ATALANTE
〜時刈物語・時の狩人〜

松浦 由香
暁闇、携帯、無垢、三つを使用


 
 時刈とは、時を狩る者。
 時刈には二つの種類がある。
 一つは白い時刈。もう一つは黒い時刈。
 白い時刈は、時刈 吾郎の力が継承され、この世の邪を抹消する。
 黒い時刈は、時の狩人の力が継承され、人間の時を刻む。
 
 ―だから、言う。
      時の狩人を怒らせてはいけないよ―
×T×
 エルは長く豊かな栗色の髪を湿らせたまま椅子に座っていた。風呂上りに用意していた果汁百パーセントのオレンジジュースで唇を湿らせ、窓から空を見上げていた。
(そろそろ、かな?)
 エルは少しだけ欠けた月を見上げ、再び唇を湿らせた。
 
 エルはごく普通の日本の女子高生だ。ルーズソックスに、ミニスカートに、少しだけ染めた髪、耳のピアスに、ピンク色のマニキュア。至って平凡などこにでも居る子だが、両親にでさえ内緒にしている秘密がある。だが、それは一生言うまい、いや、言えない秘密だ。
 自分が、人の時を刻む時刈の力を得たなど―
 
―学校―
 どこの学校も、廊下と教室があって、クラスがあって、職員室があるもので、ここも他校と変わっているわけではない。だからと言って、同じと言う学校も知らない。
 この学校の変わっているところなど、見た目には解からない。イジメも多分存在し、セクハラやら、三角関係だの、単位欲しさの援助交際などもあるかもしれない。だが、そんな深層の事など知る必要も無いし、知りたいとも思わない。ただただ、三年間を無事に過ぎればいいと思っている。
 エルは体操服から着替える最中に落ちた「二年」のバッチをつけながら歩いていた。
 廊下のビニール床に上履きのゴム底が鳴る。横を走って過ぎる連中、教室前で喋っている人。だが誰もエルを見ようとしない。別に変わった風景ではないし、避けられている訳でもない。ただ話すことがないのだ。
 エルが自分の教室に入ろうとしたほんの少し前、隣のクラスの後ろに席を置いている生徒にふと意識が向いた。
 大人しく、三つ編みを下げている。血色の悪い唇をぎゅっと結び、意識が遠退くのを必死で押さえているように見える。
(厄介だねぇ)
 エルは彼女の上に「相棒」の姿を見た。
―おい、逃げるな―
 頭に直接話しかけてくる奴に、エルはため息を吐き出す。
 奴は黒いマントに身をくるみ、骨ばった、いや露骨に言えばその肢体すべてが骨なのだが、その手に大きな鎌を持ち多分にやりと笑っているのだろう。そう、奴は「死神」だ。
(その子を?)
―いいや、ほら見えるだろう?―
(悪趣味)
 エルは顔をふいっと背けた。
 彼女は恋人だと思っていた男にでも裏切られたのだろう。そんなことはこの際どうでもいいのだが、その男の子供が悪素と化しその腹に巣食っている。いや、あれは子供とは呼べないだろう。多分、彼女はあれを背負って生んだとして即死に至るであろう。そしてその死体は「胎児(はらわた)」によって食い荒らされるだけだ。
―ほら―
 死神が促す。
 エルは隣のクラスに入り、彼女の後ろを通ってぽんと肩を叩いた。
 彼女が振り返る微かな間、エルは口の中で言葉を紡いだ。
 
「闇に巣食いし哀れな魂よ、死をもって浄化せよ」
 
「何?」
 徐々に彼女の血色が戻るようだった。
「あれ? あたしのクラスはどこ?」
「え?」
「ごめん、隣のクラスだった」
 エルが笑いながら出て行くのを、彼女は不思議そうな顔で見送っているだろう。そして自分の中のものが消滅したことすら知らず、ただただ失恋に打ちひしがれるのだけであろう。
       
