなって寂しいんだって。でも、ママはパパやかすみが好き。だからパパとかすみと一緒に居る。おじいちゃんには、それが解るまで話していこうと思うの。解ってもらえると思う?」
 深月の動かして居たクマがしゃべると、かすみはそのクマの顔をじっと見て涙をこぼした。

「では、わしの所為だと言うのか?」
「そうでしょうね。あなたが娘さんや、かすみちゃんの父親の悪口を言うたび、クマのぬいぐるみは顔をしかめていましたからね。」
「ぬいぐるみだ。所詮。ばかばかしい、帰ってもらう。」
 北小路が用の腕を掴む。
「始まった。」
 楊が一言こぼすと、北小路が離れに近づこうとする。しかし楊がその前を塞ぐ。
「どけ、」
「いいから黙って。」
 楊の静かな声に北小路は庭に降りて離れに行こうとしたとき、かすみの笑い声が聞こえてきた。
「だってね、パパったらいっつも朝寝坊で、起きたら必ず髪の毛が立ってるの。」
 ころころと笑うかすみの声に北小路婦人は北小路氏の側に降り、その腕にしがみつく。
「パパとママはすごく仲良しで、私の自慢よ。大好きなの。」
「もう、話せるね?」
 深月の声に笑い声がすぅっと消える。まるで明るい光が消えていくような感じで。
 深月が離れの扉を開けた。かすみ一人で立ち、その顔は涙で濡れた笑顔が強張っている。
「あの絵、ママが描いたパパと、かすみの絵じゃない?」
 深月はそう言って絵に近づき、爪でカリカリと引っかいた。その下から別の色が見える。深月が振り返ると、楊がナイフを取り出し、その後を削り始めた。油絵の具が引っかき除けられて現れたのは、かすみとかすみに似た男の人が並んで昼寝をしている絵だ。
「幸せ。きっとそういうタイトルなはずよ。さぁ、かすみちゃん。ママのクマも一緒じゃない。いっちゃえ。」
 深月が微笑むと、かすみの強張った表情が以前の無表情へと変わる。北小路夫妻は落胆の表情で深月を振り返る。
「私の、パパとママは、世界一のパパとママよ。悪口言う、おじいちゃんなんか大嫌い。おじいちゃんが怪我したから、飛行機に乗ったのに、」
 深月が頭を押さえる。自分のあの事故と、映像が重なる。
「ママやパパは本当に心配してたのに! 大嫌い。」
 かすみの声が破裂した風船のようにはじかれ、空気は静まった。
「大丈夫よ。ママも、パパも側にいるわ。」
 かすみの抱きしめているクマがそう話すと、かすみは数年分の涙をこぼし始めた。

「もう大丈夫ですよ。」
 楊の言葉に北小路は黙って頭を下げた。
「では、報酬は指定の銀行へ。二十四時間以内に振り込んでくださいね。さもなきゃあなたの大切なものがもう一度失われますよ。」
「解った。ありがとう。ハニー。」
 深月は頷き、楊と一緒に歩き始めた。
 街はすっかり夜になり、ネオンがきらびやかに光っている。
「どうした? ずっと黙って。」
「頭が痛い。」
「大丈夫か?」
「かすみちゃんの、事故が、なんか、」
 楊は深月の肩を抱いて近くの公園に入った。植え込みの手摺に座り、ジュースを飲む。
「落ち着いたか?」
 深月が頷くと、楊は空を見上げた。
「あの子の境遇が自分に似てたから、あのクマを選んだんだな。さすがだ。」
「さすが?」
「ああ、奇術師は、なんにでもなれる。し、なれない。あらゆるものに変われるが、変われない。水や空気のように必要なのに、あまり誰彼感謝しない。透明な存在。柳が言ってたろ、免許や、そういうものを取ると、自分を誇示する。出来る限りそういうものが無いほうがいい。ただ、柳の性格上、高校『中退』というのは最悪な言葉なだけだけどね。」
「透明な存在? じゃぁ、私は存在しないの?」
「してるじゃないか。ここに。」
 楊の聞き返しに深月は黙る。難しい言葉を整理しようとしたが、押し殺した卑猥な声が聞こえる。深月と楊が同時に振り返ると、振り返られて真っ赤になりながらも、行為をやめようとしないカップルと目が合う。
「向こう、行くか?」
 深月は頷き、公園を小走りに出る。
「何? 外じゃない。」
「すれて無いねぇ。ハニーは。」
「それ!」
 深月が立ち止まる。信号が青に変わり、車が過ぎていく。楊が振り向いて立ち止まる。
「ハニーはいや。でもほかの名前が浮かばなかったの。でも、決めた。どんなものにでもなって、どんなものにでもなれないもの。ジョーカー。トランプのジョーカー。私の、……、ステージネームよ。」
 深月がそういうと楊は笑顔で頷いた。
 トラックのクラクションと、過ぎる車の騒音。そして合図のように二度なる音。
「おせぇぞ。」
 楊の罵倒に車道を見れば柳の車が止まっていた。
「さぁ。帰ろう。ジョーカー。」
 深月は頷き、車に乗り込んだ。


FIN







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