 エルに善行を行ったと言う気分はない。どんなことを言っても、人殺しと変わりないのだ。悪しき魔物に変化させないためにその者の時を刻むなど、先手を打って処理をする。ことがすべて正しいとは限らない。エルはそう思うのだ。
 屋上への階段を登る足が重い。
 死神が来たと言うことは、何かしらの「用事」がそこにあるからだ。先ほどの彼女のことは、来たついでと言うことだろう。
 屋上の扉を開けると、迫ってきていた風が一気に流れ込み、エルのスカートの裾を揺らした。
 エルはフェンスに向かって進み、金網を軽く掴んだ。
(何の用だ)
 エルの掴んだフェンスのすぐ上ひょいと掌から逃れた死神はまるで手乗り文鳥ほどの大きさで浮かんでいる。だが手乗り文鳥のような可愛らしさはまるでない。あの骨ばった骸骨に黒いマント、よく切れそうな鋭利な鎌を持っているのでは、可愛らしさなど到底ない。
―久し振りの再会に、えらく機嫌悪いなぁ。こう、久し振りだわね、元気だった? ぐらい言えんかねぇ、女のくせに―
(降魔神炎……)
―わーかった、ったく気が短い―
 死神に表情などないが、あるとするならば拗ねているのだろうが、エルにそのようなことは関係ない。死神だって、それに対応して欲しいなどと思っていないようで、襟を正す。では無いが、肩を動かしてマントの位置を正すと、改まった声を出した。
―クロド・コルチドを知っているか?―
(何、それ?)
「ヨーロッパ屈指の貿易商の名前。とはいえ、その正体はイタリアの貧しい漁師の息子からはマフィアに入り、ファミリー屈指の頭脳と行動力で、今じゃぁ、ヨーロッパのマフィア・イコール・クロドと言う図式が出来上がってる」
 死神が声の方を睨みあげる。エルはゆっくりと振り返った。
 同じクラスに居たと思う。その瞳がいやに黒く、もし、死神が人間だったらこういう感じじゃないかと思うくらい暗く、重い空気を発しているくせに、クラス一賑やかな奴で、エルは苦手だと認識している奴。たしか―
「高見 瀬南」
 瀬南はそう言ってエルではなく死神の方へと近づき、顔を近づけじっとその姿を見た。
「見えるのか? ぐらい聞けよ」
「見えるのだから、見てるのだろ?」
 エルはそっけなく答え、フェンスに背中を預けると、ずるずるとすべり、座った。
「普通変だろ、こういうのが見えるのって、動揺とかさぁ、慌てたりってのはないのかよ」
 お茶ら気て言う瀬南をエルは見上げ、
「キャラが違うだろ」
 エルの言葉に瀬南は肩を上げて笑い、金網を掴んだ。もちろんその掌に死神はいない。
 風が吹き急ぎ、賑やかな声が徐々に静かになっていく。そういえば放課後だったと気づくのにそう時間はかからなかった。
(で、それがどうしたって?)
 エルの唐突の言葉に、死神は驚いてエルを見下ろす。―と言うか、死神のくせに驚くなよ―
―あ、あー、で……―
(消すの?)
 無碍な言葉に死神は圧倒され―いや、まだ不意を突かれているので大人しく―頷いた。
(どこに居んの?)
「この町に来てる」
 先ほどとは随分と様子の違う声色の瀬南を、エルは見上げる。
「何であんたが知ってんの?」
「ニュースで見た」
「あ、そ」
 エルは死神を見る。死神は頷き、「ほらよ」と大きな手鏡―大きすぎるだろう、手鏡じゃなく、立派な姿見ほどあるんじゃないだろうか?―それをエルに見せた。
 クロド・コルチドはイタリア系の顔をしている。黒いスーツに、お世辞にもいい指輪だとは言えないただただ大きいだけの指輪をはめ、葉巻を大きく吸っている。
 何人かのボディーガードの見守る中、一人の男と面会していた。男は日本人のこれまた恰幅のよい男で、糸の様に細い目と、樽のような腹を揺らしながら笑っている。
「音」
 エルがこぼすと、覗き込んでくる瀬南を警戒しながら死神が口を尖らせて言う。
―ねぇよ、鏡にスピーカーがあるわけないっしょ―
 役立たず。と言うエルの目に多分、舌を出しているであろう死神を放って、エルは校舎に向かって歩き出した。
―おい、解かってるだろうな―
 エルは手を振り、校舎に消える。
 死神は瀬南と二人っきりになったことに悪寒を感じ、エルの後を追いかけた。
 すでにエルは三階まで降りていた。
―おい、アイツ、やばいぞ―
 エルは立ち止まり、浮遊してきた死神を見据える。
(死神より危ない奴がいるのか?)
 嫌味のつもりだったが、死神は顔を青くさせ―多分―エルの鼻先近くで小声で叫ぶ。
―ああ、アイツはやばい。だって、アイツは―
 
×U×
 美紀。聡子。夏希。未咲。奈々子は仲の良い女子高生だ。彼女たちの最近の流行と言えば、彼氏と、ダイエットだけだ。今日もいつもと同じように学校帰りにファーストフードに寄る。
「それで、セックスもしてなきゃ、キスもなし?」
「手だって繋いだ事ないの?」
「だって、まだ三日目だよ」
 美紀と聡子が責める様に言うのを奈々子が困った顔で答える。
 奈々子に新しい彼氏が出来たと聞いたのは二日前だった。その前日の夜、彼に電話をして告白し、付き合うことになったのだと言う。
「三日って、三日よ。あたしならその日だけどな」
 夏希が言うと、未咲が同意するように頷く。
「今度の彼は違うのよ。やっとお互い好きだって言えた間なの、だから大事にしたいのよ。彼の事好きだし、彼だって私を大事に思ってくれてんの。他の男とは違うのよ」
「はぁ、そうですか、そうですか。ご馳走様」
 他愛のない会話が続く。五人は笑いあいながら町を闊歩し、五時ごろ、奈々子が時計を見て先に帰る。
 奈々子を見送る四人。ある程度離れてから、お互い顔を見合わせ、不機嫌そうな顔をつき合わした。
「何よ、あれ。あたしはあんたたちとは違うのよ。って感じじゃない?」
「ちょームカつくよね、大体、何で芳賀(陸上部の短距離の選手。奈々子の彼氏であり、美紀も思いを寄せているらしい)なわけ?」
「幼馴染だからって、くっつくなよって感じ」
「ふざけてるよね」
 四人が同時に頷く。その時、夏希がふとある張り紙を目にする。
「何、これ?」
「援交したい女子高生募集?」
 建物に貼られた変哲もない張り紙には、援助交際をしたい女子高生募集と、その条件などが書かれていた。
「彼氏となかなか会えず、欲求がたまっている子」
「お金が欲しい子」
「セックスが好きな子」
「見た目よりも十分尽くす子」
 四人は顔を見合わせくすくすと笑うと、美紀が携帯を取り出した。
 
 三ヶ月が経った。卒業式が済み、三年が居なくなったおかげで、奈々子たちは十分羽を伸ばしていた。
 今日もいつものファーストフードへと向かう。
「ねぇ、ちょっと頼まれてくんない?」
 言い出したのは美紀だった。
「何?」
「帰り、中央病院前を行くよね?」
 奈々子は頷く。この中でそっちを通るのは奈々子だけだ。
「その隣に公園があるじゃない、そこのトイレ前で待ってる人にこれ渡して欲しいんだけど。それで、受け取ってきて欲しいのよ」
「何を?」
「本。その人にさぁ、売ってもらうように頼んでたんだけど、あたしあっちじゃないし、今日ちょっと予定が入ってさぁ。行ってくれない?」
「男の人?」
「違う。おばさん。この人」
 そう言って美紀が写真を見せる。たしかにそこには中年のおばさんと、美紀が並んで写っている。
「近所に住んでたんだけど、引っ越してさぁ。で、たまたま会った時に、本くれるって言う話しになってさ」
「何の本?」
「聞いて驚くな、HIJ(アイドルグループのグループ名)の写真集」
「いいなぁ、ほんとに?」
「取りに行ってくれるお礼に最初に見せてあげるから、明日必ず持ってきてよ」
 美紀にお金を渡され、奈々子は四時にそこを離れた。
 そこから三十分で家に帰る。五時になったら彼も帰ってきてるので、彼の部屋で二人で過ごすのだ。その前に用事を済ませる。ペダルを踏む足も軽やかだ。
「奈々子?」
 芳賀が急ぐ奈々子の姿を遠目に目撃した。家に帰っているのだろうが、あの急ぎ様が不自然に感じられたし、何よりも妙な焦燥感が胸を襲った。急いで奈々子の後を追うが、目的地が解からない分、ふと目を離すとすぐに見失ってしまった。
「やば、」
 女の声が聞こえ、芳賀が振り返ると、美紀たちがそこに並んで自転車に跨っていた。
「奈々子は家に帰ってんの?」
「え?」
 言葉に詰まる三人を他所に、美紀が笑いながら口を開いた。
「援交相手のところに行くのよ」
「は?」
「あの子、援交してんの。オヤジとセックスしてんのよ。不潔でしょ?」
 美紀の言葉に芳賀が悪寒を感じ顔を顰めた。
「どんな理由があるか知らないけど、奈々子はそんな奴じゃないよ」
 芳賀はペダルを踏んだ。
「今から行っても間に合わないわよ、」
 美紀の卑劣な笑いが背中を追いかけてくる。
 芳賀の頭にこの先のラブホテルの看板が浮かぶ。怪しい古いホテルの看板は、「モモノハナ」のノの字の電気が抜けていて、白壁はところどころはがれ、窓には戦争当時のような格子模様をテープで貼り付けている。
「ナナ、」
 芳賀がずっと先、信号三つ向こうに中年婦と、奈々子を抱えている男の姿を見た。
 ペダルを踏む足に力がこもる。
 黒塗りの車二台の横を過ぎる。多分普段なら、「その道の車だ、やべぇ」と思うだろうが、今はそんなことまったく思わない。
 ホテルに消えたことを確認した。芳賀は急いで漕ぐがまったく進まない気がする。息苦しさに胸を押さえながら、襲ってくる焦燥感に頭がぐるぐると回りながら芳賀はペダルを踏み続けた。
 「モモノハナ」の前で自転車を倒して止めると、勢いざまにドアを蹴破り、
「さっき入って行った子はどこへやった?」
 と怒鳴った。
 今時受付があるホテルなど珍しくて笑ってしまうのだが、そこのおばさんは先ほど奈々子とこのホテルに入った中年婦だと思われる。
「どこへやった!」
「何を言ってんだか、第一あんたみたいな子供が」
「煩い! 奈々子を出せ、援交なんかさせない」
「ちょっと、兄さん、」
 おばさんが困った顔をする。瞬間、顔が変わり、芳賀の背後から声がして芳賀が振り返ると、その振り向きざまに頬を殴られる。
 壁に激突し、脳が揺れる中、殴った相手を見上げる。
「なんだ、このガキ」
「さっきの娘の男みたいだよ」
「男つきかよ。うぜぇなぁ。ったく」
 腹立ち気味に芳賀の腹を蹴る。芳賀は痛さと朦朧とする中で必死に奈々子の事を思った。
「奈々子は、奈々子はどこだ?」
「うっせー」
 殴られ、蹴られても芳賀は男にすがりつく。
「奈々子!」
 気が飛ぶかもしれない寸前で芳賀が叫ぶ。
 
 奈々子は気がついた。美紀に言われたおばさんに会った途端、背後から誰かに口を塞がれ、それの異臭を嗅いでいると朦朧として来た。気が飛ぶ寸前に遠くに芳賀の姿を見た気がした。
 目を開けてぞっとした。体は素っ裸のまま縄で締め付けられ、自分と同じ全裸の見知らぬ中年男が立っている。
「い、いやぁー」
 悲鳴とも、絶叫とも居えない声を出す奈々子の頬を男がタオルで叩いた。普通の乾いたタオルではない。濡れた、当たると鞭ほどの痛みを与えるそれに、口の中に鉄を広がせて奈々子は涙目で男を見た。
「い・や」
 声を出すことも抵抗することも出来ないほど叩かれ続けると、もう抵抗する気もなくなってしまった。
 
 男が奈々子の体を縄から介抱し、その前に一万円を五枚落としたのは、すでに五時間が過ぎていた。
 男はそのまま出て行こうとした瞬間、芳賀がぼろぼろの姿ででて来た。
 殴られ腫れた顔。口を切ったようで赤い筋が口の端から垂れている。見た外傷はそれだけなのに、芳賀の手は真っ赤に汚れ、服にも、ズボンにも赤い血がねっとりとついている。あとになってそれが、入り口に突っ伏している男のものだと知る―
「奈々子……」
 涙を浮かべ、うすら笑っている奈々子に芳賀を認める気力などなかった。いや、見たから壊れたのかもしれない。無垢な心はガラスの様に壊れていてしまった。
 叩かれ、所々赤くなり、腫れている頬や目、体中が何かで汚れている。座り込んだ奈々子に顔を覆う気力もなくただただ涙を流している。
「なんだ、おま、え」
 男の言葉が終わる前に、芳賀は最後の気力とばかりに男を打ちのめした。
 ゴンと言う激しくも鈍い音がして男は柱にぶつかり倒れた。
「奈々子、」
 恐る恐る奈々子に近づき、芳賀はその体を抱きしめた。
 耐え難い匂いが奈々子の体に捨てられている。
 奈々子は軽く笑い声を出して、力なく項垂れた。
「うわぁー」
 芳賀は側に落ちていた、奈々子を叩いていたタオルで奈々子の首を締め上げた。奈々子は抵抗することなく、でも意識がはっきりしてきたのか、締められる苦しい咽喉の隙間から、
「ごめん、大好きだったのよ。本当に」
 と言った。
 奈々子はもう動かない。
 芳賀は振り返ると男に馬乗りになりその顔を殴り続けた。だが男はすでに動いていなかった。殴られるまま体が揺れ動く。
 パトカーのサイレン。
 踏み荒らすような足音。
 殴り続ける芳賀を静止する無数の手。
 芳賀の頭にあるフレーズが浮かんだ。どっかで確かに聞いたけど、どこで、誰の言葉かさっぱり思いだせない言葉―
 ―この世に神様が居るとしたら、なぜ、ボクらだけ愛してくれないのだろう?―
 ひそひそとざわめく言葉の中、芳賀が手に血をにじませたぼろぼろの姿と、ブルーシートを被せられた四つの担架が次々に出て行く。
「まじぃ?」
 美紀たちがその様子を遠く取り巻きで見る。
「芳賀が殺したわけ? 奈々子は?」
 その声が聞こえたのか、なんなのか、芳賀が美紀たちの姿を睨み付けた。
「奈々子を殺したのはお前らだ!」
 四人はぞくっと背中を冷たいものを走らせ、背中を向けると、お互いの存在を確かめるように笑いあう。
「あたしたちは、ねぇ?」
 四人で青ざめた、冷たく凍りそうな笑みを交し合う。
「やぁ」
 美香の前にクロドと会見していた男が現れた。
「あ、棚橋さん」
 棚橋は界隈を仕切る暴力団員だ。恰幅のいい腹を高級背広に押し込み、不敵な笑みを浮かべ連行される芳賀のほうを見た。
「勝手にあんな事件にしたんじゃんねぇ?」
「そうよ、いやだって言えば、奈々子だってすんだんだし、」
「それに、芳賀があんなことする必要ないじゃんねぇ」
「いくら好きとかでも、(お互い)子供じゃん、ねぇ」
 四人はそう言って頷き合う。
「じゃぁ、お前らは何もんだ?」
 女の低い声だ。美紀たちの誰の声でもない。お互いに顔を見合わせる。
「……あたしたちは、……あたしたちよ」
 おどおどとした言葉を発した後、美紀たちはお互いに顔を見合わせ棚橋に頭を下げると急いで帰っていった。
「今時の小娘は、」
 棚橋はタバコに火をつけ、走って行く美紀たちの後姿を見る。
「あらゆるところが早熟なくせに、お頭だけは子供だ」
 捨て去る棚橋の背中を誰かが叩いた。棚橋がゆっくりと振り返ると、野次馬が後ろに控えていた。
「解かったよ、押すな。ったく、死体が物珍しいかねぇ」
 棚橋は鼻で笑いながら黒塗りの車、クロドの車の側に立った。
 車の窓が三分の一だけ降りた。
「もう終わりだ」
「ああ、ったく、あの店もしまわなきゃいけねぇなぁ。ったく、ガキ(女子高生)使って援助交際の館にして一儲けするつもりだったけどよ。要らぬ事してくれて、」
 棚橋はため息混じりにはき捨てた。
「店も、……お前もだ」
 クロドは冷たく、まるで釘の様に言葉を放った。
「は、はぁ?」
「死神に憑かれたんだよ、お前は」
 窓が閉まり、クロドの車は走り去った。
「あ、ちょっと待った、おい」
 棚橋は眉を顰め、不本意に進む車を追いかけて二三歩進んで立ち止まった。視界の端に入った古めかしい洋品店のガラス戸に、自分と、それに背負いかぶる妙なもの。ゆっくりと頭を振れば、棚橋の肩に大きな鎌を持った髑髏姿の者が座って微笑んでいる。
 ―微笑んでいる―
 髑髏だから表情は解からないが、でも、微笑んでいるような不気味さを感じる。
 背中を刺す悪寒と、やたらめったこみ上げてくる吐き気。
 ―死神に憑かれたんだよ、お前―クロドの言葉が再生され、棚橋は再びガラス戸へ目をやった。
―いい乗り心地だ。悪汁の滴りそうな体躯は、俺の好物だ―
 脳に直接話しかけてくる声。この世のものでない声を映画がどれほど再現しても、決して再現できそうもない、その声を聞くだけで鳥肌や、悪寒、ありとあらゆる不幸に見舞われている錯覚を起こす音。
 棚橋はそこを逃げるように走った。転げるような、慌しい走りっぷりは、まさに見っとも無い。
 
 美紀たちは、奈々子を向かわせた公園に来ていた。
「なんか此処、陰険」
 未咲の言葉に、美紀が眉をひそめる。
「あんただって、いい案だって乗ったじゃない」
「あの後すぐ此処に来ることないじゃない」
 聡子の言葉に、夏樹は美紀を見た。
「あたしじゃないわよ、未咲でしょ?」
「何であたしよ」
 四人はむっとお互いを見た後、誰がどうしたわけでもなくここにいることに気づくと、出て行こうとする。
 四人と入れ違いに、漆黒を風に揺らしている近くの高校の制服を着た女生徒とすれ違う。
―かわいそうに、心がやられて、ぼろぼろの姿だったよ―
 四人が一斉に振り返るが、そこにはあの女生徒の姿はない。
「な、何?」
 四人は頭を振り、走り出した。
 走って、走って、もういいだろうと思うほど走ったのに、そこはあの「モモノハナ」の前だった。
「なにぃ? 何でぇ」
 絶叫する四人の前に、再びあの声が聞こえる。
―かわいそうに、……―
「いやぁ」
 四人が抱き合い絶叫する。
 周りの人が四人を軽視するような冷たい目で見ていた。
 逃げたはずのあの野次馬の群衆の中だ。
「夢?」
 聡子が呟いたが、真相は解からない。
 パトカーと救急車のサイレンが響く。
 四人は肩を落とし、家へと向かった。その心には脱げない大きな罪悪感と言う重石を背負って。
 
 エルは立ち止まった。
 クロドを追いかけてやってきたら、芳賀たちの事件に遭遇したのだ。
 原因は多分、警察でも曖昧に捉えられ、結局芳賀だけが刑に処せられるだろうと解かった。だからと言って、正義感や、義務のような物で動いたわけではない。
「お見事」
 野次馬の群集から逃れたエルの前に立っていたのは瀬南だった。
 エルの手には五つの綺麗なビー玉が乗っていた。
 瀬南がそれを一つ取ろうとするのを、エルが握って拒む。
「お前、何者だ」
 エルの言葉に瀬南は微笑み、首を傾げた。
 先ほど死神の馬鹿が、瀬南の正体を明かそうとしたら、邪魔が入った。得てして入ったような邪魔に、ある種の作為を感じられる。
「知って、どうします?」
 黒々とした目で見つめ返す瀬南の横を、エルは黙って通り過ぎた。
 
―な、だから怪しいんだって―
 死神がまるで小鳥が飼い主に戯れるかのように、エルの肩に止まった。
(だから、奴は何者だ)
―奴は、―
「楽しみが、増えそうです」
 エルが振り返ると、瀬南はそのあまりにも美しすぎるような微笑を浮かべた。その微笑には、どこかしら、―僕を詮索しないように―と言う意味合いがあるように感じられた。
 エルはすっと姿勢を戻すと歩き出した。
―アイツは、―
「いい、格別変わったやつではないだろう」
 死神に表情があるとは思えないが、死神は眉をひそめ、歩くエルに付いて行く。
 
―どうか、なさいましたか?―
 瀬南はふと意識を自分の体に戻した。
―にやついておられます―
 声はすれど姿はない。
 その声に瀬南は答えるように静かに笑いながら俯く。
 界隈では珍しい特異な事件で大騒ぎだった場所も、警察の撤退、事件の大まかな内容を知るとそれが静かに解けて行く。
 立ち止まったままの瀬南を避けるように人は過ぎていく。
「面白いものを見つけたよ。時刈。本当に居たんだね」
 瀬南はくっと顔を上げた。その顔は一瞬「無」を印象づけ、それを見た者のすべてを失いそうな惚れ惚れとするいい顔だった。
 瀬南は力を細く吐くと、ごく普通のちゃらけたいい男になって家路に向かった。
 
 エルは立ち止まった。
 手の中で転がしていた五つのビー玉。
―あ、それもらいますよ―
 死神が物欲しそうにビー玉を指差す。
 エルが手の中でこすり合わせるとガラス特有の不協和音を出すと、唇にそれを持っていった。
―あ、嗚呼―
 勿体無いという声を出す死神を他所に、エルはビー玉を放り投げた。
 投げて地面につく瞬間、その玉はあらぬ方へと飛んでいった。一つは美紀に、一つは聡子に、一つは夏希に、一つは未咲に、一つは棚橋に。そしてそれは体の中に入り込み、
「どうしてあたしなの?」
 と叫ぶ内なる奈々子の声に悩むのだ。―一生―
 エルが立ち止まった。
 目の前に黒いスーツ姿のイタリア系の男性がいた。
「実に手際がいい」
 エルは黙ってクロド・コルチドを睨んだ。
「あれは私の所為ではない」
 クロドは軽く両手を広げ、よく外国映画で見るようなオーバーな、芝居がかった笑い方をした。だが、エルは答えなかった。
 雑踏はエルとクロドを避けて進んでいく。まるで川のかなにある巨石の様に、その流れに左右されない二人を、周りの誰も気にもしない。
 エルはこの男の声、姿、その目に答えてはいけないと、本能のようなものを感じ取った。
「いずれ、また逢えるだろう。そのときも友好的に逢いたいものだね。闇の時刈」
 エルは静かに唇を噛んだ。
 クロドは車に乗り込み、そのまま過ぎ去った。
 エルは静かに息をした。
 闇の時刈だと知るものは少ない。それが嫌で辞めた奴は山ほどいる。どんなことを言っても、どんなことをしても、人の時を狩る事は、人殺しと変わりないのだから。
 クロドはそれを知っている。そしてエルがそれであることも。
 
 闇の力は暗黒に似て黒い。
人の時を刻むもの
  それは闇。それは黒
闇に巣食いし力は
 果てる事無き黒の力
  それは闇。それは黒
―だから、時の狩人を怒らせちゃいけないよ―
 
 暁闇の中、黒い髪をなびかせてエルは佇む。
 黒い姿を為している時は、闇の力が体全身を駆け巡り、突発的に、血にさえ発情しそうになる。
 エルは自分がドラキュラか、狼男にでもなった気分だと自嘲し、元の姿に戻る。
 今時の女子高校生に―

 
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